暫定龍吟録

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「石原構想」と日中関係

 ここ一週間ほど、中国全土で激しい反日デモが繰り広げられた。
 日本政府による尖閣諸島の国有化に対する活動である。
 9月18日には紅客集団が日本へのサイバー攻撃をしかけるという話も聞く。

 9月18日は、今から81年前に柳条湖事件があった日だ。

 中国人が聯想するであろう二人の「石原」という名前の日本人。
 すなわち、1931年柳条湖事件のきっかけである石原莞爾と、2012年尖閣反日デモのきっかけである石原慎太郎。
 私はこの二人に共通点を見る。

 石原莞爾には「世界最終戦論」という壮大な構想があった。柳条湖事件は石原にとってそこに至る最初の一歩に過ぎなかったが、結果的にはこれが端緒となって満州事変、日中戦争へと繫がることになる。

 しかし、大杉一雄『日中十五年戦争史』によれば、「満州事変後の軍部に日本の大陸政策はいかにあるべきかという明確なグランド・デザインがなく」、「満州事変という国家的プロジェクトは、国全体の統一された意志として企画・遂行されたものではなく、石原を中心とする関東軍の恣意的な独走によって起こされた」ものだった。

 今2012年の状況はまさにこの時(1931年)に似ている。日本政府は対中国政策はいかにあるべきかという明確なグランド・デザインがなく、石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島を都の所有にすると言ったら、「それじゃあ、国有化する」と言って国有化した。

 関東軍(東京都)という言わば日本の一地方のトップ(級)である「石原」が一人で勝手に壮大な「構想」を描きそれを着々と実行に移し、日本政府がそれを制御しきれていないという点が似ている。

 大杉一雄は1931年のそれを「石原現象」と呼んでいる。(当時「石原現象」と呼ばれていたわけではない。)
 今で言えば「橋下現象」などが似ているかもしれない。

 日本国民は、わかりやすくて、強気で、実行力があるリーダーを支持する。
 「独走」とか「暴走」とか言っても、分かりやすくて強気な「石原」には国民の人気と支持がある。橋下流に言うならばそれが「民意」だ。

 だが、戦いや争いというのは、石原莞爾が思い描いていたような、「東洋の雄日本と西洋の雄米国が最終決戦をする」などという単純なものではない。もっと多くの国・地域・人々の利害関係が複雑に絡み合ったものだ。そしてそうして始まった日中戦争が、結局は日中双方に多大な被害を齎したこともまた歴史に知るところだ。

 舵をしっかり握っていないと、時々船は思わぬ方向に進んでしまう。
 柳条湖事件は「事件」というほどの事件ではなかった。爆破事件と言っても被害者は誰もいなかった。そんな小さなことから日中関係は大きく暗転して行ったのだ。


 ところで、「反日」によく似た言葉に「排日」がある。
 81年前は「排日」だった。今は「反日」。

 今、中国は「反日」が「排日」にならないように気をつけている。
 「排日」になってしまったらもう中国は駄目だ。あくまでそれが「反日」である限りにおいて中国政府は許容している。
 尖閣問題は中国にとっては一つの試金石でもある。



 今回の記事では、石原慎太郎との比較に焦点を絞るため、石原莞爾の戦後の平和に対する思想については、特に深く言及していない。

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日中韓、碁風の違いから見る領土問題

 日本と中国、韓国の間で領土問題が再燃している。

 この8月の一聯の騒動を見ていて、私は日本と中国、韓国の碁風の違いを思った。

 囲碁は日本と中国と韓国でメジャーなゲームである。ルールもほぼ同じなので、よくこの3カ国を中心とした国際大会も開かれている。

 将棋は相手の王様の首を狙う「戦争ゲーム」だが、囲碁は「陣地取りゲーム」である。陣地(領土)をより広く取ったほうが勝ちというゲームなので、まさに「領土ゲーム」と言える。

