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個人情報の問題とは別にある「ビッグデータの問題」

 今年2014年にニュースになった出来事の中で印象に残っているものに、オムロンのJR乗降客映像無断流用問題がある。
 この件はその時期にはそれなりに話題になったと思うが、ほぼ同時期にニュースになったベネッセによる大規模な個人情報流出問題の影にすっかり隠れてしまった。

 このオムロンの問題を振り返りながら、そこから見えてくる「ビッグデータの問題」について考えてみたい。

電子機器大手オムロン(京都市下京区)が、JR東日本の4駅で撮影した乗降客の映像を、JR東に無断で別の研究に流用していたことが朝日新聞社の調べでわかった。不審行動を割り出すセンサー技術の研究に使い、総務省の外郭団体から約2億5千万円を受け取っていた。

オムロン、ひそかに撮影13カ所 実験目的告げずオムロン「チェック働かなかった」 駅映像の無断流用
 映像が流用されていたのは、熱海(静岡県熱海市)、板橋(東京都板橋区)、国分寺(同国分寺市)、桜木町(横浜市中区)の4駅で、撮影時間は少なくとも計120時間に及ぶ。

 オムロンは2008~09年、4駅の改札付近の乗降客の流れを調べる流動調査のために各駅に10台ほどのカメラを設置。JR東側からDVDで映像の提供を受け、契約に基づき分析結果をJR東側に報告した。オムロンはJR東側とデータを一定期間後に破棄することや、委託した目的以外では使わないことを約束していた。一方で、総務省所管の独立行政法人「情報通信研究機構」(東京都小金井市、NICT)の事業公募に、不審行動を割り出す映像センサー技術の開発を目指すとして応募し、10年度までの5年連続で採用されていた。オムロンはこの研究で、改札の不正通過や混雑、放置物、滞留、けんか、うろつき・徘徊(はいかい)、しゃがみ込み、ごみ箱あさりの8種類の行動を「不審行動」と位置づけ、4駅のDVDの映像を無断で用いて、不審行動をとった人を追跡するシステムを開発した。この研究には総務省が約2億5千万円を支出していた。

朝日新聞 2014年7月12日 「JR乗降客映像を無断流用 オムロンが「不審行動」解析」




個人情報の問題とは別のビッグデータの問題

 個人情報の問題とビッグデータの問題の区別がついてない人が多い。それどころか、個人情報の問題「のみ」があって、ビッグデータの問題なんてものは無いと思ってる人も多い。

 同時期にあったベネッセの個人情報漏洩問題がいつまでも話題になっているのに比べても、オムロンの問題が話題になっていないのが、象徴的である。

 昨年の日立の件や今年のオムロンの件のように、ビッグデータに関する問題がニュースになった時も、世間の人々の多くはまだこれを個人情報の問題と捉えている。

 オムロン社長の謝罪の言葉がそれを如実に表している。
 「このたびは皆様にご心配とご迷惑をおかけし…」

 なぜ、このような謝罪の言葉になるか。
 それは、世間の人々が「私の個人情報」を心配しているからだ。そしてオムロンの件も個人情報漏洩問題のように捉えている。

 「私、いつもあの駅使ってるんだよねー。私のプライベートな画像データはちゃんと適切に処理されたのかなあ?ネットに出回ったりしなかったかなあ?」

 人々が心配しているのはそういうことだ。だからオムロンが「画像データは適切に廃棄いたしました。漏洩等は一切ございません」と言えば、「ああ、よかった。ホッと一安心」となる。

 このオムロンの件を批判する記事をほとんど見かけなかったのも、個人情報の管理さえきちんと行っていれば特に問題はない、と考える人々が多いことを示している。

 この件でも、オムロンはなぜきちんと契約を交わしておかなかったのか、と批判する声は一部で聞いた。しかし、それは表面上のことだ。オムロンはきちんと契約をしていなかった、書類の手続きを怠っていた、それが問題だ、と言う声はあるがそれは表面的な問題である。

