暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2016

2008年04月の記事

漢字クイズに答えて飢餓の子どもを救う

 特定非営利活動法人LWC(ラブ・ザ・ワールド・コミュニケーションズ)が運営してゐる「HappyRice.jp」といふサイトがある。

 無料で気軽に漢字クイズを受けられるサイトで、漢字クイズに1問正解するごとに、50粒の米が、WFP(国連世界食糧計画)を通じて、世界の飢餓に苦しむ子どもたちに寄付されることになつてゐる。WFPの「地球のハラペコを救え。」といふキャンペーンに賛同してゐるらしい。

 HappyRiceは、

1)教育向上
正しい漢字を身につけ日本語の文章力・理解力を高める
2)飢餓救済
世界の子どもたちの飢餓救済のために寄付を行う


といふ、一見すると異種な感じの二つの目的を同時に達成してしまはうといふサイトである。今までかういふサイトはあまりなかつたやうに思ふ。これも一種のマッシュアップか。

 なぜ、漢字クイズに正解するだけで米50粒が贈られるのか?収入源はどうなつてゐるのか?
 このサイトにはバナー広告が表示され、その広告がクリックされるたびに収入が入る仕組みになつてゐる。広告の収入によつて米が賄われる。

 漢字クイズは、現在のところ、漢検の5級~3級レベルに対応してゐる。大人にとつては簡単なレベルである。中・高生の皆さんはぜひ挑戦してみてほしい。私も挑戦してみたが、てつきり終はりがあると思つて、つまり最後に「あなたの点数」みたいなのが表示されるもんだと思つて躍起になつてやつてゐたら、どうやら終はりはないのであつた。おかげで5000粒もの米を寄付してしまつた。1問50粒だから、つまり100問も解いてしまつたといふこと。
 このサイトには、「現在のサイト全体の寄付合計米粒数」といふのが表示されてゐる。私が見たときは、75000粒ほどだつたが、今はもつと増えてゐるだらう。

 漢字クイズを気軽に楽しみながら飢餓救済に貢献する。なかなか考へたものだ。


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アースデイに地球のことを考える

 今日4月22日はアースデイ

 アースデイとは、地球のために行動する日、地球に感謝し、美しい地球を守る意識を共有する日、とされてゐる。

 1970年ごろに、アメリカ・ウィスコンシン州選出のG・ネルソン上院議員が、世界中の人に環境問題について関心を持つてもらはうと考へて提唱したのがはじまり。日本には1990年ごろから広まつたらしい。

 世界のポータルサイトも、今日のアースデイに合はせた動きを見せてゐる。

 米Yahoo!(www.yahoo.com)は、“Yahoo!”の“oo”の二文字を三角のリサイクルマークに変へてゐる。


 Googleは、トップページのロゴマークをご覧の通り、自然の模様にしてゐる。


 MSN中国は、ご覧の通り、検索窓にあらかじめ「世界地球日」の文字が入力されてゐる。

 最近の地球環境問題の関心の高まりで、「エコ」を意識してゐる人も多いと思ふ。だが、環境は一向によくなつてゐない。むしろ、温暖化や大気汚染、水質汚濁など悪化してゐると感じられることが多い。
 「地球のために行動する」とはどういふことであらうか。「美しい地球を守る」ために、私たちには何ができるのか。それを考へるためにお薦めの一冊がある。
 NHKから出てゐる「地球データマップ」(2008年2月刊)といふ本だ。この本は、豊富なデータとビジュアルを駆使しながら、温暖化などの問題だけでなく、絶滅する動植物、戦争による悲劇、失はれていく文化、拡がる格差など、環境問題を超えて地球全体の問題を取り扱つてゐる。

 ケータイを使ふと、遠くの国で戦争が起きる。例へば、こんなことをこの本は教へてくれる。
 多くの日本人が毎日何気なく使つてゐるケータイ。しかし、これを使ふことが巡り巡つて、地球の遠くの国で戦争を長引かせることに繋がつてゐる。
 今日会社に行つて仕事をする。こんな経済活動だつて、地球に負荷をかけてゐる。あなたの日常の些細な行動の一つ一つが、環境、生態系、戦争、文化、社会、人間に、影響を与へてゐる。さういふことに無自覚である人が世の中、あまりに多い気がする。