 この「領土ゲーム」を考えることが領土問題を考えるヒントになるのではないか。


囲碁で負け続ける日本

 この囲碁の世界で日本は近年、中韓に負け続けている。

 例えば昨年2011年まで世界囲碁選手権富士通杯というのが開かれていたが、2000年以降の優勝・準優勝者を国別に上げると次のようになる。


優勝準優勝
2000年韓国中国
2001年韓国韓国
2002年韓国韓国
2003年韓国韓国
2004年韓国日本
2005年韓国韓国
2006年韓国中国
2007年韓国韓国
2008年中国韓国
2009年韓国韓国
2010年中国韓国
2011年韓国中国

 また、2010年のアジア競技大会の囲碁競技における成績は次の通りである。


金メダル銀メダル銅メダル
男女ペア碁韓国中国韓国
男子団体戦韓国中国日本
女子団体戦韓国中国中華台北

 ご覧のように中国と韓国の二占である。
 これらの大会には各国のトッププロ棋士が参加し、日本からも名人や本因坊など一流のトップ棋士が参加しているのだが、優勝はおろか、ベスト4に入ることすらもほとんどできない状況である。他の国際棋戦でも同様である。
 領土取りゲームでずっと中国、韓国に負け続けているのである。


碁風の違いから探る日本の弱さ

 なぜ、日本は弱いのか。

 それは、一つには競技人口の差というのがある。日本では囲碁と言えば老人の趣味みたいなおもむきがあるが、中国・韓国では子どもの頃からたくさんの人が囲碁に親しんでいる。裾野が広いのである。

 しかしそれにしても日本は弱い。競技人口の差を差し引いて考えても弱すぎるのではないか。

 日本と中国・韓国の間にはよく“碁風”の違いがあると言われる。

 「厚み」重視と「実利」重視の違いというのがあって、囲碁を打たない人にそれを説明するのは難しいが、簡単に言うと「厚み重視」とは盤面全体を重視するのに対して、「実利重視」というのは細かいポイントを重視することである。

 日本の棋士は「厚み重視」の人が多く、中韓の棋士は「実利重視」の人が多いと言われる。

 ところで、囲碁というのは将棋と違って終局が難しいゲームである。将棋の場合は、どちらかの王様が詰んだら(逃げ場所がなくなったら)負けなので、ゲームの終わりははっきりしている。それに対して囲碁はゲームの終わりが複雑で曖昧なところがある。
 最後まで領土の境界線が曖昧なところが残るので、その境界線の確定作業(終局作業)をし、そのあと整地作業をして、ようやくゲーム終了となる。
 つまり囲碁というゲームは、両対局者が協力してゲームを終わらせないといつまでたっても終わらないのである。

 問題は、激しい戦いから終局作業に移行する瞬間である。普通は、それまで激しい戦いを繰り広げていた両対局者が、もう大体勝負は終わったなと思ったら、お互いに目で合図するなどして終局作業に移る。

 しかし「実利に辛い」と言われる中韓の棋士は最後までポイントを稼ごうと思っている時、「まだ勝負は終わっていない」と思っている場合がある。日本の棋士が「もう勝負は終わった」と思い終局作業に入り緩い手を打ったらまだゲームを続けて厳しい手を打っていた相手の棋士に石を取られて逆転負けを喫することもある。


 日本の棋士は、過去にはずっと日本の棋士だけを相手に戦い、日本人同士「阿吽の呼吸」でお互いに終局作業に入ることができていた。
 しかし十数年ほど前から国際交流が盛んになって実利に辛い中韓の棋士たちと戦うようになって特に終盤で勝てなくなった。

