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「復興」の名の下に消されるもの 〜東日本大震災から五年〜

 あの日から今日で丸五年。
 今年は五周年というだけでなく、曜日も一致しているので、尚更にあの日を如実に思い出す。

 3月11日は痛恨の日。私は現代の日本で、一度の自然災害で一万人以上の死傷者が出るなんて思っていなかった。そういうのは発展途上国における話だと思っていた。

 あれだけの大きな被害があったのだから、当然に「大反省」が来るだろうと思っていたところに反省が来ていない。

 原子力発電所もそうだが、防潮堤とか、被災した学校校舎の取り壊しとか。

 防潮堤など、「世界最大級の防潮堤があるから大丈夫」と慢心して逃げるのが遅れたから被害が大きくなってしまっているのに、今また新たにもっと大きな防潮堤を建てようと計画している。

 小学校の校舎も取り壊そうという動きがある。「復興のため」。綺麗に取り壊して跡地に高層ビルや高層マンションでも建てればたしかに復興したように見える。
 しかし記憶は消える。すべては「なかった」ことになる。波に攫われていった子供たちなどいなかったことになる。「建物は取り壊しても、子供たちのことはちゃんと心に残っています」と言うかもしれない。でも大半の人は忘れる。人間はただでさえ忘れやすい生き物なのに痕跡や遺構がなかったらどんどん忘れていく。
 「復興」は大事だが、この言葉が国や不動産業者などが大好きな「再開発」のための名目に使われることを私は懼れる。
 震災からまだ五年しか経っていないのに、震災の被害に遭ったほとんどの建物は綺麗に取り壊され平地にされていると聞く。小学校だけでなく、もっと多くの公共の建物を遺構として残すべきではなかったのか。どうしてさっさと「片づけて」しまうのか。

 「見ていると思い出してつらいから」。関係者は確かにそうだろう。しかし広島の原爆の直接の「関係者」は今やほとんど居らず、それでいて原爆ドームが日本中のみならず世界中の人々に原爆の悲惨さを教えている影響力の大きさを思うと、建物を取り壊してしまうのはあまりにも乱暴すぎる。

 人間は歴史に学ばない。これだけの「大被害」があってもなお学ばないのなら、あの日の一万数千の命は浮かばれない。

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311と想定外

 東日本大震災から二年になるのを機に、あらためて311を振り返りたい。


地震は想定外だったか

 福島第一原発事故のあと、「想定外」という言葉が盛んに使われた。

 できるかぎりの可能性を想定して安全性の確保に努めていたけれども、こんなに大きな地震や津波は想定外だった、ということだ。

 たしかに近年に前列のない大きさの地震だった。発表されたマグニチュードの数字は何度か変更があった。
 近年の日本での巨大地震と言うと阪神大震災、そして知名度の高い大正時代の関東大震災などが思い起こされる。でもどちらも津波の被害のない地震だった。
 それよりもっと古い明治三陸津波、あるいは江戸期の安政の大地震や宝永地震が引き合いに出され、さらにはそれよりずっと古い平安期の貞観地震以来の大地震、1000年に一度の未曾有の大地震と言われた。

 この「想定外」、「未曾有」ということについて政府事故調査委員会の委員長も務めた失敗学の権威、畑村洋太郎がそのものずばり『未曾有と想定外』という本を書いている。


未曾有と想定外─東日本大震災に学ぶ (講談社現代新書)未曾有と想定外─東日本大震災に学ぶ (講談社現代新書)
(2011/07/15)
畑村 洋太郎

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 その中で畑村氏は「未曾有」と言っても津波にかぎって言えば明治期、昭和期にも三陸沖で似たような津波があったわけだし、「想定外」と言ってもその想定外を想定するのが専門家の仕事なのだから、「未曾有」や「想定外」という言葉を責任逃れの免罪符にしてはいけない、と厳しく指弾している。


二つの原則

 たしかに「想定外」という言葉を責任逃れのための言い訳の道具に使ってはいけない。
 しかし私は同時にまた、想定外ということはあり得るだろうと思うのだ。

 この二年間、想定外ということ、そして人間が稀に受ける大きな運命の打撃について考えていた。
 そして考えたのは、人間が避けることのできない大きな二つの原則があるということである。即ち、

 「人間には想定できないことがある」

という第一の原則。
 さらに、

 「人間は稀にしか起こらないことには備えることはできない」

という第二の原則とである。
 この二つの大原則を見落とすならば、畑村失敗学は間違うだろう。


第一原則 人間には想定できないことがある

 人間には、どうしても想定できないことがある。予測も予想も、想像することすらできないことがある。
 思いも寄らなかった、考えてもみなかった、ということがある。
 それは人間の想像力には限界があるからである。井の中の蛙は大海を見たことがない、知らないだけでなく、イメージすることすらできない。
 現代の人間は、宇宙の外側がどうなってるのか知らないし想像することもできない。
 近代から現代にかけて科学やテクノロジーが発達して判ったことは、この世界にはわかってることよりも、未だわかってないことの方が遙かに多いということだった。
 想像の限界だけではなく、人間には「盲点」というものもある。
 「空気のような存在」という言葉があるが、昔の人は何もない空間に空気が“ある”とは思わなかった。あるいは数学の世界における「零の発見」とか。あまりにも当たり前すぎて意外と盲点になっていて見落としてしまっているものはたくさんある。


