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シェリル・サンドバーグ『LEAN IN』と女性のワークライフバランス問題



LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲
(2013/06/26)
シェリル・サンドバーグ

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 Amazonで今ベストセラーになっているフェイスブックCOO、シェリル・サンドバーグの『LEAN IN』を読んだ。普段、ベストセラーはほとんど読まないが、これは少し興味があったので読んでみた。

 米国でもたくさんの人に読まれ賛否両論が巻き起こっているという。

 内容は、彼女の自叙伝的な内容と、女性のリーダーが増えますように、という内容なのだが、しかしこういう影響力の大きな人物が全女性に訴えかけるようなメッセージを書けば当然批判も含めたさまざまな反応が巻き起こるだろう。

 「女性たちよ、一歩を踏み出そう!」という呼びかける本書の内容には賛同、共感できるところが多かった。日本の女性はアメリカの女性以上におとなしく、リーダーになろうとか、そういうキャリア志向を持った人が少ないように思える。
 女性のリーダーが少ないということは女性の意見が反映されない社会だとサンドバーグは言う。日本で婦人参政権が獲得されてから六十年以上が経つ。有権者の半分は女性なのに、政治家は男性ばかり。日本は世界の先進国の中でも女性政治家率、リーダー率が特に低い。
 本書の中では日本の例が特に取り上げられていて、日本では産休で休んだ女性の職場復帰が難しい、あるいは復帰できたとしても給与が大幅に下げられる、などといったことが紹介されている。

 なぜ一見もっともなことを言っているサンドバーグに対して批判があるのだろうか。

 それは、誰もがすぐに思うことだが、彼女は普通の女性よりも圧倒的に恵まれている。単刀直入に言えば、金と才能に。裕福な家庭で育ち優秀な学校に通い、立派な学歴、輝かしい職歴がある。それはもちろん本人の努力による部分もあるが、才能・能力のない人間はどんなに頑張ってもここまでにはならない。そして親は選べない。

 ジャーナリストの瀧口範子氏が面白いことを言っていて、マリッサ・メイヤーはワークライフバランスの問題など超越している、と。
 マリッサ・メイヤーはサンドバーグのグーグル時代の元同僚で現ヤフーCEO。彼女は仕事か子育てか、などという問題で悩む必要がない。なぜならば大金持ちだから家事や子育てはすべてお手伝いさんやベビーシッターに任せられるから。
 つまり、サンドバーグにしろメイヤーにしろ、庶民が置かれている環境からは遠くかけ離れている。そんな大富豪の言葉がどれだけ人々の心に届くか。これは多くの人がこの本を読んで感じる批判点だろう。

 だが私はもう二つの問題を感じる。


女性の社会進出の「欧州型」と「日米型」

 女性の社会進出というテーマは新しいテーマではない。もう百年以上前からある古いテーマだ。
 しかし私は、この女性の社会進出というテーマが、欧州と米国では違った形で捉えられてきたのだという気がする。

 欧州では常に哲学や理念が先行している。「男女は平等であるべきだ」という理念が先ずあり、その理念に現実を近づけようと行動する。

 だが米国は違う。もっと実用主義的で現実主義的だ。現実の不都合を無視してまで男女の比率を揃えようとは思わない。男女のバランスが悪くても、そちらの方が現実の都合がよければそちらを選択する。

 そして日本もまた米国型である。

 サンドバーグは女性はもっと積極的にどんどん出て行くべきだと言う。女性だからといって遠慮して諦めるべきではない、と。
 これが欧州人の口から出た言葉なら、女性の地位を高めるための崇高な理念、ということになろう。しかし米国人の口から出た場合はどういう意味を持つか。
 「金と才能さえあれば、男性だろうが女性だろうが、出世できるべきだ」という意味になるのではないか。

 世界で日本人と米国人ほどよく働く人たちはいない。
 ワークライフバランスの問題を語る時も「ライフ」の方に重点が置かれているのが欧州型で「ワーク」の方に重点が置かれているのが日米型だ。
 この本でもライフよりワークに比重が置かれ、基本的には仕事をどうするか、ということがずっと語られている。そういう意味では、米国人と思考が似ている日本人には、この本のメッセージは訴えかけるものがあるかもしれない。

