暫定龍吟録

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クルマ社会とパチンコ社会日本

 先日、秋葉原の書店の店頭で、『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(若宮健著、祥伝社新書)といふ本を見かけた。
 そのことについてブログに書かうと思ってゐたら、すでに小飼弾氏が書いてゐた。

404 Blog Not Found:国辱 - 書評 - なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか

Amazonの在庫が一向に回復しないので楽天で買ったが、その楽天も今は在庫切れ。今調べた限りe-hon、7net、紀伊國屋Webにはまだあるようだ。


と書いてゐるが、私が数日前に書店に行ったときは普通に書棚に積み上がってゐた。小飼氏はリアル書店には行かないのだらうか。

 先づ、この刺激的なタイトルに惹かれて手に取った。

 韓国がパチンコ店を全廃できたことを日本で最初に報じたのが、この著者なのださうだ。
 韓国社会は以前、パチンコによる腐敗がひどく、パチンコ中毒者がたくさん出て大きな社会問題になったらしい。しかしその後、国を挙げての政策で国内からパチンコを一掃した。そして著者は、なぜパチンコは廃止されなければならないのか、なぜパチンコが「害」なのかを詳しく説いてゐる。

 そしてこの著者が最も力を入れて訴へてゐることは、どうして韓国にできたことが日本にできないのか、といふことだ。韓国にできて日本にできないのが悔しい、といふ著者の熱い気持ちが伝はってくる。

 さう言へば、韓国は数年前にもソウル市内の清流「清渓川」を復活させた。高速道路を撤去し、暗渠化された川を清流として蘇らせた。都心の一等地で不可能と言はれた大プロジェクトだったが、見事に成功させたのだ。
 翻って、我が日本の東京では、都心部に相変はらず高速道路が走り、川は暗くて汚いまゝだ。日本橋を訪れる若い人の中には、橋の上に架かってゐる高速道路が「日本橋」なのだと思ってゐる人もゐるとか。

 この本の著者は他にも、韓国に取材に訪れたときに感じた電車内での若者のマナーの良さについても書いてゐる。韓国の若者はシルバーシートに座らないとか、年上の人にさっと席を譲るとか。いづれも日本人が見習ひたいことだ。

 この本全体から私が感じたのは、著者の、昔の美しき日本を取り戻したい、といふ熱い思ひだった。

 いったいこの本を書いた若宮健といふ人はどんな気鋭の若手ジャーナリストなんだらうと興味を持って、著者プロフィールを見てみたところ、

1940年秋田県生まれ。ジャーナリスト。


と書いてあり、決して若くはないことがわかった。しかしその後に書かれてゐたプロフィールが特に私の目を引いた。

トヨタ自動車に19年勤務。営業マン13年の実績から、トヨタ本社より新車1000台販売の表彰を受ける。


と誇らしげに書いてあったのだ。

 私は、手にしてゐたその本をそっと棚に戻した。

 この著者は、パチンコの害悪を訴へてゐるが、戦後日本のモータリゼーションに伴ふ、騒音、公害、環境問題、「交通戦争」とまで呼ばれた交通事故死者の問題、日本の田舎の隅々にまで行き渡ったクルマ社会が齎す様々な問題、景観問題等を、どう考へてゐるのだらうか。

 日本は田舎に行けば行くほどクルマ社会だ。田舎の本屋は必ずと言っていいほど「本」と書かれた巨大な看板を掲げてゐる。あれはクルマに乗って猛スピードで走り抜けていくドライバーに気付いてもらふために、あゝなってゐるのだらう。
 日本の田舎はどこに行っても、さうした似たやうな醜い光景が広がってゐる。かうした問題を2004年に告発したのが、三浦展『ファスト風土化する日本』(新書y)といふ本だった。三浦展氏は、この本で、日本の田舎が地域固有の特性を失ひ、どこに行っても大型ショッピングセンター、ファミレス、パチンコ屋、といった似たやうな風景が並んでゐる醜さを批判し、かうしたものが田舎に住む人々の暮らしの在り方や家族の在り方、ひいては人間関係までをも変容させてしまってゐると説いた。

 私が住んでゐる東京の真ん中は、電車網が発達してゐてクルマは要らないはずなのに、東京でクルマの交通量が少ないなどといふこともない。

 世界中から観光客が訪れる古都京都も、烏丸通や四条通などのメイン通りを除けば、だいたいは細い通りで、どれぐらゐ細いかといふと、どの通りもちゃうどクルマ一台が通れるくらゐの幅に出来てゐる。クルマが通るたびに散策中の観光客が一斉に壁にへばりつくのは、よく見る光景である。
 あの「古都」京都でさへ、クルマ第一主義、クルマ優先社会なのだ。他の都市は推して知るべし。

