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カテゴリー "東日本大震災関連" の記事

戊辰戦争と原発事故と福島と東京と 〈東日本大震災から一年〉

 まもなく、東日本大震災から一年になるのを機に、あの3月11日の大震災の日から考えていたいくつかのことを記しておこうと思う。

 今日書こうと思うのは、福島第一原子力発電所事故のこと。そして福島県の人たちの思いと東京人である私の思い。

 福島県は東日本大震災で地震と津波により大きな被害を受けた。地震と津波という点では宮城県と岩手県も同様の大きな被害を受けた。しかし福島県はその後の原発事故によって、さらなる「余計な」苦しみを負っているかもしれない。
 福島県は面積が広大だから、中通り(福島市・郡山市)や会津地方は、福島第一原発からは随分と距離が離れているが、それでもやはり放射能という目に見えない恐怖は他県民よりは強く感じているだろうし、原発事故によるいわゆる「風評被害」によって農作物が売れなくなったり、他地域に転校すると、地元の人間からは「逃げた」と後ろ指をさされ、転校先の地域の人からは「福島人が来た」と言って差別される。浜通り(太平洋側)の地域の人たちは放射能の恐怖ももっと大きいだろうし、そもそも事故後立ち入り禁止になってそこに居住できない人もいる。


・「福島」という僭称が齎したマイナスイメージ

 「フクシマ」という名前は悪い意味で世界的に有名になった。
 熊本県の水俣は緑豊かで水のおいしい風光明媚な街だが、多くの日本人は小学校の時に習った「水俣病」のイメージが強く、「水俣に旅行に行く」という発想はあまりないだろう。
 ウクライナの一地方であるチェルノブイリもそうだ。「チェルノブイリに行く」と聞いたら「何の調査目的ですか?」と思うだろう。観光で行くとは誰も思わない。
 日本国内の他県民にも、ましてや海外の人たちには、浜通りと会津地方の違いなんてわからない。とにかく「フクシマ」と言えばあの原発事故の、というイメージなのだ。海外の人にとって「フクシマに行く」ということはもはや会津磐梯山や猪苗代湖に観光に行くことではなくて「何の調査に行くんですか?」ということになっているだろう。
 こうなってしまった原因の一つは、あの原発が「福島」という僭称を名乗っていたことだと思う。
 一つの小さな地域がより広大な地域の名称を名乗ることを僭称という。小倉が「北九州市」を名乗ったり、愛媛県の小さな街が「四国中央市」を名乗ったりするのも僭称である。
 福井県の高速増殖炉「もんじゅ」のように非実在の名前を付けていれば縦令大きな事故が起こったとしても「福井」の名前がそれほど傷つくことは避けられるだろう。
 日本の原発の中で県名のような大きな名前を僭称しているのは「島根」と「福島」だけだ。なぜ「福島」などという名前を付けていたのだろう。


・福島人の東京人に対する思いを忖度する

 福島第一原発の電力は主に東京などに供給する電力だ。私たち東京人が消費している。そのための原子力発電所を東京から遠く離れた福島県につくっていた。私は今回の事故があるまで恥ずかしながら福島県に原発があることを知らなかった。自分が毎日使っている電気がどこで作られ送られて来ているのか、ちゃんとわかっていなかった。

 地元は原発があることで経済的に潤ってきた側面もあると思うが、それは原発が絶対に事故を起こさないという前提での話であって、一度事故が起こってしまったら損失・損害の方が圧倒的に大きいだろう。
 一方で、その電気を最も大量に消費していた私たち東京人は、事故の損害を直接的にはそこまで大きく被っていない。

 今、福島の人たちは東京人に対してどのような思いを抱いているのだろう。
 私は福島県には知り合いも親戚もいないので直接話を聞いたことはない。
 「被害を全部押し付けて、自分たちだけは助かって」という思いだろうか。

