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南方熊楠と愛国心 〜南方熊楠生誕150年記念〜

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 今年2017年は、和歌山の傑物、南方熊楠の生誕150年の記念の年である。

 南方熊楠と言ったら、その「天才ぶり」ばかりが語られることが多いが、今日は明治42年頃に書いたと思われる『神社合祀に関する意見』を基に、南方熊楠が考えていた「愛国心」について考えてみたい。

 熊楠の語る「愛国心」の問題は、現代にも通ずるところが多い。


熊楠の「神社合祀批判」

 1906年に「神社合祀令」が出される。これは全国、一町村に一社とし、神社を少なくし管理しやすくする目的で行われた。この合祀令が出されてから1914年までの八年間ほどのあいだに全国の小さな神社が次々と潰され、神社の数が激減するというできごとがあった。県単位で実施されたため、神社減少の数は県によってまちまちだったが、特に三重県と熊楠のお膝元、和歌山県でひどかった。
 この神社合祀令を猛烈に批判したのが、南方熊楠だった。

合併社趾の鬱蒼たりし古木は、伐り払われ、売られ、代金は疾くに神事以外の方面に流通し去られて、切株のみ残りて何の功なし。古木などむやみに伐り散らすは人気を荒くし、児童に、従来あり来たりし旧物一切破壊して悔ゆることなかるべき危険思想を注入す。


と厳しく批判している。
 熊楠は神社合祀における八つの弊害、問題点を指摘している。

一、敬神思想を薄くする。
二、民の和融を妨げる。
三、地方の凋落を来たす。
四、人情風俗を害す。
五、愛郷心と愛国心を減じる。
六、治安、民利を損じる。
七、史蹟、古伝を滅ぼす。
八、学術上貴重の天然記念物を減却する。

 粘菌学者でもあった熊楠だけに動植物の絶滅を心配している。だが、それだけでなく、歴史、民俗学にも詳しかった熊楠は史蹟、古伝の滅失も、さらには、風俗、文化、政治、経済、思想、心理といった、幅広い観点から神社合祀を批判している。
 熊楠は、目の前で切り倒されていく鎮守の森、破壊されていく旧くからの神社を見ながら、それが「私利を計る官公吏」や「不埒」「非義饕餮」の神職による金の問題であると喝破する。そして、

この神職輩の年に一度という講習大会の様子を見るに、(1)素盞嗚尊と月読尊とは同神か異神か、(2)高天の原は何方にありや、(3)持統天皇、春過ぎての歌の真意如何など、呆れ返ったことを問いに県属が来るに、よい加減な返事を一、二人の先達がするを、十余人が黙して聞きおるなり。米の安からぬ世に、さりとは無用の人のために冗職を設けることと驚き入るばかりなり。


と痛烈に批判している。熊楠のような博学な人間が、こうした「知」のやり取りを批判しているところに意味がある。
 熊楠は日本で初めて「エコロジー」という言葉を使ったことで知られるが、「エコ、エコ」と言っても、「そうは言っても開発したほうが経済が良くなる」と言うであろう人民の“本音”を見抜いていた。だから、神社合祀による神社の滅失、鎮守の森の伐採は、地方経済にとっても実は悪影響なのである、というような言い方をする。

また従来最寄りの神社参詣を宛て込み、果物、駄菓子、鮓、茶を売り、鰥寡貧弱の生活を助け、祭祀に行商して自他に利益し、また旗、幟、幕、衣裳を染めて租税を払いし者多し。いずれも廃社多きため太く職を失い難渋おびただし。村民もまた他大字の社へ詣るに衣服を新調し、あるいは大いに修補し、賽銭も恥ずかしからぬよう多く持ち、はなはだしきは宿り掛けの宿料を持たざるべからず。以前は参拝や祭礼にいかに多銭を費やすも、みなその大字民の手に落ちたるに、今は然らず、一文失うも永くこの大字に帰らず、他村他大字の得となる。故に参詣自然に少なく、金銭の流通一方に偏す。


 全国各地の小さな神社が、いかに経済システムとして優れていたかを熊楠は語る。

 現代でも地方の経済の衰退が問題になり、どうすれば地方の経済が活性化するかという議論はしばしば行われる。そして経済活性化のために「開発」を唱える人は少なくない。日本各地にある原発なども、原発を誘致すれば町や村の経済が潤う、活性化する、という口車に乗せられて建てられたものばかりだ。熊楠が『神社合祀に関する意見』で批判した構図とまったく同じである。
 昔からそこにある小さな神社が、地域の経済に如何に寄与しているかを熊楠は説明する。熊楠がわざわざこうした説明をするのは、今も昔も「自然や伝統も大事だが経済だって大事だ」と言う人が多いからだ。

