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果たせなかった仏教界改革 -清沢満之生誕150年-


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(via清澤満之記念館

 今から100年余り前、落ちぶれた日本の仏教界を改革しようとした一人の青年がいた。
 その人の名は清沢満之。
 今日は清沢満之が生まれてからちょうど150年の日。また、今年2013年は没後110年でもある。

 宗教思想家、仏教活動家として明治時代を生きた清沢満之は、現代ではあまりその名を知られていない。

 私は幼い頃から清沢満之の名前を知っていた。
 清沢満之の高弟に暁烏敏という人がいるのだが、私の大伯母がその暁烏敏の秘書みたいなことをやっていたので、子供の頃から清沢満之の名は聞かされていた。
 だが、どんな人なのかとか、そういうことはまったく知らず、清沢満之の著作を読んだのも大学生になってからだった。

 大学生の時に、清沢満之の代表的著作である『精神主義』や『宗教哲学骸骨』、『他力門哲学骸骨』等を読んだ。
 その時の感想は「よくわからない」であり、特に魅かれるところも共感するところもなかった。

 今あらためて読み返してみても、やはり興味をそそるところがなかったので、自分が成長していないのか。

 だが私の興味は、こうした哲学的著作よりも満之が精力的に取り組んだ宗門改革運動の方にある。
 その独自の精神主義を基に仏教界の改革を語った「教界回転の枢軸」などは満之の熱い思いが伝わってくる文章である。

 清沢満之の著作は解らなくても、清沢満之という人物の生き方には興味がある。
 特に仏教界の改革者としての清沢満之には魅力がある。

 満之は浄土真宗の一徒として、そして一人の仏教者として、当時の仏教界を鋭く批判し変えようとしていた。

 仏教者たちに意識改革を促す次のような言葉は、外からの批判ではなく、一仏教徒である満之による内からの批判である。

本山は本山の大職を棄てて妄に世俗の権勢を徼め、門末は門末の本務を忘れて恣に不義の福利を貪り、僧侶滔々、空海師の「所謂頭を剃りて欲を剃らず、衣を染めて心を染めざる者」にあらざるはなし。
(「教界回転の枢軸」)



 翻って、現代の仏教界を見るに、果たして満之の精神は達成されていると言えるのだろうか。

 NHKの番組で以前紹介されていたアンケートで、「仏教、寺、僧侶についてどれだけ良いイメージを持っていますか?」というものがあった。

 結果は、仏教90%、寺25%、僧侶10%。

 仏教に対しては親しみの感情を持っていても、寺や僧侶に対しては良い印象を持っていない人が多いことがわかる。

 満之が批判していた当時の仏教界というのは、現代のそれとはかなり違っていた。
 明治時代は文明、科学の信仰や廃仏毀釈運動などもあり、仏教界全体が衰頽しており、僧侶も全体的に苦境に立たされていた。満之はそこまで落ちぶれた仏教界の為体ぶりの原因を仏教者たちの意識の低さ、自覚に求めたのだ。

 だから上に紹介した満之の言葉が現代の仏教界に対する批判としてそのまま当て嵌まるわけではない。

 だが、仏教界のこの現状が、満之の望んだ姿だったのか?
 もし満之が現代の仏教界のあり様を見たら、「仏教が隆盛してる!」と言って喜ぶだろうか。そんなことは決してないだろう。
 確かに僧侶は豊かにはなったかもしれないが、人々の尊敬を集めているわけではない。
 「坊さんは大抵ベンツに乗っている」
 それが現代人の唯一の僧侶に対するイメージだ。
 「頭を剃りて欲を剃らず」と痛烈に批判した満之が現代の仏教者たちの在り方をよしとすることはないだろう。

 広大な土地を資産として持ち、読経料やら法外な(そう、まさに“法外”な)墓の永代使用料やら、さまざまな名目で金を儲けることしか考えていない現代の僧侶たち。
 寺を広くオープンにして衆生の悩みを聴くどころか、大抵の門前には、
 「関係者以外立入禁止」
のデカ看板。
 私が住んでる街は東京でも比較的、寺が多い街だが、どこの寺もそれなりの大きさの本堂を有しているのに、東日本大震災の時、被災者を受け入れたなどという話はついぞ聞かなかった。本堂は仏様がいらっしゃるところだから?