第二原則 人間は滅多に起こらないことには備えることはできない

 人間は滅多に起こらないことには備えることはできない。
 そのことを非常ベルの話、隕石衝突の話、オオカミ少年の話を例に考えてみよう。


もしも非常ベルが鳴ったら、その瞬間どう思うか

 中学の頃、非常ベルが廊下に鳴り響くことが偶にあった。
 皆さんがもし中学校の授業中に非常ベルを聞いたら、どう思うだろうか。

1.火事だ!逃げろ!
2.今日、訓練だったっけ?
3.業者の点検が入ってるのか?
4.また誤作動か…
5.また誰かががふざけて押したな

 この五つのどれだろうか?
 私が通っていた学校はオンボロだったので真っ先に4番を考えた。また不良の生徒も多かったから5番も考えた。
 ちゃんとした(?)学校だった人は4番や5番は思わないかもしれない。もっとちゃんとした学校なら、「非常ベルなんて一度も聞いたことない」か。しかし1番だと思う人も少ないのではないだろうか。


隕石問題

 「どんな危険でも、それが起こる確率が完全にゼロではないのなら、あらゆる危険が起こる事態を想定して備えておくべきです」と言う人がいる。

 では、そういう人は、隕石の衝突に対する何らかの備えをしているのだろうか。
 家一軒を潰すのにちょうどいい大きさの隕石が空から降ってきて、自分の家をピンポイントで直撃する危険性はゼロではない。確率的には限りなくゼロに近いが完全にゼロではない。何か家の屋根に衝突を和らげる材料を取り付けたり、何らかの対策を取っているのだろうか。

 私は以前からこの問題を「隕石衝突対策問題」あるいは「隕石問題」と呼んでいた。「人間は隕石の衝突に備えるべきか」、あるいは「備えることができるか」という問題である。

 以前も、このブログで紹介したことがあるが、統計学の竹内啓が書いた『偶然とは何か』という本がある。この本の中でこの「隕石問題」が取り上げられている。
 ところで、この本は、あまり知られていないスゴ本である。2013年のロシアでの隕石落下騒ぎや2011年の東日本大震災が起こる直前の2010年に書かれた本だが、隕石衝突問題や原発のメルトダウンのことについて言及している。


偶然とは何か――その積極的意味 (岩波新書)偶然とは何か――その積極的意味 (岩波新書)
(2010/09/18)
竹内 啓

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 竹内氏は「人類文明の存続というような超大問題から、いろいろなレベルの集団から個人に至るまで、『きわめて小さい確率はゼロと見なす』ということは行動原理とならねばならない」と言う。

そもそも非常に小さい確率の場合、それを実際に検証することは不可能である。それは一定の仮定のもとに計算上導かれた値にすぎない。したがってそれと現実とを結びつける関係は、「小さい確率の事象は事実上起こらない」ということにほかにはないのである。


人類全体も個人一人一人も「きわめて確率の小さいことは起こらない」とする前提にその存在を賭けていることになり、そこに本質的な不安全性が存在するというべきであるが、それはこの宇宙に生きる限り避けられないものである。われわれはそのことを認識すると同時に、そのような危険は無視して生きなければならない。



 竹内氏は、小さい確率のことは起こらないと思って生きなければならない、と言う。これは「もっと想定できるはずだ」と言う畑村氏の言と相反しているように見える。
 だが、相反してはいない。両者とも、どこまでが可能の限界でどこまでが不可能なのかを見極めることの重要さを言っているのである。

 さらにこの本のすごいところは、起こってはならない大事故が起こってしまった時の「不運」を認めた上で「不運の事後処理」の問題を考えなければならない、と説いているところである。

 被害者の「不運」をどう社会で分配していくかを考えなければならない、と竹内氏は言う。これは、東日本大震災のことと併せ考えながら読めば、実に深く考えさせられる。津波被害にしろ、原発被害にしろ、被災者の不運の事後処理は国民全員で、世界全体で考えなければならない問題である。


オオカミ少年の話の続き

 イソップ物語に「オオカミ少年」という話がある。毎日「狼が来た!」と嘘を吐いては村人が慌てふためくのを楽しんでいた少年が本当に狼が来た時に「狼が来た!」と叫んでも誰も信じてくれなかった、という話だ。
 この話は、だから嘘を吐いてはいけない、普段から嘘を吐いてるといざという時に信じてもらえないよ、という教訓話として語り継がれている。
 自己責任論者ならば「あの少年はかわいそうだったけど、まあ自業自得だね」と言うかもしれない。
 この話は少年が食べられた(若しくは少年が飼っていた羊が食べられた)ところで終わっているが、私はこの話はこんなところでは終わらないと思う。
 狼は集団で行動することが多い動物である。当然、少年一人を食べても食べ足りずに更なる美味を求めて集落の奥深くまで村人たちを襲いにやってくるに違いない。
 「自己責任だ」とか「自業自得だ、ざまあみろ」などと言って少年一人を切り離している人たちは我が身の問題として捉えられていない人たちである。羊が食べられたという話だったとしても、少年が管理していたその羊たちは村人たちにとっても大切なものではなかったのか。
 「えっ!?今回は本当だったの?また、あの少年の嘘かと思った」と言っても、もう時すでに遅し。飢えた狼の集団にぐるりと囲まれて万事休す。
 啻に少年一人の身の問題ならず、村人全員の問題である。
 村人たちの対応には明らかに問題がある。少年がいち早く危険を知らせてくれたにもかかわらず何の対応もできず狼の侵入を容易に許した。

