暫定龍吟録

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Twitterとブログで振り返る3月11日 〈東日本大震災から一年〉

 くりかえし、くりかえし、3月11日のことを思ってきた。この一年間は、ほとんど3月11日のことを考えてすごしていたと言っても過言ではない。

 あなたにとって311とは何か、と問われたら、私にとってそれは「痛恨」である。
 このことは以前にもブログに書いたけれども、私は、今の日本で、災害で1万人を超える死者行方不明者が出るなんて思っていなかった。災害は毎年のようにある。大災害も世界のどこかでは毎年のように起こっている。でも、どこかで、それは発展途上国の話だと思っていた。日本のような科学技術が発達した先進国で犠牲者1万人などありうるはずがない、と。
 私にとって痛恨であるというのは、先進国としての体面が保てなかった、まるで発展途上国みたいで恥ずかしい、とかそういうことではない。現代に生きている日本人として、日本という社会を構成している一員として、こんなに多くの人の命を救えなかったということが「痛恨」であった。
 
 後になってから、あの時ああしとけばよかった、とか、もっとこういう風にしておけばよかった、などとはいくらでも言える。しかし今さら何を言っても後の祭りである。反省として次回に活かすことはできるかもしれないが、亡くなった人たちに次回はない。原発事故だけではない、津波被害にしても「大失敗」である。自分が生きている時代に、つまり自分がなんとか被害を回避はできないまでも軽減の手段を打てる立場にあった時に、このような大失敗をおかしてしまったことは痛恨というよりほかない。

 スマトラ沖地震や四川大地震など何倍もの犠牲者が出ている災害が他にもいくらでもあるにもかかわらず、とりわけ東日本大震災が衝撃が大きかったのは、それだけ身近に感じたからだろう。
 東京にいた私も、大きな揺れとその後のトイレットペーパーの不足やコンビニ・スーパーから食料品が消える、などの事態に直面した。東京人も広い意味では「被災者」と言えるだろう。

 後世の人のために自分なりの東日本大震災体験記を残しておきたい。それは昨年の3月11日にも思って、主にTwitterとブログにリアルタイムで書いておいたけれども、書き漏らしていることもある。なので、震災から一年経った今、あらためて当時のことを振り返りつつ、3月11日に起こったこと、そして私がどのように行動したかを書いておこうと思う。


・自分のツイートから振り返る3月11日

 2011年3月11日の自分のツイートをツイログから引っ張り出して来て、時系列的に見ていこう。

駅の券売機が「準備中」だったので隣にずれたら「準備中」「準備中」「検査中」「調整中」で結局5台分も移動させられる。
posted at 12:20:22

 これが2011年3月11日最初のツイート。12時20分。この時は外にいた。こんな長閑なネタのようなツイートをしていて随分と呑気だったことがわかる。

機械が嫌いである。
posted at 12:20:58

 これが2つ目。当然ながらやはり緊張感がない。この後、自宅に帰る。金曜日だが私は休みだった。
 そして運命の2時46分を自宅で一人で迎えることになる。


・激震の最中に放った「なゐ」の二文字

なゐ
posted at 14:49:33

 激震に見舞われて最初にツイートした2文字。まだ激震の最中である。2時46分に東北地方で地震が起こってから何分何秒で東京に揺れが到達したかわからないが、私はすぐに大地震だと気付き、脱出口確保のため玄関のドアを開けそれを右手で押さえながら、左手に持ったスマートフォンでTwitterアプリを起動させていた。大きな揺れは何分も続き、私の住んでるボロアパートは激しく揺れてこのまま倒潰するんじゃないかと思った。死ぬ前にメッセージを残さなければ。2時49分と地震発生から少し時間があいているのは、この時、インターネットもしくは3G回線、Twitterのいずれかが繋がりにくかったためである。今にも建物ごと潰れてしまいそうだ。時間がない。Twitterしか思いつかなかった。なるべく短い言葉で外の世界の多くの人にメッセージを飛ばさなければ。自分が生きていた最後の証を残さなければ。その思いで激震の最中に放ったのが、この「なゐ」の二文字だった。「なゐ」は「地震」という意味の古い言葉である。

東京大地震
posted at 14:50:05

 2時50分。震源地がどこなのかはまだ知らなかった。ともかく東京が大地震に見舞われている、ということを伝えたかった。今にして思えば、私のTwitterのフォロワーさんは東京近郊の人が多いから「知ってるよ」ということだったろうが。このツイートまでが激震の最中に書いたものである。