 根幹には、人間の「欲」がある。「知りたい」という欲だ。そこから問題を見ていかなければ、オムロンの件、ビッグデータの問題は分からないだろう。


ビッグデータは副産物が多い宝の山

 ビッグデータは初期の目的とは違った二次的三次的な副産物が出てきやすい。
 「当初はこういう目的で調査を始めたのですが、調べを進めていくと初めは予想もしていなかった意外な事実が明らかになってきたのです!」ということがある。

 そしてそういうことは「ついで」に調べられることが多い。ちょっとした「ついで」を付け足すことで当初の目的の何倍も価値のあることを調べあげることができることに気付く。


動きの鈍いJR

 今年のオムロンの件と言い、昨年の日立の件と言い、JRの動きはどうも鈍いように感じられる。
 JRの社員が基本的には鉄道マニアの集まりだからだろうか。電車には関心があるがデータには関心がない。しかしデータを持っているのはJRだ。

 では、そのデータを欲しがるのは誰なのか。
 それが、今回登場した総務省やNICTの人間や昨年登場の日立などだ。こういうところには統計分析が大好きな人、「知りたがり」の人がたくさん集まっている。

 彼らはビッグデータの価値を誰よりもよく分かっている。そして知りたがっている。だがデータは持っていない。だから「あとちょっとこういうのを付け加えるだけで物凄く価値のあるデータが集まるのに」と考える。

 技術屋のオムロンがその期待に応える。

 ビッグデータをよく分かっていないJRは、のこのこと自分の敷地内へのカメラの設置を許可してしまう。


知りたい「ついで」

 この件は、技術的にデータ分析を進めていたオムロンがついでにこれも付け足せば、「更なること」が判るはず!、と考えたところから起こった事件だろう。

 オムロンが、もはや自分のところの「庭」と化しているJRの構内で、ほんのちょっと設備を加えればもっとすごいことが解析できる!と思うであろうことは十分想像できる。
 オムロンは技術屋だが、総務省やNICTに勤めるような人間と共に「知る」喜びとそこから搾り取れる果汁の旨味を覚え始めている。

 それと対比的に動きが鈍いのがJRで、去年の日立の件は報道で明るみになっていなければ、日立は小判の価値のわからない猫から破格の安値で宝の山を買えていた。
 JRは日立の件にしろ、オムロンの件にしろ、自分の敷地に設置された設備の目的について把握できていないように見える。

 「こんなデータの羅列のどこがいいの?」

 「いや、これはすごいんですよ。宝の山なんですよ。このデータ欲しいなあ、欲しいなあ」

 世の中には、データの羅列に意味を見出さない人もいれば、大きな意味を見出だして関心を示す人もいる。

 ビッグデータの周辺には、そういう「知りたがり」の人間がいっぱいいる。統計の専門家とかアナリスト、データサイエンティスト、等々。

 ところが肝腎のデータはそういう「知りたがり」たちの手元にない。ビッグデータの持ち主はあの「猫」なのだ。


ビッグデータの問題を惹き起こす二つの要素

 「ビッグデータの問題」がある。
 それは個人情報の問題とはまた分けて考えるべきものである。
 ビッグデータの問題を惹き起こす主な二つの要素がある。

 一つは「知りたい」という欲。

 少し古い話だが、以前、mixiで「足あと機能」が問題になったことがあった。
 mixiはユーザーたちからの苦情をたくさん受けたが、その苦情の中身をまとめると、「自分が他の人のページを見に行ったことを知られるのは嫌だけど、他の人が自分のページを見に来たことは知りたい」という矛盾したものだったのだから滑稽である。

 もう一つは、知りたい人とデータの保有者が異なっている、という現状の社会構造。

 この“ずれ”は時代を追って徐々に縮まっていくかもしれない。だがビッグデータにかぎらないが、初めの時期には大きな懸隔がある。冒頭に紹介した新聞記事に書かれている「年」に注意してほしい。ニュースになったのは2014年だが、オムロンがカメラを設置していたとされているのは2008年〜2009年頃のかなり昔の話なのだ。
 なぜこんな昔の話を掘り返さなければならないかというと、こうした、物事の「初期」「黎明期」にこそ、大きな懸隔が潜んでいるからである。