 満之は言う。

巍々たる六条の両堂、既に大谷派と為すに足らず、地方一万の堂宇、既に大谷派と為すに足らず。/
大谷派なる宗門は大谷派なる宗教的精神の存する所に在り。
(「大谷派宗務改革の方針如何」)


今や一派の現状を通観するに、本山の威信は日に減じ、僧侶の価値は日に降り、布教振わず、勧学挙らず、紀綱弛み、風俗乱れ、上下を挙て名利奔走に忙わしく、真誠なる宗教的動作を見んと欲するも得易からず。
(「大谷派宗務改革の方針如何」)



 仏教の仏教たる所以は立派な建物にあるのではない。宗教的精神にある。

 満之の思想の特徴は、「先ず須らく内観すべし」という厳しい内省にある。自身も厳しい禁欲生活を行い、結核に倒れることとなった。
 明治36(1903)年、40歳の若さでその生涯を終える。

 満之が目指した仏教界改革は、果たせなかったというべきであろう。

 満之は亡くなる5年前に将来の仏教界への明るい展望を語っている。

今や宗教の煩瑣的研究は漸く世人の厭う所となり、其実行的方面に向て歩を進めんとするの傾向は、教界諸般の現象に於て歴々其徴候を現わせり。是れ余輩が未だ俄に日本仏教の前途に絶望せず、将来復た一大光輝を放つの時期あらんことを期待する所以なり。
(「仏教者盍自重乎」)


 そして、そのためには、仏教者が「其本務に顧みて卑陋の念を脱却し、其実行的方面に於て大に勉むる」ことが大切だと言っている。
 「実行的方面」とは修行のことであり、満之の言う「精神主義」とは、外物に捕われない宗教的精神を持った行動のことである。

 「坊主丸儲け」と世人から揶揄されながらも“ビジネス”に勤しむ現代の僧侶たちを見ていると、残念ながら満之が目指した仏教界の改革は100年経ってもなお実現されなかったと言わなければならないだろう。

 満之が設立した私塾「浩々洞」のメンバーは満之の志を受け継いだけれども、結局、その精神が洞中を出て仏教界全体へ発展していくことはなかった。

 浩々洞は本郷の街なかにあった小さな洞。京都の「巍々たる六条の両堂」よりずっとずっと小さな「どう」。

 暁烏敏は浩々洞時代の思い出を懐かしく語っている。談論風発、時には丁々発止、気のあう仲間同志、笑いの絶えない場だったらしい。
 しかしリーダー満之を失った影響は大きかった。満之没後14年で浩々洞もまた幕を閉じるのである。

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(2013年8月撮影)

 清沢満之が志した改革は、ここ本郷の地で止まったまま。
 清沢満之の精神は100年余の時を超えて現代に語りかける。


(※本文中引用はすべて『清沢満之集』岩波文庫より)


 
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あきらめることとあきらめないこと

 「最後まであきらめるな」

と言ふ人と、

 「物事はあきらめが肝腎」

と言ふ人がゐる。一体、どっちが正しいの?