冷蔵庫動いた
posted at 14:51:25


棚の上のもの全部落ちる。
posted at 14:52:04


2分以上揺れ
posted at 14:52:34

 揺れが少し収まってからのツイート。驚きと呆然という状態だったと思う。

本棚の本がたくさん落ちる、東京
posted at 14:55:53


人生でいちばんの地震か、東京
posted at 14:56:39

 地震発生の9分後、2時55分から「東京」という情報を付け加え始めた。どこの話かがわからないと混乱を招くと思ったから。でも、しばらくしたら「東京」という情報はいちいち付けなくてもいいと思った。それよりも情報のスピードを優先させるべきだと判断した。

まだ揺れてる、スカイツリーは倒れてない
posted at 14:58:19

 一番最初に確認したことはこれだったかもしれない。建設中のスカイツリーが倒れてないかどうか確認してしまうほどの大地震だったということだ。あと、Twitterができているということでインターネットが通じていることも確認できた。

建物ごと崩れるかと思った
posted at 14:59:29

 2時59分。この時までは家の中にいた。
 この後、隣に住んでた一人暮らしの外国人女性に声をかける。言葉がわからない日本に来て日本人ですら驚くほどの大地震に遭遇してさぞ怖い思いをしているだろう、テレビをつけても日本語ばかりで情報がわからなくて不安だろう、と思ったから。出てきた彼女は引きつった表情をしていたが、私の顔を見ると少しほっとしたような顔を見せた。そしてジェスチャーで自分はずっと怖くて震えていた、という仕種をしてみせた。私が「今はもう大丈夫ですか?」と英語で問いかけると「OK。あなたは?」と私のことも気遣ってくれた。
 それから、近所の防災広場に行った。持って行ったのはスマートフォンだけだった。広場には何人かの人が集まっていたが、特に何をするというでもなかった。度々余震が襲って来てはいたが、広場にいたのでは何の情報も得られない、と思い、また家に戻った。

もう15分以上たつのにまだ余震が、東京
posted at 15:15:11


また大きな余震
posted at 15:16:53

 テレビ(NHK)とTwitterのタイムライン、それにネット上でいろいろな情報を見ていた。

15時15分
posted at 15:17:24


私のところは体感的に震度5から6
posted at 15:18:58


15時25分、東京まだ少し揺れてる。
posted at 15:25:24


15時26分、余震、東京
posted at 15:27:49


大きな余震
posted at 15:28:25

 地震発生から29分後の3時15分からツイートに時間を付け加え始めた。たくさんリツイートされたらそれが何時時点での情報かが判りづらくなると思ったから。実際のツイート時間とのあいだに僅かなタイムラグがあるのは私の3G回線かインターネットの遅さだと思う。

インターネットは通じてる
posted at 15:30:44

 どのライフラインが生きているかの確認を始めている。


・地震発生から約45分後に原発情報をネットでさがす

Reading:NHKニュース 東北地方の原発がすべて停止 http://nhk.jp/N3ue67mQ
posted at 15:33:22

 地震発生から45分後頃、ふと原発は大丈夫だったのかが気になった。しかし東北地方のどこに原発があるのかを全然知っておらず、「東北地方 原発」でググってみたところ、宮城県の女川というところに女川原発というものがあるのを知った。今回の地震の震源から考えてもこの女川原発が一番危なそうだ。そこで私は女川原発に関する情報をネットで必死に探しはじめたところ、このNHK配信のニュースを見つけた。「東北地方の原発がすべて停止」と。私は当時原発の仕組みなどをまったく理解していなかったので、「すべて停止」ということは原発については安心していいのだろう、と判断した。いちはやく原発の心配をしておきながら、私の原発に関するツイートはここで終わっている。3時33分で早くも原発について思考停止してしまっていた。実際には女川原発ではなく福島第一原発が大問題になっていることを知るのはもう少し後のことである。

15時35分、小さな余震
posted at 15:36:42


15時45分、東京余震
posted at 15:46:14

 引き続き余震が頻繁にあったことがわかる。

防災頭巾を被って防災広場に避難する子どもたち、東京。 http://twitpic.com/48drrx
posted at 15:48:05


 この写真は忘れられない一枚になった。3時48分となっているが、実際には3時11分に外に出た時に撮ったものでいったんEvernoteに保存してからtwitpicにアップしている。

15時57分、小さな余震、東京
posted at 15:58:56


【3月11日】宮城県北部の地震(震度7)についての速報情報まとめ - NAVER まとめ http://t.co/MrzgoV3
posted at 16:11:17

