暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

タグ "ソーシャルメディア" の付いた記事

ソーシャルスコアとソーシャルプア

using-klout-in-sales.gif
via businessesgrow.com



 先月(2012年4月)、朝のNHKテレビを見てゐたら、最近の就職活動の在り方、特に採用する企業の側の在り方が変はってきた、といふニュースをやってゐた。ある不動産会社が今年から、銓衡の際に、履歴書や面接だけでなくフェイスブックのチェックを始めた、といふ事例が紹介されてゐた。その会社の採用担当者曰く、面接などはどの学校も力を入れてゐるので何を質問してもありきたりな答へしか返ってこないので、フェイスブックで応募者の素顔を知りたい、とのことだった。

 私はこのニュースを聞いてゐて、情けなく思った。
 フェイスブックで応募者の素顔を知ることができる!?

 かつて悪質SEO業者とグーグルが何年にも渡り繰り広げてきたあの不毛な戦ひを、ソーシャルネットワーク版でやり直さうと言ふのか。

 実際、もうパーソナルブランディングに関するさまざまな対策がすでに進行してをり、その番組で紹介されてゐた学生向けの就職活動セミナーでは、フェイスブック対策が教へられてゐた。その内容がまた驚くべきもの(と言ふよりくだらないもの)だったのだが、(1)笑顔の写真を掲載しろ、(2)友達の数は50人以上を目指せ、(3)週に2回は前向きな発言を書き込め、といふものだった。

 (1)は自分でできる。(3)は、週に2回くらゐの頻度でポジティブな発言を自動的に書き込んでくれるbotがすぐにでも登場するだらう。そして(2)こそ、悪質業者の出番だ。10万円であなたの友達の数を100人以上にしてあげます、などといふ業者が雨後の筍の如く現れるだらう。いや、もうすでにあるのかもしれない。

 本当にフェイスブックで応募者の素顔を見られると思ってゐるのだらうか。私はテレビを見てゐて、企業の採用担当者がこんなことでは情けない、と不安になった。


・人間を数値化する「ソーシャルスコア」
 
 昨年2011年に「パーソンランクの時代」といふ記事で、人間をノードとしたランク付けの世界が始まらうとしてゐる危惧について書いた。そこでは、とりあへず「パーソンランク」といふ言葉を使ったが、他の言ひ方があるかもしれない、とも書いた。
 私は英語圏のウェブを見てゐるうちに、それが「ソーシャルスコア」といふ言葉で呼ばれてゐるのを見かけた。このソーシャルスコアといふ言葉はまさに私がパーソンランクと呼んでゐたものだ。
 人間を数値でランク付けするといふのは、衝撃的なことであり、多くの人は直感的に反発を感じることでもあらう。実際、ソーシャルスコアの代表格ともいふべきKlout(企業名またサービス名)に対し、英語圏では批判の記事がたくさん書かれてゐる。
 私は「パーソンランクの時代」の記事の中で、パーソンランクにしろエッジランクにしろ、さうした仕組みは出来てゐたとしてもなるべく人の目に触れないやうにしなければいけない、と書いたが、Kloutなどはまさに思ひっきり人の目に触れるやうに、しかも分かり易く表示する仕組みにしてゐる。
 当然だが、人間はそんな数値で測れるものではない。なんでも数値化、定量化しようとするのは西洋人の悪い癖だ。

 そしてKloutに対する批判記事でもやはり多いのが「差別に繋がる」といふ点を指摘する声だ。ソーシャルスコアが低いだけで駄目な人間と見做されてしまったり、差別的な扱ひを受けたりすることになる。「私はスコアの数値を見ても心を動かされません。絶対に差別しません」と言へるほど、人間の心は強くないからだ。
 先日ツイッターのタイムラインで見かけたのは、「この人はかういふところがいい、とか、かういふ点だったらこの人が優れてゐる、とか、 それぞれの人の長所を見て付き合っていきたい」といふ誰かの発言だった。つまり、一人の人間に総合的に点数を付けるのではなく、この人は歴史に詳しい、だとか、音楽に関することだったらこの人に聞かう、といふやうなそれぞれの人の得意分野に注目してフォローしていく、といふスタイルだ。

 ソーシャルスコアの仕組みではそこまで詳しく見えない。もしかしたら、そこまでの細かい分野別スコアにも対応しますよ、とKloutが言ってくるかもしれないが、しかし、あの人は優しいのが取り柄だ、とか、情感が豊かだ、とか、センスがいい、だとか、さういふことは決して数値化できるものではない。
 あの人は、何の経験も地位も才能も無ささうだしフォロワー数も少ないみたいなんだけれども、でもなんとなく心が暖かい感じがするからフォローしてゐる、といふこともあるはずだ。

 しかし、こんなことは別に新しく言ふまでもなく、昔から言はれて来たことだ。全人的に付き合ってゐると、ちょっとでも欠点があった時にその人のことを許せなくなってしまって、結果的に友だちができないといふことになるから、いろんな人の長所だけ見て付き合っていったらいいよ、といふやうなことは昔の人も繰り返し言ってゐることだ。
 こんな「人間との付き合ひ方」を改めて唱へる人が出て来るのは、それだけ「ソーシャルスコア的世界」が普及して来るかどうかの岐路に今まさに来てゐるからだらう。
 