 日本の囲碁は伝統的に「布石」と呼ばれる序盤の研究は盛んだったが、「詰め」とか「寄せ」と呼ばれる終盤が弱かった。「詰めが甘い」のである。

 尖閣諸島や竹島を巡る領土問題を見ていると、まさにこうした囲碁界における特徴、日本と中韓の違いがよく表れていると感じる。

 日本は「大局的見地に立って」領土問題を解決していこう、と言っている。囲碁の世界で言う「大局観」である。
 日本は領土問題というゲームは日本と相手国が協力してお互いに落とし所、妥協点を見つけて何とか終局に持って行くものだと思っている。そうしないといつまでたっても終わらないじゃないか、と思っている。

 しかし中韓は、領土問題というゲームはまだ終わっていないと思っている。まだ戦いは終わっていないのであり、竹島の接岸工事や大統領の訪問といったことも、実利(実効支配)を重視したポイント稼ぎである。

 日本は韓国に対して「ICJ(国際司法裁判所)で決着をつけようじゃないか」と言って歴史的正当性だけ主張できれば勝てるように思っているけれども、「詰めが甘い」日本が果たして本当に勝てるのかどうか心配である。

 日本は歴史的大局、あるいは国際法的、政治的大局に立って正当性を主張しているが、韓国は小さなポイントを着実にたくさん積み重ねているのである。


ルールの違いから見る領土の捉え方

 今までの話はどちらかと言えば韓国を念頭に置いた話だが、ここからは中国の話。

 日本と中国では、囲碁のルールが少しだけ違う。

 日本では石の線で囲ったところが自分の陣地であり、その陣地が広かった方が勝ちである。
 中国ではそれに加えて置いた石の数も得点に入る。

 このルールの違いによって勝敗が変わってくることはほとんどないのだが、そのルールの違いから囲碁に対する考え方が若干異なっているように思う。

 先日、内田樹氏のこんな記事を読んだ。


 領土問題は終わらない (内田樹の研究室)

彼らに「国境」という概念(があるとすれば)それは私たちの国境概念とはずいぶん違うものではないか

国境付近の帰属のはっきりしない土地については、それが「あいまい」であることを中国人はあまり苦にしない

華夷秩序では、中華皇帝から同心円的に拡がる「王化の光」は拡がるについて光量を失い、フェイドアウトする。だんだん中華の光が及ばない地域になってゆく。だが、「ここから先は暗闇」というデジタルな境界線があるわけではない。


 この内田氏の説に従ってみるならば、中国の碁における碁石は「中華」である。碁石(中華)がどこまでも生きていったところまでが「領土」である。

 一方、日本の囲碁は碁石の線で囲ったところまでが自国の領土である。

 囲碁のルールの違いというこんなところにも日本と中国の領土に対する見方、考え方の違いが表れているように思える。

 (因みに韓国の碁は日本ルール。)


最後に

 「碁風」は当然ながら個人差が大きく、日本、中国、韓国の棋士がそれぞれ全員同じというわけではない。また、この記事では「中韓」と言っているけれども、実際には中国と韓国の碁はまた少し違うところもある。それに尖閣諸島の問題と竹島の問題は同じ「領土問題」と言っても問題の質が違う。

 そうした点も踏まえて、この記事は一つの仮説として楽しんでいただきたい。

中国ネット掲示板の翻訳は日中相互理解に寄与するか

 迷路人氏(安田峰俊)の『中国人の本音』を読む。

中国人の本音 中華ネット掲示板を読んでみた中国人の本音 中華ネット掲示板を読んでみた
(2010/04/20)
安田 峰俊

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 私はこの人のブログ「大陸浪人のススメ ~迷宮旅社別館~」をかなり前から知ってゐる。

 このブログは、中国のネット掲示板を2ch風に翻訳してゐるものだ。初めは意味が分からなかった。なぜ2ch風なのか。迷路人氏は2chが好きなのか?私は、2ch=ネット右翼=反中、といふイメージがあったので、迷路人氏のスタンスが分からなかった。
 しかし迷路人氏はどう見ても中国語には堪能だし、中国のことについても詳しいし、中国嫌ひだとは思へない。それをわざわざ反中な人が多い2chの体裁で書くのにはどういった意図があるのか?普通に訳せばいい、何も2ch風に訳す必要はまったくない、さう思ってた。