 地震発生から1時間25分後の4時11分には早くもネット上で速報情報がまとめられだしていたことがわかる。

16時14分から余震、東京
posted at 16:17:19


16時27分、小さな揺れ、東京
posted at 16:28:28

 夕方になっても余震はやまず。


・最初の死亡者情報が入ってきたのは地震発生から103分後

16時28分、NHKで最初の死亡者のニュースを聞く。
posted at 16:31:04

 地震発生から103分(1時間43分)後。東日本大震災における最初の死亡者情報を聞く。これが最速だったと思う。当時もどかしく思っていたことの一つは、TwitterのTLを見ていても流れてくるのは東京の情報(地下鉄の何線が止まっているとか)ばかりで、そういう情報は山のように流れてきたが、肝腎の東北地方の情報は全然流れてこないということだった。103分。これが今の日本の情報力の限界。
 しかし、情報力のすごさに驚いた点もあった。3月11日当日の内に、東京での被害として九段会館の天井が崩落して犠牲者が出た、というニュースを聞いた。私はその時、これだけの大地震だったのだから東京でももっとたくさんの人が亡くなっているはずであり九段会館のニュースはその第一報に過ぎない、と思っていた。しかし結局東京では九段会館以外での死者はほとんどなかった。
 東北地方と東京の情報の落差を実感した。

16時31分小さな揺れがある、東京
posted at 16:33:01


16時32分、NHKで今回の地震に名前がついたと聞くが聞き損ねる
posted at 16:36:55

 この時私が聞きそこねた名前は「東北地方太平洋沖地震」だと思う。名前なんてどうでもよいではないかと思うかもしれないが、地震に名前が付くというのはその地震が歴史に残る地震だと人々が認識したということである。
 当日のブログには、

この地震は、「東北地方太平洋沖地震」と名付けられたが、明日以降、被害情報が明らかになるにつれて、場合によっては「〇〇大震災」と呼ばれるやうになるかもしれない。/歴史に残る地震になるのも間違ひない

と書いている。
 この後、ガスの復旧作業をする。あとアパートの大家さんに声をかけた。大家さんの家は老夫婦二人暮らしで心配だったから。アパートの他の住人は皆、平日ということでいなかった。

17時05分、小さな揺れ、東京
posted at 17:07:28


17時11分、小さな揺れ
posted at 17:12:33


17時17分から小揺
posted at 17:19:38


17時20分、少し大きめの揺れ
posted at 17:21:18


1728小揺れ
posted at 17:30:26


1731少し大きめの揺れ
posted at 17:32:44

 頻繁な揺れ。

東北地方太平洋沖地震M8.8、国内最大の地震、とNHK。
posted at 17:38:35

 マグニチュードはこの後、何度か修正されることになる。5時38分。この時点では「国内最大」というのは記録が残る近代以降の地震で、という意味だった。

Tokyo Disneyland & Sea Have Flooded http://t.co/qjiDCQQ
posted at 17:41:22

 これも今思えば情報の速さに驚いたことの一つ。5時41分、ネットで東京ディズニーランドの液状化のニュースを伝える海外のサイトの記事を見つけた。これも数ある液状化した地域の第一報にすぎないと思っていたが、結局、浦安は液状化の被害が最も有名なところだった。

ヘリが東北方面に飛んで行くのを見る。
posted at 17:54:00

 5時54分。ヘリはこれだけではなく、頻繁に見ていた。

1754、NHKで18人死亡と聞く。
posted at 17:55:59

 これは確定情報だけだ。実感としてはもっと多くの人が亡くなっているのはとくに三陸地方の人だったらわかっているだろうけど、これだけの大災害においては情報を確定させるだけでも一苦労なのだ。

明治29年の「三陸地震津波」を聯想する。
posted at 18:34:01

 津波による被害が大きかったということで私が真っ先に連想したのが明治29年の「明治三陸津波」だった。後日、明治三陸津波や昭和8年の「昭和三陸沖地震」などと比較されて研究されることになるが、この時はまだ人々にそんなことを考える余裕はなかった。

18時45分、NHK、26人死亡と伝えてる。
posted at 18:46:30


19時22分、小さな揺れ。
posted at 19:22:59


19時36分、小さな揺れ。
posted at 19:37:40

 この日は揺れは断続的に続いており、まだ建物がゆらゆらしているあいだに次の余震が来るので、実際には前回の揺れと今回の揺れ、などという具合にはっきり区別できるものではなかった。ほとんど一日中、ずっと揺れているという感じだった。