 山口県の長島に上関原発という原発がある。この原発の計画過程で、四代八幡宮という地元の神社の鎮守の森を伐採する計画があったとか。しかもその計画を神社本庁が推進していたという話がある。この話は情報が少なくて真偽の程は定かではないのだが、もし本当だとしたら熊楠の時代も現代もあまり変わっていないということになる。

千百年来の由緒あり、いずれも皇室に縁故ある諸神を祀れる神社を破壊、公売するより、見習うて不届き至極の破壊主義を思いつくようでは、国家に取りて何たる不祥事ぞ。




熊楠にとって「愛国」とは

 現代の「愛国」は全然、愛国ではない、と感じることがよくある。ネット上の日の丸アイコンの人たちの言動を見ていると、

古い古いと自国を自慢するが常なる日本人ほど旧物を破壊する民なしとは、建国わずか百三十余年の米国人の口よりすら毎々嗤笑の態度をもって言わるるを聞くなり。


という熊楠の言葉をいつも思い起こす。

 今はもう無くなってしまったが、「国立競技場ザハ案」というのがあった。建築家のザハ・ハディドが提案した巨大な競技場で、建てるには東京の貴重な緑地である神宮外苑の森を一部破壊する必要のある案だった。当然、批判の声がたくさん上がったのだが、ネット上の日の丸アイコンの人たちは、「作ってやろうじゃないか」、「作って日本の技術力の高さを世界に見せつけてやろうじゃないか」という賛成意見の人が多く見受けられた。
 あのとき、「ああ、この人たちにとってはこれが“愛国”なのか」と思った。
 明治神宮の森である。日本の精神の中枢と言ってもいい。それを明治神宮の何たるかも解っていない外国人建築家の作品発表の場所として貸してあげようというのである。作品と言っても部屋の中に飾れるような作品ではない。神宮外苑の景観を一変させてしまうような超巨大な作品である。

 昔も今も「愛国者」たちは「開発」によって日本の経済が豊かになり、日本が経済的に、あるいは軍事的にも強くなるよう目指すことが「愛国」なのだと思っている。「だって、伝統とか自然を守りましょうとばかり言っていたのでは、全然新しいことができなくて、日本はどんどん遅れていくばかりでしょう?」と思っている。
 でも「伝統」や「自然」を守ることと「最先端」とは両立するのだということは、熊楠の人生そのものが教えてくれる。熊楠は東大を飛び出し、アメリカ、イギリスに渡り、英科学誌『ネイチャー』で多数の論文を発表していた。この生き方は当時の日本人のまさに「最先端の」、いや、日本人の枠を突き破るほどの進んだ生き方だった。熊楠の研究内容は時代を100年以上先取りしていたとも言われる。

 当時、明らかに日本人より「上」に見られていた西洋人に対し、時には「上から目線」のような態度で論駁する熊楠という「思想」は、外国人建築家の建物を有り難がる思想とは真逆の思想である。

 私は現代にもっと熊楠のような「愛国心」を持った人が増えてほしいと思う。

 熊楠曰く、

祖先来四百年以上奉崇し来たれる古社を滅却せんとする心もて愛国心など説きたればとて、誰かこれを信ぜん。


かくまで百方に大害ある合祀を奨励して、一方には愛国心、敬神思想を鼓吹し、鋭意国家の日進を謀ると称す。何ぞ下痢を停めんとて氷を喫うに異ならん。


等々、『神社合祀に関する意見』には11回ほど「愛国」という言葉が出てくる。
 そして最後は「何とぞ愛国篤志の人士が一人たりともこれを読んでその要を摘」むことを望む、と締め括られている。


今こそ熊楠の「愛国心」を思い起こすとき

 学者でもあらせられた昭和天皇は特別に熊楠による粘菌の進講を所望された。そのとき熊楠が粘菌をキャラメルの箱に入れて献上した話は有名である。
 熊楠はこのときのことを喜び、

一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめてましし森ぞ


という歌を残している。
 一方の昭和天皇も昭和37年和歌山行幸の際、

雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ


という御製を残されている。

 南方熊楠生誕150年。今こそ熊楠の「愛国心」をあらためて思い起こす時ではないか。

 

※文中引用はすべて『南方熊楠コレクション第五巻 森の思想』河出文庫より

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