・やって来たる「ソーシャルプア」の問題

 しかし、かうした数値化システムの普及が進行するか留まるかに拘らず、所謂「ソーシャルプア」の問題は確実にやって来る。
 これも、今、私は仮に「ソーシャルプア」と言ふけれども、違ふ言葉で言はれるかもしれない。

 ワーキングプアとソーシャルプアの違ひは、前者が「職が無い、金が無い」状態(または人)を言ふのに対して、後者はそれに「人脈が無い、能力が無い、経験が無い」が加はったやうなものと考へれば分かり易いだらう。

 「社会的貧困」と「ソーシャルプア」の違ひは、ソーシャルメディアを通してより明らかになりやすい貧困が後者だと考へればいいだらう。
 だからこそ、ソーシャルメディアの普及に当たっては、もっとソーシャルプアの問題が考へられなければならない。

 人々はこの世界の見方が「勝ち組、負け組」などといふ見方でいいと思ってゐるのだらうか。フェイスブックやリンクトインが「勝ち組」のためのツールにしかなってゐない現状をどう思ってゐるのだらうか。

 かうした格差を増さしめる世界の在りやうを変へるには、所謂「ソーシャルグッド」などのソーシャルメディアを社会を良くするために使ふことも一つの方法だが、それと同時にソーシャルメディアの設計デザインについて根本からの見直しを迫らなければならないだらう。そしてネットユーザーひとりひとりは、かうした世界を助長する行動に加担しないやうにすべきだらう。

 「ソーシャルメディアを使って優秀な人材を確保する」などと短期的な利益ばかりを見てゐてよいものか。


【ソーシャルスコア関連の記事】
  • パーソンランクの時代(2011/12/31)


  • スポンサーサイト



パーソンランクの時代

 この記事は2011年の大晦日に書いてゐる。2011年もいろいろなことがあった年だったが、明くる2012年はどんな年になるだらう。もちろん明るい未来だったらいいのだが、私には心配の種もある。
 そこで、私が今感じてゐる「2012年はこんな年になりさうだ」といふ予感を書く。日本には「来年のことを言ふと鬼が笑ふ」といふ諺があるけれども、私は来年といふ近い未来のことを考へるのは決して悪いことではないと思ふ。

 私が気にかゝってゐることの一つは、こゝ数年のソーシャルネットワークの発展だ。フェイスブックやツイッターに代表されるやうなソーシャルメディアが普及するにつれ、ソーシャルネットワークの世界はどんどん拡大を続けてゐる。私は、かうしたソーシャルネットワークの拡大が私たちの社会、あるいは生活にどのやうな影響を齎すのか、といふことを随分前から危惧してゐる。そして今から2年ほど前に、少し恐ろしい世界のイメージが頭の中に浮かんだ。「人がランク付けされる」といふ世界だ。この2年ほど、ずっとそのことについて考へてゐたがブログには書かなかった。しかし2012年、いよいよさうした世界が現実に顕在化してくるかもしれないといふ不安が大きくなってきたので、その不安の根元と問題点について整理するために、こゝに書いておかうと思ふ。


・2010年初頭、「ツイ割」の衝撃

 2010年1月、私は一つの気になるブログ記事を見かけた。「百式」で有名な田口元氏が、ツイッター割引を実施してゐる玩具屋さんに行った時のレポート記事だ。


Twitterのフォロアー数に応じて割引してくれるボードーゲームのお店、『すごろくや』に突撃してきた! | IDEA*IDEA

 今から2年ほど前、2010年1月、東京・高円寺のボードゲーム店が「ツイ割」を実施した。ツイ割といふのは、ツイッターのフォロワーの人数に応じてその値段分、割引するといふキャンペーンである。フォロワーが100人ゐたら100円の割引。そのかはり、客はツイッターでお店について呟く。
 さういふ企画をやってゐたお店に、当時フォロワー数25万の@taguchi氏が訪れた。私はその時の@taguchi氏と店員とのやり取りに、何か目に見えない緊迫感を感じ取った。

しばらく店内を見回したあとに店員さんをつかまえて質問してみます。

「えーと、Twitterで割引と聞いたのですが?」
「ええ、そうですよ」
「フォロアー数に応じて割引ですよね?」
「そうです」
「僕、25万人ぐらいいますけどいいですか?」
「え?・・・えーと、いいですよ、もちろん」
「ほんとに?」
「えぇ」
「いいんですか?」
「ええ、サイトに書かせていただいたままです。」
「ほんとに?上限とかないんですか?」
「いえ、サイトに書いたままです。」

若干押し問答ぎみになりましたが、どうやら本当に上限はない模様。「実験的な試みなのでいろいろ見直してはいきますが」との前提はありつつも、基本的にはそのままの条件のようです。

でもまぁ、そこで25万円分割り引いてもらうほど鬼畜ではないのでw



 @taguchi氏は、私が知るかぎり、日本で最も早くツイッターを始めた人だ。そして当時、約25万人のフォロワーがゐた。店側としては、25万人もの人に自分の店のことについて宣伝してもらへるのは確かに大きなメリットだ。しかし本当に25万円分の玩具をタダで持って行かれたのでは、大きな痛手である。しかし「割り引く」と言ってしまった以上、後には引けない。@taguchi氏の良心に期待するしかない。
 結局、@taguchi氏は、1500円分の商品を割り引いてもらっただけだった。そしてツイッターどころか、かうしてブログにまで紹介したので、その店にとってはとても大きな宣伝効果になった。よかったよかった、と。