 「ゴミを拾ふ必要はない。ゴミを捨てないことだ」。

 これが、環境問題の本質であると、私は常々考へてゐる。
 私は、ゴミ拾ひなどの社会活動やボランティア活動に参加したことはない。さういふ意味では、私は「地球のために何かしてゐること」はない。けれども、「地球のためにしてゐないこと」だつたらある。
 私は、車に乗らないし、ケータイも使はない。私はおよそ便利なモノは一切使はずに生きてゐる。一体、今の日本に、「車にも乗らないしケータイも使はない」といふ生活を送れてゐる人がどれだけゐるか。

 ゴミを拾ふことも結構だが、まづはゴミを捨てないことだ。そして、便利なモノを使はないやうにすることだ。人間にとつて便利なモノは大抵、地球に負荷のかゝるものだ。

 私たちの世代は、上の世代からろくな環境を残されなかつた。私たちが生まれたころには、日本が高度経済成長を成す前までにはこの国にあつたであらう美しい山川草木が何一つ残されてゐなかつた。戦後の時代を生きた大人たちが、何よりも経済を優先させてきたせゐだ。

 そして、私たちの世代が大人になつた今、次代の人たちに、また同じ愚を繰り返すのか。私は未来の世代の人たちに、良い環境を残してやりたいと思ふ。

 「毎日がアースデイ」と誰かが言つてゐた。さう。今日だけ意識すればいいのではない。だが、今日は多くの人がそんなことを考へるきつかけの日になればいい。今日から地球のことを考へて行動を変へてゆくのだ。できないことはない。


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読書とは何か

 先日、丸善で、籠いつぱいに本を買つてる人を見て驚いた。それも文庫本などの軽い本ではなく、辞典やらハードカバーの重厚さうな本ばかり、籠からあふれんばかりに。
 それだけの本を読みきれる自信があるといふことも驚きだが、それよりも「金持ちだなあ」といふのが一番の感想だ。だつて、一冊5000円としても籠の中には10冊以上あつたから、5万円以上。本屋で一回の買ひ物で5万円も使ふなんて。

 私は、本屋にはよく行くけれども、本は滅多に買はない。第一の理由は「金が無いから」。第二の理由は買つても「狭い家の中に置く場所がないから」。第三の理由は「そんなに本を読まうと思はないから」。
 二番目の理由の方は、これから電子書籍が普及していくにつれて解消していく問題かもしれない。だが、紙から電子になつても金は必要である。

 読書家と世間で呼ばれてゐる人たちは、勉強家である前に金持ちであると思ふ。

 それはともかく、読書家と呼ばれる人たちは、この大量情報化社会において、月に20冊以上といふハイペースで大量の本を読破していく。本屋に毎日のやうに新しく登場する新刊出版物も、彼らによつて次々に読み倒されていく。

 さて、読書家たちのかうしたスタイルは、はたして「勉強家」などといつて褒め称えられるものなのだらうか。

 本屋で、平野啓一郎の『本の読み方 スローリーディングの実践』といふ新書を見かけた。

私たちは、日々、大量の情報を処理しなければならない現代において、本もまた、「できるだけ速く、たくさん読まなければならない」という一種の強迫観念にとらわれている。「速読コンプレックス」と言い換えてもいいかもしれない



 はてなブックマークなどにあがる「最低でも読んでおきたい10冊の本」だとか「東大の先生がすゝめる100冊の本」などといふ類のエントリーを見てはこれらの本を次々に早く読まなければと思ひ、勝間和代などの「できる」人が薦めてゐる本を見てはそれも読まなければと思ひ、Amazonなどの書評で絶賛されてゐればそれも読みたいと思ひ、Socialtunesで本を次々とチェックする。そんな強迫観念に追はれてゐる人々には、ぜひ、かういふ本をこそ読んでもらひたい。いや、読まなくてもいい。スローリーディングの大切さ、読書とは何か、といふことがわかればそれでいい。

 『本は10冊同時に読め!』などといふ本がよく売れて、平野のかうした本が注目されない世の中を私は憂ふ。

 私はもとより遅読家である。能力的に速読できないといふのもあるが、速読しようと思はない。仮に速読できたとして、1ヵ月に30冊の本を読んだとして、それは何かの記録か金字塔なのか。
 本は何のために読むのか。もし、今月読んだその30冊の内の1冊の中に「もう、本は読むな」と書いてあつたら、それについてあなたはどう思ふのか。
 本の中のメッセージをどう受け止めるかは問題だ。メッセージを受け止めて、その日からあなたの行動が何らか変はらなければ、本を読んだ意味がない、と言つても言ひ過ぎではない。

 多くの本は辞書ではない。たゞ知識を詰め込むだけの「辞書的な読み方」をしてゐる人がゐたら、それは改めるべきである。行動が改まつていくならば、もうこれ以上本は読めないはずなのだ。

 読書とは何か。平野啓一郎はかう言つてゐる。

本当の読書は、単に表面的な知識で人を飾り立てるのではなく、内面から人を変え、思慮深さと賢明さをもたらし、人間性に深みを与えるものである



 一考すべきである。そしてそれがわかつたら、今日から行動を変へるべきである。


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人は右側通行?左側通行?

