暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

タグ "日記" の付いた記事

デジタルな思い出をどうやって取っておくか

 片付けが下手な人がゐる。整理整頓が苦手で部屋が散らかってゐる人がゐる。

 それに対して、片付け上手な人がよく行ふアドバイスの中に「この一年間、一度も触らなかったものは捨てなさい」といふのがある。部屋の中に物が多すぎるから片付かないのだ、片付けの基本は捨てること、なるべく物を持たない生活にしよう、といふわけである。


 ところで、「思ひ出」とは何だらうか。私は前回の記事「あきらめることとあきらめないこと」で、過去の日記をすべて燃やしてしまった人の話をした。そしてその行為に戦慄したと書いた。

 思ひ出とは、辞書によれば、

1 過去に自分がであった事柄を思い出すこと。また、その事柄。「―にひたる」
2 あることを思い出すよすがになるもの。「旅の―に写真を撮る」(『デジタル大辞泉』)


なので、2の意味でとるなら、物も、当然写真や文章(が書かれた物)もすべて「思ひ出」であると言っていい。

 私が片付け上手の人のさうしたアドバイスに違和感を感じるのは、思ひ出は取っておくことに意味がある、と考へるからである。片付けマンは「でも取っておいてもどうせ見ないんでせう?」と言ふ。でも、その思ひ出を振り返るか振り返らないかが問題なのではない。取っておくことに価値があるのだ。
 例へば、小学校や中学、高校の卒業アルバムを私は取っておいてある。ではそれを一度でも開いて見たか、と言はれれば、こゝ数年間一度も触ってない。でも、だいたい卒業アルバムなんてそんなものではないのだらうか。卒業して何年も経つのに「毎日開いて見てます」とか「週に一度は必ず見てます」などといふ人がゐるのだらうか。

 これに関聯して私が気がかりのは、こゝ十年くらゐで急増してゐるデジタルな思ひ出たちのことだ。
 テキスト、画像、音声、動画。もちろんメールやブログも含まれる。写真はアナログからデジタルになった。葉書や便箋に書いてゐた手紙はメールになった。テレビもデジタルになった。紙に書いてゐた日記はブログになった。
 多くの「思ひ出」がデジタルの形をとるやうになった。それなのに、このデジタルな思ひ出たちの保存問題について真剣に考へてゐる人は意外と少ない。私はこの問題について随分と時間をかけてさまざまなワードでググってみたが、この問題について深く議論、考察してゐるページには出くはさなかった。皆は、自分が死んだ後に、自分の書いた文章や撮りためた写真(画像)などがどうなるのか、考へないのだらうか。
 デジタルデータはこれだけ急増してゐるにもかゝはらず、実はその保存の問題については、まだ「これだ!」といふ答へが出てゐない。だから未だに、大事な写真や文章は紙にプリントアウトしておけ、と言はれるぐらゐなのである。

 現代の私たちは約1000年前に書かれた紫式部の日記を読んでゐる。紙に書かれた日記が1000年後に残ってゐる。紫式部日記が価値があるのは、優れた文学者が書いたものだから、と言ふばかりではない。もし今、平安時代の日記が発見されたら、それが有名な人が書いたものであれ無名な人が書いたものであれ、価値があるだらう。1000年の時を越えて残ってゐるから価値があるのである。

 片付けマンは「それは取っておく価値のある物なの?」と問ひ詰める。現代的な意味合ひで言ふなら、私が書いた駄文など、とりあへず当面「価値がない」だらう。10年後にも価値がないだらう。しかし1000年残ってゐれば分からない。1000年後に発見されれば「価値あるもの」とされるかもしれない。
 「価値があるから取っておく」のではなく、「取っておくと価値が出る」のである。
 例へば戦後のブリキのおもちゃは、今とても価値がある。当時はありふれたどうでもいいものだったが、たった50年後には、もう貴重な価値を持つものになった。

 さうは言っても、あらゆるすべての物を「思ひ出だ」と言って取っておくわけにはいかない。何を取っておいて何を捨てるのか、そこは取捨選択しなければならない。
 私だったら、自分が買って所有してゐる物はまあ残らなくてもいいが、自分が作り出したもの、創作物は残しておきたいと思ふ。例へば画像なら、ネット上で蒐集したお気に入りの画像などは別に後々まで残らなくてもいいが、自分で撮ったオリジナルの写真などはいつまでも残しておきたいと思ふ。

