暫定龍吟録

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日中韓、碁風の違いから見る領土問題

 日本と中国、韓国の間で領土問題が再燃している。

 この8月の一聯の騒動を見ていて、私は日本と中国、韓国の碁風の違いを思った。

 囲碁は日本と中国と韓国でメジャーなゲームである。ルールもほぼ同じなので、よくこの3カ国を中心とした国際大会も開かれている。

 将棋は相手の王様の首を狙う「戦争ゲーム」だが、囲碁は「陣地取りゲーム」である。陣地(領土)をより広く取ったほうが勝ちというゲームなので、まさに「領土ゲーム」と言える。

 この「領土ゲーム」を考えることが領土問題を考えるヒントになるのではないか。


囲碁で負け続ける日本

 この囲碁の世界で日本は近年、中韓に負け続けている。

 例えば昨年2011年まで世界囲碁選手権富士通杯というのが開かれていたが、2000年以降の優勝・準優勝者を国別に上げると次のようになる。


優勝準優勝
2000年韓国中国
2001年韓国韓国
2002年韓国韓国
2003年韓国韓国
2004年韓国日本
2005年韓国韓国
2006年韓国中国
2007年韓国韓国
2008年中国韓国
2009年韓国韓国
2010年中国韓国
2011年韓国中国

 また、2010年のアジア競技大会の囲碁競技における成績は次の通りである。


金メダル銀メダル銅メダル
男女ペア碁韓国中国韓国
男子団体戦韓国中国日本
女子団体戦韓国中国中華台北

 ご覧のように中国と韓国の二占である。
 これらの大会には各国のトッププロ棋士が参加し、日本からも名人や本因坊など一流のトップ棋士が参加しているのだが、優勝はおろか、ベスト4に入ることすらもほとんどできない状況である。他の国際棋戦でも同様である。
 領土取りゲームでずっと中国、韓国に負け続けているのである。


碁風の違いから探る日本の弱さ

 なぜ、日本は弱いのか。

 それは、一つには競技人口の差というのがある。日本では囲碁と言えば老人の趣味みたいなおもむきがあるが、中国・韓国では子どもの頃からたくさんの人が囲碁に親しんでいる。裾野が広いのである。

 しかしそれにしても日本は弱い。競技人口の差を差し引いて考えても弱すぎるのではないか。

 日本と中国・韓国の間にはよく“碁風”の違いがあると言われる。

 「厚み」重視と「実利」重視の違いというのがあって、囲碁を打たない人にそれを説明するのは難しいが、簡単に言うと「厚み重視」とは盤面全体を重視するのに対して、「実利重視」というのは細かいポイントを重視することである。

 日本の棋士は「厚み重視」の人が多く、中韓の棋士は「実利重視」の人が多いと言われる。

 ところで、囲碁というのは将棋と違って終局が難しいゲームである。将棋の場合は、どちらかの王様が詰んだら(逃げ場所がなくなったら)負けなので、ゲームの終わりははっきりしている。それに対して囲碁はゲームの終わりが複雑で曖昧なところがある。
 最後まで領土の境界線が曖昧なところが残るので、その境界線の確定作業(終局作業)をし、そのあと整地作業をして、ようやくゲーム終了となる。
 つまり囲碁というゲームは、両対局者が協力してゲームを終わらせないといつまでたっても終わらないのである。

 問題は、激しい戦いから終局作業に移行する瞬間である。普通は、それまで激しい戦いを繰り広げていた両対局者が、もう大体勝負は終わったなと思ったら、お互いに目で合図するなどして終局作業に移る。

 しかし「実利に辛い」と言われる中韓の棋士は最後までポイントを稼ごうと思っている時、「まだ勝負は終わっていない」と思っている場合がある。日本の棋士が「もう勝負は終わった」と思い終局作業に入り緩い手を打ったらまだゲームを続けて厳しい手を打っていた相手の棋士に石を取られて逆転負けを喫することもある。


 日本の棋士は、過去にはずっと日本の棋士だけを相手に戦い、日本人同士「阿吽の呼吸」でお互いに終局作業に入ることができていた。
 しかし十数年ほど前から国際交流が盛んになって実利に辛い中韓の棋士たちと戦うようになって特に終盤で勝てなくなった。