 突然ですが、質問です。
 皆さんは、人は右側通行だと思ひますか、左側通行だと思ひますか?

 今日、新聞の読者投稿欄を見てゐて、70代男性からの面白い投稿を見つけた。

 友人たちと花見に出かけたとき歩道が混雑してゐて、皆左側を歩いてゐた。すると60代の仲間が「本来、人は右側通行ですよね」と異議を唱へた。70代の自分は「人は左側通行」と習つたし、左側通行に何の違和感も感じなかつた。しかし、60代の彼は「人は右側通行と習つた」と言ふ。

といふ内容の投稿だつた。投稿者は世代の差を感じたらしいのだ。

 私は、ずつと若い世代で、東京で生まれ育つてきたが、ずつと左側通行で通してきた。渋谷や池袋など混雑した街では、皆、大体左側を歩くし、その流れで、エスカレーターに乗つたときも左側に立つ。狭い道で対抗者とすれ違ふときは、大抵、左側に避ける。左側を通るのは、東京では常識であり、暗黙のルールである、と思つてゐた。
 だが、時々、多くの人が左側を歩いてゐるにもかゝはらず、強引に右側を歩かうとする、をぢさん、をばさんがゐる。かういふ人はなんなんだらう、と前から疑問に思つてゐたが、今日の新聞投稿を読んで、少し合点がいつたやうな気がする。

 さう言へば、私の父(60代)も、「最近、左側を歩く人が多いでせう。をかしいよなあ。本来、人は右側通行のはずなのになあ」とぼやいてゐたことがあつた。そのとき私は反論した。「少なくとも、東京では左側通行が常識です。人は右、なんていふ標語は、戦後に新しくできたルールに過ぎない」と。だが、父のこのぼやきも、今日の新聞投稿と合はせて考へれば、納得がいく。

 昔、武士が帯刀してゐた時代は、刀の鞘どうしが当たつて喧嘩にならないやう、左側を歩いてゐた、といふ話も聞いたことがある。

 つまり、かういふことだ。
 日本、少なくとも江戸・東京では、昔から左側通行の慣わしだつたが、戦後のある時代に教育を受けた人々は右側通行に固執してゐる。それがたぶん、今の60代(ひよつとしたら50代も?)の人々なのだ。70代以上の人々は、さういふ教育は受けてないので、昔ながらの左側通行を通す。一方、若い人々は、教育よりも、現代の東京の圧倒的な人込みの中で、左側通行の暗黙のルールの中で育つてゐるので、違和感なく左側を歩いてゐる。
 これが、私の推論だ。
 
 新聞に登場する60代の人や私の父の主張がをかしいのは、「本来」といふ言葉を使つてゐるところだ。60代の彼らからすれば、「本来」つまり日本では古来より人は右側通行であつたはずなのに、最近の人は皆、左側を歩くやうになつてしまつて嘆かはしい、と言ひたいのだらう。
 だが、この認識は間違つてゐる。新聞の投稿者の70代の男性が「左側通行に違和感を感じない」と語つてゐるのをみると、やはり「人は右」といふ常識は日本古来の「本来」の伝統ではないのだ。

 人の右側通行、左側通行といふ、こんな何気ない常識に、世代間格差が見てとれるのが面白い。この話には、世代差だけでなく地域差もあるだらう。人の少ない田舎では、どちら側を歩くか、なんていふ常識が育つのだらうか?いや、そもそも田舎の人は普段の移動手段は車だから、「道を歩く」なんていふ習慣がないか。

 皆さんの地域ではどうですか?




