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「上皇后」、「皇嗣殿下」でよいのか

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 天皇の退位に関する有識者会議の最終報告案が出た。それによると、天皇が譲位されると、その名称は「上皇」に、皇后は「上皇后」に、秋篠宮殿下は「皇嗣殿下」になる可能性がある。

 この三つのうち、「上皇」は分かる。「太上天皇」だと「天皇」という言葉が入っているので天皇が二人いるような印象を与える。

 だが、あとの二つには少しく違和感を感じる。


「皇太后」ではだめなのか

 美智子さまは「上皇后」と呼ばれるようになるという。「上皇后」は新設の名称である。昔からある「皇太后」をなぜ使わないのか。
 考えられる理由の一つは、「上皇」と「皇太后」だと“ペア感”がいまいちだから。「太上天皇」と「皇太后」だったら両方に「太」の字も入っていてペア感がある。「上皇」と「上皇后」だったらペア感がある。「御夫婦で共に歩んでこられた」ということを重視しているのだろう。

 しかしそれとは別に看過できない理由がある。それは、政府の有識者会議が言っている「『皇太后』には未亡人というイメージがある」という理由である。有識者会議は、香淳皇太后の例をあげて国民の間には「皇太后=未亡人」というイメージがある、と言っている。これはおかしい。
 今の10代や20代、あるいは30代や40代くらいの人でも、美智子皇后は知っているが香淳皇太后はよく知らないという人はたくさんいるはずである。そもそも「未亡人」という言葉自体が現代では使われない。有識者会議のメンバーの先生方は世代的に香淳皇太后をよく知っているかもしれないが、自分たちが世代的にピンと来るからと言って若い世代の感覚を無視するのはおかしい。

 「『上皇』と言ったら院政を敷いているイメージがある」と言う人もいるが、そんなことを言うのは、昭和生まれと平成生まれの人間だけであって、新しい元号生まれの人たちにとっては「上皇」と言ったら「あのお方」のことである。
 それと同じで、美智子皇后が「皇太后」になったら、「皇太后」という言葉のイメージは塗り替えられ、「皇太后と言えばあのお方」ということになるのである。


有識者会議が「上皇后」の新設を考えるもう一つの理由

 有識者会議が「上皇后」という名称を新しく提案している背景の一つとして、「御夫婦の単位で」という問題があると思われる。
 「御夫婦の単位」を考える時に、皇太后の謂わば「職権」に関する問題がある。
 例えば摂政への就任資格。上皇(仮)は摂政になれなくて皇太后(仮)は摂政になれるとすると、夫婦で揃わなくなる。妻はいいけど夫はだめ、ということになる。
 今上天皇は高齢による御公務の困難等を理由に譲位されるわけだから、譲位後に摂政に就けるようにするのはおかしい。
となると、夫婦単位で揃えるためには、皇太后から今ある摂政への就任資格をなくすことになる。これは典範の根本的改定になる。
 そこで、どうするか。

「夫婦単位」と考えられるのは、夫(または妻)が生きているあいだである。そのように考えて、「夫がいる皇太后」と「夫がいない皇太后」に分ける。
 不謹慎ながら、仮に上皇が先に薨った場合は、その時が来るまでは「上皇后」、その時が来たら名称が変わって「皇太后」となる。夫君が生きておられるあいだは、「夫婦単位」なので資格を制限し、なき後は謂わば「お独り身」なので、ある程度、行動の幅も広がり、資格も復活する。その場合に、「夫が生きているあいだの皇太后」と「夫なき後の皇太后」を区別する必要から、有識者会議は「上皇后」という新たな名称を考え出したのではないだろうか。


