暫定龍吟録

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日本の格差問題とは何か

 日本において「格差問題」と言う時、それは何の格差を問題にしているのだろうか。
 日本は格差が大きい格差社会なのか、それとも格差のない(格差が小さい)社会なのだろうか。
 私たち日本人は英米の格差の概念をそのまま踏襲するあまり、“日本の”格差問題を見落として来たのではないか。そしてその「日本の格差問題」とは「世代間格差」ではないだろうか。


日本は格差が小さい理想の国?

 以下の動画は、イギリスの経済学者、公衆衛生学者のリチャード・ウィルキンソンが2011年にTEDで行なった「いかに経済格差が社会に支障をきたすか」という講演である。

リチャード・ウィルキンソン 「いかに経済格差が社会に支障をきたすか」 | Video on TED.com


(YouTube版はこちら

 この講演では、格差の大きい社会ほど様々な深刻な社会問題が発生するということを幾つものデータを駆使して説明している。
 ここで言う深刻な社会問題とは、寿命、生徒の数学と国語の点数、幼児死亡率、殺人、投獄、十代の妊娠、信頼、肥満、精神病、中毒症、社会流動性などである。

 そしてこの動画で紹介されるグラフデータの中には、何度も日本が一番端っこの目立つところに登場する。
 日本は、北欧とともに「格差の小さい国」として紹介されている。日本や北欧のような格差の小さい国では、殺人も精神病も少ない、と。リチャード・ウィルキンソンは「アメリカンドリームを実現したかったらデンマークに住むべきだ」と半分以上本気の冗談を言っている。

 スウェーデンのような「高税金高福祉社会」か。それともアメリカのような競争原理を中心とした「自由主義社会」か。その二択しかないように思われているが、日本のように基本的にはアメリカ型の社会でありながら、格差が小さい国もある。
 この動画を見ていると、日本は理想的な国、と言われているような気がする。

 そしてどのグラフでも日本や北欧と対極に位置しているのが、アメリカとイギリスである。これらの国は非常に格差が大きく、殺人や精神病も多い。そこに明確な関連性がある、とリチャード・ウィルキンソンは言う。


アメリカやイギリスにおける格差とは

 私はアメリカにもイギリスにも住んだことがないので実感としては分からないのだが、テレビやネットを見ていると、どうも彼らの言う富裕層と貧困層の格差というのは、私が日本に住んで感じているそれとは、だいぶ違うのではないかという気がしている。

 例えば、ネットで見かけた次のような話。

外国からやって来てある程度、日本の社会を知った人々が驚くのは、日本では貧富の格差がそれほど大きくなく、人々がほとんど同じような暮らしを営んでいるということだという。日本以外の国々では貧富の差が非常に激しく、金持ちの暮らす場所と貧困者が暮らす場所は明確に分かれている場合が多い。

しかも、両者の環境はまったく異なっているという。富裕層が暮らす市街は清潔で治安もよい。逆に貧しい人々が暮らす街は不潔で、治安も悪いことが多い。日本にも、山の手と下町の呼び方はある。私も東京の下町に暮らしている。しかし、だから自分が下層だとコンプレクッスに陥ることはない。下町に住んでいる富裕層もたくさんいる。しかも、どちらに住んでいようと、安心して住める。下町の方がより危険だと感じたことは、もちろん私もない。

外国人がもっと驚くのは、山の手の人間が下町に、下町の人間が山の手に自由に往来できることだという。そんなことを指摘されると逆に日本人の私たちが驚いてしまう。日本以外の国々では、必ずしもそうではないらしい。

ある外国人はいう。「日本では、金持ちも庶民も同じ商店街で買い物をし、気軽に言葉を交し合っている。そこには、欧米のような階級社会はないのだと知った。それは‥‥‥、まさにユートピアの一つの形であると感じた。」
マンガは世界にどう広がっているか04 - クールジャパン★Cool Japan