 そしてこの懸隔が大きな問題を惹き起こす。


悪意がなくても…

 ちょっと余談だが、小学五年生か六年生のころのある日、クラスメートから「おまえのこと好きって言ってる女子がいるんだけど誰だか知りたい?」と言われて「いや、いい」と答えたことがあった。

 もし教えてくれるつもりなのなら「○○さんがおまえのこと好きだって」と、ストレートに教えてくれればいいことである。
 それをこういう言い方をするのは、私の「知りたい」という欲を利用している。
 私みたいにモテない人間は、自分のことを好きと言ってくれる女子がいるなら、当然それが誰なのか知りたいに決まっている。

 もっともその彼には別段、深い意図はなかったかもしれない。ただ単に些細な話を長くしたかっただけかもしれない。

 ただ、「知りたい」という欲に従って手を伸ばすのは注意しなければならない。

 そして手を伸ばされる側も、またそのことに注意深くなければならない。

 オムロンも、あるいはその研究に関わっている総務省にしろNICTにしろ、別段悪意はないかもしれない。「私たちは別にそんな腹黒いことを考えてデータを蒐集したわけじゃありません」と言うかもしれない。
 おそらくそうだろう。あの時のクラスメートの彼と同じように別に深い意図はなく、気軽に記録してみているだけなのだろう。

 私は、悪意や腹黒い意図があるから問題だというのではなく、むしろそういう深い意図がなくやってしまうところが問題なのだと感じている。


ビッグデータに関わる三つの注意点

 一つは、自分がそういう「知りたがり」であることを自覚すること。
 なぜ、この自覚が重要かと言うと、知りたいという欲が働いてうっかり余計なところにまで手を伸ばしてしまいがちだからだ。
 ボーッとしていると、「おまえのこと好きって言ってる女子がいるんだけど」と言われたら「えっ!誰?」と即返してしまいかねない。
 それは本来、自分が知る必要があった情報かどうかを省察する必要がある。

 二つ目は、ビッグデータは初期に想定していなかったような副次的な産物を生み出しやすいものだと認識すること。
 つまり、初期の目的からいつの間にか曲がって、別の目的を追いかけてしまっていた、ということが起こりやすい。
 これは、データを「捉えられている」側の人から、「そういう目的でのデータの提供に同意したわけではない」という批判が来る。

 そして三つ目には、ビッグデータを欲しがっている人と所有者が今のところは異なっている、という点をよくよく認識すること。なぜ、この認識が大事なのかというと、この「差異」が巨きな利益を生み出すからである。


ビッグデータの活用段階と蒐集段階を両方考えよう

 ビッグデータの問題というのは個人情報の問題ではない。
 「個人情報の管理さえしっかりしていれば私たち市民は何も文句は言わない」というのでは甘い。

 頭のいい人たちは、窃に猫の体内にICチップや小型カメラを忍ばせる。無邪気な「一般市民」たちは今日も猫を撫でて可愛がる。猫から捉えられていることも知らずに。

 同意した覚えのない情報を蒐集され、その情報を蒐集した側の人間は、場合によってはそこから巨利を得ることができる。
 それが問題なのだ。
 それは、個人情報の漏洩によって個人の身が危険に晒される、プライバシーが筒抜けになる、という問題とはまた別の、ビッグデータに附随する「ビッグデータの問題」なのだ。

 以前、「Suicaの本質は“誰何” -JRスイカ売りの何が問題か-」の記事でも述べたが、人はもっとビッグデータの活用段階ばかりでなく蒐集段階についても考えるべきである。

 「個人情報の問題」とは別に「ビッグデータの問題」がある、ということを一人でも多くの人に知ってほしくてこの記事を書いた。

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Suicaの本質は“誰何” -JRスイカ売りの何が問題か-