 だが皮肉なことに、その「現実」があまりにも乖離しすぎている。サンドバーグが直面している現実と大多数の米国人や日本人が直面している現実とのあいだに。


現代の女性たちにとってのワークライフバランス問題というのは否応無く直面せざるを得ない問題

 サンドバーグは女性はもっと積極的に進んでいくべきだと言う。夢を諦めるべきではないということだ。

 昔はキャリア志向の強い一部の女性が社会に出て行く過程でさまざまな困難にぶつかり、仕事と家庭(出産や子育て)をどう両立するかという問題に突き当たった。
 だが今やワークライフバランスの問題はキャリア志向の強い一部の女性の問題ではない。
 夢を追いかける過程でぶつかり、夢を追い求めるかそれとも諦めるか、という話ではない。
 そんなにキャリア志向がなくて地味な人生を望んでいる人でさえ、現代は誰もが否応無くワークライフバランスの問題に突き当たる時代なのである。

 現代において「君は外で働かなくていい」と言うほど稼ぎのいい夫と結婚できる確率は限りなく低い。夫の稼ぎが少ないのだから自分も働かなければとても生活していけない。結婚しないという道もあるが、それならそれで当然自分の食い扶持は自分で働いて稼がなければならない。

 夢を追いかけた結果ぶち当たる問題なのではなく、現代においては誰もが否応無く突き当たる問題なのだということ。この視点を缺くならばまったく肯綮に中らないということになる。


フェイスブックの間違った設計

 今は例えば、写真を公開したり共有したりする「場」はいっぱいある。FlickrやらInstagramやらPinterestやら。でも皆に賞賛される出来のいい写真を撮るのは難しい。

 現代は一見、「場」が溢れている。
 「フェイスブックであなたの輝かしい日々の活動と交友録をアピールしちゃって!」
 「リンクトインであなたの華々しい学歴と職歴をアピールして転職のステップアップに活かしてください」
 「メールアドレスさえあれば誰でも簡単に登録・ご利用できます」

 しかし現実はリンクトインのプロフィール欄に書けるような華々しい学歴も職歴もない。いつまでもそこには大きな白い空間がぽっかり空いたまま。
 それどころかフェイスブックに登録してしまったばかりに自分の不活発な活動履歴や友達の少なさが却って人事担当者にばれて、逆に損になることもある。

 こうした「場」は、まさにサンドバーグのような人向けの場なのだ。

 私はこうした社会設計が決して時代に合っているとは思わない。場ばかりが溢れ条件は整って来ているように思えるが一部の人に合わせた設計であり、大勢の人のニーズは別のところにある。

 「一歩を踏み出そう」とサンドバーグは言うが、多くの人にとっては一歩どころか何歩踏み出してもまったく階梯を感じられないことが苦しいのではないか。
 その違いに気付かなければ、サンドバーグがCOOを務めるフェイスブックも、このまま凋落の一途を辿っていくだろう。

 もっともサンドバーグはキャリアというのは梯子のようなものではなくてジャングルジムだと言う。一本道ではなく登頂までの道筋がいくつもあって上ったり下りたり時には休憩をしたり、そういうものだと。


フェイスブックというジャングルジム

 サンドバーグはその素晴らしいキャリアをどうやって築いたのか?と人から聞かれるたびに、自分自身はキャリア設計をしたことはない、只管がむしゃらに頑張ってきたら此処にいた、と言っている。

 巨大なジャングルジムを築けば築くほどハブ(結節点)にはたくさんの人、物、情報、機会が流れてくる。大きなハブにはたくさんの出会いが流れてくる。それは、末端の人間が得ているものとは量においても質においてもすべての点ではるかに凌駕している。
 フェイスブックはそのためにも巨大なソーシャルネットワークを構築する必要があるのだ。ネットワークが巨大になればなるほどハブの人は恩恵を得る。

 私はこれを「第三の恵」と呼ぼう。貧しい人々はサンドバーグが金と才能に恵まれていて羨ましいと思うかもしれないが、サンドバーグが本当に恵まれているのはこの第三の恵なのだ。

 フェイスブックCOOのサンドバーグがそのことに無自覚であるはずはないと思うのだが、自覚してないのか、はたまた気付いてはいるが敢えてそこには触れないのか。


まとめ

 この本を読んで、私は二つの問題を感じた。
 一つは、サンドバーグが今まさに手掛けているフェイスブックの構造は決して良い形をしていない。
 サンドバーグが第三の恵に無自覚であり続けるかぎり、人々が何に躓いているのかに気付くのは難しいだろう。