「皇太弟」ではだめなのか

 秋篠宮様を「皇嗣殿下」とお呼びする、という案を有識者会議が出している。会議がヒアリングに招いた学者からは出ていなかった案だ。これも新しい名称と言える。「皇嗣」というのは「世継ぎ」という意味だ。つまり皇位継承順位第一位であることを明確にする意味がある。
 だが、そもそも皇位継承順位を名称によって明らかにしなくても、皇室典範によって順位は明確に決まっている。わざわざその名称で呼ぶ必要があるのだろうか。
 典範にある「皇太孫」という言葉との整合性をとって「皇太弟」でよいのではないか。若しくは「皇太子」でもいい。歴史的にはこちらが一般的だが。
 ただ「皇太子」は現行典範の上では難しいかもしれない。典範では、皇太子とは「皇嗣たる皇子」と定められているから。「皇子」とは天皇の子供。秋篠宮様は新しい天皇の子供ではない。

 「皇太弟」、「皇太子」以外だと、「儲君」があり得る。「儲君(チョクン、もうけのきみ)」は、歴史的には「皇太子」のような意味だが、「次に皇位を継ぐ者」という意味なので「皇嗣」の意味にかぎりなく近い。
 なので「皇嗣殿下」と言うぐらいだったら(立太子礼を行わないのだったら)「儲君殿下」でいい。


日本語を先にして考えよう

 今回、このような「上皇后」や「皇嗣殿下」という案が出た理由の背景として、英語名称との兼ね合いがあると思われる。つまり、「皇太弟」を直訳してしまうと、外国で、今までの皇太子と同格だと思われないのではないか、ということを心配してこうした案を出しているのではないだろうか、ということである。
 「皇太后」の公式英訳「empress dowager」の「dowager」には「未亡人」という意味がある。だから都合が悪い、というわけである。
 しかしそれなら、英語の訳語の方をうまく適当なものを見つければよいだけのことではないのか。秋篠宮様の英語名称は、従来の「皇太子」の英訳である「crown prince」で行くことがほぼ決まっている。日本語名称が「皇太弟」で、その英訳が「crown prince」でも別によいのではないか。それと同じように、「皇太后」も適切な英訳語を当てればよいだけという気がする。

 これは「マイネームイズ、ヤマダ・タロウ」を「マイネームイズ、タロウ・ヤマダ」と言うようなものである。一般人は「ヤマダ・タロウ」だろうが「タロウ・ヤマダ」だろうがどっちでもいいかもしれないが、天皇制は日本の伝統の根幹に関わることなのだから、“外国に配慮して”名称を考える、というのは違う気がする。


官邸の意嚮に寄りすぎている最終報告案

 今回の有識者会議の最終報告案に目を通してみて感じたことは、全体的に首相官邸の意嚮に寄りすぎている、ということだ。
 首相には今回の退位を「一代限り」の特別なことにしたいという意嚮があると思われる。「上皇后」という言葉の新設にも、歴史上に登場する言葉とは変えることによって、歴史の中に位置づけるのではなく、「あのときは例外中の例外で特別だった」ということにしたいという意図が透けて見える。だから「上皇后」は過去にも登場しないし未来にも登場しない。美智子様だけの名称となる。
 ただ、そのような「官邸の意嚮」ばかりでは一学者として面白くないのか、会議の座長代理を務めた御厨氏は今回決めたことは「先例」になる、として、未来に影響を与えることは必至であると釘を刺している。

 私は「特例法」を作ることには同意だが、それは天皇の御高齢、御健康の問題が「今まさに現在」の問題で先延ばしにできないからであり、基本的には天皇制の中に「例外」や「新規」を設けるべきではないと考える。
 もし「現代だけの特例」というならば、どのような時代の事情があって、いかに苦心して法律を取りまとめるに至ったかを後世の人たちに説明する文言を盛り込むべきだろう。

 有識者会議の先生方にはあらためて深慮いただきたいことである。
 いや、もう有識者会議は終わってるから、総理にお願いすべきか。

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天皇譲位に伴う課題(2016/08/09)
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戦争世代論 ~天皇はなぜいつまでも戦争責任を問われ続けるのか