 日本の囲碁は伝統的に「布石」と呼ばれる序盤の研究は盛んだったが、「詰め」とか「寄せ」と呼ばれる終盤が弱かった。「詰めが甘い」のである。

 尖閣諸島や竹島を巡る領土問題を見ていると、まさにこうした囲碁界における特徴、日本と中韓の違いがよく表れていると感じる。

 日本は「大局的見地に立って」領土問題を解決していこう、と言っている。囲碁の世界で言う「大局観」である。
 日本は領土問題というゲームは日本と相手国が協力してお互いに落とし所、妥協点を見つけて何とか終局に持って行くものだと思っている。そうしないといつまでたっても終わらないじゃないか、と思っている。

 しかし中韓は、領土問題というゲームはまだ終わっていないと思っている。まだ戦いは終わっていないのであり、竹島の接岸工事や大統領の訪問といったことも、実利(実効支配)を重視したポイント稼ぎである。

 日本は韓国に対して「ICJ(国際司法裁判所)で決着をつけようじゃないか」と言って歴史的正当性だけ主張できれば勝てるように思っているけれども、「詰めが甘い」日本が果たして本当に勝てるのかどうか心配である。

 日本は歴史的大局、あるいは国際法的、政治的大局に立って正当性を主張しているが、韓国は小さなポイントを着実にたくさん積み重ねているのである。


ルールの違いから見る領土の捉え方

 今までの話はどちらかと言えば韓国を念頭に置いた話だが、ここからは中国の話。

 日本と中国では、囲碁のルールが少しだけ違う。

 日本では石の線で囲ったところが自分の陣地であり、その陣地が広かった方が勝ちである。
 中国ではそれに加えて置いた石の数も得点に入る。

 このルールの違いによって勝敗が変わってくることはほとんどないのだが、そのルールの違いから囲碁に対する考え方が若干異なっているように思う。

 先日、内田樹氏のこんな記事を読んだ。


 領土問題は終わらない (内田樹の研究室)

彼らに「国境」という概念(があるとすれば)それは私たちの国境概念とはずいぶん違うものではないか

国境付近の帰属のはっきりしない土地については、それが「あいまい」であることを中国人はあまり苦にしない

華夷秩序では、中華皇帝から同心円的に拡がる「王化の光」は拡がるについて光量を失い、フェイドアウトする。だんだん中華の光が及ばない地域になってゆく。だが、「ここから先は暗闇」というデジタルな境界線があるわけではない。


 この内田氏の説に従ってみるならば、中国の碁における碁石は「中華」である。碁石(中華)がどこまでも生きていったところまでが「領土」である。

 一方、日本の囲碁は碁石の線で囲ったところまでが自国の領土である。

 囲碁のルールの違いというこんなところにも日本と中国の領土に対する見方、考え方の違いが表れているように思える。

 (因みに韓国の碁は日本ルール。)


最後に

 「碁風」は当然ながら個人差が大きく、日本、中国、韓国の棋士がそれぞれ全員同じというわけではない。また、この記事では「中韓」と言っているけれども、実際には中国と韓国の碁はまた少し違うところもある。それに尖閣諸島の問題と竹島の問題は同じ「領土問題」と言っても問題の質が違う。

 そうした点も踏まえて、この記事は一つの仮説として楽しんでいただきたい。

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クルマ社会とパチンコ社会日本

 先日、秋葉原の書店の店頭で、『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(若宮健著、祥伝社新書)といふ本を見かけた。
 そのことについてブログに書かうと思ってゐたら、すでに小飼弾氏が書いてゐた。

404 Blog Not Found:国辱 - 書評 - なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか

Amazonの在庫が一向に回復しないので楽天で買ったが、その楽天も今は在庫切れ。今調べた限りe-hon、7net、紀伊國屋Webにはまだあるようだ。


と書いてゐるが、私が数日前に書店に行ったときは普通に書棚に積み上がってゐた。小飼氏はリアル書店には行かないのだらうか。

 先づ、この刺激的なタイトルに惹かれて手に取った。

 韓国がパチンコ店を全廃できたことを日本で最初に報じたのが、この著者なのださうだ。
 韓国社会は以前、パチンコによる腐敗がひどく、パチンコ中毒者がたくさん出て大きな社会問題になったらしい。しかしその後、国を挙げての政策で国内からパチンコを一掃した。そして著者は、なぜパチンコは廃止されなければならないのか、なぜパチンコが「害」なのかを詳しく説いてゐる。