 昨年2013年にニュースになった出来事で印象に残っているのは、JR東日本(以下、JR)がSuicaのデータを日立製作所(以下、日立)に販売して問題になったことだ。

 この問題に対する世間の批判は大きく分けて二つあった。

 一つは「個人情報を勝手に売るなんて!」というもの。「自分の個人情報が広まってしまうのが心配」と言う。
 もう一つは、「事前に利用者に一言の断り、お知らせも無く売ったのが問題」という声。

 この二番目の批判については、では、今でも充分うるさい駅の構内で、「お客様への今後より一層のサービス充実のためにデータを利用させていただくことがございます。お客様のご理解とご協力をお願い致します」というアナウンスを繰り返し流せば、満足するのか。
 私は「ご理解とご協力」はうんざりだし、事前に一言言ったからOKなどという、そんな単純な問題ではないと思っている。

 で、一つ目の「個人情報なのに!」というものだが、これについてはJRは今回、日立に売ろうとしたデータは個人情報ではない、という見解を示している。
「個人情報を売るのは問題だ」と言うなら、「じゃあ、個人情報でなければ問題ないよね」となる。
 私はこれに関してはJRの見解に賛成で、どこの駅で乗ったとか降りたとかいう情報は個人情報だとは思っていない。


行動履歴を含むパーソナルデータ

 そもそも個人情報とは何か。
 個人情報というのは、名前や生年月日、住所、電話番号、メールアドレスなど、個人を特定できるものを指すのであって、乗降駅の情報や何を買ったかという購買履歴などは個人情報ではない。
 これらの「行動履歴」は、それだけでは個人情報ではなく、名前や電話番号などと結び付けられて初めて個人情報になる。
 なので、物凄く田舎の人口の少ない街などでは、行動履歴だけで個人が特定でき、個人情報になる、ということはあり得るだろう。

 それでは、こうした行動履歴全般の情報のことは「個人情報」ではなく何と言えばいいのか。
 国では「パーソナルデータ」と言っている。
「ビッグデータ」というのは、このパーソナルデータの集合体である。


東京では誰もが持っているSuica

 私は東京人だがSuicaを使わずに生きてきた。

 駅の改札の手前で毎度、

「私、ちょっと切符買って来ますんで」

と言って、仲間や先輩を待たせ、

「えっ?どうしてSuicaじゃないの?」

といつも言われるのをずっと心苦しく感じて来た。

 Suicaを使わない理由はSuicaの思想が嫌いだからだが、そこで「Suicaの思想が…」などと言うと変な人だと思われるので、「古風でアナログな人間なので、ピッてやる最新式のは苦手なんですよ」と答えることにしている。
 私が古風な人間であることは確かにそうなので、皆それで納得してくれるが。

 東京圏に住んでない人のために説明しておくと、SuicaとはJR東日本が販売しているICカード。お金をチャージ(貯めておく)しておいて、改札機に翳すと乗車料金が引かれる。定期券にもなり、対応している店では買い物もできる。

「いや、Suicaが何かは知っています。ウチの地方にも似たカードがありますし。そうじゃなくて、東京での現状がどうなのかが知りたいです」
と言う人が多いと思うので、それも説明しておくと、東京では、今はもうほとんどの人が持っている印象。
 あくまでざっくりとした印象だが、朝の通勤時間帯などは、8割以上の人がSuica(またはそれに類するカード)を使っている感じ。Suicaで買い物をする光景も日常的である。


Suicaでしか通れない改札機の増加

 ここではJR山手線の駅を例にとって話すが、改札機には大きく2種類あって、紙の切符とSuicaが両方使える両用タイプのものと、Suicaしか使えない(切符を投入する口がない)ICカード専用改札機とがある。

