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東京と江戸の違い

 東京と江戸の違いをあまり意識していない人が多いことに、だいぶ前からモヤモヤした気分を抱いていた。

 「東京と江戸の違いは何ですか?」と聞かれた時に、大半の人は「江戸時代まで江戸と呼ばれていた地域が明治時代以降、東京と呼ばれるようになったんでしょう?」と答える。
 つまり、時代によって名前が変わっただけだと思っている。

 東京と江戸の違いは幾つかある。時代による差だけではない。
 特に地域と性格が違うということについて今日は書こうと思う。


地域の違い

 まず「東京」とはどこか、というところからはっきりさせたい。「東京都」と言った場合には多摩地域や太平洋上の小笠原諸島までをも含むが、「東京」と言った場合には一般的には東京23区のことを指す。

 東京と江戸は地域が異なる。

 江戸と呼ばれていた代表的な地域は、神田、日本橋、京橋、下谷、上野、浅草、本所、深川、両国、向島など。現在の区名で言えば、千代田区の一部、中央区、台東区、墨田区、江東区などである。すべて「下町」と呼ばれるエリアである。
 文京区には「本郷もかねやすまでは江戸の内」という言葉がある。「かねやす」というのは本郷三丁目交差点にある店の名前だが、この交差点自体が文京区のかなり端っこにあり、この言葉の通りに解釈するなら、文京区の大半は江戸の外ということになる。文京区は山手線の内側にある都心の区なのにもかかわらずである。
 このことからも現代の「都心」と呼ばれるエリアと昔の江戸のエリアが、かなりずれていたことがわかる。
 東京の代表的な町である渋谷や池袋は江戸の中にはまったく入っていない。

 余談だが、私は地下鉄の都営大江戸線は、よくぞ名付けたぴったりな名前だと思っている。地図で見ると山手線は縦長の楕円形だが、大江戸線は横長の楕円形である。江戸と呼ばれるエリアは、この大江戸線が描く横長の楕円形にかなり近い。江戸は横(東西)に発展した町だった。

 もちろん江戸と東京は重なるエリアもあるのだが、現代の東京の中心である山手線エリアからは江戸は随分、東へずれている。


江戸っ子の条件

 「江戸っ子」と呼ばれるのには条件があって、「親子三代にわたって住んでいること」というのがある。私はそれに加えて、上記の下町で生まれ育ったこと、という条件がつくと思う。


東京っ子、東京人とは?

 それでは、「東京人」とは何だろうか。「東京っ子」の条件というのはあるのか。

 よく地方の人が「東京って、所詮は田舎者の集まりでしょう?」と言うのを聞くことがある。これには異議を申し立てたい。山手線エリアで生まれ育った私のような人間は間違いなく「東京っ子」「東京人」であろう。下町育ちではないので断じて「江戸っ子」ではないが。

 「でも数代前まで遡れば地方出身者でしょう?」

 たしかにそうだ。だが、私は東京人の条件に江戸っ子のように「先祖代々住んでいる」ということが含まれるとは思わない。東京自体ができてからまだ百数十年しか経っていない。
 京都人が「ウチは六百年前からここに住んどります」と誇らしく言うのは、六百年前もそこが「京(みやこ)」だったからであって、東京の六百年前は雑木林である。もし「ウチは六百年前からこの地に住んでます」などと言う東京人がいたら、それは東京人と言うよりも「武蔵人」とか「武蔵野人」とでも言うべきであろう。

 本人が東京で生まれ、育っていれば、「東京人」と言っていいと思う。


下町と山の手の違い

 東京における下町とは何処で山の手とは何処か。
 元来の下町は、現在の中央区、台東区、墨田区、江東区と千代田区の一部あたり。
 元来の山の手は、千代田区、文京区、新宿区、港区あたりを指す。

 下町という言葉はずいぶんたくさんの人に誤解されていて、いわゆる「下町情緒がある町」が下町なのだと思ってる人も多い。だが少なくとも東京においては下町というのは、実際に下の方にある町、低地にある町である。
 次に示す図は標高を元にした東京の地図である。西側の台地を示す黄色と東側の低地を示す青色がはっきり分かれているのが見てとれる。

hyoukou.jpg
(出典:国土地理院

 この黄色と青の境界線のラインは、ほぼ山手線の東側ライン(田端-品川間)に重なっている。つまり山手線東側ラインの駅を降りて東側に出れば下町、西側に出れば山の手である。
 区で言えば文京区と台東区の区境線が、ほぼ23区全体を山の手と下町に分ける線になる。
 元来の山の手、元来の下町は上に記した通りだが、戦後の人口増とともに山の手、下町と呼ばれるエリアも拡がった。杉並区、大田区、世田谷区などが山の手と呼ばれるようになったり、柴又帝釈天で有名な葛飾区までが下町と呼ばれるようになった。

 今、23区を強引に山の手グループと下町グループに分けるとすると、次のようになる。

 山の手グループ
 千代田区、文京区、新宿区、港区、豊島区、中野区、渋谷区、目黒区、品川区、北区、板橋区、練馬区、杉並区、世田谷区、大田区

 下町グループ
 中央区、台東区、墨田区、江東区、荒川区、足立区、葛飾区、江戸川区

 ただし千代田区は麹町は山の手で神田は下町であり、一つの区に山の手と下町が両方ある場合もある。
 中央区の銀座は下町と山の手が鬩ぎ合う場所だ。銀座は本来は下町だが、町の雰囲気は限りなく山の手である。