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上野聚楽台が閉店

 上野駅の駅前に百貨店がある。

 えつ、上野に松坂屋以外に百貨店があるの?と驚かれる方もゐるかもしれない。
 上野駅の不忍改札を出てすぐ右手にある老朽化した2階建ての建物がそれだ。「上野百貨店」と書いてある。だが、どう見ても百貨店には見えない。私は、いつもこの建物の前を通るたびに「どこが百貨店なんだよ」と心の中で突つ込みを入れてゐる。

 この建物は横に長く、2階には囲碁センターがあつたり、レストランがあつたりするのだが、そのレストランの名は「聚楽台」といふ。で、この聚楽台が間もなく閉店するらしい。閉店する前に一度は入つておかう、と思ひ、先日通りかゝつたときに、中に入つた。

 「50年間のご愛顧ありがたうございました」と書いてあつたから、相当歴史の古いレストランだ。
 中に入つてみると、だゞつ広い。たゞでさへ広いのに、店内に仕切りらしいものがほとんどないから見渡しがよく、さらに広く感じる。まあ、無駄に広い。4人、8人といつた大勢で行つても、ちやんと座れるやうになつてゐる。
 店内にはシャンデリアがあつたり赤絨毯が敷かれてゐたりする一方で、メニューにはラーメンや定食があつたりして、「高級」路線を目指してゐるのか「大衆」路線を目指してゐるのかよくわからない店だ。そんなところがいかにも下町らしい。
 店の雰囲気は「昭和前期」だ。昔はおそらくこんな店がおしやれだつたのだらう。そんなレトロな雰囲気がぷんぷん漂ふ店だ。
 上野だけにメニューに「西郷丼」といふのがあるのも面白い。

 だが、こんな雰囲気のある、そして上野のサラリーマンやOLたちに長いこと食事処として重宝されてきたであらう、このレストランももう閉店するといふ。
 上野の街もこれから、秋葉原同様、少しづつ再開発されていくのかもしれない。街はきれいになつてほしいと思ふ反面、変はらないでほしいと思ふ部分もある。

 上野「聚楽台」。4月21日までださうなので、上野の近くにお住まひの方は、今週末あたりに行つておいてみては。


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「サンドイッチマン」で判る年代測定法

 「サンドイッチマン」は『広辞苑』に載つてゐる。

 さう聞くと驚く人もゐるかもしれない。
 えつ、このあひだM-1グランプリで優勝したばかりなのに、もう最新版の広辞苑に載つてるの?

 きつかけは、ある日の私の親との次のやうな会話だつた。

 私「サンドイッチマンつて面白いよね」
 親「どこが?」
 私「サンドイッチマン見たことないの?」
 親「あるよ。街に立つてるでせう」
 私「えつ、街に?」

 まつたく噛み合はない、こんなトンチンカンな会話があつた。

【サンドイッチマン】二枚の広告板を身体の前後に掲げて街路を歩く人。



 街で広告を肩からぶら下げて立つてる人はいくらでも見たことがあるが、私は恥づかしながら、さういふ人を「サンドイッチマン」と言ふのだといふことを今まで知らなかつた。

 私が無知なだけだらうか。もしかしたら、若い人は皆、結構、この「サンドイッチマン」を知らないのではないだらうか。
 そこで思つた。「サンドイッチマン」と聞いて何を連想するかで、その人のある程度の年代(老若)を判定できるのではないか。広告の方を思ひつくか、お笑ひの方を思ひつくか。(お笑ひコンビの方は正しくは「サンドウィッチマン」)。
 皆さんも、今すぐ、お父さん、お母さんに「サンドイッチマンつて知つてる?」と聞いてみよう。
 「あゝ、あのお笑ひの…」と答へたら、あなたのお母さんは若い。
 「あゝ、あの広告ぶら下げてる…」と答へたら、年配者だ。

と思ふ。

 ちなみに、歴代のM-1優勝者の中では、「アンタッチャブル」も広辞苑に載つてゐる。だが、「チュートリアル」は載つてゐない。なぜだらう。「チュートリアル」。ネット上でもこんなに広くよく見かける言葉が載つてないのは不思議だ。


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Googleカフェに行った

 今日、六本木を通つたら「iGoogle ART CAFE」といふカフェがあつたので入つてみた。

 iGoogleとは、Googleのホームページを自分の好きなデザインにアレンジできるツールのことだ。
 カフェといふからには、何かドリンクを注文しなければいけないのだらうかと思つてゐたら、見るだけでも構はない、とのこと。
 Google Soda(グーグル ソーダ)といふ飲み物はおいしさうだつたが、金が無いので飲まなかつた。