 だが私は、この記事の最後の方に気になる一文を見つけた。

基本的にすごろくやの人たちが素敵だったので印象は良かったのですが、とりようによっては「1フォロアーを1円で買っている」ともとられがちかと・・・(ま、しょうがないですな)。でもTwitterユーザーが楽しんでくれればそれはそれでアリじゃないかな、と個人的に思ったり。



 店の人は、@taguchi氏がネット上の有名人であることを知ってをり、それをきっかけにして話がはずんで場が和んだとのこと。しかし、この時もし、店員が@taguchi氏のことを知らず、話も弾まずに、@taguchi氏の機嫌を損ねてしまったとしたら。その時はどうなるのか。@taguchi氏が店員に対し悪い印象を持ち、ブログに「お店は品揃へも充実してゐたし、それなりに良いお店だったのですが、店員がちょっと不愛想で態度が悪い感じでした」などと書いたら、どうなるのか。
 店側の条件は、ツイッターで店のことについて呟くこと、といふ条件だけなので、その後、ブログなどにどのやうなことを書かうが@taguchi氏の勝手である。
 もちろん、人気ブログで「店員の態度が悪かった」などと書かれたら、店側にとっては大打撃である。しかし、多少大袈裟に言ふならば、店の運命が、@taguchi氏がブログにどのやうに書くか、といふアルファブロガー一人の裁量に委ねられてゐる、といふ状態になってゐるわけで、これはとても怖いことだと思ふのである。


・グーグルの「ページランク」からソーシャルメディアの「パーソンランク」へ

 グーグルはページランクと呼ばれる有名なアルゴリズムを作った。詳細は秘密とされてゐるが、大きな要素は次の3つのやうなものであらう。

 1.質の良いページはページランクが高い。(スパム排除のため)
 2.多くのページからリンクされてゐるほどページランクが高い。
 3.ページランクが高いページからリンクされるとページランクが高まる。

 実際にはこんな単純ではなく、スパムとの長い挌闘の末、今では相当複雑なアルゴリズムになってゐるはずだが、上記に掲げたのは基本的な価値基準である。

 グーグルが生み出したページランクの思想は、ウェブページをノードとしたものだった。私は、これがソーシャルネットワークの時代になって、ノードがウェブページから人に置き換はるのではないかと危惧してゐるのである。
 こんなことは誰でも思ひつきさうなことである。ツイッターを使ってゐて、フォロワー数が多い人はなんとなく自分より格上のやうな気がしたことのある人は多いだらう。
 ソーシャルメディアでは、基本的にウェブページではなく、「人」をノードとして世界が繋がってゐる。それも多くの人が気付いてゐることだ。だとすれば、グーグルのページランクの思想における「ウェブページ」をそのまゝ「人」に置き換へた、言はば「パーソンランク」とでも言ふべきものを誰かが作らうとしてもをかしくはない。

 上記のページランクの3つの価値基準をツイッターで置き換へるならば、こんな感じだ。

 1.オリジナリティのある(RTやコピペやbotでない)ツイートをしている人はパーソンランクが高い。
 2.フォロワー数が多い人ほどパーソンランクが高い。(フォロー数に対するフォロワー数の比率も考慮)
 3.パーソンランクが高い人からフォローされるとその人のパーソンランクは高まる。

 実際、フェイスブックは「エッジランク」といふページランクとパーソンランクの中間のやうなアルゴリズムを作った。
 グーグルやフェイスブックのやうな厖大なソーシャルグラフのデータを持ってゐる企業なら、そんなものはすぐに簡単に作れさうな気がする。実際、もう作ってゐるのかもしれないが、人をランク付けするといふことに対する世間からのバッシングを怖れて公表できないかもしれない。自社サービスのブランド力の失墜はグーグルもフェイスブックも避けたいだらうから。
 しかし、失ふものが何も無いスタートアップ企業なら、それができてしまふかもしれない。私は2011年の初め頃に、Q&AサイトのQuoraが「ピープルランク」とも言ふべきアルゴリズムを開発中である、といふ噂話を耳にした。噂だから本当かどうか全然判らないが。
 Quoraのピープルランクは、Quoraのサイト内だけで適用される指標だからまだよい。もっと大規模に私たちの日常社会にまで浸透してくるほどの巨大なパーソンランクのシステムが敷衍化してきた時に私たちの生活はいったいどうなってしまふのだらうか。


・ARとパーソンランク

hazuma.png


 今でも忘れられない光景がある。2009年の春、私は秋葉原に寄った時に、ふとスマートフォンを空中に翳してみた。すると、空中に「姉ヶ崎」「姉ヶ崎」「姉ヶ崎」といふタグがいっぱい浮かんでゐた。ゲームやアニメにまったく詳しくない私は「姉ヶ崎」といふのが何のことか分からず、おそらく地名だらう、姉ヶ崎といふ街から上京して来た人が記念に自分の街の名前をタギングしていったのだらう、と思ってゐた。