 あの時もそうだった。
 幕末、戊辰戦争の時。会津(福島)は江戸(東京)の幕府を守るために命がけで最後まで戦ったのに、その江戸幕府のトップである将軍様はさっさと遁走。江戸の街は「無血開城」とやらで被害も少なかったが会津は大損害。なぜ白虎隊は死ななければならなかったのか。「あれは自分たちで勝手に勘違いして死んだんだから自業自得だろう」と言われれば確かにそうかもしれないが、江戸(東京)の将軍様がひたすら自己保身を第一に考え佐幕の人間を守ってくれなかったことに対しては、やりきれない気持ちも残っているだろう。
 その後も江戸は東京と名前を変え新たな繁栄を享受したが、会津(福島)は旧幕府側ということで冷遇を受け続けた。

 福島の人たちが東京を支えるために愚直に旧体制を維持していて、それが転覆したら全国民から指をさして非難される、という構図が、幕末の時と今回の原発事故の時と似ていると感じる。
 江戸(東京)は守られたが、福島は犠牲になった。今回の原発事故での直接の死者はいないが、「原発さえなければ」と書き残して自殺した相馬市の酪農家など、間接的に命を落とした人はいる。

 おそらく東京人はこれから「脱原発」を掲げ、原発に頼らない新しい電力エネルギーを模索していくだろう。東京には原発がないから次の新たなステージへ生まれ変わることが可能である。要は福島をちょん切って別のところから新たな電力を持ってくればいいだけのことである。そう、ちょうど徳川慶喜が会津を見捨てた時のように。
 そして福島には負の遺産だけが残る。

 福島の人たちは今、胸中に複雑な思いが去来していると思う。特に原発の電力の供給先であった私たち東京人に対する思いは複雑なのではないかと推測する。しかし原発を受け入れてしまったのは自分たちの判断であるという思いもあるから、白虎隊の時のように「自業自得だろう」と言われてしまったらなかなか反論できない。そこが福島の人たちが胸の内に抱えている難しさでもあるのだろう。




 最近、「シートン俗物記」というブログの中で、シートン先生が放射性物質(やおそらく震災瓦礫受け入れの問題)に関して、

科学的に見て健康に影響があるかどうか、を基準とするのは大元から間違っている。頼みもしないものをぶち播かれて、それを受け入れろ、と言い募る。そして、それを正当化する。
そうした事を批判し、拒否しているのだ。「放射能に対する怖れ」ではなく、「そのような事態を起こした者達やそのシステムに対する怒り」なのである。

「正しく怖れよ」な人には水を引っかけちゃいな - シートン俗物記

と書いているのを読んだ。
 たしかに福島第一原発は私が生まれる前に建った建物なので、私がそういうものを作って、と頼んだ覚えはない。
 しかし、「そのような事態を起こした者」は誰なのか。「そのシステム」を作った者は誰なのか。私はその「怒り」は良いとしても、その怒りの矛先をどこに向けるかは十分に吟味する必要があると思う。
 今は福島人への差別が社会問題になっている。「システムに対する怒り」が福島人への差別に繋がらないように気をつけることが大切だ。



(3/7追記)
 私の今回の記事と似たことが書かれているブログ記事を見つけた。

 福島 フクシマ FUKUSHIMA 原発収束作業の現場から     ある運動家の報告

 原発事故の収束作業の実態がかなり詳細に書かれている。原発労働者のほとんどが原発立地周辺市町村の出身であることなども指摘されている。原発問題に関心がある人は一読をお薦めします。


【原発関連の記事】

東電バッシングへの違和感

 2011年3月の原発事故以来、東京電力に対するバッシングが止まらない。

 テレビや新聞、そして特にネットはどこを見ても東電に対する批判、非難の嵐である。

 しかし私はそうした東電に対する非難、バッシングに少しく違和感を感じている。

 原発問題は今もなお、多くの人々の関心が高いテーマだ。もうすぐ東日本大震災から一年になるが、「原発」という言葉はTwitterでは今も毎日のようにバズワードに上がっている。そして原発に対しては常に思想や感情を伴うことが多いので、激しい言葉とともに語られることが多い。