 今回の震災でも似たようなことがあった。津波警報が出ていたにもかかわらず、「どうせここまで津波は来ないよ」、「今までの人生で何度か津波警報を聞いたことがあるけど、津波があの防波堤を越えて来たことは一度もないよ」、「逃げるほどのことはない」、そう言ってて高台に逃げずに、あるいは逃げるのが遅れて、津波に飲まれた人がいっぱいいた。もっと早く高台に逃げていれば助かった人がいっぱいいた。

 では、なぜ人々は逃げられなかったのか。


強力な「習慣化」

 何よりも強くて怖いものは「慣れ」である。

 大震災を機に、毎週一回、必ず避難訓練をするようにしましょう、と決めた街があったとする。しかしマメに訓練をしていればしているほど、サイレンや非常ベルを聞いた時に人々は訓練だと思ってしまう。「いつもそう」だと「今回もそう」と人間は思ってしまうものだ。
 非常ベルがしょっちゅう誤作動を起こしている学校の子供は「また誤作動だ」と思って、「逃げる」という行動には至らない。

 津波警報を出すかどうかを判断する担当者というのがいるだろう。

A.警報を出したけれど、実際には10㎝程度の小さな波しか来なかった

B.警報を出さないでいて、8メートルの巨大な津波が来た

 どちらも「外れ」には違いないが、どちらがマシかと言えば、前者の方がマシである。もし後者のようなことが起こってしまったら担当者は「なぜ警報を出さなかったのか」と全国から非難される。なので自分が「大責」を負うのを恐れて「念のために」「念には念を入れて」少しでも津波の危険性が予想される場合は警報を出す。
 しかし、この「念のために」小さな波の時にも「警報」という大仰な報せを出すことで(※警報は注意報よりもレベルが上)、人々の間には「どうせ今度も大したことない」というオオカミ少年の村人に似た感覚(「オオカミ少年効果」)が広がる。人々の感覚は次第に警報と実際の波の小ささの間のズレを覚え、ゆっくりと麻痺していく。

 少年に100回も嘘を吐かれて、それで101回目の「狼が来た!」を虚心坦懐な気持ちで新鮮に聞け、と言うのはかなり難しいことである。慣れに抗える人間などそうそういるものではない。

 オオカミ少年の話は、「どんな時も常に警戒を怠るな」という教訓話である、という人もいるが、私はそうした見方は「習慣」の強力さを見縊っていると思う。

 非常ベルやサイレンへの反応の早さを促すためには、予測の精度を上げることが重要になる。機械やコンピュータへの信用の度合いがまだ全幅でない時代には人間は自身の勘や直感を優先させるものだ。
 しかしその直感は屡々経験則に基づく。そしてその経験というのは、その人が生きて来た、たかだか数十年の経験なのだ。

 その短さを補うために歴史は記録されている。過去、何百年、何千年にわたる人類がさまざまなアーカイブを残してきた。


不幸を繰り返さないために

 これは畑村氏批判の記事ではない。
 畑村氏が『未曾有と想定外』で言っているのは、未曾有にしろ想定外にしろ、その範囲が狭過ぎる、ということである。
 「未曾有」は「いまだかつてない」という意味だ。過去50年にはなかったかもしれないが、過去100年、1000年、10000年まで遡れば、これぐらいの規模の地震はあっただろう。
 そして、今回の震災に関しては専門家が想定していた範囲はあまりにも狭すぎた。
 私は基本的には、人間には想定できないことがある、という考え方だが、決められた範囲内で問題解決を図るのは皆得意だが、どこが問題とすべき範囲なのかの線引きができる人は少ない、という畑村氏の指摘は重要である。

 畑村氏は、昔の人々がさまざまな形で記録を残して来たのに、現代の人はそれをじゅうぶんに活かすことができなかったということをたくさんの事例で紹介している。

 過去何百年、何千年にわたって人類が残してきたアーカイブ。それをなぜ活かすことができなかったのか。そして現代の情報テクノロジーはなぜ十分に活かされなかったのか。

 また別稿で、震災とInformation Technologyの関係について考察してみたい。



 「オオカミ少年効果」と津波に寄る死者を一人も出さなかった茨城県大洗町の事例をNHKの井上裕之氏が以下に纒められているので参照されたい。

 大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか(PDFファイル)

Twitterとブログで振り返る3月11日 〈東日本大震災から一年〉

 くりかえし、くりかえし、3月11日のことを思ってきた。この一年間は、ほとんど3月11日のことを考えてすごしていたと言っても過言ではない。

 あなたにとって311とは何か、と問われたら、私にとってそれは「痛恨」である。
 このことは以前にもブログに書いたけれども、私は、今の日本で、災害で1万人を超える死者行方不明者が出るなんて思っていなかった。災害は毎年のようにある。大災害も世界のどこかでは毎年のように起こっている。でも、どこかで、それは発展途上国の話だと思っていた。日本のような科学技術が発達した先進国で犠牲者1万人などありうるはずがない、と。
 私にとって痛恨であるというのは、先進国としての体面が保てなかった、まるで発展途上国みたいで恥ずかしい、とかそういうことではない。現代に生きている日本人として、日本という社会を構成している一員として、こんなに多くの人の命を救えなかったということが「痛恨」であった。
 