 パーソンランクの思想と、私が秋葉原の空で見た拡張現実の世界が一緒になったら、いったいどういふことになるのか。それはおそらく、アニメ「ドラゴンボール」のやうな世界になるのではないか。これは、考へたことのある人も多いだらう。

 「ドラゴンボール」の中では、「スカウター」と呼ばれるコンピューター付きの眼鏡のやうな機械が登場する。その眼鏡をかけると、相手の戦闘力が数値として表される仕組みになってゐる。
 今あるAR(拡張現実)の技術とパーソンランクのアルゴリズムを組み合はせれば、このやうな機械を作ることはそんなに難しいことではないだらう。

 スカウターを身につけた客が店内に入って来る。客のスカウターにはパーソナルに最適化された商品がレコメンドされる。他店との比較情報ももちろん流れてくる。そしてその店が自分が買ひ物をするに相応しい店かどうかを瞬時に判断する。
 一方、店員の側もスカウターを身につけてゐて、今入って来た客のパーソンランク、過去の購買履歴、その人の行動パターンや商品の嗜好、また一回の買ひ物で平均どれくらゐの金を使ふのか、などの情報がスカウターに表示される。
 さうした多様な情報を元にした、言はば、静かな「バトル」のやうなものが繰り広げられるかもしれない。

 そして、こゝからが重要なところだが、このバトルに最終的に勝つのは、パーソンランクが高い方だ、といふことだ。パーソンランクが高い方のスカウターに、より多くの情報が流れ、また上質かつ制度の高い情報が表示されるからだ。
 さらに、パーソンランクが高い人の最大の強みは、なんと言っても影響力である。店に訪れたのは自分一人だが、自分の背後には25万人のフォロワーが控へてゐるのである。

 こゝから、さらに心配すべき事柄が出てくる。それは、パーソンランクによる人間差別の問題だ。パーソンランク25万の客が入って来たら、店員はビビるだらう。そして丁寧な接客に努めるだらう。しかしパーソンランクが低い客が入って来たら、どうせ影響力がないのだから雑な対応でもよいと考へる店員が出てくるかもしれない。


・パーソンランクとセルフブランディング

 2012年はどのやうな年になるだらう、と考へた時に、例へば危惧されるのは、就職活動の問題だ。

 「ソー活」といふ言葉を聞いたことがある。「ソーシャルメディアを使った就職活動」といふ意味ださうだ。これは2012年以降、ますます主流になっていくであらうことは間違ひないと思はれる。その時、学生たちが使ふソーシャルメディアがフェイスブックなのかLinkedInなのか、はたまた他のメディアなのかは知らない。
 こゝで、私はまた、今年2011年頃から嫌な言葉を耳にしてゐる。それは「セルフブランディング」とか「パーソナルブランディング」とかいふ言葉だ。この言葉の意味は説明しなくてもだいたい見当がつくだらう。
 で、セルフブランディングで自己をブランド化していく際に、もっとも重要となる中心的要素は何だらうかと考へてみる。それはもちろん、自分のページを華やかに色取り取りに飾ったりすることではない。採用する側がもっとも重視するであらうポイント、それはやはり、その人物のフォロワー数などの要素、すなはちその人のパーソンランクであらう。
 といふことは、学生たちが「ソー活」に取り組む際、もっとも力を入れるべきことは、自らのパーソンランクを上げること、といふことになる。そしてパーソンランクを上げる、といふのは本質的に、多くの人と繋がる、といふことに他ならない。
 そこでまた、一つの心配事が出てくる。


・よみがへるコネ社会

 昔は、顔の広い「地元の名士」と呼ばれるやうな人に頭を下げなければ、その街の中では何もできなかった。所謂、顔が広い、多くのコネクションを持った人が強かったのだ。しかし日本では、とうにそんな時代は過ぎ去り、今では人間一人ひとりの「個」が輝く時代になってゐるはずだった。
 だが、今ふたたび「コネ社会」がよみがへらうとしてゐる。パーソンランクの時代にあっては、何よりも「コネクション」の多さや強さが重視されるからだ。

 かつては、インターネットの登場により、引き篭もりであっても、目の前にネットに繋がったパソコンさへあれば、自分一人の力で十分、社会と渡り合っていける、と思はれてゐた。しかしこゝ数年、つくづく思ひ知らされてゐるのは、リアルで友達がいっぱいゐる人の強さだ。数年前から「リア充」といふ言葉を多く目にするやうになったのは、多くの人が「パソコン強者」や「ネット強者」よりも「リア充」の方がやっぱり強いと感じてゐるからであらう。

 私は以前、「Facebookが日本で流行らない3つの理由」といふ記事を書き、その中で「フェイスブックはリア充仕様である」と批判した。フェイスブックは、今でもすでに強いリア充の強さをさらに助長する道具でしかない。このやうな道具が広まることは、パーソンランクの格差を拡げることにしか貢献しない。


・まとめ

 私はパーソンランクの時代が来て欲しくない。でも、時代の流れはさういふ方向に向かってゐる。
 フォロワー数が多い人の方が偉い、などといふ認識は絶対に間違ってゐるし、さういふ間違った認識を起こさせやすい仕組みにも問題がある。人をランク付けしたり、人をノードとして扱ったりするのも間違ってゐる。そこからさまざまな弊害が生ずるであらうことも予想できる。一番まっさきに思ひつくのは「差別」だ。そしてその偏見から生じる「いぢめ」とか、今まで知られてきた社会問題がさらに増幅される方向に向かふのではないかと怖れてゐる。