 しかしこのブログを読むに連れて、そしてまたこの度、そのブログを元にした書籍『中国人の本音』を読んでみて、何となく迷路人氏の意図が分かったやうな気がした。
 普通に訳しても誰にも読まれない。あへて2ch風に訳すことで、偏狭なナショナリズムに凝り固まった2chねらーたちに、中国の若者たちも自分たちと同じやうな感性を持ってゐるといふことを知らせたかったのではないだらうか。

 NAVERといふ韓国IT企業のネットサービスが最近、日本で人気が出てゐる。検索エンジンはまだまだ人気がないが、NAVERまとめNドライブといったサービスが評判が良い。
 ところで、このNAVERが昔、日韓翻訳掲示板といふサービスを提供してゐた。私がそれを見たのはもう5年以上前、2000年代前半の頃のことである。NAVERはおそらく、若者同士の日韓友好を促進する目的でこのサービスを始めたのかもしれないが、実際、中を覗いて見ると、そこは罵倒、嘲笑合戦の場だった。もう荒れに荒れまくってゐて、こんな掲示板は早く閉鎖した方がいいのでは、と思った。
 言語の壁を越えて翻訳することが必ずしも相互理解には繋がらない、と痛感した例だった。

 しかし管理されてゐない掲示板と、迷路人氏といふ管理人がゐるブログとは違ふ。管理されてゐなければ、もちろん荒れる可能性は高いだらう。
 迷路人氏は独特のバランス感覚を持ってゐる。中国を必要以上に良く言ふわけでも悪く言ふわけでもない。中国の良いところも悪いところもバランスよく紹介する。といふか、中国のネットの世界をありのまゝに紹介するやう、努めてゐるやうだ。

 面白いのは「2ch看日本」といふ、「大陸浪人のススメ」と対の関係をなすブログが中国にも存在するといふことだ。このブログは日本の2chを中国語に翻訳して中国人に紹介してゐる。そしてこのブログの管理人の中国人と迷路人氏は知り合ひなのださうだ。
 2chの文章を中国に中国語で紹介する意義は大きい。2chが日本のネット文化だ、と言ったら言ひ過ぎだが、大きな一角であることは間違ひない。
 ともに、それぞれの国の代表的なネット掲示板を翻訳してゐるのが特徴である。翻訳ブログといふのは他にも存在するので、決してこの二つのブログが日本と中国をそれぞれ代表してゐるわけではないが、しかしこの両ブログの人気ぶりを考へれば、この両ブログがそれぞれの国の若者に与へてゐる影響はそれほど小さいものではないだらう。

 たしかにかうしたブログを読むと、中国人に対するイメージが変はることもある。今まで日本の(日本語圏の)ネット社会しか知らなかった者にとっては、世界が拡がるといふことにもなる。
 これから日中の両国語を解する人が増えていけば、かうした翻訳ブログも増えていくだらう。
 たゞ、その時に一つ心配なのは、恣意的な翻訳、あるいは紹介がなされる虞だ。つまり、今いくつかある2chのまとめブログのやうに、管理人が自分のイデオロギーや嗜好によって、特定の思想傾向の意見ばかりをピックアップしたり、気に入らない意見は意図的に排除したりする編輯がなされる心配だ。
 ほとんどの日本人は中国語は解らないから、元スレを辿って確認するなんてこともできない。翻訳ブログの管理人が翻訳して載せてくれてゐる内容をそのまゝ信じるしかない。
 つまり、ほんの一部の語学能力を有する者が国レベルでの情報操作を行ったら恐ろしいだらうと思ふのだ。中国の掲示板の中から反日的な発言ばかりをチョイスして紹介したら、それを見た日本の若者は中国人は皆反日的である、と思ってしまふかもしれない。

 この本を読んで、さまざまな現代中国のネット事情などを知ることができて興味深かった。特に「憤青」と呼ばれる愛国主義的な若者たちの存在は、いろいろと考へさせられる。日本の「ネット右翼」、韓国の「ネチズン(あるいはVANK)」とどこが共通してゐてどこが違ふだらう。「80后」との関係は?「憤青」はこれからますます増えていくのか、それとも一時代的なものなのか。

 「イマドキ」の「リアル」な中国人の本音に興味がある人には格好の一冊だと思ふ。中国あるいは中国人に対するイメージが少しは変はるかもしれない。

 これからの時代、日中の相互理解は進むと思ひますか?