 後になってから、あの時ああしとけばよかった、とか、もっとこういう風にしておけばよかった、などとはいくらでも言える。しかし今さら何を言っても後の祭りである。反省として次回に活かすことはできるかもしれないが、亡くなった人たちに次回はない。原発事故だけではない、津波被害にしても「大失敗」である。自分が生きている時代に、つまり自分がなんとか被害を回避はできないまでも軽減の手段を打てる立場にあった時に、このような大失敗をおかしてしまったことは痛恨というよりほかない。

 スマトラ沖地震や四川大地震など何倍もの犠牲者が出ている災害が他にもいくらでもあるにもかかわらず、とりわけ東日本大震災が衝撃が大きかったのは、それだけ身近に感じたからだろう。
 東京にいた私も、大きな揺れとその後のトイレットペーパーの不足やコンビニ・スーパーから食料品が消える、などの事態に直面した。東京人も広い意味では「被災者」と言えるだろう。

 後世の人のために自分なりの東日本大震災体験記を残しておきたい。それは昨年の3月11日にも思って、主にTwitterとブログにリアルタイムで書いておいたけれども、書き漏らしていることもある。なので、震災から一年経った今、あらためて当時のことを振り返りつつ、3月11日に起こったこと、そして私がどのように行動したかを書いておこうと思う。


・自分のツイートから振り返る3月11日

 2011年3月11日の自分のツイートをツイログから引っ張り出して来て、時系列的に見ていこう。

駅の券売機が「準備中」だったので隣にずれたら「準備中」「準備中」「検査中」「調整中」で結局5台分も移動させられる。
posted at 12:20:22

 これが2011年3月11日最初のツイート。12時20分。この時は外にいた。こんな長閑なネタのようなツイートをしていて随分と呑気だったことがわかる。

機械が嫌いである。
posted at 12:20:58

 これが2つ目。当然ながらやはり緊張感がない。この後、自宅に帰る。金曜日だが私は休みだった。
 そして運命の2時46分を自宅で一人で迎えることになる。


・激震の最中に放った「なゐ」の二文字

なゐ
posted at 14:49:33

 激震に見舞われて最初にツイートした2文字。まだ激震の最中である。2時46分に東北地方で地震が起こってから何分何秒で東京に揺れが到達したかわからないが、私はすぐに大地震だと気付き、脱出口確保のため玄関のドアを開けそれを右手で押さえながら、左手に持ったスマートフォンでTwitterアプリを起動させていた。大きな揺れは何分も続き、私の住んでるボロアパートは激しく揺れてこのまま倒潰するんじゃないかと思った。死ぬ前にメッセージを残さなければ。2時49分と地震発生から少し時間があいているのは、この時、インターネットもしくは3G回線、Twitterのいずれかが繋がりにくかったためである。今にも建物ごと潰れてしまいそうだ。時間がない。Twitterしか思いつかなかった。なるべく短い言葉で外の世界の多くの人にメッセージを飛ばさなければ。自分が生きていた最後の証を残さなければ。その思いで激震の最中に放ったのが、この「なゐ」の二文字だった。「なゐ」は「地震」という意味の古い言葉である。

東京大地震
posted at 14:50:05

 2時50分。震源地がどこなのかはまだ知らなかった。ともかく東京が大地震に見舞われている、ということを伝えたかった。今にして思えば、私のTwitterのフォロワーさんは東京近郊の人が多いから「知ってるよ」ということだったろうが。このツイートまでが激震の最中に書いたものである。

冷蔵庫動いた
posted at 14:51:25


棚の上のもの全部落ちる。
posted at 14:52:04


2分以上揺れ
posted at 14:52:34

 揺れが少し収まってからのツイート。驚きと呆然という状態だったと思う。

本棚の本がたくさん落ちる、東京
posted at 14:55:53


人生でいちばんの地震か、東京
posted at 14:56:39

 地震発生の9分後、2時55分から「東京」という情報を付け加え始めた。どこの話かがわからないと混乱を招くと思ったから。でも、しばらくしたら「東京」という情報はいちいち付けなくてもいいと思った。それよりも情報のスピードを優先させるべきだと判断した。

まだ揺れてる、スカイツリーは倒れてない
posted at 14:58:19

 一番最初に確認したことはこれだったかもしれない。建設中のスカイツリーが倒れてないかどうか確認してしまうほどの大地震だったということだ。あと、Twitterができているということでインターネットが通じていることも確認できた。

建物ごと崩れるかと思った
posted at 14:59:29

 2時59分。この時までは家の中にいた。
 この後、隣に住んでた一人暮らしの外国人女性に声をかける。言葉がわからない日本に来て日本人ですら驚くほどの大地震に遭遇してさぞ怖い思いをしているだろう、テレビをつけても日本語ばかりで情報がわからなくて不安だろう、と思ったから。出てきた彼女は引きつった表情をしていたが、私の顔を見ると少しほっとしたような顔を見せた。そしてジェスチャーで自分はずっと怖くて震えていた、という仕種をしてみせた。私が「今はもう大丈夫ですか?」と英語で問いかけると「OK。あなたは?」と私のことも気遣ってくれた。
 それから、近所の防災広場に行った。持って行ったのはスマートフォンだけだった。広場には何人かの人が集まっていたが、特に何をするというでもなかった。度々余震が襲って来てはいたが、広場にいたのでは何の情報も得られない、と思い、また家に戻った。