 私は、

東京=山の手、江戸=下町

という図式があると思う。
 全国の、あるいは世界の人が「東京」と聞いた時にイメージするものはほとんど山の手エリアにある。
 東京のイメージと江戸のイメージの違いは、両者の性格の違いでもある。
 次に東京と江戸の性格の違いを考えたい。


性格の違い

 地域の違いも然ることながら、東京と江戸の一番の違いは、その性格だと私は思っている。

 「江戸」とは、一言で言えば、
ローカルとしての東京
である。
 対して、「東京」は、
キャピタルとしての東京
である。

 江戸時代までは日本の首都はあくまでも京都であった。江戸の町は抑々からして、東の方にあるローカルな町だったのである。

 例えば浅草の江戸っ子たちは、浅草寺を東京最古の寺として誇りに思い、三社祭こそは日本一の勇壮な祭りだと思っている。
 だが、全国各地に「最古の寺」はある。勇壮な祭りも全国にある。大阪の岸和田の人はだんじり祭こそ日本一勇壮な祭りだと思っているだろうし、博多っ子たちは博多祇園山笠こそ日本一の祭りだと信じて疑わないだろう。
 つまり、江戸の文化というのは日本各地にあるものの東京版なのである。
 両国の相撲も神田祭も築地でとれた魚の江戸前の鮨が美味しいというのも、すべて東京ローカルな文化である。
月島の江戸っ子が「もんじゃ焼きが一番」と言うのと大阪人や広島人が「うちのお好み焼きこそ一番」と言うのは同列である。

 それに対して、東京の文化にはそのようなローカル性がない。
 山の手エリアにある建物、一番象徴的で分かりやすいのは永田町にある国会議事堂だろうが、これは「全国各地にあるものの東京版」ではない。
 あるいは、港区にある世界各国の大使館、これも他の県にはない。
 文京区にある東京大学にしても全国にある県名+大学の国立大学の東京版ではなく、日本の最高学府という性格があると思う。
 新宿の都会っぽさしかり、渋谷のカルチャーもしかり。いずれも全国の他の都市にはない唯一無二のものである。
 東京の文化には唯一性がある。それは「東京」がキャピタルとしての東京であるからであり、日本の首都は東京以外に二つとないからである。
 江戸の浅草には雷おこしという有名な土産物があるのに、なぜ東京を代表する土産物はないのか。それは東京にはローカルという性格がないからである。


福岡、博多との比較

 福岡県民の人に東京と江戸の違いを説明する時は、福岡と博多の違いのようなもの、と言えば分かりやすいかもしれない。
 全国の大半の人は福岡と博多の違いは?と聞かれたら、「福岡は県名と市名で、博多が駅名でしょう?」という程度の認識しかないだろう。
 だが、福岡県民や福岡市民にとっては、福岡と博多は明確に異なる。エリアも性格も異なるものとして認識されている。
 福岡エリアと博多エリアは重なる部分もあり完全に分けることができるわけではないが、だいたい那珂川のあたりを境にしてエリアが分かれている。
 そして性格も、武家の町福岡、商人の町博多と分かれている。博多は人情味があり、味わい深いローカルな文化や名物がたくさんある。対して福岡はお洒落でありスマートであり、九州の首都としての顔を持っている。

 つまり、

福岡=東京

博多=江戸

である。

 江戸っ子は、気が短くて喧嘩っ早いが、人情味があり、下町にはあたたかみがある。
 東京っ子はクールでよそよそしいが、お洒落で、洗練されていて、山の手の町は先進的である。

 どちらが良い悪いということではなく、それぞれ性格が異なり、それぞれに長所がある。

 つまり、現在の東京は、キャピタルとしての「東京」とローカルとしての東京(「江戸」)の二重構造なのである。

 こういう、山側の武家の町と下の方の商人の町、が隣接している例というのは東京や福岡以外にもありそうだと思うのだが、全国の他の都市のことはまだ調べていない。
 大阪にもこういう違いがあるかもしれないと思って少し調べたが、大阪ではあまり「下町」という言葉は使われないらしい。それはなぜなのかというと、大阪は都市全体が商都という性格を持っているので武家の町、商人の町と分けることが東京ほどはっきりしないからだそうだ。ただ大阪は全然知らないので、詳しい人に御教示いただきたい。


まとめ

 性格というのは、そこに住んでる人々の性格というよりは、町の性格である。
 当然、山の手にも人情味豊かな人はいるし、下町に住んでるクールな人もいる。

 今は「江戸」という町はない。しかし今でも江戸という名称はたびたび使われている。そうして江戸を語る時に、

「江戸」=昔の東京
「東京」=今の東京

という認識しかなかったら、それは不十分だということが言いたかった。
 東京と江戸は完全に綺麗に分けることはできないが、かと言ってあまりにも区別されずに語られているのを聞くと、東京人として気になる。
 江戸という言葉で言い表されるものにはローカル性があり、東京という時にはキャピタル性がある。
 そういうことをはっきり言ってるのをどこにも見たことがなかったので今回書いてみた。