 そしてこの著者が最も力を入れて訴へてゐることは、どうして韓国にできたことが日本にできないのか、といふことだ。韓国にできて日本にできないのが悔しい、といふ著者の熱い気持ちが伝はってくる。

 さう言へば、韓国は数年前にもソウル市内の清流「清渓川」を復活させた。高速道路を撤去し、暗渠化された川を清流として蘇らせた。都心の一等地で不可能と言はれた大プロジェクトだったが、見事に成功させたのだ。
 翻って、我が日本の東京では、都心部に相変はらず高速道路が走り、川は暗くて汚いまゝだ。日本橋を訪れる若い人の中には、橋の上に架かってゐる高速道路が「日本橋」なのだと思ってゐる人もゐるとか。

 この本の著者は他にも、韓国に取材に訪れたときに感じた電車内での若者のマナーの良さについても書いてゐる。韓国の若者はシルバーシートに座らないとか、年上の人にさっと席を譲るとか。いづれも日本人が見習ひたいことだ。

 この本全体から私が感じたのは、著者の、昔の美しき日本を取り戻したい、といふ熱い思ひだった。

 いったいこの本を書いた若宮健といふ人はどんな気鋭の若手ジャーナリストなんだらうと興味を持って、著者プロフィールを見てみたところ、

1940年秋田県生まれ。ジャーナリスト。


と書いてあり、決して若くはないことがわかった。しかしその後に書かれてゐたプロフィールが特に私の目を引いた。

トヨタ自動車に19年勤務。営業マン13年の実績から、トヨタ本社より新車1000台販売の表彰を受ける。


と誇らしげに書いてあったのだ。

 私は、手にしてゐたその本をそっと棚に戻した。

 この著者は、パチンコの害悪を訴へてゐるが、戦後日本のモータリゼーションに伴ふ、騒音、公害、環境問題、「交通戦争」とまで呼ばれた交通事故死者の問題、日本の田舎の隅々にまで行き渡ったクルマ社会が齎す様々な問題、景観問題等を、どう考へてゐるのだらうか。

 日本は田舎に行けば行くほどクルマ社会だ。田舎の本屋は必ずと言っていいほど「本」と書かれた巨大な看板を掲げてゐる。あれはクルマに乗って猛スピードで走り抜けていくドライバーに気付いてもらふために、あゝなってゐるのだらう。
 日本の田舎はどこに行っても、さうした似たやうな醜い光景が広がってゐる。かうした問題を2004年に告発したのが、三浦展『ファスト風土化する日本』(新書y)といふ本だった。三浦展氏は、この本で、日本の田舎が地域固有の特性を失ひ、どこに行っても大型ショッピングセンター、ファミレス、パチンコ屋、といった似たやうな風景が並んでゐる醜さを批判し、かうしたものが田舎に住む人々の暮らしの在り方や家族の在り方、ひいては人間関係までをも変容させてしまってゐると説いた。

 私が住んでゐる東京の真ん中は、電車網が発達してゐてクルマは要らないはずなのに、東京でクルマの交通量が少ないなどといふこともない。

 世界中から観光客が訪れる古都京都も、烏丸通や四条通などのメイン通りを除けば、だいたいは細い通りで、どれぐらゐ細いかといふと、どの通りもちゃうどクルマ一台が通れるくらゐの幅に出来てゐる。クルマが通るたびに散策中の観光客が一斉に壁にへばりつくのは、よく見る光景である。
 あの「古都」京都でさへ、クルマ第一主義、クルマ優先社会なのだ。他の都市は推して知るべし。

 私には、クルマに汚染された日本社会とパチンコに汚染された日本社会は同じくらゐ醜く見える。


 とは言へ、「パチンコの病理」をこゝまで深く追及した本は他にないと思ふので、日本社会とパチンコの問題について考へる上では、価値のある本だと思ふ。


オリンピックとTwitter

 オリンピックにはさほど関心がないのだが、今日の開会式の雰囲気を少しでも味はつてみようと、Twitterで、Twitterが本人確認しているバンクーバー五輪の選手リスト@verified/olympiansの更新を見てゐた。

 見てゐて思つたのは、ツイートのほとんどが英語であること。ITmedia Newsによれば、開会式でTwitterをリアルタイムに更新してゐたのは、米国とカナダの選手が中心であるとのこと。日本の選手による日本語のツイートが一つもなかつたのは、やゝ意外だつた。日本は世界的に見ても、Twitterユーザーの多い国だからだ。