地震があってからずっとツイートがなかった人のツイートを確認して安心した。
posted at 20:12:57

 当時、Twitterで自分がフォローしていた名前も顔も知らない人たちの安否も気になっていた。

20時21分、揺れてる。こんなにいつまでも揺れていたら、今夜は眠れそうにない。
posted at 20:22:42

 精神的にも肉体的にもかなり疲労していた。

22時11分、NHK午後10時のまとめで91人の死者と聞く。
posted at 22:12:30

 3月11日当日に判明した死者数は91人。これを多いとみるか少ないとみるか。

22時17分また揺れ。
posted at 22:18:44

 これで3月11日のツイートは終わっている。全49ツイートすべてである。当日書いたものとしてはTwitterの他にもブログがある。ブログは夜8時頃から11時頃にかけて書いた。

 あと3月11日当日のことで印象に残っているのは、いつもは夕方の5時に子どもに帰宅を呼びかけるのが最後の区の防災無線が、夜中の11時30分頃まで防災情報(電車の復旧情報など)を流していたことだ。

 ブログの方にはこんなことを書いている。
今日(3月11日)の夜の時点で、被害の全容はまだまだ判ってゐない。明日以降、痛ましい悲惨なニュースが徐々に入ってくるだらう。今はまださうした甚大な被害を実感する前夜なのだ。最終的な死傷者数は3桁をこえるのは確実だらうといふ予感がする。最悪、1000人を超えることも考へられる。
 1000人。これが当時の私の予想の限界だった。しかし甚大な被害が明らかになる前夜であったことは本当だった。ちなみに震災の翌日、3月12日からはブログは震災関連の記事は現代仮名遣いで書いている。震災関連の検索で私のブログを見に来た人が「思ふ」などと書かれているのを見たら、人によっては「ふざけている」と感じるかもしれないと思ったから。しかし過去ログをご覧になっていただければ分かるが、3月11日の記事だけはそれまでの習慣通り歴史的仮名遣いのままで書いてある。現代仮名遣いで書き直そうかと思ったが、これも当時の私の慌てっぷりをよく表していると思ってそのままにしてある。

 Twitterももちろん3月11日で終わりではなくて、日をまたいで翌日以降もツイートしつづけている。


・3月12日、13日のツイート

 ちなみに、翌日、翌々日のツイートはこんな感じ。

 3月12日。

これがtsunamiか。身近(日本)で起こると実感として深く迫る。
posted at 00:30:15


日本は地震先進国なはずなのにそれでもこれほどの被害。自然の脅威を感じる。
posted at 00:38:37


22時17分。やや大きめの揺れ。
posted at 22:18:05


 3月13日。

日常も大事だが非日常も大事だ。
posted at 17:43:08


八百万の神と恒河沙の仏が総無視
posted at 20:37:02


お地蔵さんが素知らぬふり
posted at 20:37:55


観音さまが見て見ぬふり
posted at 20:38:24


文殊菩薩がわかってない
posted at 20:39:18


千手観音の手が足りてない
posted at 20:39:43


弥勒菩薩が間に合わない
posted at 20:40:03


天網恢恢疎にしてダダ漏れ
posted at 20:40:25

 ここに当時の私の歎息が見てとれる。神様や仏様に八つ当たりしている。震災後2日目。地震の規模と被害の全容が徐々に明らかになり、絶望的な状況を目の当たりにしてきていた時期だ。
 私はエレン・ケイの「偶然がある子どもを不幸から守った場合、子どもの『守護神』について語るのを聞くことがあるが、わたしはこれ以上の神の冒瀆はないと思う。この『守護神』は、数知れない不幸の際には一体どこにいるのであろうか?」という言葉を思い出していた。東北地方にもたくさんいたであろう神や仏は、あの瞬間何をしていたのか。


・震災から一年が経って

 あれから一年。未だに人出は足りていないし、復興への道のりは遠い。原発事故は収束する気配はなく、本当に弥勒菩薩がやって来ると言われている56億7千万年後まで禍根を残しそうである。

 この一年間、津波で家族を失った遺族の話や信じられないような惨状の映像をたくさん聞いたり見たりした。しかしそれらもこの甚大な災害のごく一部であって、語られることすらなく海のわだつみと消えていった物語は無数にある。

 一年というのは一つの節目ではある。区切りをつけて前を向いて歩いて行かなければならないと言うのもわかる。しかし、行方不明の家族が未だに見つかっていない人、住む家を失った人、原発事故の問題を抱えている福島の人たちなどにとっては「被災」は現在進行形であるだろう。

 日本のあるいは世界のシステムが救えなかったものがたくさんあった。その痛恨の思いのもとに今までもこのブログでたびたび震災関連のことを書いてきた。震災関連の検索で多くの人がこのブログを訪れてくれた。サイドバーのカテゴリー「東日本大震災関連」というところをクリックしていただくと、それらの記事をまとめて読むことができる。またはアーカイヴの2011年3月のところをクリックすれば、当時の日々の記録をリアルに感じることができる。
 東日本大震災のことはまだ書き足りていない。私はこれからも書くだろう。3月11日を忘れないために。後世に伝えるために。

