暫定龍吟録

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カテゴリー "ことば" の記事

一青窈「ハナミズキ」は東京スカイツリーのことを歌った歌だった?

 今日4月23日の誕生花は「ハナミズキ」だそうです。(1年366日それぞれの日の花というのがあって、事典によっていろいろあるようです。)

 というわけで、今日は、歌手・一青窈さんの有名な曲「ハナミズキ」の歌詞が、実は東京スカイツリーのことを歌っているのではないか、という仮説をとなえてみます。

 冒頭の部分の歌詞は次の通り。

空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい
水際まで来てほしい



 以下、解説。

「空を」
 東京スカイツリーの「スカイ」→「sky」→「空」。

「押し上げて」
 東京スカイツリーの所在地、東京都墨田区押上(おしあげ)。

「手を伸ばす」
 空に向かって塔が伸びる、電波塔として広域に電波を送る、観光客を手招きする。

「君」
 スカイツリー自身、または観光客の意?

「五月のこと」
 東京スカイツリー2012年5月開業。

「どうか来てほしい」
 たくさんの観光客に来てほしい。

「水際まで来てほしい」
 今まで、東京観光と言えば、新宿、渋谷、六本木ヒルズ、表参道など山手エリアばかりで、隅田川以東の下町エリアには目新しい観光スポットがなかった。隅田川やスカイツリーのすぐ足下を流れる北十間川などたくさんの川が流れる下町の水辺エリアにも、ぜひ来てほしい。

 歌詞の一番最後。

百年続きますように


「百年続きますように」
 西洋と違って、日本では「時代にそぐわなくなった」、「建物の老朽化」などの理由により、建造物が次々に壊されることが多い。この建物(東京スカイツリー)は100年後も残っていますように。


 以上、勝手な解釈でした。「ハナミズキ」の歌詞が書かれたのは、東京スカイツリーの計画が具体化する何年も前です。


(↓投票するとすぐに結果を見れます)


父親のことを何て呼んでる?

 今日は父の日。みんなは自分の父親のことをどう呼んでゐるのだらう。

 投票サイト「ECナビ 投票スルー?」が行なった「自分の父親、どう呼んでる?」といふアンケートでは、2万3698人が回答し、次のやうな結果が出たさうだ。

お父さん :43%
おやじ  :13%
父さん  : 8%
とうちゃん: 7%
パパ   : 6%
オトン  : 3%
呼ばない : 6%
その他  :14%


 やはり、「お父さん」が圧倒的に多く、次いで「おやじ」が多い。
 女性は「お父さん」、男性は「おやじ」と呼ぶ人が多い気がする。「オトン」と呼ぶのは関西の人だらう。年齢、性別、地域によって呼び方はいろいろ変はってくると思ふ。
 「呼ばない」といふ人も6%ゐる。これは、すでに父親がゐなかったり、ゐても会話がなかったりするからかもしれない。

 それでは、他の人に自分の父親のことを言ふときは何と言ってゐるのだらう。
 上記は、父親に直接呼びかける場合の調査であって、例へば、自分の友達に「うちの(俺の)◯◯がさあ、」などと父親のことを話す場合は、みなさんは何と言ってゐるのだらう。

 私は小さい頃は「パパ」と言ってゐて、10歳頃から「お父さん」と言ふやうになった。高校生頃からは頭の「お」がとれて「父さん」。
 友達に話すときは、高校生の頃から一貫して「父親」と言ってゐる。つまり「うちの父親がこの間さあ、」などといふ具合だ。目上の人やきちっとした場所で話すときは、もちろん「うちの(私の)父が、」と言ってゐる。

 みなさんはどう言ってゐるのだらう。アンケートをとってみよう。
 条件を揃へるために、自分と同年代の友達に「うちの◯◯が、」と言ふ場合だと仮定しよう。もちろん「うちの」じゃなくても「私の」でも「俺の」でも構はない。

 みなさんは友達に自分の父親のことを言ふときにどう言ってますか?