 欧米、その中でも特にイギリスやアメリカの社会には、富裕層と貧困層の間にこうした“厳然たる格差”があるのではないだろうか。

 以前、NHKでイギリスの貧困層が暮らす街の人々が合唱を通じて「私たちみたいな人間だってやればできるんだ!」と元気と自信を取り戻す、みたいな番組をやっていたが、あれも見ていて違和感を持った。
 日本の感覚では、個人的に音符が読めないとか歌が苦手という人はいるだろうが、音符が読めない「街」とか「階層」が存在するわけではない。


外来語に依ってきた「格差」の理解

 つまり、イギリスやアメリカにはその風土に特有の格差が存在している。
 日本は百年近くにわたって、「ブルジョワ」、「プロレタリア」、「ホワイトカラー」、「ブルーカラー」という外来語によって格差問題を解釈してきた。
 イギリスやアメリカで使われていた言葉をそのまま日本の社会に当て嵌めて解釈しようとした。
 そこに少し無理があったのではないか。
 日本では「あの家はブルーカラー」などという偏見はおそらく英米のようには存在しない。誰々ちゃんのパパが会社員であれ肉体労働者であれ、みんな別け隔てなく遊んでいる。

 先日、次のような興味深い指摘を見かけた。

先日からYahooと若者マニフェスト策定委員会が共同で衆院選候補者向け
アンケートを実施しているのだが、非常に興味深い結果が出ている。

世代間格差アンケート結果

問1.世代間格差についてどう考えますか。
<参考>
内閣府の試算だと、60歳以上の世代は約5000万円の受益超過である一方、
20歳未満を含む将来世代は約5000万円の負担超過との推計がある。

という質問に対して「世代間格差は問題ない」と6割超の候補者が回答したのが
なんと日本共産党である。もちろんぶっちぎりのワースト第一位だ。
結論から言うと、日本共産党は高齢者優遇、若者見殺し政党と言っても過言ではない。
Joe's Labo : 共産党候補の6割超が「世代間格差は問題ない」というスタンス!



 このアンケート結果が信頼できるものだとすると、「弱者に優しい」イメージのある共産党がなぜこんな結果なのか。
 それは左派の人たちは「ブルジョワvs.プロレタリア」という見方に囚われすぎて他の格差問題が見えにくくなっているからではないか。


世代間格差こそ日本の大きな格差問題ではないか

 世代間格差の問題を言うと、「徒(いたずら)に世代間対立を煽るな」という批判が必ずある。

 その前にここで言う「世代」という言葉の意味を整理しておきたい。

 私が言う「世代」とは、「老人世代vs.若者世代」というようなものではない。

 このような使い方なら、「老人だって若かった頃は当時の老人たちから『いまどきの若いモンは』と言われてたんだ」とか「老害って言ってる今の若い人たちだってあと数十年もすれば自分たちが老害って呼ばれるようになるんだ」、「だからお互い様だよ」、「人生は順繰り」などといった言葉で宥められてしまう。

 なので、私が言う「世代」とは生年によるものである。「老人世代」、「若者世代」、「アラフォー世代」など経年によって構成員が入れ替わるものではなく、「大正世代」、「昭和一桁世代」、「団塊世代」、「バブル世代」、「ゆとり世代」など、生年によって固定されているものである。

 私はこの意味における世代間格差の問題を言うことは決して徒なことではないと思う。

 日本における世代間格差の問題について、例えば、総合研究開発機構主任研究員の島澤諭氏は次のように指摘している。

 国際的に世代間格差の大きさを見てみると、アメリカ51%、ドイツ92%、イタリア132%、フランス47%、スウェーデン▲22%、ノルウェー63%、カナダ0%、オーストラリア32%、タイ▲88%、アルゼンチン59%などとなっているのに対し、日本は209%である。わが国の世代間格差は、諸外国には例のない異常な水準であり、世界一深刻であることが確認できる。

 しかも、先日筆者らが行った研究(「社会保障制度を通じた世代間利害対立の克服-シルバー民主主義を超えて-」NIRAモノグラフシリーズNo.34)によると、将来世代に関しては生涯所得の半分近く、実に48.4%の純負担を負わなければならず、将来世代の生活は生まれる前から実質的に破綻していることが明らかになっている。
労働問題における世代間格差 「仕事を選り好む」「堪え性がない」 若者批判の矛盾  WEDGE Infinity(ウェッジ)