 原発に対する非難と東電に対する非難は必ずしも一致していない。そこのずれも含めて、東電バッシングの問題について震災一年になるのを機にあらためて考えてみたい。


・震災直後に盛り上がった「#toden_ganba」ハッシュタグ

 東日本大震災の直後の3月14日頃に、Twitterのタイムラインに「今の国民の気持ち」として、こんなツイートが流れてきた。

国民感情一覧w - 東電職員頑張れ #toden_ganba 枝野は寝ろ #edano_nero 管は起きろ #kan_okiro 自衛隊は食べろ #jieitai_tabero フジテレビは自重しろ #fujitv_jichou 石原黙ってろ #ishihara_damare


todenganba.png

 このツイートは、900人以上にふぁぼられ、800人以上の人にリツイートされた。この改変ツイートやFacebookやTumblrなど他サービスへの転載も含めれば、非常に多くのネットユーザーがこのツイートかこれと類似のツイートを見かけたと思う。
 特に当時テレビに出ずっぱりだった枝野官房長官を気遣った「#edano_nero」というハッシュタグは、普段ネットをあまり使わない層の人々の間にまで有名になった。

 私がこのツイートを最初に見たときの感想は「えっ、東電頑張れなの!?」というものだった。私は約1年前のこの違和感をはっきりと覚えている。「枝野寝ろ」とか他のハッシュタグはよいとして、「東電頑張れ」が「今の国民の声」としてRTされまくっていることに著しい違和感を覚えた。そして誰も「東電頑張れ」に対して異を唱えないのも不思議だった。
 「自分の感覚がずれているのだろうか?」
 元々、原発も東電も好きじゃなかった私は、原発事故があった後には当然、東電批判の言葉が流れて来ると予想していただけに、このハッシュタグは意外だった。


・原発擁護派も反原発派も東電バッシングへ

 しかし、この「東電頑張れ」という声は1カ月も長続きしなかった。その後、いろいろと杜撰な管理、対応が明るみに出るにつれ、世間の声は東電に対する非難、バッシングで一色になった。

 元から反原発派・脱原発派の人たちは東電への非難を強めた。原発の存在そのものに反対なのだからそれを維持・支持している東電に対して悪感情を持つのも当然だろう。

 だが一方で、原発擁護派もしくは容認派の人たちも東電バッシングを強めた。なぜだろう。

 同じ東電バッシングでも、反原発派のそれと原発擁護派のそれは性格を異にしていると思う。反原発派は原発そのものを推進している東電の思想や姿勢を非難している。原発擁護派は原発そのものには反対ではなく、それをきちんと管理できていない東電の「仕事ぶり」を非難している。

 原発擁護派の人たちは東電のどんなところを非難しているのか。
 ネットでいろいろな意見を見てきたが、主に、東電の原発の杜撰な管理体制、指揮系統、責任の所在、事故後の対応、などに非難が集中しているように思う。
 これは要するに「ちゃんと仕事しろ!」ということだ。あと原発擁護派に多い特徴的な声として、東電は国民に節電や電気料金の値上げを言う前に自らの「ボーナスを減らせ」とか「社員の給料をカットしろ」という声がある。日頃あんなに高い給料をもらっていながら、この仕事の杜撰さ、体たらくぶりは信じられない、というのだ。

 しかし、東電の社員の給料が高すぎるというところに非難の矛先が行くのはどうもおかしい。これは以前、「プロとは何か -反プロ論-」という記事の中でも書いたが、では、東電の役員社員の給料が安月給だったら、「まあ、そんなにきちんと仕事できてなくてもいいよ」となるのだろうか。ならないであろう。

 そして最近思うのは、反原発派の人たちの間にも少なからず「東電はちゃんと仕事しろ!」と思っている人がいるだろうということだ。


・東電“だけ”の問題なのか

 東電の社長は体調が悪くなったとか言って病院に「逃げた」。もし私が東電の社長だったら、と考えると、やはり病院に逃げるだろう。起こった事のあまりの重大さに、とても責任が取れるとは思えないからだ。責任ある立場の人間として最後まで精一杯の最善を尽くす努力はすべきだと思うが、東電の社長は今さらどこまで努力しても国民から「ちゃんと責任を果たした」とは思ってもらえないだろう。