パンダ名考

 上野動物園にやって来たパンダ2頭の名前が今日(2011年3月9日)決定した。

東京・上野のパンダ、日本名決まる オス「リーリー」 メス「シンシン」 - MSN産経ニュース

東京・上野動物園が中国から借り受けるジャイアントパンダのつがい2頭の日本名が9日、決まった。オスが「リーリー」(力力)、メスが「シンシン」(真真)。都などが名前を公募していた中から審査の末に選ばれた。


パンダの中国名はオスが「比力(ビーリー)」、メスが「仙女(シィエンニュ)」。


都は、2頭の来日にあわせて日本名を公募したところ、4万438件の応募があった。選定委員会で応募数の多かった名前100点を対象に選考を実施。オス・メス各4点の名前を最終候補として審査し、「リーリー」(応募数は359件)、「シンシン」(同127件)に決まった。
 決定理由は、「リーリー」が活発で力持ちのイメージ、シンシンは「純真」「天真」などの優しいイメージだった。



 1月に名前の公募があって以来、どんな名前に決まるのだらうと思ってゐた。

 東京動物園協会がパンダの名前を公募してゐたときに、「サクラ」とか「ソラ」といった大胆な名前を応募してゐる人がゐて、ちょっと気になってゐたのだ。
 上野動物園の歴代のパンダたちの名前はみな、初代カンカン、ランランから始まって最近のリンリンに至るまで、同じ音の繰り返しである。

カンカン
ランラン
ホァンホァン
フェイフェイ
チュチュ
トントン
ユウユウ
シュアンシュアン
リンリン

 いづれも中国っぽい名前であり、そこにいきなり「サクラ」とか「ソラ」といった日本人のやうな名前が出てくるのは私は違和感があった。

 実際に「サクラ」(メス)と「ソラ」(オス)は、40438件の応募の中から最終候補の4点に残ったらしい。因みに最終候補に残った4点の名前はこちら。

オス
 リーリー(359件)、
 ヨウヨウ(226件)、
 ゲンキ(216件)、 
 ソラ(128件)

メス
 サクラ(817件)、
 シャンシャン(270件)、
 シンシン(127件)、
 ミライ(66件)
 
(参照:UENO-PANDA.JP

 この中に明らかに日本人っぽい名前が4つある。「ゲンキ」と「ソラ」と「サクラ」と「ミライ」だ。「ゲンキ」や「ミライ」は漢語を聯想させるからまだしも、「ソラ」と「サクラ」は完全なる和語だ。

 なぜ今回このやうな"日本っぽい"名前の応募がたくさんあったのだらうか。
 1月に名前の公募があったとき、たしか私の記憶では、東京動物園協会は「日本での名前を募集」としてゐたはずだった。ところが、多くのマスコミがこれを「日本名を募集」と伝へた。
 「日本での名前」と「日本名」ではニュアンスが違ふ。「日本名」と聞けば、「日本っぽい名前」「日本人っぽい名前」を考へる人もゐるだらう。

 しかし今回のパンダの来日が、中国から東京都への「寄贈」ではなくて「貸与」であることを併せ考へても、やはり私は中国っぽい名前がよいと思ってゐた。

 だから中国名の「ビーリー(比力)」と「シィエンニュ(仙女)」のまゝでもいいと思ってゐた。たゞし、「仙女」の読みは、マスコミでは「シィエンニュ」で統一してゐるやうだが、これでは多くの日本人は「しーえんにゅ」と読んでしまふだらう。本来の中国語の発音に近い「シェンニュ」もしくは「シェンニー」と表記するのがいいだらう。

 「しーえんにゅ」だと長くて呼びにくい。「びーりー」は日本語で「最下位」を意味する「びり」を聯想させる。といったやうな理由で日本での名前が新たに募集されたのかもしれない。

 「リーリー」「シンシン」といふ名前は、中国名の「ビーリー」「シェンニュ」に似せてゐる意図が伝はってくる名前だ。

 ところでパンダの漢字名の読みは面白いもので、オスの「力力(リーリー)」は日本語では「リキリキ」と読むのが普通だ。一方、メスの「真真(シンシン)」は中国語読みでは「ジェンジェン」だ。オスは中国語読み、メスは日本語読み。子どもたちが親しみやすい、あるいは語感が可愛らしい読みの方を選択してゐるのだらう。


 こゝまで、上野動物園のパンダについて書いてきたが、和歌山の動物園のパンダには、また違った名付けの伝統があるやうだ。

永明(えいめい)
梅梅(めいめい)
良浜(らうひん)
雄浜(ゆうひん)
隆浜・秋浜(りゅうひん・しゅうひん)
幸浜(こうひん)
愛浜・明浜(あいひん・めいひん)
梅浜・永浜(めいひん・えいひん)
海浜・陽浜(かいひん・ようひん)