 今のところ、私が考へてゐる唯一の抵抗は、せめて、それが表に出てこないやうにすることだ。「パーソンランク」といふ名前かどういふ名前が与へられるかわからないが、そのやうなアルゴリズムは必ず誰かによって作られてしまふだらう。
 でも、それはせめて、人々の目に見えない裏方で動いてほしい。表面化しないやうに。特に数字(数値)といふ形で人々に分かりやすいUIで人々の目に届くことがないやうに。そこはぎりぎり食ひ止めたい。
 誰かが決めた価値基準に基づいた人間評価が数字といふ極めて分かりやすい形で目の前に表示されたしまった時、「そんなものに惑はされないで、私は生きる!」と宣言できるほど、人間は強くも賢くもないからだ。
 人間が巨大なアルゴリズムに飲み込まれてしまはぬやうに。
 私たちはもっと多くの人間が輝く優れた仕組みを作れるはずなのだ。

東北地方太平洋沖地震2日目(2011年3月12日)

 今日3月12日、地震から2日目。

 昨日、最悪1000人を超えることも予想される、と書いた死者行方不明者は、今日になってその通りの事態になってきた。
 昨日、この地震は「〇〇大震災」と呼ばれるようになるかもしれないと書いたが、今朝、ネット上で「東日本大震災」と書かれているのを見た。
 私は、新聞紙やテレビは見ていないが、今朝の午前8時42分に配信されたニュースで産経新聞が使っているのが、今回の地震における「大震災」という言葉の最も早い使用例ではないか。
daishinsai.png
 私も名付けるとしたら「東日本大震災」かと思っていた。昨日の最初の時点では、「東北大震災」かと思っていたが、関東地方も被災したし私の住んでる東京もかなり激しく揺れたので「東北関東大震災」かと思い直したが、今日の未明に長野県、新潟県でも震度6の揺れを観測したというニュースがあったので、「東北関東甲信越大震災」と呼ばなければならないが、それではあまりにも長いし、今回の地震の被害が相当の広範囲に及んでいることや過去に例の少ない大規模災害であることを考慮しても「東日本大震災」という呼称が適切ではないかと思っていた。東北と北海道を合わせて「北日本」と呼ぶこともあるが、日本を東西に大きく分けた場合は「東日本」なのでこれは妥当だと思う。

 そう言えば、まだ政府から、今回の地震が「激甚災害」に指定されたという話を聞かない。今回の災害が「激甚」なのは言わなくても誰の目にも明らかだし、急いで指定する必要もないからだろう。あと数日経ってから指定されることだろう。

 私は普段は、リアルタイム性の高いことはTwitterの方に書くようにしているが、Twitterのタイムラインは今、緊急災害情報確認用みたいな感じになっているので、私個人の呑気な地震の感想などを書きこんでいる雰囲気ではないので、今回の地震に対する所感を書く場所はブログに切り替える。

 東京人をはじめとする多くの人がTwitterに今回の地震の感想を呟いている。それらは後でtogetterなどにたくさんまとめられるだろう。
 だがそれらとは別に私個人の感想も書き留めておきたい。このブログを見てる人は東京近郊の人が多いだろうが、西日本など遠方に住んでる人たちにとっては、東京に住んでる人が今回の地震をどのように体感し、どう行動しているのか、ということの参考に少しはなるだろうと思う。

・昨日3月11日の私の行動と考えていたこと

地震直後
 午後2時50分頃(正確な時間は覚えていない)東京、私は自宅に一人でいた。最初揺れだした時は「ああ、また地震か」と思った。東京では地震はちっとも珍しくない。
 私の家は安いボロアパートで、地震の時は普段から何割増しかで揺れる。震度3ぐらいの地震だったら4か5くらいに感じる。しかも東北地方と地盤がつながっているみたいで、以前から東北の地震はよく感じていた。青森で震度3ぐらいでも感じることがよくあった。
 机に向かって座っていた。蛍光灯を見ることすらない。いつものよくある地震だからだ。このままやり過ごそう。しかし窓やいくつかのものがガタガタと鳴り出して、「ん、少し大きいかも」と思って立ち上がった。とりあえず、少し大きめの地震が来た時にはいつもそうするように、玄関に行ってドアを開けた。ドアが変形してしまって外に出られなくならないようにするためだ。
 ドアを開けた姿勢で揺れが収まるのを待った。30秒ぐらいで収まるだろう。ところが揺れは収まるどころか、どんどん激しくなっていった。横揺れだがゆっくりとした揺れではなく「ガタガタガタッ」と細かく激しく揺れ出した。これはまずいっ!と思った。人生で経験したことのない揺れだ。私は左手にスマートフォンを持っていたので、Twitterアプリを開き、激しい揺れの中、震える手で東京で大地震が起きている旨のツイートを放った。もっと揺れが大きくなるかもしれないと思ったので、まだなんとか立っていられるうちに言葉を書き残しておきたいと思ったのだ。
 震度6か?7か?これはひょっとしたらアパートごと崩壊するかもしれないという思いがよぎった。言葉を紙に書いても瓦礫に帰すだけだ。なんとしても電波で外に飛ばしたい。
 今考えれば、Twitterの利用者は東京の人が圧倒的に多いので、地震だなんてそんなことは分かってるよ、とお互いに思うことになったかもしれないが、でも遠方のフォロワーもいたかもしれない。
 食器がガタガタ鳴っていたので食器を抑えにまわる。転倒防止器具を付けていた本棚は倒れなかったが本はたくさん飛び出し、棚の上に置いていたものはすべて落ち、冷蔵庫は大きく動いた。
 揺れは長く続いた。3分ぐらい揺れていたのだろうか。もっとだったろうか。
 揺れが少しづつ収まり始めてから、TwitterのTLを見出した。私は一人だったし声をかける人もいなく、恐怖に襲われた時の不安を誰かと共有したかったのかもしれない。
 しばらくTLを見ていて、ふと気付いてテレビをつけた。Twitter→テレビの順番だった。
 私がなぜ他のネットサービス(メール含む)よりも先にTwitterを開いたのかを考えると、やはり速報性、リアルタイム性においてTwitterが一番だと日頃から思っていたからだろう。
 今にして思えば、スマートフォンのUstで揺れる室内を撮影しておけばよかったと思うが、その時は思い至らなかった。
 テレビでは東北地方で強い地震があったことを伝えていた。Twitterは、私がフォローしている人が東京に住んでる人が多いこともあって、東京の情報を中心にものすごい速さで流れてきた。私はTLとテレビ画面を交互に見ていた。何が起こっているのかを知りたいと思った。