 私が東電バッシングに違和感を感じるのは、今回の原発事故のような大問題を東電という一企業の問題にしてしまうことでさまざまな問題が逆に見えなくなってしまうのではないか、と思っているからだ。

 それは2005年の福知山線脱線事故の時も感じた。当時、JR西日本の企業体質が大きく問われた。しかしJR西日本と瓜二つの双子のような関係にあるJR東日本が、JR西日本と大きく異なる企業体質であるとはとても思えなかったし、JR東日本管轄内で似たような事故が起こっていてもおかしくなかったと思っていた。安全よりも過密なダイヤの運行を優先する状況は大都市圏を抱えている点で西も東も同じであり、たまたま西で事故が起きたけれども、東も同じ問題点を内包しているはずなのだ。

 東電に限らず原発を抱えているすべての電力会社は、安全管理体制やリスクマネジメント、事故対応の指針などはどこも似たり寄ったりなのではないか。むしろ東京電力は北海道電力から九州電力まで日本にある電力会社の中で最大手の会社であり最もきちんとした企業であったはずだ。その東電がこれだけズダボロだったのに、他の電力企業だったらもっときちんと対応できていた、とはとても思えない。


・原発事故は誰の責任か

 福島第一原発の管理者である東電が責任を取らなければいけないのは当然のことだが、東電がどこまですれば、バッシングをしている人たちは溜飲が下がるのであろうか。辞職?土下座?逮捕?
 今回の事故で、東電の安全管理体制が杜撰だったこと、ひどかったことは誰の目にも明らかだが、その杜撰さを事故の「後」にしか指摘できないのは情けない。「専門家は以前から津波による危険性を指摘していました。東電はその指摘を無視していたのです」と言う人がいる。では、あなたは3月11日の前にそれを指摘していたのか、あるいは少なくともその専門家の指摘を知っていたのか。
 「原発は安全」なんて「ずっと嘘だったんだぜ」と言ってる人たち、「東電が原発は安全だって言うから信じてたのに」と言ってる人たちもかっこ悪い。私はその嘘を見抜く目がありませんでした、東電の言うことを鵜呑みにしてました、と自らの不明を告白しているようなものだ。

 森達也は『僕のお父さんは東電の社員です』という本の中で、事故の「前」にそれを指摘できなかった自らの非を認めて謝っている。

 この本のアマゾンレビューで星一つ(最低評価)を付けていた人の、例えばこんな感想、

それからこのお父さんが世間的に割に合わない俸給で頑張っていたのだったらまだこの反論に威力はありますが常識からいって東電の年収はかなりの額ですね。世間には激務の割に全く報われない待遇のお仕事がいっぱいあります。


 これなどは、まさに東電社員の俸給の多寡を問題点にしている例だ。「では、月給が10万とかの安月給だったら、そんなにきちんと責任を取らなくてもいいのか」と聞きたくなる。なんか、自分はもっと安月給で激務の仕事で頑張ってるのに東電の社員ばかりずるい、と言ってるように聞こえる。激務なのに報われない給料しか貰えない仕事があるのはそれはそれで考えなければならない重要な社会問題だが、原発問題とは関係ない。
 
 また別の星一つのレビュー、

東電社員をお父さんにもつ子どもさんは,本人には責任がないだけにかわいそうですが,エリートサラリーマンの父親の自慢を友だちにして,ずっといい思いをしてきたのだから,ここらで,世間の風の冷たさを人並みに体験してもらうのが,その子の将来のためでもあると思います。


 これなんかは、勘違いも甚だしい。いつ誰が「自慢」したのか?勝手に「ずっといい思いをしてきた」と決めつけ、「ここらで,世間の風の冷たさを人並みに体験してもらう」などと小学生の子どもに向かって言っている。強大な偏見と先入観に支配されていると感じる。私も貧しいので金持ちを妬む気持ちは分からないではないが、やはり原発問題とは関係ない。