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東京スカイツリーと後進国的田舎者的心性

 今日2012年5月22日、東京スカイツリーが開業する。

 東京スカイツリーは後進国的建物である。私は、スカイツリーを礼讃してゐる人々、また「まあ、在ってもいい」と建設を容認してきた人々の中に、後進国的心性、あるいは田舎者的心性を感じる。

 私の見知る範囲では、今日までにこの建物を批判し得たのは、仏フィガロ紙の記者レジス・アルノーだけだ。

スカイツリーは東京衰退のシンボルだ | 東京に住む外国人によるリレーコラム | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 かうした批判がフランス人によってなされること、日本のメディアがどこも批判し得ないのもたいがい情けないと思ってゐたが、つい昨日(5月21日)、毎日新聞が批判記事を書いた。

特集ワイド:曽野綾子さんと考えた 東京スカイツリーなんて、いらない!?- 毎日jp(毎日新聞)

 「「高い建物を建てること=進歩」という考え方は時代遅れだし、今となっては途上国の専売特許だ」と言ふレジス・アルノーに対し、日本人の反応は「フランス人が僻んでる」などといふ幼稚なものばかりが目立つ。


・よくある意見その1「スカイツリーは電波塔として高さが必要だった」

 今、世界で建造物の高さを競ひ合ってゐるのは、中国、東南アジア、中東などの後進国ばかり。欧米の先進国が高さ争ひをしてゐたのは、もう何十年も前の話だ。私は日本は先進国だと思ってゐた。まさかこゝに来て、後進国の高さ競争に参加するとは思はなかった。

 これに対するよくある反論は、「スカイツリーは高さを自慢するために高くしたのではなくて、電波塔として十分な高さが必要だったから」といふもの。

・電波塔で普通に実利を求めたものだろ
・必要性があるからしょうがないんじゃ
・高いビルとかそういう国威発揚目的じゃねえだろ・・・満杯で隙間無い電波を解消するための大型電波塔なのに。

(2chより)
 必要性があったといふのは嘘で、必要性などどこにもなかったといふことが、上記の毎日新聞の記事に書かれてゐる。

地デジで電波塔が足りないから立てるだけだろ単なるインフラだよ


 これも間違ひ。地デジは関係ない。東京タワーで十分、間に合ってゐた。地デジ化した時、スカイツリーはまだ完成してゐない。

・ついでに記録狙うとこういうこと言われるのかw案外馬鹿ばっかだな、地球は
・別に記録狙って不必要な建造物建ててるわけじゃないだろどうせ作るなら高いほうがってことで高くしてるだけで


 これぞまさに後進国的心性。表向きは「必要性」などと言っておきながら、やはり心の内では高さを狙ってゐるのだ。「おらが村にも高い建物が建った」と言って喜ぶ田舎者的心性が垣間見える。
 そもそも電波塔としての高さが必要だったと言ふのなら、最初はもっと低い予定だったのが中国広州の建物の計画を知ってから、慌てて634メートルに引き上げたのはどういふことなのか。
 さらには、電波塔として関東全域に電波を送る必要があったのなら、東京墨田区ではなく、関東の地理的中心であるさいたま市に建てるべきではなかったのか。

つーかスカイツリーに日本人が狂喜乱舞してると思ったら大間違いだろw大半はどうでもいいと考えてるが、完成したらまあ観光スポットの一つとして見に行くかって程度だろうに


 これには笑ってしまった。スカイツリーに来てる中国人団体観光客あたりが「スカイツリーなんてどうでもいい。中国にだってこれぐらゐ高い建物はある。たゞ、日本に来たから、ついでにまあ観光スポットの一つとして見に来ただけだ」と言ひさうである。

 
・よくある意見その2「東武鉄道といふ一営利企業がやってることなんだから関係ないぢゃん」
 
 レジス・アルノーの記事に対する2chコメ。

東武鉄道が勝手にやってる商売用タワーで国家を語る外人って哀しいな


 そして毎日新聞記事に対するはてなブックマークコメント。

スカイツリーは東武鉄道が自分の金でやる事業。目くじら立てるような話じゃ無いだろう。


 私は以前、「「断捨離」への疑問 -ゴミ屋敷の住人はなぜ記憶力がいいのか-」といふ記事を書き、その中で「自分のところだけ片付けばいいのか」といふ問題を提起した。私は多くの「きれい好き」な人たちが自分の家の中だけ徹底的に綺麗にして、他人の敷地のことは知ったこっちゃない、みたいな意識でゐるのが不思議だった。きれい好きなはずの人が、どうして街の中にペットボトルが捨ててあるのは平気なのか。
 マンションやアパートなどの共同住宅に住んでゐる場合、自分の部屋ばかりいくら綺麗にしても隣の部屋が汚かったらゴキブリは出る。「このマンションからゴキブリを追ひ出さう」とか、マンションを一つの有機体として考へられないものだらうか。そして「私の街」、「私の東京」、「私の日本」、「私の地球」といふやうに考へられないものだらうか。