地震ちょっと落ち着いてから
 地震が起きて15分ほどたってから外に出た。スマートフォンだけ持って。近くの広場に行ってみたら、数人の人が集まっていたが、みんな持ち物は携帯電話だけだった。途中、変わった様子はなかった。街並みはいつも通り。静かな街だった。風が非常に強いと思った。火事が起きたら延焼しやすそうだ。もうこれ以上、大きな余震はないのではないかと思い、家に戻った。
 家の窓から眺める景色もいつも通り。煙も上がっていないし外が騒がしいということもない。スカイツリーも倒れていない。

地震後から日没まで
 数時間TLを見ながら過ごす。だが断続的にかなり頻繁に大小の余震があったので、そのたびに私はツイートし続けていた。

 日没までにやったことは、冷蔵庫の位置を元に戻した。家の中に大散乱した他のものは手を付けなかった。お腹が空いたのでお茶でも入れようかと思いガスコンロの火をつけようとしたらつかなかったので、ガスメーターを復旧させたこと。あと、お風呂に水を張ったこと。家のすぐ近くに防災用井戸があるので断水しても大丈夫なのだが、念のため。

地震の揺れの特徴
 テレビでは緊急の災害情報を伝えていて、地震のメカニズムがどうとかいう話は後回しになるだろう。
 私の部屋は南北に長く、多くの棚は、南北方向の壁に沿うようにして並べてある。

 room.jpg

 今回の地震で南北に沿って立てていたAの食器棚やBの本棚からはほとんど何も落ちなかったが、東西方向に沿って立てていたCの本棚の本はたくさん飛び出して床に落ちた。また図には描いていないが、もう一つ東西方向に置いた棚の上にあったものはすべて落ちた。それは北側にも南側にも落ちていた。
 私のこの部屋の状況から考えると、今回の地震は、東京では、特に南北方向に大きく揺れたのではないかと推測される。

日没後から深夜まで
 質素な食事をしながら(と言っても私にとってはいつも通りだが)、テレビを見る。NHKからテレビ東京まですべての局が地震関連番組をやっている。食後はテレビを見ながらブログを書く。午後8時ごろから10時ごろのたった2時間あまりの間に絶望的なニュースが入ってくる。
 テレビを見るのが段々、怖くて辛くなってきて、消す。ブログを書くのに専念。午後11時頃、書き終え、パソコンの電源も落とし、部屋の電気も消して、布団に入る。ただし断続的に揺れているため、眠れそうにないので、布団の中でスマートフォンでTwitterのTLをずっと見ていた。1時頃、いつの間にか眠る。

TwitterのTLを見ていて感じたこと
 私は結局地震が起きてからその日はずっと家にいたので、外の様子はTwitterを通してしか分からなかった。夜になって帰宅難民が大量発生していることも主にTwitterで見ていたのであり、自分が実際に見聞きしていたわけではなかった。私の家の前の細い路地を帰宅難民がぞろぞろ歩いてるなんて光景もなかった。
 デマが流れてきて、その直後に猛烈なスピードでいろんな人から訂正ツイートが流れてくることは昨日も書いた。
 私はこれだけの大災害があった当日のことはできるだけ時系列的に記録しておきたいと思ったので、何時何分にNHKテレビで何人死亡というニュースを聞く、などとツイートしていたが、そういうツイートを嫌がる人がいた。こんな時だからこそもっと明るいツイートをしましょう、と。
 日本人がこんな大災害の時でも、パニックに陥ったり悪行に走ったりすることなく、いかに落ち着いて整然と行動しているかという、感動話や美談が拡散RTされてたくさん流れてきた。そういう感動話や美談を「胡散臭い」と思う人もいるだろう。でも私はなんとなくそういうRTをしたい人々の気持ちを理解できた。
 東京には私のように一人暮らしの人がたくさんいる。ただでさえ一人で怖くて不安でたまらないのだ。そんな時にスーパーやコンビニの強奪とか夜道でレイプとか起こり始めたら、もう怖くて体の震えが止まらなくなるだろう。昨夜TL上でたくさん見られた「美談拡散RT」というのは、人々にみな善人であってほしい、という願いがこもっているのだ。美談をたくさん流すことで、なんとかこの秩序社会が崩壊するのを食い止めたい、という気持ちがあったのだろう。