 そしてもう一点は、日本と米国の両国に共通する仕事第一主義の思想だ。
 サンドバーグの趣旨、女性はもっと積極的に一歩を踏み出そう、とか、女性の働く環境を整えよう、という趣旨には基本的に賛成だ。しかし本書では子育てのエピソードなども出てくるには出てくるが、一貫して流れているのは「ワーク」の思想である。

 最近、日本のネットでも朝の満員電車におけるベビーカーが問題になった。朝の電車に誰がどのような目的で乗ろうが自由である。しかしそれは「通勤電車」と呼ばれ、通勤専用の電車であるかのように思われ、通勤以外の目的で乗る人が排除されようとしたりする。

 日本も米国も、実用思考、悪い意味での効率主義、仕事第一主義、こうした思想から脱却できないかぎり、男女平等など遠く実現しないだろう。

 女性のワークライフバランス問題と言うが、これは常にワークに縛られてそこから離れることを許されないでいる男性に「ライフ」を問う問題でもあるのだ。


【フェイスブック関連記事】
Facebook批判 -ザッカーバーグ27歳の誕生日を言祝ぐ-(2011/05/04)


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実用主義批判


出ない順 試験に出ない英単語出ない順 試験に出ない英単語
(2012/10/27)
中山

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 日本は“実用”に塗れてゐる。

 現代日本の、あまりにも極端に偏りすぎた「実用思考(指向)」が好きではない。


インターネットとは何かを教へてくれる本がない

 ずいぶん昔のことだが、ある時「インターネットってなんだらう?」と思って本屋に行ったことがある。インターネット関聯の本が並んでるコーナーに行ってみたが、そこに並んでゐたのは「インターネットの使ひ方」の本ばかりだった。「インターネットとは何か」といふことを初心者向けに解説してくれてゐる本は一冊も無かった。
 「さあ、君もインターネットを始めてみよう!」とか、「まづは、画面上の青い“e”のマークをダブルクリック!!」とか、「ヤフーで検索してみよう!」とか。

 それらはブラウザーを使ったウェブブラウジング(またはネットサーフィン)の説明であって、インターネットの一部の説明ではあるが、これでインターネットを説明したことにはならない。
 世の中にこれだけインターネットが普及してゐるのに、インターネットについて説明してゐる本が一冊も無いことに私は驚いた。


本屋に並ぶ「フェイスブックの使ひ方」本

 フェイスブックが登場した時(日本に伝はった時)もさうだった。

 私もかつてこのブログでフェイスブックについての記事を幾つか書き、それなりのアクセスがあったが、それらは「フェイスブックとは何か」についての解説記事であり、「フェイスブックの使ひ方」の解説記事ではなかった。

 だが、本屋に行けば、

「フェイスブックの使ひ方」
「フェイスブック使ひこなし術」
「フェイスブック活用法」
「今日から始めるフェイスブック」
「フェイスブックを使ったセルフブランディング」
「フェイスブックの100のTips」

とか小技集とか、そんなのばかり。
 なぜ、使ひ方についての本ばかりしかないのだらう。日本だけ?

 フェイスブックとは何か、といふ疑問に答へてくれる本は一冊もなく、大抵はかうした「使ひ方」系の本の冒頭に「フェイスブックはいろんな友達とやり取りができる楽しいツールです」などといった極めて大雑把な紹介の仕方がされてゐるだけである。


“実用”に偏る語学書

 小学校6年生の時に、私は英検の正式名称が「実用英語技能検定試験」であることを知った。それからはなんとなく英検に対する興味が薄れ、受験しなくなった。似たやうな思想のTOEICも受験しなかった。

 語学には興味があるので、よく本屋さんの語学書コーナーに行くのだが、手に取ってぱらぱらと捲ってみて速攻で棚に戻す類の本がある。

「空港で」
「ホテルのフロントで」
「タクシーで」

などと書いてある本だ。私は別に海外旅行に行くわけではない。飛行機にも乗らないしホテルにも泊まらないしタクシーにも乗らない。
 だが英語に限らず中国語であれタイ語であれ何語であれ、かういふ「実用」、「実践的会話集」のやうな本がほとんどである。
 かういふ本“も”あっていいが、かういふ本“しか”ない現状には、とても不満を感じてゐる。