 また、フリーライターの西川敦子氏は次のように書いている。

 アメリカの経済学者、アゥアバアックとコトリフは、世界17ヵ国を対象に社会保障、公共事業、教育などについて、人々が負担する額と得られる恩恵の差を調べた。世代ごとの違いを見てみると、もっともアンバランスだったのは日本。不均衡率(世代間のアンバランスさの割合)は169.3%で、アメリカ(51.1%)の3倍以上にも及んでいた。
世代間格差大国・日本で若者の財布が狙われている! 消費税20%、年金保険料25%を抜き取られる未来|人口減少 ニッポンの未来|ダイヤモンド・オンライン



 年金制度の崩壊などが問題になっている。一人の人間が生涯に負担する額と受給する額が世代によって大きな差があることも指摘されている。

 なぜこうした問題が日本において顕著なのか。それは、日本が世界でも最先端の「少子高齢化」の国だからである。年金制度は昔の時代の「老人の数は少なく子供の数は多い」という人口ピラミッドを前提にして作られた制度だから現代に適合しなくなっている。

 しかし、日本において世代間格差が深刻なのはもう一つ理由がある。それは日本社会の「一発主義」である。

 人生における三大節目、受験、就職、結婚のうち、特に受験と就職は時代の影響を強く受ける仕組みになっている。

 日本ではほとんどの人が18歳で大学受験をし、22歳(または18歳)で就職する。
 受験に関しては、自分の世代が子供の数が多かったか少なかったかによって倍率が変わり、ラッキー世代とアンラッキー世代が生まれる。就職に関しては自分が22歳の時に日本の景気が良かったか悪かったかでラッキー世代とアンラッキー世代の差が生じる。

 アメリカの大学は入学よりも卒業が難しいと言われるが、日本は逆で18歳の時の一発の入学試験に失敗してしまったら、もう挽回できない。
 就職にしても、日本のほとんどの企業は新卒一括採用主義をとっており、22歳の時のチャンスを逃したら、もう一生フリーターかニート確定である。

 また結婚に関しても、上記引用文中の数字を見るかぎり、日本やイタリアのような世代間格差が大きい国ほど結婚できない人が多い、ということに気づく。だが、この関連性についてはもう少し調べてみないと分からない。


まとめ

 上掲のリチャード・ウィルキンソンの講演では、ひとつ肝腎な「格差」が抜け落ちている。
 それは、世代間格差である。

 ウィルキンソンのTED動画を見るかぎり、日本は世界に誇れる「格差の小さい理想的な国」に思える。しかし、視点を変えて「世代間格差」という点に注目するならば、日本は世界でも最大の「格差大国」である。

 ウィルキンソンは「社会流動性」を取り上げているが、これは「世代を超えて受け継がれる家柄間の格差」という意味であって「世代間格差」とはちょっと違う。
 「裕福な父親の子供は裕福に」という問題をウィルキンソンが取り上げているのは、富裕層や貧困層という問題がイギリス人のウィルキンソンにとって身近で大きな問題だからだ。

 日本では世代間格差の問題が大きな格差問題である。私たち日本人はこの問題をもっと直視していかなければならないし、少子高齢化の最先進国だからこそ、この問題について世界に発信していくこともできる。


 ただ、私はこの記事をもって「だから日本には富裕層と貧困層の間の問題など存在しないのだ」、「日本には貧困問題なんてないのだ」「あったとしても外国に比べたら大したことないのだ」などと言うつもりはない。

 団塊世代より上の世代の人たちが「そうは言っても、やっぱり今の若い人は自分達が若かった頃に比べれば物も溢れているし、不幸だとは思わない。アフリカやアジアの人たちに比べればずっと豊かで恵まれているだろう」と言うのは間違いなのである。

 なんで、あいつばかりイケメンで仕事ができて女の子にモテるんだろう、と会社という小さな社会の中でさえ、人は「格差」を感じている。

 格差は相対的に感じるものだ。
 ウィルキンソンも上掲の講演の中でそう言っている。

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