ソーシャルメディアについて
 Twitterは強かった。これだけの大災害で大量のツイートが飛び交ったはずだが、落ちなかった。本当に頼りになった。
 他のネットサービスもいろいろとサービスの提供を申し出た。
 Googleは災害情報をまとめたページを開設したし、日本のユーザーが多いEvernoteはプレミアム機能を開放した。ソフトバンクも動いた。
 Facebookは何をしていたのだろう。昨日、4sqなどの位置情報サービスはどう機能したのだろう、と書いたが、Facebook(を代表とするソーシャルメディア)は今回の震災でどういう役割を果たしたのだろう。FBは実名主義ゆえに、疎遠になっていた人とも連絡がとれるという利点がある。本来ならこれほど安否確認に適したサービスは他にない。実際、いわゆる「先進的ユーザー」の中にはFBでたくさんの安否確認メッセージや御見舞いメッセージをもらった人もいたようだ。
 しかしそれは一部の人の話で、どうも全体的には、今回はFB絡みの話が少ない。日本でまだ十分にFBが普及していなかったから、安否確認の手段としてFBを利用した人が少なかったのかもしれない。
 私もFBに何回かアクセスしたが、私はフレンドがいないこともあり、何のメッセージも届いていなかった。私の側から昔の知り合いで何人か気になる人がいたので、こういう非常事態でもあることだし声をかけてみようかと思って名前を検索してみたが、私の知り合いは尽く誰もFBに登録していなかった。
 というわけで、Facebookは今回の震災では少なくとも初期段階ではあまり活躍した印象がない。FBが活躍するとすれば、もっと日にちが経って、仮設住宅に暮らす人々への炊き出しボランティアなど各種ボランティアが必要になった時に、もしかしたら活躍する機会があるかもしれない。その時にムーヴメントを起こせるかどうか。

日本でFacebookは始まるのか

 こゝ数日、一部のネットユーザーの間で、Facebookに対する注目が高まってゐる。

 きっかけは、ゆーすけべー氏が書いたこの記事らしい。

 フェイスブックがはじまりそうな件 - ゆーすけべー日記

 ネット上で有名なゆーすけべー氏が「フェイスブックがはじまりそう」と言ったことで、多くのユーザーが反応した。

 他にもこんな記事が人気になってゐる。

 フェイスブックが面白い - IT戦記

 facebookは変わっていたよ - ぼくはまちちゃん!(Hatena)

 フェイスブックでオフ会を開催して感じていること - id:HolyGrailとid:HoryGrailの区別がつかない日記

 フェイスブックがそろそろ日本で爆発する?その理由・始め方などまとめ | kokumai.jpツイッター総研

 2004年に設立、2006年に一般開放され、2008年には日本語版ができてゐたFacebookだが、今頃になってなぜ人気が出てきたのか。
 その理由は、上記記事を読めば、どうやら最近になってインターフェイスが改善されたからといふことらしい。以前は、Facebookと言へば「重い」「見づらい」「わかりにくい」といった批判が多く、何年も前に登録はしたけど、ずっと放置してゐた、といふユーザーも多いやうだ。

 では、インターフェイスの改善とともに、ゆーすけべー氏が言ふやうに、これから日本でFacebookは「始まる」のだらうか。
 
 私はこゝ二年間ほど、日本でFacebookが「始まらない」理由を考へてゐた。
「インターフェイスが悪い」
「日本語にきちんと対応できてない」
「使ひ方がわかりにくい」
「日本人の好みに合った仕組みを作れてない」
など、いろいろな理由を考へたが、これらの理由ではFacebookが日本で流行らない事実を説明できない。
 おそらくこれが最大の理由ではないだらうかと私が思ってゐるのは「実名制」である。

 Facebookが日本で普及するか否かの最大のネックになってゐるのは、Facebookの実名制である。

 FacebookはmixiやTwitterと違って、実名(本名)での登録を原則としてゐる。ネット上では匿名(ハンドルネーム)で活動してゐる人が多い日本人にとって、これは取っ付きにくい理由になってゐるのではないだらうか。

 ゆーすけべー氏はネット上ではかなり有名な人である。上記記事を見ても、Facebookでは「Yusuke Wada」といふ本名で登録してゐるし、顔写真も自分本人のものを載せてゐる。ゆーすけべー氏だけではない。上の他のリンク先のブログ主もネットでは結構有名な人たちである。
 かうした「有名人」たちがFacebookの面白さを語り、本人たちは気付いてないのか、あるいは解ってて敢へて触れてないのか(おそらく後者だと思ふが)、実名制の問題について触れてゐない。唯一、「IT戦記」のamachang氏だけが上記記事の中で実名制の問題に少し触れてゐる。