もう15分以上たつのにまだ余震が、東京
posted at 15:15:11


また大きな余震
posted at 15:16:53

 テレビ(NHK)とTwitterのタイムライン、それにネット上でいろいろな情報を見ていた。

15時15分
posted at 15:17:24


私のところは体感的に震度5から6
posted at 15:18:58


15時25分、東京まだ少し揺れてる。
posted at 15:25:24


15時26分、余震、東京
posted at 15:27:49


大きな余震
posted at 15:28:25

 地震発生から29分後の3時15分からツイートに時間を付け加え始めた。たくさんリツイートされたらそれが何時時点での情報かが判りづらくなると思ったから。実際のツイート時間とのあいだに僅かなタイムラグがあるのは私の3G回線かインターネットの遅さだと思う。

インターネットは通じてる
posted at 15:30:44

 どのライフラインが生きているかの確認を始めている。


・地震発生から約45分後に原発情報をネットでさがす

Reading:NHKニュース 東北地方の原発がすべて停止 http://nhk.jp/N3ue67mQ
posted at 15:33:22

 地震発生から45分後頃、ふと原発は大丈夫だったのかが気になった。しかし東北地方のどこに原発があるのかを全然知っておらず、「東北地方 原発」でググってみたところ、宮城県の女川というところに女川原発というものがあるのを知った。今回の地震の震源から考えてもこの女川原発が一番危なそうだ。そこで私は女川原発に関する情報をネットで必死に探しはじめたところ、このNHK配信のニュースを見つけた。「東北地方の原発がすべて停止」と。私は当時原発の仕組みなどをまったく理解していなかったので、「すべて停止」ということは原発については安心していいのだろう、と判断した。いちはやく原発の心配をしておきながら、私の原発に関するツイートはここで終わっている。3時33分で早くも原発について思考停止してしまっていた。実際には女川原発ではなく福島第一原発が大問題になっていることを知るのはもう少し後のことである。

15時35分、小さな余震
posted at 15:36:42


15時45分、東京余震
posted at 15:46:14

 引き続き余震が頻繁にあったことがわかる。

防災頭巾を被って防災広場に避難する子どもたち、東京。 http://twitpic.com/48drrx
posted at 15:48:05


 この写真は忘れられない一枚になった。3時48分となっているが、実際には3時11分に外に出た時に撮ったものでいったんEvernoteに保存してからtwitpicにアップしている。

15時57分、小さな余震、東京
posted at 15:58:56


【3月11日】宮城県北部の地震(震度7)についての速報情報まとめ - NAVER まとめ http://t.co/MrzgoV3
posted at 16:11:17

 地震発生から1時間25分後の4時11分には早くもネット上で速報情報がまとめられだしていたことがわかる。

16時14分から余震、東京
posted at 16:17:19


16時27分、小さな揺れ、東京
posted at 16:28:28

 夕方になっても余震はやまず。


・最初の死亡者情報が入ってきたのは地震発生から103分後

16時28分、NHKで最初の死亡者のニュースを聞く。
posted at 16:31:04

 地震発生から103分(1時間43分)後。東日本大震災における最初の死亡者情報を聞く。これが最速だったと思う。当時もどかしく思っていたことの一つは、TwitterのTLを見ていても流れてくるのは東京の情報(地下鉄の何線が止まっているとか)ばかりで、そういう情報は山のように流れてきたが、肝腎の東北地方の情報は全然流れてこないということだった。103分。これが今の日本の情報力の限界。
 しかし、情報力のすごさに驚いた点もあった。3月11日当日の内に、東京での被害として九段会館の天井が崩落して犠牲者が出た、というニュースを聞いた。私はその時、これだけの大地震だったのだから東京でももっとたくさんの人が亡くなっているはずであり九段会館のニュースはその第一報に過ぎない、と思っていた。しかし結局東京では九段会館以外での死者はほとんどなかった。
 東北地方と東京の情報の落差を実感した。

16時31分小さな揺れがある、東京
posted at 16:33:01


16時32分、NHKで今回の地震に名前がついたと聞くが聞き損ねる
posted at 16:36:55

 この時私が聞きそこねた名前は「東北地方太平洋沖地震」だと思う。名前なんてどうでもよいではないかと思うかもしれないが、地震に名前が付くというのはその地震が歴史に残る地震だと人々が認識したということである。
 当日のブログには、

この地震は、「東北地方太平洋沖地震」と名付けられたが、明日以降、被害情報が明らかになるにつれて、場合によっては「〇〇大震災」と呼ばれるやうになるかもしれない。/歴史に残る地震になるのも間違ひない

と書いている。
 この後、ガスの復旧作業をする。あとアパートの大家さんに声をかけた。大家さんの家は老夫婦二人暮らしで心配だったから。アパートの他の住人は皆、平日ということでいなかった。

