暫定龍吟録

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 今日、全国でもつとも早く東京の桜が満開になつた。近所に桜の名所があるので随分賑やかである。

 今日は、日本さくらの会が定めた「さくらの日」らしい。理由は「さくら」の「さく」が「39」で「3×9=27」だから。あるいは七十二候で今の時期がちやうど「桜始開」にあたるから、ともいふ。
 ところで季節を表す名称である七十二候は日本と中国で微妙に違つてゐて、日本の「桜始開」にあたる時期は中国では「雷乃発声」。遠くで雷の音がし始める、といふ意味だが、これは日本の季節感に合はないといふことで変へられたらしい。

 「桜(さくら)」の語源は、「語源由来辞典」によれば、動詞「咲く」に接尾語「ら」が付いて名詞化したものだといふ。

 芭蕉の句に、

「さまざまの事 おもひ出す 桜かな」

といふのがある。これは「まさにその通り」と思はせる句だ。日本人にはおそらく桜に対してさまざまな思ひ出がある人が多いだらう。これだけいろいろな思ひ出を去来させるのは、日本ではこの時期に年度の変はり目があるためかもしれない。

 桜と言へば、森山直太朗の「さくら(独唱)」といふ歌の中に、

「永遠にさんざめく光を浴びて」

といふ歌詞がある。光が「さんざめく」とはうまく表現したものだ。「さんざめく」とは「さゞめく」が転じたものだが、辞書によれば、「さゞめく」に比べて「浮き浮きと騒ぎたてる」といふ意味があるらしい。つまり、楽しいといつた意味合ひがあるのだ。光が楽しく騒ぎたてる、何だか目に浮かぶやうだ。
 
 芭蕉から直太朗まで、日本人は昔(特に近世以降)から桜を大切に思ひ、そしてまた桜にいろいろな思ひを乗せて歌つて来たのだ。
 このバラ科サクラ属の落葉高木が、私もまた好きだ。


森山直太朗 「桜」



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その如月の望月のころ

 「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」

 この時期になると、この歌を思ひ出す。
 今日は旧暦2月の満月。空にはきれいなまるい月が浮かんでゐる。

 西行は自らのこの歌の予言通り、如月の満月の日に亡くなつた。しかも歌人であると同時に僧侶でもあつた西行はその忌日が釈迦入滅の日(2月15日)と同じであつたといふから驚きだ。(西行が没したのは正確には2月16日)。西行ほどその最期が見事なまでに美しかつた人はゐないだらう。

 だが私は春に亡くなるのはいやだなあ、と思ふ。気温が暖かくなつたり暑くなつたりすると、昔のいろいろな感覚が甦つてくるのを体で感じる。それで懐かしさでいつぱいになつて、たぶんこの世に未練たらたらになると思ふのだ。
 亡くなるなら秋か冬がいい。記憶がなく、未練がなく、葉が落ち、草木が枯れるのと同じやうに亡くなつていくのがいいのだ。

 今日、東京では桜が開花した。しかし、この一瞬の花が美しく咲き誇つてゐるあひだに亡くなりたい、といふ気持ちもわかる。それは刹那の美である。刹那の美を間違ひなく確実に切り取つた人だけが永遠の美を受け取る。西行はさうして永遠の美を手に入れた。

 一年に一度の如月の満月の日、800年以上昔の歌人の気持ちに思ひをいたしてはいかゞだらうか。


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