 2010年10月現在の段階では、Facebookはまだ一部の先進的なネットユーザーの間で話題になってゐるだけである。かつてのTwitterもさうであったやうに、Facebookもまた、ギークが多いと言はれるはてなユーザーの間で先づ話題になってゐるやうだ。
 しかし今「Facebook面白いよ!」と言ってる人たちは、元々、ネット上でかなり有名な人たちである。元々、本名が広く知られてゐたり、場合によっては顔も知られてもよい人たちで、リアルの世界つまりオフラインでも互ひに交流のある人たちである。
 だが、今「Facebook面白いから始めてみなよ!」と話しかけられてゐるネットユーザーの多くは、さうではない。ネットとリアル、オンラインとオフラインを使ひ分けてゐる人が多いはずだ。
 自分のブログやウェブサイトを持ってゐる場合、そこを本拠地としてFlickrやYouTubeなど他に自分が利用してゐるウェブサービスをリンクで紐付けてゐる人は多い。Twitterをやってる場合は、アカウント名が違ったとしても「Twitterやってます」みたいな感じで紐付けてる人は多いだらう。
 しかし、そこにFacebookを紐付けるとなると話は違ってくる。それは今まで徹底的にオフラインとオンラインとを区別して、一貫してネット上ではハンドルネームで活動してきた人が自分の本名(場合によっては学歴や職業など)を明らかにするといふことである。「有名人ではない」多くの一般ネットユーザーにとってそれは大きな障壁なのではないか。だから多くの先進的なブロガーたちがFacebookを利用してゐるにもかゝはらず、「私はFacebookではこゝにゐます」とブログで紹介することができない。
 これが、日本でFacebookがなかなか「始まらない」大きな理由である気がする。

 Facebook日本法人の児玉太郎氏は、日本でも実名制でやっていくことをすでに宣言してゐる(Facebook日本攻略へ 実名主義で「地に足付けてやっていく」 - ITmedia News)。世界の中で日本だけが「実名でなくとも構はない」などといふ例外は作らない、といふことだ。これは正しい判断だと思ふ。Twitterなどは、すでに一人の人間がいくつもの「サブ垢」などを作って、知り合ひでもない限り、誰が誰なんだか人物を特定することが難しくなってゐる。
 MashableのBenParr氏は2010年10月11日の記事の中で、TwitterとFacebookの最大の違ひは、前者が情報やコンテンツに価値があるのに対して後者は人物そのものに目的がある、といふ趣旨のことを言ってゐる(Facebook, Twitter and The Two Branches of Social Media)。これが正しいならば、やはりFacebookは実名制を守ってこそ価値があると言へる。

 2009年末から2010年初頭にかけてTwitterが日本で広く人口に膾炙したときに、「新しいコミュニケーションツール」といふ紹介のされ方をよく聞いた。
 私はTwitterのことをコミュニケーションツールだと思ったことはない。私がフォローしてゐるのは全員、顔も名前も年齢も性別も知らない人ばかりである。情報を得るためのツールだと思ってゐる。時々、弱音を吐くこともあるけれど、それは独白であってコミュニケーションではない。
 だが人によってはTwitterをまさに「コミュニケーション」のための道具として使ってゐる人もゐる。リアルの知り合ひをたくさんフォローし、仲間内でリプライやリツイートを飛ばし合ってゐる人を見かけることも多い。これはまるでメーリングリストのやうな使ひ方だ。Twitterやmixiが現れる以前は、かうしたコミュニケーションの取り方はメーリングリストで行はれてゐたのだ。このやうな使ひ方をしてゐる人の多くは、そのコミュニケーションの場を、今後、TwitterからFacebookに移していくだらう。人と人との確かな繋がりといふ点では、FacebookはTwitterより優れてゐるからだ。

 Facebookは日本で普及するのか。
 普及するとしても、爆発的に普及するのは今年2010年ではなく、来年2011年になると思ふ。おそらく映画「ソーシャル・ネットワーク」が日本で公開されて話題を呼び、かつてのTwitterにおける広瀬香美のやうに、誰か複数の芸能人が「Facebook始めました」みたいなことをテレビで語るやうになってから、やうやく日本国民の間に普及していくことになるだらう。
 その普及していく過程で、今まで頑なにネットでの匿名性を信奉してきた日本人が忠実に実名のルールを守るのかどうか。私はすでに「Facebookのプロフィールはバカ正直に書かなくてもいい」みたいなことを書いてるブログを見つけてちょっと不安になってゐる。
 米国などではFacebookは現実社会と密接に結びついてゐる。企業の採用担当者が応募者のFacebookページをチェックすることも多いらしい。日本ではさうなったら「就職に受かるためのFacebookプロフィールの書き方」などといふ本が出て来さうで、それはそれで嫌だが、かと言って仮名での登録を許してしまってはFacebookの魅力は半減し、mixiと何が違ふのかといふことになってしまふだらう。

 私の予想はかうだ。
 日本人はFacebookではそのルールに則り、実名で他の情報も正しく登録する。たゞし、プライバシー設定をやたら厳しく設定する。結果、友達でないかぎり、つまり企業の採用担当者などが見ても何ら有用な情報は得られない。
 Twitterの鍵付きよりもさらにクローズドに使ふ人が大半、といふことになるのではないか。


 (↓ご意見を投票下さい)