 私はもし自分がIT企業を興したとしても、ブログサービスだけは絶対に始めないと思ふ。日記は、人の思ひ出の品の中でも最上位に位置するものである。大切な他人様の思ひ出をごっそり預かるなんてとても恐ろしくてできない。
 ケータイのリサイクルが進まない理由の一つは、端末の中に思ひ出としてのデータがたくさん入ってゐるからだらう。ブログはサービスを乗り換へても過去のデータごと引越しができるやうになってゐる。だが本当にブログは自分の思ひ出を残す場所として適してゐるのだらうか。私はおよそ2年前に「ブログは思い出媒体として最適か」といふ記事を書き、この問題について考察した。例へばFC2ブログの場合、一ヶ月以上更新が無いと広告が表示されてしまふ仕組みになってゐる。しかしブログの価値は更新にあるのではない。アクセスでもない。「アクセス数ゼロのブログなんて意味あるの?」と言ふ人もゐるかもしれない。でもブログの意味が思ひ出の保存場所としての意味を持つなら、譬へ一年間のアクセス数がゼロでも、一年間に一度も更新されなくても、そのブログはやはり存在する意味がある。
 
 自分が書いたデジタルな文章(テキスト)を半永久的に残したい場合に、どうするのが最も正しいのか。各ブログサービスはまだ答へを出してゐない。もちろんブログに拘る必要はない。公表するわけではないのなら、どんなメディアに保存してもよい。CD-RでもDVD-Rでもよい。しかしかういふメディアは信頼できるのだらうか。私はその昔フロッピーに文章を保存してゐた。しかし先月末、フロッピーディスク最大手のソニーが2011年3月末でフロッピーの販売を終了することを発表した。それでなくてももうフロッピーに入れた文章はかなり読めない環境になりつゝある。CDもDVDも似たやうな後を追ふ可能性はある。

 近年、Evernoteが脚光を浴びてゐる。Evernoteが注目されてゐる理由は、大体、人間の記憶を補完するノート、といふ意味合ひにおいてである。例へば、

ただのメモでは勿体ない!Evernoteに人生を記憶しよう
本気でEvernoteを使って、本気で全てを記憶する | goryugo, addicted to Evernote
Evernoteに記憶を自動保存する方法 - RyoAnna's iPhone Blog

などなど。
 だが私は「すべてを記憶する」ことには興味はない。それよりもこのデジタルノートが文字通り「永遠のノート」としてその役割を果たしてくれるのかどうかが興味がある。「記憶」と「思ひ出」は似たやうな意味である。Evernoteがすべてを記憶してくれるなら、思ひ出もすべてこゝに詰め込んでおけば安心なのだらうか。Evernoteは「大丈夫、任せて」と言ってくれるだらうか。

 あなたがケータイでメールを始めるとき、SNSで日記を付け始めるとき、どこかのサービスを使ってブログを書き始めるとき、そんなときは、データがいつまで保存されるのか、よく確認してから使ひ始めたはうがよい。私は月額料や年額料を払はなければいけないやうな有料サービスは使はないやうにしてゐる。金の切れ目がサービスの切れ目、つまり自分が金を払へなくなった途端に、データを抹消されてはたまらないからである。

 紫式部の紙の日記が1000年も保存できたといふのに、現代のデジタル日記が100年も保存できなかったら、情けない話だ。

 さうしたら私は石に刻まうか。

 


スポンサーサイト



mixi日記が書けない人におすすめの方法

 大手SNS、mixiの利用規約改定がネット上で話題になつてゐる。

 その内容は、簡単に言へば、mixi上に書かれた日記などについてユーザーが著作者人格権を行使することを禁止した、といふものである。
 これを受けて、mixiに書いた日記が勝手に書籍化されるのではないか、と少なからぬユーザーが大騒ぎをした。

 私はmixiを使つてゐない。だからmixiの利用規約がどう改定されようが、私には全然関係ない。

 この一連の騒ぎを見てゐて感じるのは、一体世の人々は著作権に敏感なのか鈍感なのか、といふことだ。
 CNET Japanの伝へるところによれば、著作者人格権の行使の禁止といふのは何もmixiの規約に限らず、多くの他のSNSやブログサービスで規定されてゐることらしい。だから、mixiが規約改定したからと言つて今さら騒ぐことではないと思ふのだ。
 それに他人が作つたブログサービスやSNSを利用してゐる以上、ある程度相手の言ひなりに従はなければならなくなるのは当然のことだ。もちろんこれは、ブログサービスを使はないでMovable Typeなどのブログツールを利用してゐる場合にも言へることだ。Movable Typeを使ふならSix Apart社の利用規約に従はなければならないだらう。

 敏感だから、この度の些細な改定でもこれだけ大騒ぎしてゐるのであらうが、しかし、本当に著作権に敏感な人ならば、このやうなSNSやブログサービス上に日記を書くやうなことはしないだらう。

 おすゝめの方法がある。
 それは、紙の日記帳に日記を書くことだ。それも誰にも見せずにひつそりと書くことだ。かうすれば、著作権はかなりの確率で守られる。あなたの大切な文章が「コピペ」されることも「勝手に書籍化」されることもない。

 筆と紙は、著作権に敏感な人にも良き友である。

紙の日記が好き→ランキング