 戦後、もう60年以上も経つが、いつまでも「天皇の戦争責任」を問う声が一部で燻っている。

 昭和天皇は平和を愛したお方であられたのに、そしてその天皇の御意に反して軍部が始めた戦争であるというのに、なぜ天皇の戦争責任がいつまでも問われるのか。

 この問題について昔からさまざまな議論があるが、私は世代論の観点から一つの試論を述べてみたいと思う。

 「天皇は戦争世代ではない」

という観点から。

 なお、この記事では「太平洋戦争」という言葉を用いるが、昭和16年から昭和20年までの対米英戦争を念頭に置いている。


戦争世代ではない昭和天皇

 私は子供の頃早くから、自分の家と天皇家とが、世代がずれているということに気づいていた。

 現・皇太子の御年齢は、私の年齢からも私の父の年齢からも離れている。また、今上天皇の御年齢は、父の年齢と祖父の年齢の真ん中にある。つまり、ちょうど交互に食い違っている。

 図で描くと以下のような感じ。
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 私の家のような庶民の家と天皇家を並べるのは不遜で畏れ多いことだが、話をわかりやすくするためにこのように描く。

 私の祖父は大正生まれで、ドンピシャで戦争世代である。戦地に赴き、多くの同世代の仲間を失った。
 大正生まれの祖父が昭和時代の戦争に参加したのだ。

 当たり前のことだが、多くの人がうっかりしがちな事実は、

昭和天皇は昭和生まれではない

という事実である。

 昭和天皇は明治34年生まれ。
 今上天皇(平成の天皇)は昭和8年生まれ。

 つまり、昭和天皇が戦争世代でないのみならず、天皇家が「戦争世代の家」ではないのだ。


戦争に関する知識の「逆転現象」

 私は高校生の頃、年上の人、皇太子様と同じ世代の人たちと話をしていた時、彼らがあまりに戦争のことを何も知らないのに驚いた。彼らは自分の父親も祖父も戦争に行ってないから家庭で戦争の話を聞く機会がなかったのだ。彼らより歳が若い私の方が祖父から戦争のリアルな話をたくさん聞いていたおかげで戦争については詳しかった。

 一般的に時代が下っていくにつれて戦争に関する知識は一様に少なくなっていくと思われがちだが、家単位で見てみると、戦争世代の人がいる家庭といない家庭があり、それによって、若い世代の人の方が却って戦争のことを知っている、という逆転現象が起こる。もっともこれからは戦争経験者がいなくなってくるので、こうした逆転現象も起こらなくなるだろうが。


軍隊は20代が中心で、30代は「老人」扱い

 太平洋戦争にかぎって言えば、昭和16年の開戦の年に、昭和天皇は40歳。今上天皇は僅か7歳。
 どちらにしろ、戦地に行く年齢ではない。

 天皇はなぜ戦地に行かれなかったのか。
 多くの人は、「高貴な家柄の人だから」、「尊いお方だから」と思っている。しかし、仮に天皇が一般庶民であったとしても、年齢的に戦地に赴くことはなかったのだ。

 召集令状(通称「赤紙」)は、誰に配られたのか。
 成人の男性すべて、と言われているが、70歳や80歳の男性が兵隊として駆り出されたとは考えられない。

 どこの国でも、だいたい軍隊というものは20代の青年を中心に構成されていると言う。30代で「老人」扱い。40歳以上の人は一部の志願兵とかを除けば、現場には少なかっただろう。

 つまり太平洋戦争開戦時に、すでに40歳であらせられた昭和天皇は、年齢的に言って兵隊として召集されるような御年齢ではなかった。
 また、開戦時、7歳であらせられた今上天皇は、終戦時でさえ、まだ11歳。

 つまり、戦争時、家族の中に戦争世代の人がいる家庭といない家庭があった。
 「銃後を守る」という意味では、戦時中に生きていたすべての人は「戦争世代」と言えるかもしれないが、ここでは実際に兵隊として戦地に駆り出された20代から30代の人のことを戦争世代と呼ぶことにする。


開戦を決めたのは明治生まれ、実際に戦地に行ったのは大正生まれ

 以下、開戦の意志決定に関わった(と私が考える)主な人々の生年を記す。

寺内寿一(明治12年生)
杉山元(明治13年生)
東條英機(明治17年生)
板垣征四郎(明治18年生)
鈴木貞一(明治21年生)
木戸幸一(明治22年生)
近衛文麿(明治24年生)
岸信介(明治29年生)