 こういう東電社員の「高給」を問題視してバッシングしている人は結構多い。こうした人たちは、東電社員が年収10分の1などになったら、本当に溜飲が下がるのかもしれない。

 私の溜飲は下がらない。


・どうしたら原発事故の責任が取れるのか

 起こってしまった事故に対しては、もうこれ以上被害が拡大しないようにと努めるよりほかない。そして事故の再発防止対策だ。

 詰まるところ、「東電はちゃんと責任を取れ!」ということだと思うが、東電はどうしたら「ちゃんと責任を取れ」るだろう。
 「ちゃんと」というのはどこまでのことか。私は「もう東電はじゅうぶんに頑張ったよ。立派に責任を果たしたよ」と国民から認めてもらえる日は何十年と来ないと思う。福島第一原発事故はそれほどの大事故だからだ。

 どうしたらちゃんと責任が取れるか、と問うときは、先ず「責任」とは何か、ということを考えなければならないが、長くなるのでそれはまた別稿に譲ろう。


・まとめ

 大震災の直後にタイムラインに流れてきた「東電頑張れ」に違和感を感じた。原発事故の報を聞いたあと、東電バッシング一色になるのは当然、と思っていただけに、「世間」のみんなが予想外に東電に好意的であったのがショックでもあった。

 しかし月日を重ねるごとに東電バッシングの声が日増しに強くなるにつれ、今度は東電バッシングに対して違和感を感じるようになった。世間の流れとは逆だったかもしれない。

 この記事は現時点(震災から約一年)での、東電バッシングについて私の考えを書いたものだ。原発問題についてはまた稿を改めたい。

 

冬休みに読みたい? 2011年今年の3冊<311を考える>

 新聞で「今年の3冊」といふ企画がある。それに倣って私も「今年の3冊」を書かうと思ふ。

 かういふのは、読書家である評者が今年読んだ厖大な数の本の中から選りすぐりの3冊を選んで紹介するのが普通だが、私は読書家ではないので、私が今年読んだ「たった3冊の本」をすべて紹介してしまはう。たゞし、すべて「311」絡みだ。私は2011年は311を抜きにしては語れないから。

 今年2011年に出版された本、といふことではなくて、あくまで私が今年読んだ本、といふことで。
 それでは、行きませう。


1.『偶然とは何か』竹内啓

偶然とは何か――その積極的意味 (岩波新書)偶然とは何か――その積極的意味 (岩波新書)
(2010/09/18)
竹内 啓

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 1冊目に紹介するのは、岩波新書から出てゐる『偶然とは何か』といふ本。これはすごい本だ。読むのを無理にお薦めするわけではないけれど、もっと多くの人が読んで話題になっていい本だと思ってゐる。
 何がすごいって、この本には「メルトダウン」といふ言葉が出てくる。メルトダウンなんて今や誰でも知ってゐる。311後、多くの人が口にし、また耳にしただらう。しかし、この本が出版されたのは2010年の9月、東日本大震災の約半年前である。311の直前に原発のメルトダウン事故のことを考へてゐた人、話題にしてゐた人はそんなに多くないだらう。
 この本では、偶然とは何かといふことを数学的に緻密に考へていく。それはそれで面白いのだが、圧巻なのは最終章「歴史の中の偶然性」で、人間が偶然とどう対峙していくのか、といふ話が展開されるところだ。