 私には、クルマに汚染された日本社会とパチンコに汚染された日本社会は同じくらゐ醜く見える。


 とは言へ、「パチンコの病理」をこゝまで深く追及した本は他にないと思ふので、日本社会とパチンコの問題について考へる上では、価値のある本だと思ふ。


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イージス艦衝突事故に思う

 海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」が衝突した事故。行方不明になつてゐる吉清さん親子は今日現在、まだ見つかつてゐない。

 先日、テレビのニュースで漁協の仲間の人が言つてゐた言葉が印象的だつた。

 「体の大きな船はさう簡単に曲がれない。だから衝突しさうになつたら小さい船の方が避けてくれると思つてゐる。こゝらへんの海には自衛隊の船は多い。だからウチらもぶつかりさうになることはしよつちゆうある。」

 これは、実にポイントを射た発言であると思ふ。今回の事故はまさに氷山の一角といふわけだ。
 そして、この発言がかなり正しいものであつたことが今日のニュースで証明された。今日のNHKのニュースが伝へるところによれば、イージス艦の乗組員は「漁船の方が避けてくれると思つた」と述べた、といふ。

 私は日ごろ道を歩いてゐて思ふことがある。
 それは、トラックやワゴン車やワンボックスカーなどの大型車が狭い道に入つて来たときに、私たち歩行者が避けるからこそ、クルマはその道を通れてゐるのだといふこと。私もよく、クルマ一台がぎりぎり通れるやうな細い道でクルマに出くはしたときに、しかたないので脇に避けてクルマを通すことがある。ところが、脇に避けて待機してゐる歩行者の私に、一礼もしないで通り過ぎて行くドライバーのなんと多いことか。まるでクルマが優先するのは当然であると言はんばかりである。イージス艦に乗つてゐた自衛隊員たちの意識もおそらくこのやうなものだつたのではあるまいか。
 実際、クルマ社会における交通事故は、多くの場合、歩行者がクルマを避けることによつて防がれてゐる。もし、世界中の歩行者がクルマを避ける行動をまつたくとらないと仮定したら、たぶん交通事故は今の何倍も起こつてゐるはずだ。

 また、最近、夜間に、ライトが点滅するタイプの自転車をよく見かけるやうになつた。今までは常時点灯してゐるタイプのものが多かつた。
 これは一つのことを暗示してゐるやうに思ふ。すなはち、それは、自転車のライトは、道を照らし歩行者をよく見えるやうにするためのライトではない、といふことだ。もし道を照らすためなら、常時点灯してゐた方がよく見えるはずだ。さうではなく、このライトは自転車の存在を歩行者に知らしめるためのライト、歩行者から自転車がよく見えるやうにするためのライトなのだ。だから、注意を促すためにチカチカと点滅してゐる。
 つまり、こゝにあるのは、自転車が歩行者に注意するのではなく、歩行者が自転車に注意せよ、といふ思想である。

 こゝに、クルマ社会やイージス艦に共通の思想を感じる。巨大なイージス艦が小さな漁船に注意するのではなく、小さな漁船が巨大なイージス艦に注意せよ、と。

 私は、だが、イージス艦の乗組員の不注意を責めるつもりはない。どんなに注意してゐたとしても、確率的に考へれば、偶には事故は発生するものだ。
 むしろ私が問ひたいのは、海は誰のものなのか、といふことだ。漁協の仲間の人は、「自衛隊の船が多すぎて、ぶつかりさうになることがしよつちゆうある」と言つてゐた。海は自衛隊のものなのか。道路はクルマのためのものなのか。数が多ければ、注意力に関はらず、確率的に事故の発生率は高くなる。公共の空間に大きいものの数が多すぎる、といふことは、考へなければいけない重要な問題である。

 この事故に関聯してもう一つ言ひたいことは、「大きい」といふことは、もうそれだけで少し罪なのだ、といふこと。大きい乗り物は衝突したときに小さな相手に必ず勝つてしまふ。小さな相手を傷つけてしまふ。この凶器はしかし、その巨体ゆゑに衝突を回避するために「簡単に曲がれない」。さうであるがゆゑに、大きい乗り物の運転手は意識や態度まで「大きく」なつてしまふ。

 今回の海上自衛隊イージス艦の事故を聞いて思つたのはそんなことだ。船にしろクルマにしろバイクにしろ航空機にしろ、大きい乗り物を運転するものは皆、心しておくべきことである。 
 


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