 ご覧のとおり、全員、明治生まれ。明治30年代、40年代生まれもここにはいないことから、当時の大正生まれの若者たちは、開戦の意志決定にほとんど関わっていないことがわかるだろう。

 明治生まれの「大人」たちが、「もう、こうなったら戦争するぞ!」と決めて、「よーし、おまえら行って来い!」と大正生まれの若者たちを戦地に行かせたのである。
 戦争することを決めた世代と、実際に戦地に行った世代は大きく異なっている。
 上記の人たちも戦争には参加しているが、上記の「世代の人たち」が最前線に行っていたわけではない。

 太平洋戦争で兵隊として召集されたのは、主にどの世代だったのか。生年別に纏めた資料があるかと思って調べてみたが、見つけられなかった。
 私の推測では、おそらく上は明治40年代生まれぐらいから下は昭和2年生まれぐらいまでだと思う。


世代の問題に拘る理由

 私はこのブログでも過去に何度か世代論を取り上げてきた。世代の問題を語ると「不毛な世代論を語るな」と言う人がいる。でも私は世代論を語ることが不毛なことだとは思わない。私は世代の問題に拘りたい。

 祖父は同世代の仲間を戦争でたくさん亡くした。
 20代というのは、普通、恋に遊びに勉強に、人生の中でも最も輝いている楽しい時期のはずだ。それなのに、祖父の20代はなぜ真っ暗だったのか。上下の世代が普通に楽しい20代を送ったのに、なぜ大正生まれの人間だけがこんなに真っ暗な青春時代を送らなければならなかったのか。

 昔から一部の左派の人たちの間で、天皇の戦争責任を問う声が渦巻いている。しかし、そうした左派の人たちでさえ、天皇が“身分”において一般人よりも特別扱いされていることを問題視しているだけだ。
 だが、戦争の時代を肌身に知っている人たちの中に、もし天皇の戦争責任について蟠った気持ちを持っている人がいるとしたら、それは啻に身分の不公平のみならず、世代の不公平を感じているからではないか。にもかかわらず、自分たちでも今まではっきりとそのことを自覚してこなかったのではないか。

 「天皇は平和を願っておられたし戦争責任はないと思うんだけど、なんかモヤモヤするんだよなあ」と今まで思っていた人に、そのモヤモヤを解消するための一つの視点として、この「戦争世代論」を提供したい。

 もっとも、この記事は、世代の問題を際立たせるために、やや話を単純化している。

 昔は一般的に今よりも兄弟の数が多く、一番上の姉が母親代わりだった、とかいう話はざらにある。つまり、上図のように綺麗に等間隔に並ぶわけではなく、一つの家の中でもっとグラデーションが長くなるのである。
昭和一桁生まれ世代の人などは、「俺は戦争に行かなかったけど、一番上の兄貴は戦争に行った」などという人も多い。
 天皇家も、昭和天皇の歳の離れた弟君である三笠宮崇仁親王は大正生まれで「戦争世代」であり、実際に軍人であった。

 この記事で私が訴えたいのは、世代の問題であり、天皇の戦争責任の問題ではない。

 「明治生まれの人たちだって戦争を経験してるのでは?」
と言う人がいるかもしれないが、日露戦争のような「勝ち戦」と、太平洋戦争では規模も何もかもが違いすぎる。

 「世代間の不公平とか言ってもしょうがない。終わったことをああだこうだ言ってもしょうがない。青春時代が戻ってくるわけじゃないんだし」
 確かに、終わったことをどうこう言っても取り返しはつかない。しかし私は「しょうがない」で済ませたくはないのだ。
 あれほど苛酷で悲惨な戦争体験を「しょうがない」という言葉で済ませたくはない。祖父の20代は戻ってこないけれども、こうして「世代の問題」を語ることで、私たち以降のこれからの世代の人たちにこうした不幸な世代を作り出すことを少しでも防ぐことができれば、と思っている。

 そのための、これは一つの試論である。


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