 お隣の韓国では、日本でも知名度の高い女子フィギュアスケートのキム・ヨナ選手がTwitterを利用してゐることが有名だが、「Yuna Kim(@yunaaaa)」(←注:本物の本人のアカウントか確認をとつてゐません)を見るかぎり、開会式の時には何もつぶやかなかつたやうだ。
 フィギュアスケートで金メダルを取つたら、「優勝なう」とか韓国語でつぶやくのだらうか。「表彰台なう」はさすがに無理だと思ふが。表彰台に上がり国旗が掲揚され国歌が流れてゐるときにモバイル端末を弄つてゐたら不謹慎だ。

 かうして各国のさまざまな選手がTwitterでツイートすることにより、オリンピックをよりリアルタイムに感じ取ることができるが、でもリアルタイム性といふことで言ふなら、テレビの生中継の方がよつぽどリアルタイム性は高い。
 テレビカメラがあまり入れない選手村の様子などをツイートしてくれれば、それはTwitterの価値といふことになるかもしれない。

韓国のブラウザ事情から考える独占の怖さ

 先日、「中国人、韓国人はFirefoxがお嫌い?」といふ記事を書いた。インターネット大国のイメージがある中国、韓国におけるFirefox 3のダウンロード数があまりにも少ないことに驚いたからだつた。

 その記事で、中国ではもしかしたら皆、中国産のブラウザを使つてゐるのかもしれない、といふ推測を立てたが、韓国は、韓国産のブラウザといふのも聞いたことがないし、韓国人は皆一体、何のブラウザを使つてゐるんだらう、といふ疑問を残したまゝだつた。

 特に韓国は、Firefox 3のダウンロード数が日本の10分の1程度と極端に少なく、その点も大いに疑問だつた。

 ところが、今日、それらの疑問に対する一つの答へを見つけた。

 日経BP社の「PC Online」といふサイトがあり、その中に趙章恩さんといふ人が書いてる「Korea on the Web」といふコラムがある。その7月24日付の記事がずばり「韓国ではFirefox 3が使い物にならない理由」だつた。

 それによれば、韓国のブラウザ事情は、Internet Explorerが99%を占めるのださうだ。つまり、韓国人のほとんど全員がIEを使つてゐると。なぜこんなにIEのシェア率が高いのか?
 それは、韓国の電子政府や行政サイトなどほとんどのサイトがIEに適して作られてゐるから。そしてもう一つの理由は、韓国の多くのサイトがマイクロソフトの技術であるActiveXを多用して作られてきたから。だから、韓国の多くのサイトは未だにIEでしか表示できず、Firefoxなど他のブラウザでは表示できないのらしい。
 著者は、韓国のインターネットが今まであまりにもマイクロソフトに依存しすぎてきたことを「恥ずかしいことだ」と言つてゐる。

 なるほど。これで韓国でFirefoxが使はれてゐない理由がなんとなくわかつた。韓国人のITジャーナリストが言つてるのだから、かなり確かなのだらう。海外のIT事情に疎い(国内も疎い)私にとつては、かういふ明快な説明はありがたい。

 IEの独占と言へば、その昔、IEがNetscapeを駆逐していつた歴史を思ひ出すが、インターネット先進国であるはずの韓国は、結局そのマイクロソフト環境にどつぷりと浸かり続けてきて、脱出に失敗したわけだ。
 日本も決して多様なブラウザが活躍できてゐる、とは言ひ難い状況だ。Firefox 3で表示できないサイトもまだある。だが、韓国に比べれば、日本の環境はまだマシなのかもしれない。

 ブラウザはネットの入り口にすぎない。ブラウザは所詮、パソコンの付属物だ。そのパソコンの世界はマイクロソフトが独占してきた。そして、ネットの世界はグーグルに独占されつゝある。両者の違ひは、マイクロソフトが“嫌はれ者”であるのに対し、グーグルは“人気者”であるといふことだ。

 でも、嫌はれ者であれ人気者であれ、一国全体が独占企業に依存していくのは怖いことだ。日本のパソコンが“脱マイクロソフト化”をがんばつてきたやうに、日本のインターネットも、“脱グーグル化”の対策を今一歩進めていかなければこの先、怖ろしいことになつていくのではないだらうか。