 もしかしたら、上のコメントをした人は東京人ではないのかもしれない。さういふ人にとっては東京は「仕事場」である。効率が良ければそれでよい。草木深きふるさとは別にあるのだらう。
 だが私にとってはこゝが故郷だ。自分の故郷が勝手にめちゃくちゃに改変されていくのを許しておけない。「自分の敷地に何を建てようが勝手でしょ」といふ意見を認めるわけにはいかない。


・よくある意見その3「このカオスっぷりが東京らしくていい」

 新旧が混在した、このカオスな感じがいかにも東京らしくて良い、と言ふ人もゐる。これは好みの問題なので「その好みは駄目だ!」とは言へないが、でも言ひたい。
 浅草からの景色はウ◯コビル辺り、墨田区役所も含めてめちゃくちゃで全然良くない。そしてスカイツリーは墨田区の下町の住宅街の風景ともちっとも合ってゐない。同じ高層建築でも、六本木ヒルズの辺りは街全体でオシャレ感を作ってをり、それほどの唐突感はないが(それでもあるが)、スカイツリーは違和感といふか場違ひ感、唐突感がありまくりだ。

 私は統一感のある街並みの方が好きだ。よく引き合ひに出されるエッフェル塔は、まだ全体的な街の統一感に合ってゐる。しかしあの建物でさへ、フランス人には酷評され、有名な文学者モーパッサンは「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言ってエッフェル塔1階のレストランによく通ってゐたさうだ。


・よくある意見その4「外国人が勝手に下町情緒とか言ってるだけで、下町の人間にとっては生活の場だ」

 「外国人観光客を喜ばせるために作ったわけぢゃない」といふもの。生活の場なら、なほさら、あんなに生活と関係ないものを作った意味がわからない。


・よくある意見その5「防災の観点から必要だった」

 下町は住宅が密集してゐて救急車や消防車が入れない道がいっぱいあるから、防災的な意味で再開発が必要だったといふ意見。だが、それだったら普通に防災広場を作ればいいだけだ。あんな高い建物を建てる必要はない。


・日本には「建築家」はゐない、建築の思想も無い

 日本の「大家」とか「巨匠」と呼ばれる建築家が建築の思想を語ってゐるのを雑誌等で読んだことがあるが、思想を語り得てゐる人にまだ出遇ったことがない。
 彼らは「ちゃうど来館者の目線の先にこれが来るやうに」とか「来館者の動線を考へて」とか「日本の伝統的意匠を取り入れて」などと語る。細部には異常に拘ってゐるが、全体のことはまったく考へてゐない。
 先日も「太宰府天満宮参道のスタバがすごい!」とネットで話題になってゐた。日本の高名な建築家が設計したらしい。私も写真で見てみたが全然良くない。周囲の景観とまったく合ってゐない。
 日本の建築家が建てた建築物はどれも、それを単体で取り上げたらそれなりに評価しうるものなのかもしれないが、周囲との調和や街並み全体のことはまったく考慮されてゐない。
 そもそもなぜ太宰府天満宮の参道にスタバが必要なのか、といふ問ひに「巨匠」は答へられない。それは全体的な思想がないからだ。上述の如く、日本人は「私は与へられた土地に最高の作品を作るだけです」といふ思想しか持ち合はせてゐない。「それは天満宮に聞いてください」「それは市役所に聞いてください」と言ふのだ。「隣の敷地のことは知ったこっちゃない」といふ考へ方と同じである。

 日本人は、日本庭園を徹底的に造り込む。洋風や現代風を徹底して排除し、完璧な和風を造り上げる。しかし、その背景に入り込んでゐる巨大で異様な物体のことは問題として取り上げない。背景に堂々と入り込んでゐる高層ビルや高層マンションを無視して松の些細な角度を論じて枝ぶりがどうだとか言ってるのは、滑稽としか言ひ様がない。


・そもそも名前もデザインもダサい

 デザインがダサいといふ意見には賛同してくれる人もゐると思ふ。高い建物を建ててもいいけどもう少しオシャレにできなかったのか、と。スカイツリーは上海やクアラルンプールに建ってる建物ですと言はれてもをかしくないやうなデザインである。建築家は「“反り”や“むくみ”などの日本の伝統美を取り入れた」と言ふが、あれを見て日本的な建物だと思ふ人はゐないだらう。
 「東京スカイツリー」といふ名前についてはだいぶ前に批判記事を書いたのでこゝでは繰り返さないが、東武鉄道は「業平橋駅」を「とうきょうスカイツリー駅」に改名したといふ。「業平橋駅」はもちろん地元で歌を詠んだ在原業平に由来するかっこいい名前だが「とうきょうスカイツリー駅」はかっこ悪い。「とうきょう」が平仮名なのも意味不明。