北京オリンピックはもう大成功?

 8月の北京オリンピックに向けて、良くも悪くも中国の注目度が高まつてゐる。

 オリンピックの聖火リレーが世界各地で妨碍に遇つてゐる。聖火を奪はうとしたり、火を消さうとしたり。かうした行為は中国に対する抗議活動の一環であり、妨碍を行ふ人たちは、大体「フリーチベット!(チベットに自由を)」と叫んでゐる。

 私はかうした妨碍活動をテレビなどで見てゐて、少しく違和感を感じた。
 チベットの独立を巡る問題は、昔からある問題である。それは昨日今日に始まつた問題ではない。だが、「フリーチベット」といふ言葉は、ほとんど今年になつてから一斉に耳にするやうになつた言葉だ。「フリーチベット」を言ふ多くの人たちは、まるで今年になつてから急にこの問題に関心を持つたかのやうである。かういふ人たちは本当にチベットの問題に関心があるのだらうか。

 私は、中国を擁護するつもりではない。京都議定書に参加せず、環境問題を省みないで経済優先の道を突つ走つてゐる中国を私もまた苦々しく思つてゐる。
 だが、この問題は、猛烈な勢ひで経済発展を遂げる中国に対するバッシングなのではないかと思つた。つまりは「中国」の問題なのだ。人々が関心があるのはチベットの政治や宗教の問題ではないのだ。人々は「中国」を問題にしてゐる。

 かつて日本がバブルの時代に世界一の経済大国になつたときも、米国をはじめとする諸外国から随分、バッシングされた。「出ようとする杭は打たれる」のか。今の中国が世界中から叩かれるのは、その時の日本と同じやうな理由だといふ気がする。そして中国は良くも悪くも“目立ちすぎる”大国になつてきたことだけは間違ひない。だからこれだけ世界中から注目を浴びてゐるのだ。

 聖火リレーは、1936年のベルリンオリンピックから行はれてゐる70年以上の歴史がある伝統的なイベントだが、かつてこれほどまでに聖火リレーが注目されたオリンピックがあつただらうか。今までのオリンピックでもずつと聖火リレーは行はれてゐたけれども、どんなコースを走り、今、世界のどこを走つてゐるところか、なんて誰も興味を持つてゐなかつた。
 それが今回は、聖火リレーがどんなコースを走るかが全世界的に注目され、今、世界のどこを走つてゐるかといふ情報がまるでインターネット中継を見るかのやうに世界中の人々に共有されてゐる。世界中の人々が息を合はせて、自国に聖火がやつて来たタイミングで抗議活動を行つてゐる。
 つまり、皮肉にも、これほどまでに世界の人々が息を揃へたことは、かつて無かつたのだ。何と言つても、世界中が聖火リレーが自国にやつて来るのを今か今かと待ち構へてゐる雰囲気がある。

 中国にとつては皮肉のやうだが、これはオリンピックのプロモーションとしては、一面としては大成功と見ることもできる。もちろん、オリンピックの精神が平和であることから考へれば、このやうな妨碍活動が起こることは決して好ましいものではない。だが、この「目立ちすぎる大国」を対象にして、世界が一体感を強めてゐる。この雰囲気は北京オリンピックが終はるまでは続くだらう。

 中国が日本と違ふところは、世界中から叩かれてもさう簡単に折れるやうな小国ではない、といふところだ。


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