 東日本大震災から一年の日に。

(参照)
りゅうたいぷ(@ryutype)/2011年03月11日 - Twilog

地震前後ツイート

2011(平成23)年3月11日東北地方太平洋沖地震当日 暫定龍吟録


ブログ訪問者数10万人突破までの道のり

 本日2011年10月27日、本ブログの累計訪問者数が10万人を突破した。
 2008年1月にこのブログを開始してから3年と9カ月かゝってやっと到達した数字だ。

 こんな小さな小さな無名のブログを今まで訪問してくださり、あるいは読んでくださった皆様には感謝を申し上げます。

 さて、訪問者数10万人突破記念として、今までの軌跡(といふほど大したものではないけれど)を書いておきたい。

 普通、ツテやコネクションがある人、リアルの友達が多い人、Twitterなどのフォロワーが多い人、などは、ブログを始めたらすぐに一定数の固定の読者が付く。しかし、私のやうな何のツテもコネクションも繋がりもない無名の一市民が誰にも知られることなく始めたブログは誰にも読まれない。それは私がブログを開設したことすら誰も知らないから、さういふブログがこの世に存在することすら誰も知らないからだ。誰も訪れないし、どこからもリンクされないからGoogleにも拾はれない。すると検索エンジン経由で訪れる人もゐない、といふ悪循環。
 実際、このブログを始めてから最初の5カ月間は、訪問者数ゼロだった。

 もし、私と同じやうな、世間との繋がりがまったくない人がブログをこっそり始めたら、どうやって、あるいはどれくらゐの期間で一定の訪問者数を獲得することができるか、その参考になればと思ひ、記録を書き留めておく。

 カウンターを元に凡その年月を割り出した。本当はグラフにしたかったけど、面倒なので行間の幅で年月の長さを表すものとする。だいたい1行1カ月と考へてください。(訪問者数は累計訪問者数です)。


ブログスタート!




1人目の訪問者(ブログ開始から5カ月目)
10人目(5カ月目)
100人目(5カ月目)


1000人目(8カ月目)



↓ 


















10000人目(2年7カ月目)




20000人目(3年0カ月目)
30000人目(3年0カ月目)
40000人目(3年1カ月目)
50000人目(3年2カ月目)
60000人目(3年3カ月目)
70000人目(3年4カ月目)
80000人目(3年5カ月目)

90000人目(3年7カ月目)

100000人目(3年9カ月目)


 かうして書いてみると、最初の1万人を突破するのにとても苦労してゐるのがよくわかる。 
 最初の1人目の訪問者が訪れてくれたのはブログ開始から5カ月が経ってのこと。で、最初の1万人突破まで2年7カ月もかゝってる。こゝまでが長かった。2万人突破までは3年かゝってる。しかし2万人を突破してからはほゞ順調に1カ月1万人のペースで訪問者が増えてゐることがお分かりいただけるだらう。(8万人以降はちょっとペースダウンしてゐるが)。

 最初の1年間とかは、1日あたりの訪問者数は1人とか2人とかが当たり前だった。それが今ではやうやく1日に100人程度の人が訪れるやうになってきてゐる。

 といふわけで、私のやうな無名のノーコネクションの人が人知れずブログを始めた場合、最初の2万人まで我慢すれば後は波に乗れると思ふ。
 もちろん、ブログの内容の質の高さ、更新頻度、文章力などに大きく左右されることは言ふまでもないが・・・。

 ブログを始めたときは、カウンターを3桁にしてゐた。つまり1000人を超える人が訪れることなんて当分ない、と思ってゐたのだ。それを4桁にし、5桁にしたときはもうこれで十分だと思った。5桁といふことは99999人までカウントできる。さすがに10万人を超える日なんて当分、いや永遠に来ないかもしれない、ぐらゐに思ってゐた。
 このブログを始めた時、まさかカウンターの桁数を6桁にする日が来るとは思ってゐなかった。今日この日を迎へて、感慨深いものがある。

デジタルな思い出をどうやって取っておくか

 片付けが下手な人がゐる。整理整頓が苦手で部屋が散らかってゐる人がゐる。

 それに対して、片付け上手な人がよく行ふアドバイスの中に「この一年間、一度も触らなかったものは捨てなさい」といふのがある。部屋の中に物が多すぎるから片付かないのだ、片付けの基本は捨てること、なるべく物を持たない生活にしよう、といふわけである。