・京都タワーに通じる残念感

 京都タワーは、京都の街全体のブランド力を下げることに貢献してゐる。新幹線で京都駅について真っ先に見る建物である京都タワーに外国人観光客も日本人観光客も皆がっかりする。東寺の五重塔を差し置いて京都タワーを見たいといふ人はゐない。もちろん、京都は私たち「他所者」のための観光地である前に、京都人たちにとっての生活の場である。しかし京都人も京都タワーを望んでゐないだらう。
 高い建物の中でも、エッフェル塔や東京タワー、大阪の通天閣のやうにそれなりに人々に親しまれてゐる建物はある。しかし京都タワーはそれらの建物に比べると残念感が大きい。「やっぱり建てない方が良かったね」といふ感じである。建てた時は「うわー」と感激して誇らしい気持ちになったかもしれないが、タワーとしては高くもなく綺麗でもなく、特に価値が無いことにだんだん人々は気づき始めた。
 そして私はスカイツリーも似たやうな道を、つまり早々に残念感が出始めるのではないかと思ってゐる。世界一高い建物といふわけでもなく、周辺の街が特にオシャレだといふわけでもない。
 それでも私は、東京タワーや京都タワーはまだしやうがないと思ってゐる。日本が高度経済成長期にあった頃、つまり今の中国のやうに経済第一主義で高い建物を建てたりオリンピックを開催したり万博を開いたりすることに国民の全員が無邪気に誇りを感じてゐた時代の遺物だからだ。
 だがそんな時代はとうの昔に過ぎ去ってゐる。今は平成、21世紀だ。スカイツリーが残念である理由の一つに、この時代錯誤感がある。墨田区は50年かかって港区に追ひつきました、みたいな時代遅れ感である。
 

・「東京」とは違ふ「江戸」の心性

 私は、自分の街東京に、あの忌々しい建物が建ってゐると思ふと納得できないので、あれは「江戸」の建物なんだ、と自分に言ひ聞かせて心の整理をつけてゐる。
 実際、この東京と江戸を分けて考へる、といふのは案外正しいかもしれないと思ってゐる。

 東京と江戸は地域が違ふ。東京と言ったら普通は東京23区のことを指すが、しかし全国や世界の人がイメージする東京は、だいたい山手(線)エリアのことだ。江戸と東京は大きく重なってゐる部分もあるが、台東区、江東区、墨田区の下町エリアは「江戸」と言っていいだらう。
 私は下町エリアのことを江戸と呼んでゐる。そして江戸っ子たちが、私たち東京っ子とは、また違ふ感覚を持って育ってゐるといふことも何となく分かってきた。

 以前、東京スカイツリーの名称を批判する記事を書いた時に、「スカイツリーの名は、これまで下町イメージを無理やり押し付けられてきた地元の人間は大歓迎です」といふコメントをもらった。
 このコメントを読んだ時に思ったのは、江戸っ子たちは「自分たちは東京ではない」といふ思ひをどこかに持ち、そしてずっと東京に憧れ続けてきたのではないか、といふことだった。

 江戸っ子たちはスカイツリーのことをどう思ってゐるのだらう。そんな時に出遇ったのが、地元中の地元民である若き文筆家、中川大地が書いた『東京スカイツリー論』だった。


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 墨田区出身の著者は、この本の最初の方でスカイツリーの建設計画段階からの過程を振り返って「新タワーはまさに自らの生まれ育った街の田舎くさい民度の低さを思い知らされる、憂鬱以外の何物でもなかった」と言ってゐる。この一言がすべてを物語ってゐる。
 著者が生まれた頃には、墨田区には美しい景観などすでになく、一部を除けば下町情緒もへったくれも無かった。つまり、守るべき景観が無かった。「美しい景観を守らう」などと言ふには手遅れだった。下町エリアにおける開発はすべてがバラバラで、何の統一感も持ってゐなかった。

 スカイツリーは、さうした下町の「何でもアリ」の土壌に建てられたのだとも言へる。

 著者は後のページで長々とスカイツリーの積極的意義付けを試みる。せっかく建ってしまったのだから、「残念」で終はらせるのではなく何か有意義なものにしたい、と。だが、その過程は苦闘の過程である。なんとか積極的意義付けを探るも、それらはすべて結局、後付けでしかない。読んでゐてその苦しみが伝はってくるやうであり、この本が素晴らしいのもまさにその当事者性にある。地元っ子の著者が自分の故郷に出現したこの巨大な建築物をどう飲み込まうかと試行錯誤してゐる。


・最後に

 もっと小さい建物なら「まあ、好きに建てていいぢゃないの」と寛容になれるかもしれないが、あれだけ大きい建物だとさうはいかない。
 東京には「和風」とか「昔風」に拘った庭づくりをしてゐる家もあるだらう。さういふ家のどの庭の背景にもスカイツリーはメタ的に立ち現れる。「そんなに嫌なら行かなければいい」とは言へても「見なければいい」とは言へない。誰の目にも否応なく入ってくる。大きいといふことはそれだけで少し暴力的でもある。

 東京スカイツリーが何よりも後進国的なのは、経済第一優先主義といふその時代遅れな発想である。電波塔として必要といふ建前の名目は崩れ、経済が潤ひ街が活性化してほしい、といふ本音だけが残ってゐる。そしてその経済発展、地域活性化を実現する手立てとして「高い建物」を持って来たところが田舎者的である。
 つまり東京スカイツリーは、後進国的×田舎者的、である。そして全体のことを考へない、といふ点で悪い意味で日本的でもある。