 名前に「浜」が付いてゐるのが多いのは、白浜町といふ町の名前に由来してゐるのだらう。例へば「永浜」を「ながはま」とは読まずに「えいひん」と音読みしてゐるのは、やはり中国っぽさを意識してゐるのだらう。
 こゝでも、「梅浜」は普通に日本語読みすれば「ばいひん」のはずだが、「梅」を「めい」と中国語読みしてゐる。
 難しいのは「良浜」で、これは日本語読みなら「りょうひん」で中国語読みなら「りゃんびん」のはずだが、これで「らうひん」と読ませてゐる。「らうひん」の名前の由来を調べてみたが分からなかった。

 あと、気付いたのは、上野動物園のパンダが基本カタカナ表記なのに対して、和歌山のパンダは漢字+ひらがなで表記されることが多い。これは、和歌山のパンダは日本生まれが多いから、その分少し「日本っぽい」のだらう。






(おまけ)
世界を駆けるパンダ。

PANDA 1/2「PANDA! PANDA! PANDA!」


えーえんとくちから - 笹井宏之の永遠

 笹井宏之。 

 私はつい最近までその人の名前を知らなかった。

 出会ひは偶然だった。昨年2010年の年の瀬も押し迫った頃、池袋のジュンク堂での予期せぬ邂逅だった。
 何千冊もの本が並ぶ本棚の中から、なぜ彼の本が目に止まったのか。それはわからない。装釘が魅力的だったからかもしれない。近づいて見たら、本のタイトルが不思議だった。

 『えーえんとくちから』

 私は、また新しい詩人が出てきたのだらう、といふ軽い気持ちで本を手に取ってパラパラとめくってみた。そして衝撃を受けた。
 私は本屋に行ったとき、買ふ予定がなかった本をその場の一目惚れで買ふことはほとんどないが、この本は買って間違ひないと直感した。

 買って家に帰ってあらためて読み、この作品集の著者、笹井宏之の才能に慄いた。

 笹井宏之は歌人である。しかし本人が「短歌というみじかい詩を書いています」と言ってゐる通り、私には詩人のやうにも感じられた。

 本を読み終へて、私は私の好きな詩人、立原道造を聯想した。笹井宏之が立原道造に似てゐると思ふところは、その詩が限り無くやさしいところ、繊細な感受性、とても現代的な感覚を持ってゐるところ、背景に知的なものを感じさせるところ、遠い彼方を見てゐるところ、などだ。もちろん、本人は立原道造と比べられるのは不本意かもしれないし、それはわからない。「俺はあいつは好きぢゃないんだ」と言ふかもしれない。読む人によっては、立原道造ではなく、宮澤賢治、八木重吉、金子みすゞを聯想する人もゐるかもしれない。

 笹井宏之の作品で、限り無くやさしいと思ふのは、例へばこんなうた。

にぎりしめる手の、ほそい手の、ああひとがすべて子どもであった日の手の


 かういふ繊細な感受性を感じさせるうたがいっぱいある。
 だが、たゞひたすら“やさしい”うたばかりといふわけでもない。よく読んでみると、笹井宏之のうたには諧謔もアイロニーもある。

恋愛がにんげんにひきつかまえて俺は概念かと訊いている

 かういふうたには知性を感じる。

 現代的でおもしろいと思ふのはこんなうた。

昨晩、人を殺めた罪によりゆめのたぐいが連行された

 
 好きなのはこんなうた。

あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる



 笹井宏之が見てゐた「えーえん」は、どんなものだったのだらう。彼の水平に届かないのでわからないが、私は少しでも近づきたいと思ふ。

 『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』2011年1月24日 第1刷

 昨年末に書店の店頭に並んだとき、第1弾はあっといふ間に売り切れたさうだ。第1刷の日付が「1月24日」になってゐるのは、この日が笹井宏之の命日だからだ。
 今日2011年1月24日が、笹井宏之の三回忌である。
 帯に付されてゐた写真を見たが、かっこ良くてやさしいお兄さんにしか見えない。そんなに病弱だったやうには見えない。

