暫定龍吟録

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本とは何か

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 「本(ほん)」とは何だらう? とふと思い立つた。
 今までの記事の中で、私は何回か「紙の本」といふ言葉を使つてきたやうな気がする。電子書籍に対するものといふ意味で「紙の本」といふ言葉を使つてきたのだが、そもそも「紙の」といふ修飾句は必要なのだらうか?
 そこで、「本」とは何なのかを調べるために、辞書を引いてみた。

 まづ、『大辞林』を引いてみたが、【本】は、書物、書籍。としか書かれてゐない。では、【書物】はと引いてみると、本、書籍。【書籍】は、本、書物。と堂々巡りで何の説明にもなつてなかつた。

 こゝは『明鏡』先生、よろしくお願ひします。

 

【本】文章・絵・写真などを編集して印刷した紙葉を、ひとまとまりに綴じて装丁したもの。『明鏡国語辞典』



 おゝ、非常にわかりやすい。やはり本とは「紙葉」なのだ。紙なのだ。わざわざ「“紙の”本」と言ふ必要はないのだ。
 でも、念のために『新解』さんにも聞いておかう。

 

【本】人に読んでもらいたいことを・書い(印刷し)てまとめた物。『新明解国語辞典』



 あれ、「紙」とはどこにも書いてゐない。「印刷して」といふところを重視すれば紙だが、「書いて」なら、電子書籍でも「書いた」ことに変はりなく、それを「まとめた物」を「本」と言ふのなら、やはり電子書籍も本なのか。

 よくわからなくなつてきた。

 英語には「ebook」といふ単語があるらしい。そのまゝ日本語に訳せば「電子本」だ。「電子書籍」といふ言ひ方は長つたらしく堅苦しいので、「電子本」といふ言ひ方が広まるだらうか。
 「メール」は、それが日本で広まつた初期の頃、「電子メール(eメール)」と呼ばれてゐた。だがそのうち「電子」は省略されて、単なる「メール」になつた経緯がある。なぜ「電子」が省略されてもよかつたかといふと、単に「メール」と言つても紙の「郵便(手紙)」と混同する虞れがなかつたからだ。
 しかし「電子本」は「電子」を省略して「本」と言つてしまふと、紙の本との言ひ分けができなくなる。

 今年2010年は、「電子書籍元年」になるとも言はれてゐるが、「電子書籍」などといふ堅苦しい言ひ方が膾炙するのか、それとももつと簡単な別の言ひ方の言葉が広まるのか、注目だ。

 ところで余談になるが、「若者の活字離れ」などといふ言葉をよく聞くけれども、「活字」つて何?

 これも辞書で調べてみたら、

【活字】①活版印刷に用いる金属製の文字の型。『明鏡国語辞典』

とある。
 活版印刷といふものがそもそもどのやうなものかよくわからないが、そして現代の印刷がどのやうな方法で行はれてゐるかもよく知らないが、おそらく「金属製の文字の型」などは使はれてゐないのではないだらうか。だとすれば、若者の活字離れは当然のこと、と言へる。
 だが「活字」にはもう一つの意味があつて、

【活字】②本・雑誌などの印刷物。『明鏡国語辞典』

とある。
 この意味なら、広く「印刷物を読むこと」から離れてゐる、と解釈することができる。

 たゞ、どちらの意味にしても、「活字離れ」は「文字離れ」ではない。パソコンやケータイの画面に書かれてゐるWeb上の文章や、世界で一番多いと言はれる日本語のブログを読んでゐるのも日本の若者たちだ。それは印刷されてゐないといふだけであつて、「文字」であることに変はりはない。

 「文字離れではないのだから、とりあへず安心だ」とひとまづ胸をなでおろしてよいのか、それともやはり、紙・印刷物から若者が離れて行つてる現状を憂慮すべきなのか、これはまた別に論じられなければならない問題だ。

 ともかくも、若い世代ほどパソコンやケータイなどの電子画面を見慣れてきてゐる人が増えてゐる。「紙の本」が無くなるとは思はないが、「離れ」はこれからの数年、加速するだらう。


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新潟県出れ

 1月11日、『広辞苑第六版』が発売された。
 それで、今日、早速、このやうなニュースが新聞に出てゐた。

 

広辞苑:「在原行平」伝説の記述に誤り
 広辞苑の「芦屋」の項に「在原行平(ありわらのゆきひら)の伝説の舞台」などと誤った記述のあることが分かった。岩波書店(東京都)は修正を検討する。

 広辞苑は今月、10年ぶりに改訂され、第6版が出版された。この中で「芦屋」を「兵庫県南東部の市」「在原行平と松風・村雨の伝説などの舞台」とした。ところが、行平に愛された姉妹を描いた能「松風」の舞台は、須磨(神戸市)。芦屋にゆかりがあるとされる弟・業平(なりひら)と混同したとみられる。誤表記は1955年の初版からという。

毎日新聞 2008年1月21日 東京朝刊

http://http://mainichi.jp/select/wadai/archive/news/2008/01/21/20080121ddm041040025000c.html



 しかし、私はこれよりも早い1月17日に、早速、新・広辞苑の中に誤りを見つけてしまつたのだ。
 断つておくが、私は辞書マニアでもなければ、粗探しを趣味とする者でもない。ただ、誤字の方から目に飛び込んできたのだ。

 今回の新版(第六版)では、【ジャイアント馬場】といふ項目が新たに収録されたとして、発売前から少し話題になつてゐた。それで早速、新版で【ジャイアント馬場】を引いてみたら、

プロレスラー。本名、馬場正平。新潟県出れ。(後略)



と書いてある。

新潟県出れ。

 はい、新潟県を出て行きます。

 私は一目、「新潟県生れ」の間違ひだと思つたが、すぐに、いや天下の広辞苑が間違つてゐるはずはない、と思ひ返した。それほど、私の中での広辞苑に対する信頼は厚かつた。もしかしたら、「出れ」と書いて「うまれ」と読むんじやなからうか…。
 しかし、【長谷川町子】は「佐賀県生れ」と書いてあるし、【岡本太郎】は「東京生れ」と書いてある。あゝ、やはり、「出れ」は「生れ」の間違ひなのだ。

 岩波書店辞典編集部さま、大変申し訳ありませんが、間違ひを見つけてしまひました。しかし、私の広辞苑に対する信頼の度合はつゆも変はりませぬ。広辞苑第六版、これから末永く愛用していきたいと思つてゐます。