暫定龍吟録

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イージス艦衝突事故に思う

 海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」が衝突した事故。行方不明になつてゐる吉清さん親子は今日現在、まだ見つかつてゐない。

 先日、テレビのニュースで漁協の仲間の人が言つてゐた言葉が印象的だつた。

 「体の大きな船はさう簡単に曲がれない。だから衝突しさうになつたら小さい船の方が避けてくれると思つてゐる。こゝらへんの海には自衛隊の船は多い。だからウチらもぶつかりさうになることはしよつちゆうある。」

 これは、実にポイントを射た発言であると思ふ。今回の事故はまさに氷山の一角といふわけだ。
 そして、この発言がかなり正しいものであつたことが今日のニュースで証明された。今日のNHKのニュースが伝へるところによれば、イージス艦の乗組員は「漁船の方が避けてくれると思つた」と述べた、といふ。

 私は日ごろ道を歩いてゐて思ふことがある。
 それは、トラックやワゴン車やワンボックスカーなどの大型車が狭い道に入つて来たときに、私たち歩行者が避けるからこそ、クルマはその道を通れてゐるのだといふこと。私もよく、クルマ一台がぎりぎり通れるやうな細い道でクルマに出くはしたときに、しかたないので脇に避けてクルマを通すことがある。ところが、脇に避けて待機してゐる歩行者の私に、一礼もしないで通り過ぎて行くドライバーのなんと多いことか。まるでクルマが優先するのは当然であると言はんばかりである。イージス艦に乗つてゐた自衛隊員たちの意識もおそらくこのやうなものだつたのではあるまいか。
 実際、クルマ社会における交通事故は、多くの場合、歩行者がクルマを避けることによつて防がれてゐる。もし、世界中の歩行者がクルマを避ける行動をまつたくとらないと仮定したら、たぶん交通事故は今の何倍も起こつてゐるはずだ。

 また、最近、夜間に、ライトが点滅するタイプの自転車をよく見かけるやうになつた。今までは常時点灯してゐるタイプのものが多かつた。
 これは一つのことを暗示してゐるやうに思ふ。すなはち、それは、自転車のライトは、道を照らし歩行者をよく見えるやうにするためのライトではない、といふことだ。もし道を照らすためなら、常時点灯してゐた方がよく見えるはずだ。さうではなく、このライトは自転車の存在を歩行者に知らしめるためのライト、歩行者から自転車がよく見えるやうにするためのライトなのだ。だから、注意を促すためにチカチカと点滅してゐる。
 つまり、こゝにあるのは、自転車が歩行者に注意するのではなく、歩行者が自転車に注意せよ、といふ思想である。

 こゝに、クルマ社会やイージス艦に共通の思想を感じる。巨大なイージス艦が小さな漁船に注意するのではなく、小さな漁船が巨大なイージス艦に注意せよ、と。

 私は、だが、イージス艦の乗組員の不注意を責めるつもりはない。どんなに注意してゐたとしても、確率的に考へれば、偶には事故は発生するものだ。
 むしろ私が問ひたいのは、海は誰のものなのか、といふことだ。漁協の仲間の人は、「自衛隊の船が多すぎて、ぶつかりさうになることがしよつちゆうある」と言つてゐた。海は自衛隊のものなのか。道路はクルマのためのものなのか。数が多ければ、注意力に関はらず、確率的に事故の発生率は高くなる。公共の空間に大きいものの数が多すぎる、といふことは、考へなければいけない重要な問題である。

 この事故に関聯してもう一つ言ひたいことは、「大きい」といふことは、もうそれだけで少し罪なのだ、といふこと。大きい乗り物は衝突したときに小さな相手に必ず勝つてしまふ。小さな相手を傷つけてしまふ。この凶器はしかし、その巨体ゆゑに衝突を回避するために「簡単に曲がれない」。さうであるがゆゑに、大きい乗り物の運転手は意識や態度まで「大きく」なつてしまふ。

 今回の海上自衛隊イージス艦の事故を聞いて思つたのはそんなことだ。船にしろクルマにしろバイクにしろ航空機にしろ、大きい乗り物を運転するものは皆、心しておくべきことである。 
 


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