 「発展がいつも建設を意味するわけではない」といふレジス・アルノーの鋭い指摘をどれだけの日本人が理解できてゐるのだらう。
 
 私は、今日も窓からこの恥づかしい建物を見る。 
 
 
【過去の東京スカイツリー関連の記事】

名称の批判記事

戊辰戦争と原発事故と福島と東京と 〈東日本大震災から一年〉

 まもなく、東日本大震災から一年になるのを機に、あの3月11日の大震災の日から考えていたいくつかのことを記しておこうと思う。

 今日書こうと思うのは、福島第一原子力発電所事故のこと。そして福島県の人たちの思いと東京人である私の思い。

 福島県は東日本大震災で地震と津波により大きな被害を受けた。地震と津波という点では宮城県と岩手県も同様の大きな被害を受けた。しかし福島県はその後の原発事故によって、さらなる「余計な」苦しみを負っているかもしれない。
 福島県は面積が広大だから、中通り(福島市・郡山市)や会津地方は、福島第一原発からは随分と距離が離れているが、それでもやはり放射能という目に見えない恐怖は他県民よりは強く感じているだろうし、原発事故によるいわゆる「風評被害」によって農作物が売れなくなったり、他地域に転校すると、地元の人間からは「逃げた」と後ろ指をさされ、転校先の地域の人からは「福島人が来た」と言って差別される。浜通り(太平洋側)の地域の人たちは放射能の恐怖ももっと大きいだろうし、そもそも事故後立ち入り禁止になってそこに居住できない人もいる。


・「福島」という僭称が齎したマイナスイメージ

 「フクシマ」という名前は悪い意味で世界的に有名になった。
 熊本県の水俣は緑豊かで水のおいしい風光明媚な街だが、多くの日本人は小学校の時に習った「水俣病」のイメージが強く、「水俣に旅行に行く」という発想はあまりないだろう。
 ウクライナの一地方であるチェルノブイリもそうだ。「チェルノブイリに行く」と聞いたら「何の調査目的ですか?」と思うだろう。観光で行くとは誰も思わない。
 日本国内の他県民にも、ましてや海外の人たちには、浜通りと会津地方の違いなんてわからない。とにかく「フクシマ」と言えばあの原発事故の、というイメージなのだ。海外の人にとって「フクシマに行く」ということはもはや会津磐梯山や猪苗代湖に観光に行くことではなくて「何の調査に行くんですか?」ということになっているだろう。
 こうなってしまった原因の一つは、あの原発が「福島」という僭称を名乗っていたことだと思う。
 一つの小さな地域がより広大な地域の名称を名乗ることを僭称という。小倉が「北九州市」を名乗ったり、愛媛県の小さな街が「四国中央市」を名乗ったりするのも僭称である。
 福井県の高速増殖炉「もんじゅ」のように非実在の名前を付けていれば縦令大きな事故が起こったとしても「福井」の名前がそれほど傷つくことは避けられるだろう。
 日本の原発の中で県名のような大きな名前を僭称しているのは「島根」と「福島」だけだ。なぜ「福島」などという名前を付けていたのだろう。


・福島人の東京人に対する思いを忖度する

 福島第一原発の電力は主に東京などに供給する電力だ。私たち東京人が消費している。そのための原子力発電所を東京から遠く離れた福島県につくっていた。私は今回の事故があるまで恥ずかしながら福島県に原発があることを知らなかった。自分が毎日使っている電気がどこで作られ送られて来ているのか、ちゃんとわかっていなかった。

 地元は原発があることで経済的に潤ってきた側面もあると思うが、それは原発が絶対に事故を起こさないという前提での話であって、一度事故が起こってしまったら損失・損害の方が圧倒的に大きいだろう。
 一方で、その電気を最も大量に消費していた私たち東京人は、事故の損害を直接的にはそこまで大きく被っていない。

 今、福島の人たちは東京人に対してどのような思いを抱いているのだろう。
 私は福島県には知り合いも親戚もいないので直接話を聞いたことはない。
 「被害を全部押し付けて、自分たちだけは助かって」という思いだろうか。

 あの時もそうだった。
 幕末、戊辰戦争の時。会津(福島)は江戸(東京)の幕府を守るために命がけで最後まで戦ったのに、その江戸幕府のトップである将軍様はさっさと遁走。江戸の街は「無血開城」とやらで被害も少なかったが会津は大損害。なぜ白虎隊は死ななければならなかったのか。「あれは自分たちで勝手に勘違いして死んだんだから自業自得だろう」と言われれば確かにそうかもしれないが、江戸(東京)の将軍様がひたすら自己保身を第一に考え佐幕の人間を守ってくれなかったことに対しては、やりきれない気持ちも残っているだろう。
 その後も江戸は東京と名前を変え新たな繁栄を享受したが、会津(福島)は旧幕府側ということで冷遇を受け続けた。

 福島の人たちが東京を支えるために愚直に旧体制を維持していて、それが転覆したら全国民から指をさして非難される、という構図が、幕末の時と今回の原発事故の時と似ていると感じる。
 江戸(東京)は守られたが、福島は犠牲になった。今回の原発事故での直接の死者はいないが、「原発さえなければ」と書き残して自殺した相馬市の酪農家など、間接的に命を落とした人はいる。