 ちょっと長い引用になるが、今年、311の原発事故を経験したばかりの私たちには、かなり衝撃的な文章だと思ふので紹介しよう。

もしそれが発生すれば莫大な損失を発生するような、絶対起こってはならない現象に対しては、大数の法則や期待値にもとづく管理とは別の考え方が必要である。
例えば、「百万人に及ぶ死者を出すような原子力発電所のメルト・ダウン事故の発生する確率は一年間に百万分の一程度であり、したがって「一年あたり期待死者数」は一であるから、他のいろいろなリスク(自動車事故など)と比べてはるかに小さい」というような議論がなされることがあるが、それはナンセンスである。
そのような事故がもし起こったら、いわば「おしまい」である。こんなことが起こる確率は小さかったはずだなどといっても、何の慰めにもならない。また、もしそのことが起こらなかったら、何の変化もないので、毎年平均一人は死んだはずだなどというのはまったくの架空の話でしかない。このような事故に対して、料率が百万分の一の保険をかける、あるいはその他の対策によって「万一に備える」というのは無意味である。



 そのうえで著者は、このやうな事故が起こる可能性は「無視」しろ、と言ってゐる。原発事故が起こる可能性など無視しろ、と言ってゐるのである。さう聞くと、この著者は原発擁護派なのか?と思はれるかもしれないが、よく読めば実際にはさういふことではないことがわかる。
 著者は、原発事故が起こる確率を十分に小さくした上で、さういふ大事故が起こる確率は無視するやうに、と言ってゐるのである。しかし、「原発事故が起こる確率はどんなに小さくしてもゼロにはできないんだから、やっぱり原発は建てるべきぢゃないんぢゃないの?」と思ふ人もゐるかもしれない。著者はその問ひにも答へてくれてゐる。

 311の地震、津波、原発事故。
 あの日の津波で隣の家は流されなかったのに、なぜ自分の家は流されたのか。あるいは自分の1メートルとなりにゐた人は津波に流されて亡くなったのに、なぜ自分だけが偶然にも助かったのか。さうした体験をした人は、偶然とは何か、運・不運とは何かについて問はずにはゐられないだらう。
 事故が起こる前の原発の存在そのものの問題、事故後の政府・東電の対応の問題、さうした問題に関心がある人も、この本を読んでみるといいかもしれない。
 もう一度言ふが、この本は311の半年前に書かれた本で、福島第一原発事故のことには一行も触れてゐない。にもかゝはらず、あの日の津波や原発事故のことを合はせて考へながら読むと、いろいろ深く考へさせられるのだ。

 この本についての感想を書かうと思ったら、また別に記事を一つ作らなければいけない。興味がある人は読んでみてください。


2.『天災と日本人』寺田寅彦

天災と日本人  寺田寅彦随筆選 (角川ソフィア文庫)天災と日本人 寺田寅彦随筆選 (角川ソフィア文庫)
(2011/07/23)
寺田 寅彦

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 「天災は忘れた頃にやって来る」で有名な寺田寅彦の随筆選。

しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。(「天災と国防」)


 科学者であった寺田の警句は含蓄があり、重い。これも詳しくは読んでほしいのだが、寺田が言ってゐるのは単純なる文明批判ではなく、世界を設計・構築していく際にどのやうにしていくべきかといふ問題の提言である。インターネットやソーシャルネットワークなどのネットワークの発展に関係した仕事をしてゐる人は読んでおいてもいいかもしれない。

 311後の「風評被害」と呼ばれた問題、「デマッター」と揶揄されたツイッターによるデマ拡散の問題、さういふ問題に関心がある人は、この本に収録されてゐる「流言蜚語」といふ随筆を読むといいかもしれない。
 また、起こってはならない事故が起こってしまった場合の対応の在り方についても考察されてゐる。この点は上記の『偶然とは何か』と同じだ。福島第一原発事故などの起こってはならない事故が起こってしまった場合、政府は、東電は、そして国民一人ひとりは、どう対応したらいいのか。さうした点についても示唆がある。
 決して古い本ではない。何十年も前にこれだけのことを考へてゐた人がゐた。科学者でもあり名文家でもあった寺田寅彦ならではの深い洞察と含蓄のある文章だ。