 昔は両用タイプ(以下、両用機)が多かったが、ここ数年でじわじわとICカード専用改札機(以下、専用機)が増えて来た。


 次の写真をご覧いただきたい。


20130721_jr.jpg

 これは昨年2013年の夏に撮った上野駅の中央改札である。

 全部で16台の改札機が並んでいるがその内の9台が専用機である。
 手前と奥に人が集中している辺りに両用機がある。

 その並び順を言葉で説明しても分かりにくいと思うので、両用機を□白四角、専用機を■黒四角で表すとこんな感じ。

kaisatsu.jpg
 例えば上図で、切符を持ってる人が改札内から外に出ようとして、左から4番目の改札を通ろうとした場合、通れない。すぐ左に両用機があることに気づかず、右にずれた場合、「あれ?ここも駄目だ」と言ってまた右に一つずれる。そしてまた「あれ?ここも駄目だ」→右にずれる→「あれ?ここも駄目だ」という流れを最大で9回も繰り返すことになる。

「そんなの、改札機に近づく前に、どこに両用機があるか、見りゃ分かるだろう」と言う人は、東京で生活したことがない人である。

 時間帯にも依るが、東京の人込みは凄まじく、遠目には改札機の姿は見えず、改札機の直前まで来てから初めてそこが両用機でないことに気づくことは多い。

 私は、このように右に(または左に)延々とずれて行く人を何度も見たことがある。そしてそういう人は自身が困っているだけではなく、後ろから次々と押し寄せる人波にも迷惑をかけている。

 朝のラッシュ時などは改札をスムーズに通過せずにこうして右往左往している人がいると人の流れが滞り、渋滞を作る原因にもなっている。


「自然に」でも「結果的に」でもなく

 JRは、こうした「嫌がらせ」を10年以上かけてジワジワと進めて来た。つまり、昨年話題になった日立へのビッグデータ売りは、こうした長年の計画の延長上にある話なのだ。

専用機を増やす

Suicaが無いと不便だと感じる人が増える

Suicaを買う

Suica利用者が増える

専用機を増やしても文句を言う人が少なくなる

専用機を増やす

 決して、「気がついたら、いつの間にかパーソナルデータがだいぶ溜まって来ていたので、これを何とか有効活用できないかと考えて売ることにしたんです」ということではない。

「自然に」あるいは「結果的に」集まったのではなく、パーソナルデータを集めるのは長年の計画に基づくものであり、そのためにジワジワと計画を進めて来たのだ。なぜ「ジワジワと」かと言うと、一気に専用機一色にしてしまうと当然批判されるから、少しづつ専用機に替えていくことでSuica利用者を増やし、批判を抑えて来たのである。

 このJRによる長年の「囲い込み」計画は、今のところ、見事に功を奏している。

「JRが両用機よりも専用機を増やしているのは両用機よりも故障が少なく、コストが低くて済むからです」と言う人もいる。
 その理由もあるだろうが、私は、専用機を増やしてSuica利用者を増やすことで派生するビッグデータから生まれる利益の大きさから比べれば微々たるものだと思う。

 因みに、同じ上野駅でも、東京メトロの上野駅の改札はこんな感じ。


20130721_metro.jpg(上のJR上野駅と同時期に撮影)

 東京メトロにもPASMOというSuicaとほぼ同じようなICカードがあって、改札には専用機と両用機があるが、現状、両用機の比率が高く、JRよりはいくらかマシである。


オプトアウトの思想ではなく

「なんでSuicaじゃ駄目なの?みんながSuicaを使って便利になるなら、それでいいじゃん」
と考える人も多いと思う。

 しかし、私はその考え方には反対である。

 例えば、上掲の上野駅はいわゆる「お上りさん」の多い駅だ。勝手が分からず右往左往しているお年寄りをよく見かける。

 オプトアウトではなくオプトインの思想に依らなければならない。

「紙の切符も使えるんだからいいじゃん」ではなく、「Suicaも使えますよ」でなければいけない。

 つまり基本はNon-Suicaで事足り、Suicaを使いたい人がオプトインできるような仕組みにすべきである。
 Suicaが基本で、使いたくない人がオプトアウトしなければならない、というのは間違っている。