 2009年1月と言へば、日本でTwitterが流行するちょっと前だ。笹井宏之がもうちょっと長生きしてTwitterを使ってゐたら、すてきなツイートをたくさん残したに違ひない。

 Twitter上でたくさんの人が笹井宏之に対する想ひを語ってをり、こちらにまとめられてゐる。

 Togetter - 「『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』」

 また、笹井宏之が生前に書いてゐたブログがある。

 【些細】

 現在は、笹井宏之のお父様が更新を続けてをられるやうだ。

 「えーえん」の重さをいとも軽やかにうたってみせた笹井宏之。「天才」といふ賛辞は私からは不要だらう。間もなく世間がそれを認める。
 私はたゞ、笹井宏之が紡ぎ出したうたが好きなのだ。


えーえんとくちから 笹井宏之作品集えーえんとくちから 笹井宏之作品集
(2010/12/24)
笹井 宏之

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さくら市からネーミングの問題を考える

 今年も桜の季節が来た。
 
 ところで桜と言へば、栃木県に「さくら市」といふ名前の市がある。平成の大合併で誕生した新しい市である。氏家町と喜連川町といふ二つの町が合併してできた。
 でも、なんで名前が「さくら市」なんだらう。

 調べてみれば、なんでも地域内に桜の名所があるからだと言ふ。しかしそんな安易なことで日本人全員にとつての国花である「さくら」を名付けてよいものだらうか。

 そんなことを言つたら、私の家の近所の公園も桜の名所である。どのくらゐ名所かと言ふと、シーズン中の花見客の数が200万人近くに達し、日本一、いやひよつとしたら世界一かもしれない。だからと言つて、区が「さくら区」などと名乗つたかといふとそんなことはない。

 さくら市のHPによれば、「勝山城址の桜・鬼怒川堤防の桜堤、県道佐久山・喜連川線の桜並木・お丸山公園の桜など」が有名なのだと言ふ。これらの桜の名所はたしかに栃木県内では有名なのかもしれないが、全国レベルで見れば私の近所の公園の方がはるかに知名度が高いはずだ。

 こんな不遜な名前が簡単に付けられてしまふことを憂へる。ネーミングは大事。

 私の住む東京都にもふざけた名前の市区町村は存在する。「西東京市」だ。こゝは「東京都」ではあるが「東京」ではない。東京ではないのに東京を名乗つてゐる。「東京の西隣りだから西東京だ」と言へばたしかにさうだが、このやうな大きくて有名な街に寄生したやうな名前は、まるでアイデンティティが感じられない名前だ。愛知県にある「北名古屋市」も同じ。名古屋市に寄生してゐる。

 「北九州市」といふ名前の市もある。九州は元来、鹿児島・宮崎・熊本などを南九州と呼び、福岡・佐賀・長崎あたりの地域を北九州と呼んでゐたが、福岡県内の一部の地域が「北九州市」を名乗つてしまつたために、福岡・佐賀・長崎あたりを指す呼称が使へなくなつてしまひ、「北部九州」などと変な言ひ方で呼ばなければならなくなつた。
 かういふのは尊大なネーミングである。「四国中央市」も同様。

 合併したときはその地域に古くからある地名を付けるのが望ましい。「さいたま市」は元来、埼玉ではない地域が埼玉を名乗つてしまつた悪例。

 ネーミングと言へば、今、墨田区に建設中の「東京スカイツリー」といふのも、あれはもうあの名前で決まりなのだらうか。ネーミングのセンスがなんだか田舎者的な感じでとても残念だ。2年前にもブログに書いたけれども(新東京タワーの名称を考える)、あれは「押上塔」でよい。フランスの塔でさへ、「エッフェル塔」と「塔」で呼ばれるのに、日本の塔が「ツリー」などと呼ばれる謎。といふより恥。

 名前は大事なのだが、“民意”を反映しようとして公募したり多数決で決めたりしても、だいたいろくな名前に決まらない。少なくともネーミングにおいては「みんなの意見は案外正しい」とは限らない。

 それだけにネーミングの問題は難しい。識者が適切な名前を付けてしまつた場合がよいこともあるだらう。一度付けてしまつた名前をさうさう簡単に変更できないだけに悩ましい問題でもあり、慎重に考へなければいけない問題でもあるのだ。