3.『花びらは散る 花は散らない』竹内整一 

花びらは散る 花は散らない 無常の日本思想 (角川選書)花びらは散る 花は散らない 無常の日本思想 (角川選書)
(2011/03/25)
竹内 整一

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 竹内整一東大教授の退官記念最終講義を収録したもの。

 311で私たちは地震や津波などの自然の脅威をまざまざと味ははせられた。
 この本を読むと、その「自然」とは何なのか、について考へさせられる。
 自然の「自」は、「おのづから」とも読むし「みづから」とも読める。そこから著者は「”おのづから”と”みづから”の”あはひ”」といふ論を展開していく。私たちが普段よく「自然にさうなった」と言ふとき、それは必然的にさうなったのか、それとも偶然さうなったのか。著者は「自然」といふ言葉には必然と偶然の両義性があると言ふ。

 日本人が「自然」をどう捉へ、どう向き合って来たのか、上記2冊と併せ読むとますます興味が深くなる本だ。

 一見、先人たちの言葉や思想を整理してゐるだけにも見えるが、しかしその整理の手法も手腕もかなり鮮やかで、これまた多くの示唆に富む本に出来上がってゐる。
 特に著者が「間(あひだ)」ではなく、「あはひ」といふ言葉を使ってゐるのは、「あはひ」といふ言葉に動的なニュアンスを読み込んでゐるからだ、と書いてあるのを読んだときは、膝を打つ思ひだった。

 この著者は言葉を大事にしてゐる。実際この本は、「はかない」、「いたむ」、「とむらふ」、「しあはせ」、「幸ひ」、「やさし」、「かなし」、「さやうなら」などの日本語の分析を通して、日本思想の深淵に迫っていくスタイルになってゐる。
 さうして著者が描き出したのは、人の手を超越したものと人の手が織り成すものがダイナミックに関係性を変化させながら創りだされていく世界、といふ世界観だ。


まとめ

 今年2011年は、私は3月11日以降は、ほゞ毎日、311のことを考へて過ごした。311で何かが大きく変はったのか、それとも何も変はらなかったのか。希望と絶望について考へた。運、不運について考へた。
 被災してしまった人、ひどい被害に遭ってしまった人は、その不運とどう心の折り合ひを付けていけばいいのか。
 311が惹起した問題は、社会の問題であり、政治の問題であり、経済の問題であり、数学の問題であり、物理の問題であり、工学の問題であり、教育の問題であり、心理の問題でもある。
 それらは311の前からわかってゐた問題のやうな気もするし、311で改めて切実に考へさせられたのだといふ気もする。

 上記3冊は、それらの問題を考へる上で、たくさんのヒントを与へてくれる。正解は無い。


311の痛恨 -東日本大震災から半年-

 今日で3月11日の東日本大震災からちょうど半年になる。

 私が今年書いたブログ記事は、東日本大震災関連のことが一番多かったかもしれない。
 なぜここまで東日本大震災のことに拘って書いてるのかというと、それは私にとって東日本大震災は痛恨だったからだ。

 1万人を超える死者、というのは信じられないことだった。
 たしかに、2004年にはスマトラ島沖地震で22万人以上の人が亡くなり、2008年には四川大地震で6万人以上の人が亡くなっている。しかしそれは発展途上国で起きた災害だったからだ。先進国ではどんな災害でも1万人を超える死者が出ることはありえない。そう思っていた。

 実際、日本では、死者が何千人、何万人という単位の災害というのは、昭和50年より前の言わば日本が発展途上国だった時代には起こっていたが、「先進国」になった昭和50年以降はまったく起こっていなかった。
 やはり先進国ではそこまで甚大な災害は起こらない。日本では死者が10人を超えたら「大災害」、100人を超えたら「甚大災害」である。それより上の1000人とか10000人というのは無い。子どもの頃からずっとそう思っていた。
 そう、平成7年までは。