 なぜ、オプトアウトでは駄目なのか。

 定期券を例にとって考えてみよう。
 定期券には現状、Suica定期券と磁気定期券(昔ながらの定期券)の二種類がある。しかし定期券を買う時に、「Suica定期券なら紛失したとしても再発行できます。磁気定期券は失くしたら終わりです」と言われる。定期券は普通、何千円か何万円もする高額なものなので、そう言われたら誰でもSuica定期券を選ばざるを得ないだろう。つまり、二つの選択肢があると言っても事実上は一択である。

 このように、現在の仕組みは、すべてSuicaを基本としていて、Suicaを使いたくないという人にはオプトアウトできるとしても、かなりの無理を強いられる形になっている。

 昨年、「私たちの知らないところで個人情報が売買されてるのは問題だ」と人々が言った時、JRは「これはパーソナルデータであって個人情報ではないのですが、もし心配なら、仰っていただければ貴方のデータは除外しますよ」と言った。

 ところが、これは知らない人が多いと思うが、JRの駅のみどりの窓口に行って「私のデータを除外してください」と申請しても受け付けてもらえないのだ。
 データ除外申請は、電話かメールのみにて受け付けている。

 個人情報を人一倍気にする人たちに対して、電話番号かメールアドレスと引き換えに除外を受け付ける、と言っているのである。
(もっとも、みどりの窓口で受け付けるようになったとしても本人確認のための個人情報は書かされるだろうが。)


Suicaの本質は“誰何”にある

 昨年、新聞社がJRがビッグデータを日立に売っているというニュースを大々的に伝えたとき、私は喜んだ。
 これでJRによる専用改札機の増加という「嫌がらせ」(私から見て。JRから見れば「囲い込み」)の問題が世間で大きく話題になるだろう、と思ったからだ。

 だが、世間の人々が批判したのは「自分の個人情報が外に出て行くのは心配」ということと「事前に利用者に通知しなかったのは問題」という肯綮に中らない批判ばかりだった。
 これらの批判はSuica問題の本質を見誤っている。

 Suicaという名称は、“Super Urban Intelligent Card”の頭文字を取って名付けられたと言われている。でも、これは少々無理やり感があって、実際には「スイスイ通れるカード」という意味と語呂の良さを重視して名付けたものであろう。
 だが、「Suica」にはもう一つ隠れた意味がある。それが“誰何”だ。
 そして、これこそが最も重要であり、Suicaというカード(物理的なカードではないモバイルSuica等含む)の持つ本質なのだ。

 Suicaの特徴は、「ピッ」とワンタッチでスイスイ通れる、ということだと思っている人が多いだろうが、それはJRが大衆向けに宣伝している表向きの特徴である。Suicaの特徴の本質は、あくまで「誰何」であり、誰が何をしているかを把握することである。
 ここでの「誰」とは特定の「誰」ではなく不特定の「誰」である。
 渋谷駅から乗った人は東京駅で降りることが多い、とか、朝の新宿駅で降りる人はこういう物を買う傾向がある、とか。

 そもそも利便性ということで言うなら、カードなどという前時代的なものは廃してソウルのように改札機を無くしてしまった方がずっと快適でスマートで便利であろう。

 昨年、こうして大きな話題になる遥か前からJRは、Suicaが持つこうした本質に気づいていた。何が本当の甘い樹液(受益)なのかを知っていた。
 だからこそ、JRは2001年から営々とSuica滲透の布教(普及)活動を地道に行って来たのだ。(※1)
 日立へのスイカ売りは、だからJRからしてみれば長年の活動の帰結の一つとして当然にあるものなのである。JRはむしろ、なんでこんなに批判されたのか不思議にすら感じたに違いない。


インフラ企業に求められるビッグデータ蒐集段階への熟慮

 地方の人は、「そんなにJRが嫌なら乗らなきゃいいじゃん」と思うかもしれないが、東京に住んでるとなかなかそうはいかない。
 地方の人に「そんなに地球温暖化が気になるなら車に乗らなきゃいいじゃん」と言ってもなかなかそうはできないのと同じである。
 東京の人間にとっては、電車(JR東日本)は、電気(東京電力)、ガス(東京ガス)、水道(東京都水道局)、電話(NTT東日本)などと並ぶ、インフラである。嫌なら使わなければいい、と言っても、それにかわる代替手段がない。
 こういうインフラ企業の「試み」には、何百万、何千万という人が影響を受ける。だからこそ熟慮あるべきなのである。