17時05分、小さな揺れ、東京
posted at 17:07:28


17時11分、小さな揺れ
posted at 17:12:33


17時17分から小揺
posted at 17:19:38


17時20分、少し大きめの揺れ
posted at 17:21:18


1728小揺れ
posted at 17:30:26


1731少し大きめの揺れ
posted at 17:32:44

 頻繁な揺れ。

東北地方太平洋沖地震M8.8、国内最大の地震、とNHK。
posted at 17:38:35

 マグニチュードはこの後、何度か修正されることになる。5時38分。この時点では「国内最大」というのは記録が残る近代以降の地震で、という意味だった。

Tokyo Disneyland & Sea Have Flooded http://t.co/qjiDCQQ
posted at 17:41:22

 これも今思えば情報の速さに驚いたことの一つ。5時41分、ネットで東京ディズニーランドの液状化のニュースを伝える海外のサイトの記事を見つけた。これも数ある液状化した地域の第一報にすぎないと思っていたが、結局、浦安は液状化の被害が最も有名なところだった。

ヘリが東北方面に飛んで行くのを見る。
posted at 17:54:00

 5時54分。ヘリはこれだけではなく、頻繁に見ていた。

1754、NHKで18人死亡と聞く。
posted at 17:55:59

 これは確定情報だけだ。実感としてはもっと多くの人が亡くなっているのはとくに三陸地方の人だったらわかっているだろうけど、これだけの大災害においては情報を確定させるだけでも一苦労なのだ。

明治29年の「三陸地震津波」を聯想する。
posted at 18:34:01

 津波による被害が大きかったということで私が真っ先に連想したのが明治29年の「明治三陸津波」だった。後日、明治三陸津波や昭和8年の「昭和三陸沖地震」などと比較されて研究されることになるが、この時はまだ人々にそんなことを考える余裕はなかった。

18時45分、NHK、26人死亡と伝えてる。
posted at 18:46:30


19時22分、小さな揺れ。
posted at 19:22:59


19時36分、小さな揺れ。
posted at 19:37:40

 この日は揺れは断続的に続いており、まだ建物がゆらゆらしているあいだに次の余震が来るので、実際には前回の揺れと今回の揺れ、などという具合にはっきり区別できるものではなかった。ほとんど一日中、ずっと揺れているという感じだった。

地震があってからずっとツイートがなかった人のツイートを確認して安心した。
posted at 20:12:57

 当時、Twitterで自分がフォローしていた名前も顔も知らない人たちの安否も気になっていた。

20時21分、揺れてる。こんなにいつまでも揺れていたら、今夜は眠れそうにない。
posted at 20:22:42

 精神的にも肉体的にもかなり疲労していた。

22時11分、NHK午後10時のまとめで91人の死者と聞く。
posted at 22:12:30

 3月11日当日に判明した死者数は91人。これを多いとみるか少ないとみるか。

22時17分また揺れ。
posted at 22:18:44

 これで3月11日のツイートは終わっている。全49ツイートすべてである。当日書いたものとしてはTwitterの他にもブログがある。ブログは夜8時頃から11時頃にかけて書いた。

 あと3月11日当日のことで印象に残っているのは、いつもは夕方の5時に子どもに帰宅を呼びかけるのが最後の区の防災無線が、夜中の11時30分頃まで防災情報(電車の復旧情報など)を流していたことだ。

 ブログの方にはこんなことを書いている。
今日(3月11日)の夜の時点で、被害の全容はまだまだ判ってゐない。明日以降、痛ましい悲惨なニュースが徐々に入ってくるだらう。今はまださうした甚大な被害を実感する前夜なのだ。最終的な死傷者数は3桁をこえるのは確実だらうといふ予感がする。最悪、1000人を超えることも考へられる。
 1000人。これが当時の私の予想の限界だった。しかし甚大な被害が明らかになる前夜であったことは本当だった。ちなみに震災の翌日、3月12日からはブログは震災関連の記事は現代仮名遣いで書いている。震災関連の検索で私のブログを見に来た人が「思ふ」などと書かれているのを見たら、人によっては「ふざけている」と感じるかもしれないと思ったから。しかし過去ログをご覧になっていただければ分かるが、3月11日の記事だけはそれまでの習慣通り歴史的仮名遣いのままで書いてある。現代仮名遣いで書き直そうかと思ったが、これも当時の私の慌てっぷりをよく表していると思ってそのままにしてある。

 Twitterももちろん3月11日で終わりではなくて、日をまたいで翌日以降もツイートしつづけている。


・3月12日、13日のツイート

 ちなみに、翌日、翌々日のツイートはこんな感じ。

 3月12日。

これがtsunamiか。身近(日本)で起こると実感として深く迫る。
posted at 00:30:15


日本は地震先進国なはずなのにそれでもこれほどの被害。自然の脅威を感じる。
posted at 00:38:37


22時17分。やや大きめの揺れ。
posted at 22:18:05


 3月13日。

日常も大事だが非日常も大事だ。
posted at 17:43:08


八百万の神と恒河沙の仏が総無視
posted at 20:37:02


お地蔵さんが素知らぬふり
posted at 20:37:55


観音さまが見て見ぬふり
posted at 20:38:24


文殊菩薩がわかってない
posted at 20:39:18


千手観音の手が足りてない
posted at 20:39:43


弥勒菩薩が間に合わない
posted at 20:40:03


天網恢恢疎にしてダダ漏れ
posted at 20:40:25

 ここに当時の私の歎息が見てとれる。神様や仏様に八つ当たりしている。震災後2日目。地震の規模と被害の全容が徐々に明らかになり、絶望的な状況を目の当たりにしてきていた時期だ。
 私はエレン・ケイの「偶然がある子どもを不幸から守った場合、子どもの『守護神』について語るのを聞くことがあるが、わたしはこれ以上の神の冒瀆はないと思う。この『守護神』は、数知れない不幸の際には一体どこにいるのであろうか?」という言葉を思い出していた。東北地方にもたくさんいたであろう神や仏は、あの瞬間何をしていたのか。