 ところで、「思ひ出」とは何だらうか。私は前回の記事「あきらめることとあきらめないこと」で、過去の日記をすべて燃やしてしまった人の話をした。そしてその行為に戦慄したと書いた。

 思ひ出とは、辞書によれば、

1 過去に自分がであった事柄を思い出すこと。また、その事柄。「―にひたる」
2 あることを思い出すよすがになるもの。「旅の―に写真を撮る」(『デジタル大辞泉』)


なので、2の意味でとるなら、物も、当然写真や文章(が書かれた物)もすべて「思ひ出」であると言っていい。

 私が片付け上手の人のさうしたアドバイスに違和感を感じるのは、思ひ出は取っておくことに意味がある、と考へるからである。片付けマンは「でも取っておいてもどうせ見ないんでせう?」と言ふ。でも、その思ひ出を振り返るか振り返らないかが問題なのではない。取っておくことに価値があるのだ。
 例へば、小学校や中学、高校の卒業アルバムを私は取っておいてある。ではそれを一度でも開いて見たか、と言はれれば、こゝ数年間一度も触ってない。でも、だいたい卒業アルバムなんてそんなものではないのだらうか。卒業して何年も経つのに「毎日開いて見てます」とか「週に一度は必ず見てます」などといふ人がゐるのだらうか。

 これに関聯して私が気がかりのは、こゝ十年くらゐで急増してゐるデジタルな思ひ出たちのことだ。
 テキスト、画像、音声、動画。もちろんメールやブログも含まれる。写真はアナログからデジタルになった。葉書や便箋に書いてゐた手紙はメールになった。テレビもデジタルになった。紙に書いてゐた日記はブログになった。
 多くの「思ひ出」がデジタルの形をとるやうになった。それなのに、このデジタルな思ひ出たちの保存問題について真剣に考へてゐる人は意外と少ない。私はこの問題について随分と時間をかけてさまざまなワードでググってみたが、この問題について深く議論、考察してゐるページには出くはさなかった。皆は、自分が死んだ後に、自分の書いた文章や撮りためた写真(画像)などがどうなるのか、考へないのだらうか。
 デジタルデータはこれだけ急増してゐるにもかゝはらず、実はその保存の問題については、まだ「これだ!」といふ答へが出てゐない。だから未だに、大事な写真や文章は紙にプリントアウトしておけ、と言はれるぐらゐなのである。

 現代の私たちは約1000年前に書かれた紫式部の日記を読んでゐる。紙に書かれた日記が1000年後に残ってゐる。紫式部日記が価値があるのは、優れた文学者が書いたものだから、と言ふばかりではない。もし今、平安時代の日記が発見されたら、それが有名な人が書いたものであれ無名な人が書いたものであれ、価値があるだらう。1000年の時を越えて残ってゐるから価値があるのである。

 片付けマンは「それは取っておく価値のある物なの?」と問ひ詰める。現代的な意味合ひで言ふなら、私が書いた駄文など、とりあへず当面「価値がない」だらう。10年後にも価値がないだらう。しかし1000年残ってゐれば分からない。1000年後に発見されれば「価値あるもの」とされるかもしれない。
 「価値があるから取っておく」のではなく、「取っておくと価値が出る」のである。
 例へば戦後のブリキのおもちゃは、今とても価値がある。当時はありふれたどうでもいいものだったが、たった50年後には、もう貴重な価値を持つものになった。

 さうは言っても、あらゆるすべての物を「思ひ出だ」と言って取っておくわけにはいかない。何を取っておいて何を捨てるのか、そこは取捨選択しなければならない。
 私だったら、自分が買って所有してゐる物はまあ残らなくてもいいが、自分が作り出したもの、創作物は残しておきたいと思ふ。例へば画像なら、ネット上で蒐集したお気に入りの画像などは別に後々まで残らなくてもいいが、自分で撮ったオリジナルの写真などはいつまでも残しておきたいと思ふ。

 私はもし自分がIT企業を興したとしても、ブログサービスだけは絶対に始めないと思ふ。日記は、人の思ひ出の品の中でも最上位に位置するものである。大切な他人様の思ひ出をごっそり預かるなんてとても恐ろしくてできない。
 ケータイのリサイクルが進まない理由の一つは、端末の中に思ひ出としてのデータがたくさん入ってゐるからだらう。ブログはサービスを乗り換へても過去のデータごと引越しができるやうになってゐる。だが本当にブログは自分の思ひ出を残す場所として適してゐるのだらうか。私はおよそ2年前に「ブログは思い出媒体として最適か」といふ記事を書き、この問題について考察した。例へばFC2ブログの場合、一ヶ月以上更新が無いと広告が表示されてしまふ仕組みになってゐる。しかしブログの価値は更新にあるのではない。アクセスでもない。「アクセス数ゼロのブログなんて意味あるの?」と言ふ人もゐるかもしれない。でもブログの意味が思ひ出の保存場所としての意味を持つなら、譬へ一年間のアクセス数がゼロでも、一年間に一度も更新されなくても、そのブログはやはり存在する意味がある。
 