ネットとは何かをわからないまゝネットを使ひこなす人たち

 昔、「ネットの達人」とでも呼ぶべき知人がゐた。わからないことがあるとすぐに検索で調べ、その検索テクニックもすごく、マウスジェスチャーやショートカットキーなど、時短に繫がるさまざまなテクニックに精通してゐた。未だにショートカットキーの一つも知らない私から見たら「達人」に思へた。
 だがその彼は「インターネットとは何か」といふことは知らなかった。DNSとかプロトコルとかいふこともおそらく知らなかった。つまり彼は「ネット使ひの達人」だったのだ。

 パソコンを知らない人にパソコンを教へようとする時に私は「そもそもパソコンとは何か」といった基礎基本から教へたがるのだが、大抵は「基礎基本とかそんなのどうでもいいから、早く使ひ方を教へてよ」、「パソコンでグラフを作るやり方を教へてよ」と言ふ人の方が圧倒的に多い。

 「実用」の方がニーズがあるのだらう。

 もちろん、基礎基本が解ってゐなくても、日々パソコンやネットを使ひこなしてゐる人はたくさんゐる。

「インターネットって何?」
「ウェブって何?」
「スマホって何?アイフォンとどう違ふの?」
「アプリって何?」
「最近、TV-CMでよく聞くLTEって何?Wi-Fiとどう違ふの?」
「テザリングって何?」
「最近流行りの『LINE』って何?」

 かうした質問に私は答へることができる。

 だが「LINEの使ひ方を教へて!」と聞かれると困る。使ひ方は知らない。LINEを使ったことがないから。
 フェイスブックについてもこのブログで過去にいろいろ書いたが、私自身はフェイスブックを使ったことはないので、使ひ方とか使ってみた感想とか聞かれても分からない。
 LTEもWi-Fiもテザリングも私は使ってゐないので、使ひ方とか具体的な設定の仕方については分からない。でも、それが何であるかを説明することはできる。

 だが世の中の大抵の人は逆なのだ。「アプリって何?とあらためて聞かれると説明できないけれど、でも、アプリ毎日使ってるよ!面白いアプリいっぱい知ってるよ!」といふ人がほとんどなのだ。


実用重視に偏りすぎてゐる日本

 アプリとは何か、ソフトとはどう違ふのか、そんなことは知らなくても生きていける。いや、むしろそんなことは知らなくてもアプリの使ひ方を知ってゐることの方が、生きていく上では重要である。

 「実用の役に立たない英語なんてクソだ」と言はんばかりの風潮が、私が子どもの頃の英語教育にはあった。そしておそらくその風潮は今も変はってゐない。

 しかし実用がすべてだらうか?
 今の日本はあまりにも実用主義に偏りすぎてはゐないか。

 かつてはもっと教養などを重視する風潮もあった。
 例へば、「百人一首の上の句を聞いて下の句を言へる」とか。
 私も子どもの頃、下の句を全部覚えたが、それが人生で何かの役に立ったかと言へば役に立ったことは一度もない。今時、国語のテストにすら出ない。かるた名人とかかるたクイーンを目指すのでもないかぎり、生きていく上で何の役にも立たない知識である。

 しかし生きていく上で何の役にも立たないからといって、かういふことを切り捨てていってしまってよいだらうか。


行き過ぎた実用主義からは新しいものもユニークなものも生まれない

 なぜ日本から「グーグル」や「フェイスブック」が生まれないのか、といふ議論を時々聞くことがある。
 日本の本屋に何十冊と並んでゐる「フェイスブックの使ひ方」、「フェイスブック活用法」といったタイトルの本を見てゐると、なんとなくその理由もわかるやうな気がする。

 日本人はみんな、「フェイスブックの作り方」や「思想」よりも「使ひ方」や「活用法」に興味があるのだ。それを活用してどうやって生活を便利にするか、仕事に生かすか、人脈を築くか、金を儲けるか、さういったことにしか興味がないのだ。


 徹底的に切り詰めた実用主義から感じるのは、「基礎基本の等閑」と「余剰の少なさ」である。

 基礎基本が解ってゐなければその上に新たな世界を構築することはできないし、余剰がなければユニークなものは何も生まれないだらう。

 そして日本では実用主義の上に非効率な「形式主義」が共存してゐるので、また厄介である。
 「効率重視」と言ひながら、小技や小手先のテクニックにばかり習熟し、根元や基礎については見直さうとすらしない。

 その問題についてはまた後日書くことにしよう。



※この記事を通して「日本は」「日本人は」と書いてゐるのは、単に私が外国を知らないからである。また、この記事における「実用主義」は英語の「プラグマティズム」の訳ではない。