・震災から一年が経って

 あれから一年。未だに人出は足りていないし、復興への道のりは遠い。原発事故は収束する気配はなく、本当に弥勒菩薩がやって来ると言われている56億7千万年後まで禍根を残しそうである。

 この一年間、津波で家族を失った遺族の話や信じられないような惨状の映像をたくさん聞いたり見たりした。しかしそれらもこの甚大な災害のごく一部であって、語られることすらなく海のわだつみと消えていった物語は無数にある。

 一年というのは一つの節目ではある。区切りをつけて前を向いて歩いて行かなければならないと言うのもわかる。しかし、行方不明の家族が未だに見つかっていない人、住む家を失った人、原発事故の問題を抱えている福島の人たちなどにとっては「被災」は現在進行形であるだろう。

 日本のあるいは世界のシステムが救えなかったものがたくさんあった。その痛恨の思いのもとに今までもこのブログでたびたび震災関連のことを書いてきた。震災関連の検索で多くの人がこのブログを訪れてくれた。サイドバーのカテゴリー「東日本大震災関連」というところをクリックしていただくと、それらの記事をまとめて読むことができる。またはアーカイヴの2011年3月のところをクリックすれば、当時の日々の記録をリアルに感じることができる。
 東日本大震災のことはまだ書き足りていない。私はこれからも書くだろう。3月11日を忘れないために。後世に伝えるために。

 東日本大震災から一年の日に。

(参照)
りゅうたいぷ(@ryutype)/2011年03月11日 - Twilog

地震前後ツイート

2011(平成23)年3月11日東北地方太平洋沖地震当日 暫定龍吟録


冬休みに読みたい? 2011年今年の3冊<311を考える>

 新聞で「今年の3冊」といふ企画がある。それに倣って私も「今年の3冊」を書かうと思ふ。

 かういふのは、読書家である評者が今年読んだ厖大な数の本の中から選りすぐりの3冊を選んで紹介するのが普通だが、私は読書家ではないので、私が今年読んだ「たった3冊の本」をすべて紹介してしまはう。たゞし、すべて「311」絡みだ。私は2011年は311を抜きにしては語れないから。

 今年2011年に出版された本、といふことではなくて、あくまで私が今年読んだ本、といふことで。
 それでは、行きませう。


1.『偶然とは何か』竹内啓

偶然とは何か――その積極的意味 (岩波新書)偶然とは何か――その積極的意味 (岩波新書)
(2010/09/18)
竹内 啓

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 1冊目に紹介するのは、岩波新書から出てゐる『偶然とは何か』といふ本。これはすごい本だ。読むのを無理にお薦めするわけではないけれど、もっと多くの人が読んで話題になっていい本だと思ってゐる。
 何がすごいって、この本には「メルトダウン」といふ言葉が出てくる。メルトダウンなんて今や誰でも知ってゐる。311後、多くの人が口にし、また耳にしただらう。しかし、この本が出版されたのは2010年の9月、東日本大震災の約半年前である。311の直前に原発のメルトダウン事故のことを考へてゐた人、話題にしてゐた人はそんなに多くないだらう。
 この本では、偶然とは何かといふことを数学的に緻密に考へていく。それはそれで面白いのだが、圧巻なのは最終章「歴史の中の偶然性」で、人間が偶然とどう対峙していくのか、といふ話が展開されるところだ。

 ちょっと長い引用になるが、今年、311の原発事故を経験したばかりの私たちには、かなり衝撃的な文章だと思ふので紹介しよう。

もしそれが発生すれば莫大な損失を発生するような、絶対起こってはならない現象に対しては、大数の法則や期待値にもとづく管理とは別の考え方が必要である。
例えば、「百万人に及ぶ死者を出すような原子力発電所のメルト・ダウン事故の発生する確率は一年間に百万分の一程度であり、したがって「一年あたり期待死者数」は一であるから、他のいろいろなリスク(自動車事故など)と比べてはるかに小さい」というような議論がなされることがあるが、それはナンセンスである。
そのような事故がもし起こったら、いわば「おしまい」である。こんなことが起こる確率は小さかったはずだなどといっても、何の慰めにもならない。また、もしそのことが起こらなかったら、何の変化もないので、毎年平均一人は死んだはずだなどというのはまったくの架空の話でしかない。このような事故に対して、料率が百万分の一の保険をかける、あるいはその他の対策によって「万一に備える」というのは無意味である。



 そのうえで著者は、このやうな事故が起こる可能性は「無視」しろ、と言ってゐる。原発事故が起こる可能性など無視しろ、と言ってゐるのである。さう聞くと、この著者は原発擁護派なのか?と思はれるかもしれないが、よく読めば実際にはさういふことではないことがわかる。
 著者は、原発事故が起こる確率を十分に小さくした上で、さういふ大事故が起こる確率は無視するやうに、と言ってゐるのである。しかし、「原発事故が起こる確率はどんなに小さくしてもゼロにはできないんだから、やっぱり原発は建てるべきぢゃないんぢゃないの?」と思ふ人もゐるかもしれない。著者はその問ひにも答へてくれてゐる。