 自分が書いたデジタルな文章(テキスト)を半永久的に残したい場合に、どうするのが最も正しいのか。各ブログサービスはまだ答へを出してゐない。もちろんブログに拘る必要はない。公表するわけではないのなら、どんなメディアに保存してもよい。CD-RでもDVD-Rでもよい。しかしかういふメディアは信頼できるのだらうか。私はその昔フロッピーに文章を保存してゐた。しかし先月末、フロッピーディスク最大手のソニーが2011年3月末でフロッピーの販売を終了することを発表した。それでなくてももうフロッピーに入れた文章はかなり読めない環境になりつゝある。CDもDVDも似たやうな後を追ふ可能性はある。

 近年、Evernoteが脚光を浴びてゐる。Evernoteが注目されてゐる理由は、大体、人間の記憶を補完するノート、といふ意味合ひにおいてである。例へば、

ただのメモでは勿体ない!Evernoteに人生を記憶しよう
本気でEvernoteを使って、本気で全てを記憶する | goryugo, addicted to Evernote
Evernoteに記憶を自動保存する方法 - RyoAnna's iPhone Blog

などなど。
 だが私は「すべてを記憶する」ことには興味はない。それよりもこのデジタルノートが文字通り「永遠のノート」としてその役割を果たしてくれるのかどうかが興味がある。「記憶」と「思ひ出」は似たやうな意味である。Evernoteがすべてを記憶してくれるなら、思ひ出もすべてこゝに詰め込んでおけば安心なのだらうか。Evernoteは「大丈夫、任せて」と言ってくれるだらうか。

 あなたがケータイでメールを始めるとき、SNSで日記を付け始めるとき、どこかのサービスを使ってブログを書き始めるとき、そんなときは、データがいつまで保存されるのか、よく確認してから使ひ始めたはうがよい。私は月額料や年額料を払はなければいけないやうな有料サービスは使はないやうにしてゐる。金の切れ目がサービスの切れ目、つまり自分が金を払へなくなった途端に、データを抹消されてはたまらないからである。

 紫式部の紙の日記が1000年も保存できたといふのに、現代のデジタル日記が100年も保存できなかったら、情けない話だ。

 さうしたら私は石に刻まうか。

 


利用者数が多いブログサービスランキング2010

 今日2月6日はブログの日(byサイバーエージェント)。
 といふわけで、2010年現在の国内の主要なブログサービスの利用者数トップ10を調べてみた。

 Blogger、Typepad、Vox、Movabletype、Wordpressなどは含まれてゐないので注意されたい。

 データ元はブログファン(www.blogfan.org)。開設者数ではなく、2010年1月の月間アクティブユーザー数を元に順位を算出してゐる。

順位 ブログサービス名(括弧内は2007年8月時点の順位)

1(4) アメーバブログ
2(1) FC2ブログ
3(3) Yahoo!ブログ
4(2) livedoor Blog
5(9) JUGEM
6(6) Seesaaブログ
7(8) gooブログ
8(5) ヤプログ!
9(7) 楽天ブログ
10(10)ココログ

 利用者数が一番多いブログサービスはFC2だといふ認識があつたが、どうやらそれは古い認識だつたやうで、2010年1月現在のトップはアメーバブログ。2007年の4位から大躍進。それも、利用者数が約125万2千人で、2位のFC2の約44万5千人に2倍以上の大差をつけてダントツぶつちぎりの1位なのだ。アメブロは、芸能人などを使つた積極的なプロモーション活動が功を奏したのだらう。
 こゝには利用者数は載せなかつたが、実はアメブロ、FC2、Yahoo!の3強を除けば、多くのブログサービスが3年前に比べて利用者数を軒並み減らしてゐる。
 トップ10の圏外でも、Autopage、エキサイトブログは、この3年間でほゞ半減。CURURU、ドリコムブログ、ブログ人に至つては激減(もしかしたらサービスの展開を止めてしまつたのかもしれない)。
 米国ではすでに、10代、20代の若者は自分のブログを開設しなくなつてゐる傾向にあると聞いた。30代以上の中高年のブログ開設が増えてゐるといふ。日本でも、すでにブログブームは終はつてゐるのかもしれない。
 とは言つても、アメブロ、FC2、Yahoo!の3強は確実に利用者数を増やしてゐるし、Seesaaやgoo、ココログなどの老舗中堅どころ(?)も安定した利用者数を保つてゐる。Twitterなどの新しいサービスが人気を博してゐるとしても、今後ブログ界が急速に凋落していくことはないだらう。ブログサービス側でも、Twitterサービスとの聯繋をはかるなどの努力をしてゐるところもあるやうだ。