 私は昨年、このスイカデータ売り問題に関して、「個人情報が心配」という声と「便利になるなら別にいいじゃん」という声しか聞かなかった。
 結局、みんな末端の自分のことしか考えていないのかと思い、情けない気持ちになった。
 私はビッグデータには、とても大きな魅力を感じている。ビッグデータには未知の魅力がいっぱい詰まっている。誰だって欲しいデータだ。だからこそ、JRが強引にパーソナルデータを集めるそのやり方に反感を感じる。

「IT戦略に関心がある」と言ってる人たちも皆、ビッグデータの活用段階ばかりは議論するが蒐集段階のことは誰も語らない。

 こういう点からJRを批判している記事をどこにも見なかったので、この記事を書いた。



(※1)、もっとも、それにしては日立への「卸値」が安すぎるという指摘もある。杉山淳一の時事日想:JR東日本さん、その卸値、安くない? Suicaのビッグデータ騒動

本格的なビッグデータ時代到来の前に心がけておきたいこと

 コンビニで菓子パンを買うときに、いつも心の中で呟いていることがある。

 (私は決してこのパンを気に入って買うんじゃないんですよ。他にマシなのがないから仕方なく買うんですよ。)

 普段よく行くコンビニには、本当にろくな菓子パンがない。菓子パンコーナーは広いが私の好みに合うようなパンは全然無く、いつも選択に迷う。
 菓子パンコーナーには毎日のように「新商品」と書かれたシールを貼ったパンが並んでいて、従来のラインナップのパンにお気に入りのものがないので、私はよく新商品のパンを手にする。

 この新商品は、新商品開発会議室で検討されて店頭に並んでいるものだろう。しかし、せっかく良さそうな新商品が出て来ても、大抵はすぐに姿を消してしまう。新商品のパンがレギュラーの座を獲得することはほとんどない。

 コンビニ会社上層部の新商品開発戦略室の人たちは、全体的な売上のデータを持っているだろう。そのデータを見て何を思うか。

 「新商品はよく売れます。これは消費者にとって目新しいからだと思います」
 「新しいものは誰でも一度は試しに買ってみようと思うから売れるのでしょう」

と分析しているだろうか。

 しかし私のように現状のラインナップが全然満足いくものでないから、しかたなく消極的に選択しているということもある。


データの読み方

 あるコンビニでは、客の性別や年齢を把握して、その店舗にどの年齢層の客が多くてどういう商品を買っていくかを分析しているという。

 ここに「A町店は他の店舗にくらべて若年層の客が多い」というデータがあったとしよう。これを見て、上層部はどのような戦略を立てるべきだろうか。
 「A町店は若者客が多いので、若者向けの商品を多く置くようにしよう」という結論を出すだろうか。

 私はそれはデータの分析と活用の仕方としては誤りだと思うのである。A町には元々高齢者がたくさん暮らしていて、だけどもあそこのコンビニには高齢者向きの商品が少ないという理由で来店を避けていたのかもしれない。
 「若者向けの商品を増やす」という対策は、そうした潜在的な高齢者客を見逃しているばかりでなく、ますます高齢者の足を遠ざけるという負のスパイラルを齎すことになる。


全体的な傾向に対する小さな抗い

 普段ネットを使っているとき、例えばYahoo! JAPANのような大きなサイトで興味深い記事が書かれたサイトへのリンクが張られていたとき、私はそのリンクをクリックせずにわざわざ別の検索サイト経由でそのサイトを見に行くことがある。

 データを分析している人は「この日に急にアクセスが増えたのはヤフーにリンク付きで紹介されたからだな。ヤフーからのリンクを辿って来ている人がほとんどだな」などと見る。