 311の地震、津波、原発事故。
 あの日の津波で隣の家は流されなかったのに、なぜ自分の家は流されたのか。あるいは自分の1メートルとなりにゐた人は津波に流されて亡くなったのに、なぜ自分だけが偶然にも助かったのか。さうした体験をした人は、偶然とは何か、運・不運とは何かについて問はずにはゐられないだらう。
 事故が起こる前の原発の存在そのものの問題、事故後の政府・東電の対応の問題、さうした問題に関心がある人も、この本を読んでみるといいかもしれない。
 もう一度言ふが、この本は311の半年前に書かれた本で、福島第一原発事故のことには一行も触れてゐない。にもかゝはらず、あの日の津波や原発事故のことを合はせて考へながら読むと、いろいろ深く考へさせられるのだ。

 この本についての感想を書かうと思ったら、また別に記事を一つ作らなければいけない。興味がある人は読んでみてください。


2.『天災と日本人』寺田寅彦

天災と日本人  寺田寅彦随筆選 (角川ソフィア文庫)天災と日本人 寺田寅彦随筆選 (角川ソフィア文庫)
(2011/07/23)
寺田 寅彦

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 「天災は忘れた頃にやって来る」で有名な寺田寅彦の随筆選。

しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。(「天災と国防」)


 科学者であった寺田の警句は含蓄があり、重い。これも詳しくは読んでほしいのだが、寺田が言ってゐるのは単純なる文明批判ではなく、世界を設計・構築していく際にどのやうにしていくべきかといふ問題の提言である。インターネットやソーシャルネットワークなどのネットワークの発展に関係した仕事をしてゐる人は読んでおいてもいいかもしれない。

 311後の「風評被害」と呼ばれた問題、「デマッター」と揶揄されたツイッターによるデマ拡散の問題、さういふ問題に関心がある人は、この本に収録されてゐる「流言蜚語」といふ随筆を読むといいかもしれない。
 また、起こってはならない事故が起こってしまった場合の対応の在り方についても考察されてゐる。この点は上記の『偶然とは何か』と同じだ。福島第一原発事故などの起こってはならない事故が起こってしまった場合、政府は、東電は、そして国民一人ひとりは、どう対応したらいいのか。さうした点についても示唆がある。
 決して古い本ではない。何十年も前にこれだけのことを考へてゐた人がゐた。科学者でもあり名文家でもあった寺田寅彦ならではの深い洞察と含蓄のある文章だ。


3.『花びらは散る 花は散らない』竹内整一 

花びらは散る 花は散らない 無常の日本思想 (角川選書)花びらは散る 花は散らない 無常の日本思想 (角川選書)
(2011/03/25)
竹内 整一

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 竹内整一東大教授の退官記念最終講義を収録したもの。

 311で私たちは地震や津波などの自然の脅威をまざまざと味ははせられた。
 この本を読むと、その「自然」とは何なのか、について考へさせられる。
 自然の「自」は、「おのづから」とも読むし「みづから」とも読める。そこから著者は「”おのづから”と”みづから”の”あはひ”」といふ論を展開していく。私たちが普段よく「自然にさうなった」と言ふとき、それは必然的にさうなったのか、それとも偶然さうなったのか。著者は「自然」といふ言葉には必然と偶然の両義性があると言ふ。

 日本人が「自然」をどう捉へ、どう向き合って来たのか、上記2冊と併せ読むとますます興味が深くなる本だ。

 一見、先人たちの言葉や思想を整理してゐるだけにも見えるが、しかしその整理の手法も手腕もかなり鮮やかで、これまた多くの示唆に富む本に出来上がってゐる。
 特に著者が「間(あひだ)」ではなく、「あはひ」といふ言葉を使ってゐるのは、「あはひ」といふ言葉に動的なニュアンスを読み込んでゐるからだ、と書いてあるのを読んだときは、膝を打つ思ひだった。

 この著者は言葉を大事にしてゐる。実際この本は、「はかない」、「いたむ」、「とむらふ」、「しあはせ」、「幸ひ」、「やさし」、「かなし」、「さやうなら」などの日本語の分析を通して、日本思想の深淵に迫っていくスタイルになってゐる。
 さうして著者が描き出したのは、人の手を超越したものと人の手が織り成すものがダイナミックに関係性を変化させながら創りだされていく世界、といふ世界観だ。


まとめ

 今年2011年は、私は3月11日以降は、ほゞ毎日、311のことを考へて過ごした。311で何かが大きく変はったのか、それとも何も変はらなかったのか。希望と絶望について考へた。運、不運について考へた。
 被災してしまった人、ひどい被害に遭ってしまった人は、その不運とどう心の折り合ひを付けていけばいいのか。
 311が惹起した問題は、社会の問題であり、政治の問題であり、経済の問題であり、数学の問題であり、物理の問題であり、工学の問題であり、教育の問題であり、心理の問題でもある。
 それらは311の前からわかってゐた問題のやうな気もするし、311で改めて切実に考へさせられたのだといふ気もする。

 上記3冊は、それらの問題を考へる上で、たくさんのヒントを与へてくれる。正解は無い。