 おそらく東京人はこれから「脱原発」を掲げ、原発に頼らない新しい電力エネルギーを模索していくだろう。東京には原発がないから次の新たなステージへ生まれ変わることが可能である。要は福島をちょん切って別のところから新たな電力を持ってくればいいだけのことである。そう、ちょうど徳川慶喜が会津を見捨てた時のように。
 そして福島には負の遺産だけが残る。

 福島の人たちは今、胸中に複雑な思いが去来していると思う。特に原発の電力の供給先であった私たち東京人に対する思いは複雑なのではないかと推測する。しかし原発を受け入れてしまったのは自分たちの判断であるという思いもあるから、白虎隊の時のように「自業自得だろう」と言われてしまったらなかなか反論できない。そこが福島の人たちが胸の内に抱えている難しさでもあるのだろう。




 最近、「シートン俗物記」というブログの中で、シートン先生が放射性物質(やおそらく震災瓦礫受け入れの問題)に関して、

科学的に見て健康に影響があるかどうか、を基準とするのは大元から間違っている。頼みもしないものをぶち播かれて、それを受け入れろ、と言い募る。そして、それを正当化する。
そうした事を批判し、拒否しているのだ。「放射能に対する怖れ」ではなく、「そのような事態を起こした者達やそのシステムに対する怒り」なのである。

「正しく怖れよ」な人には水を引っかけちゃいな - シートン俗物記

と書いているのを読んだ。
 たしかに福島第一原発は私が生まれる前に建った建物なので、私がそういうものを作って、と頼んだ覚えはない。
 しかし、「そのような事態を起こした者」は誰なのか。「そのシステム」を作った者は誰なのか。私はその「怒り」は良いとしても、その怒りの矛先をどこに向けるかは十分に吟味する必要があると思う。
 今は福島人への差別が社会問題になっている。「システムに対する怒り」が福島人への差別に繋がらないように気をつけることが大切だ。



(3/7追記)
 私の今回の記事と似たことが書かれているブログ記事を見つけた。

 福島 フクシマ FUKUSHIMA 原発収束作業の現場から     ある運動家の報告

 原発事故の収束作業の実態がかなり詳細に書かれている。原発労働者のほとんどが原発立地周辺市町村の出身であることなども指摘されている。原発問題に関心がある人は一読をお薦めします。


【原発関連の記事】

東京人は2011年の夏を乗り切れるか

 今日4月7日、asahi.comのニュースより。

asahi.com(朝日新聞社):家庭の節電促す「電気予報」放送 今夏、経産省が検討

東京電力管内で電力不足が予想される今夏、経済産業省が、テレビやラジオで天気予報ならぬ「電気予報」の放送を検討していることが6日、明らかになった。近く放送局と調整に入る。計画停電を避けるため、電力需要の3割を占める家庭の節電意識を徹底するよう促す。
電気予報はニュース番組などで放送される天気予報に続いて、当日や翌日の電力の需要と供給の予測を時間帯別に伝える方法を検討している。猛暑で日中に需要が高まりそうな場合、「冷房の設定温度を上げて」「使わない家電製品の電源を抜いて」といったコメントも添え、視聴者に節電をするよう注意を促す。



・初めての「節電」

 経産省からこのやうな呼びかけがなくとも、今まで水や電気をこまめに節約してゐた人はゐただらう。だが、「節水」が、ダムの貯水量が足りなくなる心配から「水がもったいない」といふ精神で行はれてゐたのに対し、「節電」は、「電気がもったいない」といふよりも、今までは「お金(電気代)がもったいない」といふ精神で行なってゐた人が多かっただらう。
 今年2011年の夏は、おそらく初めて「電気がもったいない」といふ「でんこちゃん」の精神で行はれる節電となる。


・猛暑の日に冷房を消せるか

 「電気予報」はいいアイデアだと思ふが、上記記事中、「猛暑で日中に需要が高まりそうな場合、「冷房の設定温度を上げて」」といふのは、難しいだらうと思ふ。
 日頃から節電意識が高い人は、普段から冷房の設定温度を高めに設定してゐるだらう。それなのに、今日は最高気温が35℃を超える猛暑日だ、といふ日に、いつもより更に設定温度を高くすることができるだらうか。
 逆に意識の低い人は、日頃から冷房温度を低く設定してガンガンに冷やしてゐる。最高気温28℃程度の日にガンガンにかけてる人が、最高気温35℃の日に冷房をゆるめるとは考へにくい。
 そこで考へたいのが「リアルタイム節電」だ。


・リアルタイム節電

需要が急に跳ね上がって供給を上回り、予期せぬ大停電が起こりそうになれば、「ニュース速報」で電力使用をただちに控えるよう求めるテロップを流す案もあがっている。新聞やインターネットでも、電気予報ができないか検討する。