 こうした全体的な傾向づくりに自分が貢献しないように、わざわざ別経由で見に行ったり、2、3日経ってから見に行ったりという「小回り」をすることがある。

 Amazonを見るときも、関聯商品はなるべくクリックせずに、まったく関係ない商品や本を見ることで、レコメンデーションの予想を外そうと試みる。

 しかし、こうした小さな抗いもビッグデータの前には風の前の塵に同じである。
 「私は人とはちょっと変わってるんです」とか「自分は珍しいタイプなんです」などと思っていても、ビッグデータから見れば、ちゃんと全体の標準偏差の中に収まっている。


個人の行動は予測できるか

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(2012/07/25)
アルバート=ラズロ・バラバシ

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 先日、アルバート=ラズロ・バラバシの『BURSTS』を読んだ。ビッグデータ時代の到来に伴い、全体的な社会傾向だけでなく、個人の行動までも予測できる時代の到来の可能性について書かれている。

 未来予測がかなりの確率で可能になる時代がやってくるかもしれない。

 これを気持ち悪いと感じる人も多いだろう。
 うまいダジャレを思いついて口にした瞬間に「言うと思った」と人から言われるとがっかりする。自分の行動を見透かされているのはなんとなく良い気持ちはしないだろう。

 私たちは、これからはもうコンピューターの予測した通りに生きていくしかないのだろうか。


ビッグデータをつくるのは誰か

 私はよくJRの社長とコンビニの社長と大企業の社長とのこんな会話を想像する。

 私「JRの社長さん、なんで深夜1時まで電車が走ってるの?」

 JR「現代は人々の生活が多様化しているでしょう?深夜遅くまで働いている人もいっぱいいるから、なるべく遅くまで電車を走らせておかなきゃいけないんですよ」

 私「コンビニの社長さん、なんでコンビニは24時間あいてるの?」

 コンビニ「現代人の生活時間の多様化に対応しています。電車が深夜1時まで走ってます。その終電に乗って帰って来た人が何か食べ物を買おうとしても、もう商店街もスーパーも閉まってる。だからコンビニは開けておかなくてはいけない。コンビニは現代人にとっての大切なライフラインなんです」

 私「大企業の社長さん、なんで夜遅くまで残業させているの?」

 会社社長「今は遅く帰ってもコンビニもありますしねえ。電車も遅くまで動いてるし」

 私「なんで残業は1時までなの?」

 会社社長「それ以降は電車がないからね」


 それぞれがお互いのことを理由にしている。
 現代人のライフスタイルの多様化に対応しているつもりである。

 しかし電車やコンビニなど「インフラ」とも言える会社の場合、自分たちの決定が現代の人々の生活スタイルに大きな影響を与える「与え手」である。
 電車が夜10時までしか走っていなかったら、多くの会社は残業の在り方を改めるだろうし、コンビニの閉店時間にも影響を与える。
 コンビニの閉店時間も同様に「コンビニがないと生きていけない」という人たちの生活の在り方を大きく変える。
 そして日本を代表するような大企業がフレックスタイム制などを導入したり休日の取り方などを変えていくことは、やはり日本全体への波及効果を齎す。取引先の小さな企業等はどうしても大企業の都合に合わせざるをえなくなってくるからだ。

 現代人に「対応」するのではない。JRやコンビニの社長に言いたいのは、自分たちが「現代人」をつくっているのだという意識を持ってもらいたい、ということだ。


ビッグデータ時代を生きる上で大切なこと

 好むと好まざるとにかかわらず、ビッグデータ時代はやって来る。
 だが、ビッグデータを無闇に怖れるのは間違っている。ビッグデータを形づくるのは結局私たち人間ひとりひとりだからだ。

 ビッグデータ時代を生きる上で大切な二つのこと。
 それは、一つはデータを読み誤らないこと。そしてもう一つは、ビッグデータにしろデータをつくるのは自分自身の行動だという意識を持つこと。

 データに対応していくという姿勢ではなく、データに先駆けるという姿勢が大切になってくるだろう。

 「傾向」も「法則」も自分がつくりだすのだ。