 あとこのランキングを見て思つたのは、自分が普段ネットサーフィンをしてゐて遭遇するブログと、このランキングに随分違和感があるといふことだ。さう感じるのは私だけではないのではなからうか。
 私は普段、はてなブックマークをよく覗くので、はてなダイアリーで書かれたブログにお目にかゝることが多いが、このトップ10の圏外である(第11位にランクイン)。一方、私は普段、楽天で買ひ物をしたことがまつたくないので、楽天ブログにお目にかゝることは滅多にない。
 日本のネット上にもいろんな世界があつて、人によつて、見てゐる世界はだいぶ違ふのだらう。

 以下、ブログサービス別ごとの私の勝手なイメージ。(かなり偏見)。

 アメブロは芸能好きが多さう。
 FC2は何でもありさう。
 Yahoo!は初心者が多さう。
 livedoorは2ch系の人が多さう。
 JUGEMは趣味系の人が多さう。
 Seesaaとgooは古くからブログをやつてる人が多さう。
 ヤプログ!は若い女性が多さう。
 楽天は主婦とアフィリエイターが多さう。
 ココログは中高年が多さう。
 はてなはギークが多さう。

 すべて悪口ではないので、あしからず。

 ブログの魅力はどこにあるか、と問はれゝば、「140字では書き切れないことが書けます」と。

ブログは思い出媒体として最適か

国内ブログ総数は1690万、8割以上は更新されず(7/4 ITmedia News)
総務省・情報通信政策研究所がこのほど発表した国内のブログに関する調査によると、今年1月現在、ネット上で公開されている国内ブログの総数は1690万で、1カ月に1回以上記事が更新されているアクティブなブログはそのうち約300万と、約18%に過ぎなかった。


 日本国内に1600万以上ものブログがあることが驚きだが、その内、アクティブなブログは2割弱といふのも驚き。いや、別の調査で、日本のブログの4割はスパムブログといふ報告があるから、それを併せ考へれば、それほど驚くことでもないか。

 かうした更新されてゐないブログを、休火山、死火山に擬へると、長期間更新を休んでゐるブログは「休ブログ」、完全に更新をストップしてしまつたブログは「死ブログ」と言へるだらう。そんな休ブログや死ブログの行方が気になる。今はまだ、日本にブログが普及してから4年ほどしか経つてゐないからいいが、これがあと20年、40年経つた時には、ネット上で大量の「死ブログ問題」が発生するのではないだらうか。国内ブログのデータ総量だけで42テラバイトもあるさうだから、これは無視できない問題だ。
 ほとんどの死ブログは、ネットの墓場に誰知ることなく葬られていくだらう。しかしそれは完全に消去されるわけではなく、どこかに記録を残してゐる。それは現実社会で、人が死んだときに、墓石が建てられるのと同じだ。

 その記録がもし未来の人によつて振り返られるときに、はたしてブログといふ形態は、最適な形態なのだらうか。
 私は、ブログといふものは、書籍の世界に譬へると雑誌のやうなものだと思ふ。常にその時々で最新号しか注目されない。どんなに過去の号に良い記事を書いてゐても、バックナンバーの号まで取り寄せて読んでくれる人は少ない。
 その点、従来型のホームページは、単行本だ。割と古い本、つまり古い記事でも読んでもらへる。
 ホームページ(従来型)は、そこに価値あるコンテンツが置いてあれば、なんとなく更新されてゐなくても許されるやうな気がする。私は、実際、そのやうにして便利に使つてゐるホームページがいくつかある。だが、ブログは更新することに一つの大きな価値がある。読者も常に新しい情報を求めてゐる。

 長い目で見れば、今はまだ、ブログ興隆期といつてよい。ブログが普及して4年しか経つてゐないのだから。だが、今後、死ブログが続々と出てくるであらう未来を考へると、私たちはCMSとしてのブログを少し見直さなければいけないのではないか。
 何年後かにブログブームが一段落したときに、従来型のホームページのやうな在り様が、再び脚光を浴びるかもしれない。

 記録媒体、といふより、一人の人間の思ひ出媒体として、ブログがどの程度適してゐるのか。
 ブロガーは、死ぬ前にブログを書籍化するべきだと思ふ。それが間に合へばその人にとつてブログは適してゐた、と少しは言へると思ふ。