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 最近、Yahoo Japanのトップページにこのやうな東京電力の電力使用状況が表示されてゐる。
 これは、さうした一環だらう。
 だが、こゝ数日、これを見てゐるが、「毎時更新」と書いてあるものの実際には常に2時間くらゐ前の情報が表示されてゐる。
 もしできるなら、もっとリアルタイム性を高めて、電力使用状況を知らせてはどうか。さうすれば、どんなに暑い日でも「今一瞬だけ、冷房を止める」といふことは各家庭ではできるだらう。
 全員が一斉に冷房を止めて、電力使用量が十分に下がったのを見て安心して、全員が一斉に再び冷房のスイッチを入れてしまったら大変なことになってしまふわけだが、リアルタイム情報を流したとしても、そこまで大勢の人が一斉の行動を取ることはないと思ふ。情報にアクセスする時間は各人バラバラだからだ。
 リアルタイム電力使用量情報を流すなら、やはりネット、特にTwitterを使った方がいいだらう。新聞では「予報」はできても、リアルタイムな情報は伝へられらない。


 私たち東京人がこの夏を乗り切れるかどうか、知恵が試されてゐる。



大都会育ちの私が田舎で驚いた3つのこと

 よく田舎出身の人が初めて東京に上京してきた時に「人が多くて驚いた」とか「電車がすぐ来るのに驚いた」などといふ話がありますよね。
 でも、その逆の話はあまり聞かない。東京の人間が田舎に行って「こんなことに驚いた」といふギャップの話があってもいいと思ふんです。
 なので、今日は大都会育ちの私が田舎に行って、こんなギャップに驚いた、といふ話をしたいと思ひます。

其の一:バスが後ろ乗り
 学生時代、大学の仲間と一緒にある田舎へ行ったときのこと。その地元のバスに乗ることになった。私は後ろ乗りのバスが珍しかったが、他の人たちはみな地方出身者だったので慣れた様子だった。バスに乗るときに整理券らしきものが出てきたので、前の人にならってそれを手に取った。手に取ったはいいが、私はずっとその紙片の意味を理解しかねてゐた。何か番号が書いてあるけど、この紙には一体どんな意味があるのか?一日に何人の客が乗ったかカウントするためのものかとも思ったが、それにしては番号の数が小さすぎるやうだった。結局、その紙片の意味はわからず、そのまゝバスに乗ってゐたのだが、私はだんだんドキドキしてきた。だって、まだお金を払ってない!おそらく降りるときに支払ふのだらうが、一体このバスの乗車料金はいくらなのか?あと、さっきから握りしめてるこの整理券はどうすればいいの?記念に家に持って帰っていいの?わからないことだらけで、かなり緊張してきた。
 そしてさあもう降りるよ、といふ時になった。私は意を決して恥を忍んで、隣にゐた優しさうな先輩に「料金はいくらなんでせうか。あと、この券はどうすればいいんでせうか」と聞いた。「630円だよ。あゝ、その券はお金を入れるところに一緒に入れればいいんだよ」と優しく教へてくれた。
 私は小銭が無かったので、千円札で払ふことにした。ジャラジャラとお釣りが出てきたので、それを握りしめて降りようとしたら、「ちょっと」と運転手に呼び止められた。ドキッ!よく見たら手に握りしめてゐたものはお釣りではなくて、1000円がたゞ両替されたものだった。東京のバスでは千円札を入れたらお釣りだけが出てくる。田舎のバスはなんと不便なのだ。私は危うく無賃乗車するところだった。

其の二:電車に乗るのに時刻表を調べてから出かける
 これはもう、田舎の家に行くとだいたいさうなので、最近は驚かなくなった。
 私は山手線沿線に住んでるが、山手線に乗るのに時刻表を調べてから家を出たことなど一度もない。そもそも家に時刻表がないが。自分が駅のホームに行ったときに入って来た電車に乗るだけである。大体、山手線の時刻表なんて存在するのだらうか?そんなものがあったとしても当てにならないと思ふが。

其の三:タクシーで「駅まで」
 これも実際に過去に経験した話。
 ある地方都市の知人宅に遊びに行ったのだが、帰るときにタクシーで駅まで送ってくれることになった。私はタクシーは大通りに出て拾ふものだと思ってゐたが、その知人はタクシー会社に電話して家までタクシーを呼びつけた。そのことだけでも驚いたのだが、真に驚くことはその後に待ってゐた。一緒にタクシーに乗り込んだ知人が運転手に「駅まで」と言ったのだ。驚いたことには運転手も普通に「はい」と返事してタクシーを走らせ始めた。
 地域間ギャップの面白さを垣間見た瞬間だった。田舎では「駅まで」で通じるのだ。なんと素晴らしいことか。何駅か、といふ駅名は言はなくてよい。なぜなら駅はその街に一つしかないから。
 もちろんこれは東京では考へられないことだ。東京でタクシーをつかまへて「駅まで」なんて言ったら、タクシーの運転手に怒られるだらう。
 私の家は、家から徒歩10分の圏内に電車の駅が7駅ある。もし自宅にタクシーを呼び寄せて、「駅まで」なんて言ったら、確実に「どこの駅ですか」と言はれるのは間違ひない。


 以上、3つ。都会と田舎、どちらが良くてどちらが悪いといふ話ではない。かういふギャップが存在するのが面白い。田舎のバスに乗ったときはちょっと緊張したけれども、かういふ異文化に出会へるのが旅行の醍醐味だ。全国どこに行っても東京と同じやうな仕組みだったら逆につまらないだらう。

 田舎に行ったときの失敗談などはまだまだあるので、おひおひブログに書いていかう。