 平成7年の阪神淡路大震災は衝撃だった。神戸はボロい田舎町ではなく、先進国日本の中でもかなり先進的な都会の街だ。それが6千人を超える死者を出したということは、私の住む東京ももし巨大地震に見舞われたら、似たような被害を受けるのだろうということがリアルに実感された。
 しかし私の心の中では、まだ阪神淡路大震災も「例外」として処理したい気持ちがあった。これはきわめて「特異」なことであって、こんな珍しいことはもう二度と起こることはないであろう、と。
 だからこそ、平成23年3月11日、大地震が起こったときも、最終的な死者数が阪神淡路大震災のそれを上回ることはないだろうと予想していた。それは3月11日の記事にも書いている。

 自分の見当が外れたこともさることながら、21世紀の現代、しかも先進国において、未だに1万人超えの大被害を出してしまったという事実が痛恨だった。

 私が今のところ一番恐れているのは、東京直下型地震だ。自分が住んでいるところだからでもあるが、何より桁違いに人口が多い。東京直下型地震の場合は、タイプとしては東日本大震災よりもむしろ阪神淡路大震災のような災害になるのだろう。津波よりも建物の倒潰や火事での被害者が多くなると思う。しかしもっと恐れているのは、亡くなってしまう人たちよりも、生き残った人たちの大混乱だ。東日本大震災でも、東京は死者数こそ少なかったが、交通、水、食糧、そして情報の面ではかなりの混乱に陥った。
 いつか来る「東京大震災」では、高度に発達した情報ネットワーク、情報インフラが却って仇となって、人々は大混乱、大パニックに陥るかもしれない。


 東日本大震災では、私は、「世界最大の防潮堤」などのハード面よりも、むしろ「日頃の心構え」や「的確で迅速な判断」のようなソフト面で助かった人々の事例に興味が行った。

 被害をゼロにする「防災」という考え方から、被害をなるべく小さく食い止める「減災」という考え方にシフトする話も最近聞くようになった。マグニチュード8とか震度7といった巨大地震が起こった場合には、被害をゼロにすることはできないかもしれないが、人間の知恵で、それもハード面よりもソフト面における対策において、被害を想定されたものよりもずっと小さくすることが可能なのではないかと思っている。

 具体的にどういった対策があるか。それはずっと考え中だ。気づいたことがあったら、また、おりおりブログに書いていこう。


 

Still For Japan 日本に捧げる1分間 -東日本大震災から4カ月-

 7月11日、東日本大震災から4カ月が経った。

 震災の記憶は年月の経過とともに風化していく。しかし、世界にはまだまだ日本のことを想ひ続けてゐる人たちがゐる。

 「非日常」は突然訪れた。3月11日は金曜日だった。翌、土曜、日曜は多くの日本人が「非日常」を味はった。しかし大地震から3日後の月曜日、早くも大多数の日本人が「日常」に戻らうとしてゐるのを私は感じてゐた。私の東京の知り合ひの中には、3月11日当日も、12日も13日もまったく普段通り仕事をしてゐた人もゐる。
 日常を取り戻すことも大事だが、空前絶後の非日常をしっかりと噛み締めることも大事だ、とその時感じた。

 4カ月経った今、東京ではほとんどの人が日常を取り戻し、東北でも避難所生活を送ってゐる等何らかの当事者以外は大部分の人は日常生活を取り戻してゐる。
 復興は喜ばしいことだが、その一方で多くの人たちが、あの日の記憶を忘れ始めて来てゐる。
 日常の仕事の忙しさにかまけて、東北のこと、三陸のことを思ひ出すことすら忘れかけてゐる。

 ニューヨークのレポーターKaede Sevilleさんが始めたStill for Japanといふサイトがある。1分間、サイトが下へスクロールしていくのを黙って見るだけ、といふサイトだ。その間、マウスの操作は受け付けない。急いでるからスキップ、とかは無しに、1分間といふ時間を捧げることに意味がある。

 1人1分として、目標は震災で被害に遭った18万人分の180,000分ださうだ。私が7月12日午後9時に見た段階では、まだ5700分ほどしか集まってゐなかった。

 「忙しい、忙しい」と言って、日頃から便利さや効率ばかり求めてゐる人にこそ、このサイトを見てほしい。





 → Still for Japan