 正解は、どちらも間違ひ。
 「最後まであきらめるな」といふのは自分に向かって言ふ分にはいいけれども、人に向かって言ふのは間違ひ。「あきらめが肝腎」といふのは自分のことについてはそれでもいいけれども、人のことについてはさう簡単にあきらめてはいけない。


 昔知り合った女性で欲が無い人がゐた。私はその人のことを尊敬してゐた。
 私も相当、欲が無い方だ。金銭欲も物欲もあまりないし、所有欲、独占欲や名誉欲などもあまりない。しかし彼女の欲の無さはその私をはるかに上回る(下回る?)ものだった。彼女には、物欲や金銭欲はおろか、知りたい、学びたい、といふ知識欲すら無く、長生きしたいといふ生の欲求すらも無かった。
 「欲しいものは何も無い」と言ってた。
 「別に長生きしなくていい。いつ死んでもいい」と彼女は言った。虚勢ではなく本気でさう思ってゐるやうだった。別に死にたいと思ってゐるわけではなく、たゞ、長く生きたいといふ欲求が無いだけなのだ。

 私は彼女をブッダのやうな人だと思った。欲深い人間が多いこの現代社会において、何とまあ無欲な人なのだらう。今どきこんな素晴らしい人間がゐるだらうか、と思ってゐた。

 ある時、彼女が若い頃にずっと日記を付けてゐたといふ話を聞いた。その日記は今はどうしたのか尋ねると、前に全部一遍に燃やしてしまった、と言ふ。自分が死んだ後に誰かに見られたら恥づかしいと思ったので全部焼却処分した、と言ふのだ。
 私はその話を聞いて慄然とした。厖大な過去の思ひ出を一瞬で灰にしてしまふといふ世にも恐ろしい行動を、おそらく彼女は平然と行ったのだらう。
 彼女には欲が無い。執著が無い。あらゆる執著から解き放たれてゐる彼女は、過去の思ひ出からも自由なのだ。思ひ出に何の未練も無いのだ。
 彼女には過去のどんな素敵な思ひ出に対する何の執著心も無い。それを考へれば、彼女が「いつ死んでもいい」と言った科白には納得がいく。

 ブッダの言葉を読んでみると、とにかくひたすら「執著を捨てよ」といふことばかり言ってゐる。ブッダが執著から離れたのは苦行のおかげかどうかは分からないけれども、生まれつき元々、欲や執著心が無いタイプの人だったのではないだらうか。だからブッダは自分の妻や子を捨てた。捨てることができた。苦渋の決断の末にさうしたのではなく、割とあっさり捨てたのではないだらうか。
 宗教学者の山折哲雄は『ブッダは、なぜ子を捨てたか』といふ本の中で、このブッダの非情について問うてゐる。

 あらゆる欲、一切の執著から離れてゐる人は立派かもしれない。聖人である。その彼女も一見、聖人である。しかし、人(他人)に対する執著まで無くしてしまったとき、それは本当に素晴らしいことと言へるのだらうか。

 例へば、今、目の前に川で溺れてゐる人がゐる。川岸にゐるあなたはどうするか。
 人に対する執著が無いブッダだったら、黙って手を合はせるだらう。あるいはお経を唱へるかもしれない。そしてその人が死後無事に極楽浄土へ行けるやう祈るだらう。
 でも、この場面で求められてゐる行為はそんな行為ではない。川に飛び込んで助ける、ロープや道具を使って助ける、周囲の人に協力を求める、119番などで助けを呼ぶ、さうした行為が求められてゐるはずだ。

 彼女が自分の日記を燃やしたことに私が戦慄したのは、そこには彼女自身のことだけでなく、過去の彼女のすべての人間関係、すなはち他人のことも含まれてゐるからだ。他人に関する記憶、思ひ出すら平然と消去できてしまふ彼女の執著の無さに戦いたのだ。

 自分の生をあきらめるのは結構。長生きに興味が無いなら長生きしなくていい。でも他人のことを自分のことと同様にあきらめてはいけない。
 ブッダが自分の持ち物をすべて捨て去るのは結構。でも妻や子はブッダの所有物ぢゃない。モノぢゃない。人格がある生命なのだ。

 人のことは、さう簡単にあきらめてはいけない。


ブッダは、なぜ子を捨てたか (集英社新書)ブッダは、なぜ子を捨てたか (集英社新書)
(2006/07/14)
山折 哲雄

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