 「あの人は分からないことがあるとすぐにググるさうだ」
  ↓
 「ググるさうだ」
  ↓
 「グーグルさうだ」
  ↓
 「グーグルソーダ」

 店は、やはり「Google×六本木」といふことでおしやれではあつたが、それほど高級感があるわけではなく、気軽に入れる感じだつた。
 なんでも今日オープンしたばかりとかで、それならさぞかしGoogleマニアたちで賑はつてゐることだらうと思つたら、意外にもそれほど混んでゐなかつた。時間帯が早かつたからか。
 店内には、手塚治虫や隈研吾、日比野克彦、リリー・フランキーなど、私でも知つてる有名アーティストたちのテーマが飾られてゐた。
 店内には数台のパソコンが置かれてゐて、誰でも自分好みのiGoogleを作れるやうになつてゐる。操作がよくわからない人のために専任のスタッフが何人もゐるのだが、このやうな店に来るGoogleファンは、そんなサポートは必要ない人ばかりだらう。私もパソコンの前に座つてみたが、すぐにスタッフを呼びました。親切なお兄さんが丁寧にいろいろ教へてくれたが、いまいちよくわからなかつた。私の理解力が悪いのだらうか。

 「この場でGoogleアカウントをお作りした方には、プレゼントを差し上げます」とのこと。「反Google」のこの私にGoogleアカウントを勧めるか!と思つたけれど、無料でプレゼントが貰へるなら、と思ひ、Googleアカウントを作つた。
 プレゼントは「籤引きです」とのこと。籤引きといふから、てつきり、昔ながらの、箱の中に手を突つ込んで三角籤みたいなのを引くのを想像してゐたが、違つた。スタッフの方が一台のパソコンを持つてきて、「この中からお好きな一つをお選びください」。パソコンの画面には6つのYouTube動画。私が一つを指さすと、その動画が再生されて、ノートに何か文字が書かれるやうになつてゐる仕組み。凝つてゐる…。ノートには「Tシャツ」と書かれた。GoogleTシャツが当たつた。
 プレゼントは他に、鏡と手帳とブックカバーがあつて、私は手帳かブックカバーが欲しかつたのだが。
 GoogleTシャツは黒でデザインもかつこいいけれども、Mサイズでは私には合はないだらう。欲しい人がゐたらあげよう。

 といふわけで、「無料で」プレゼントを貰つて店を出てきたので、満足。

 「せつかく行つて来たのなら、写真を撮つて来て、写真入りで紹介しろ」と思はれるかもしれないが、「反便利」の精神を貫く私は、あいにくデジカメとかケータイなどといふ便利な物は一切持ち合はせてゐないので、写真は撮つて来れなかつた。それで、こんな文字だけの紹介になつてしまつた。こゝまで紹介したのなら、せめてGoogleTシャツの写真ぐらゐ載せるべきだとは思ふが、本当にカメラを持つてないので申し訳ない。
 こちらに多少、写真が載つてゐる。 

 興味のある方、六本木の近所にお住まひの方、Googleマニアの方は、実際に足を運んでみてはいかゞ。
 場所は、六本木ヒルズの真ん中あたり。
 このカフェは期間限定で、4月24日までださうです。


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北京オリンピックはもう大成功?

 8月の北京オリンピックに向けて、良くも悪くも中国の注目度が高まつてゐる。

 オリンピックの聖火リレーが世界各地で妨碍に遇つてゐる。聖火を奪はうとしたり、火を消さうとしたり。かうした行為は中国に対する抗議活動の一環であり、妨碍を行ふ人たちは、大体「フリーチベット!(チベットに自由を)」と叫んでゐる。

 私はかうした妨碍活動をテレビなどで見てゐて、少しく違和感を感じた。
 チベットの独立を巡る問題は、昔からある問題である。それは昨日今日に始まつた問題ではない。だが、「フリーチベット」といふ言葉は、ほとんど今年になつてから一斉に耳にするやうになつた言葉だ。「フリーチベット」を言ふ多くの人たちは、まるで今年になつてから急にこの問題に関心を持つたかのやうである。かういふ人たちは本当にチベットの問題に関心があるのだらうか。

 私は、中国を擁護するつもりではない。京都議定書に参加せず、環境問題を省みないで経済優先の道を突つ走つてゐる中国を私もまた苦々しく思つてゐる。
 だが、この問題は、猛烈な勢ひで経済発展を遂げる中国に対するバッシングなのではないかと思つた。つまりは「中国」の問題なのだ。人々が関心があるのはチベットの政治や宗教の問題ではないのだ。人々は「中国」を問題にしてゐる。

 かつて日本がバブルの時代に世界一の経済大国になつたときも、米国をはじめとする諸外国から随分、バッシングされた。「出ようとする杭は打たれる」のか。今の中国が世界中から叩かれるのは、その時の日本と同じやうな理由だといふ気がする。そして中国は良くも悪くも“目立ちすぎる”大国になつてきたことだけは間違ひない。だからこれだけ世界中から注目を浴びてゐるのだ。

 聖火リレーは、1936年のベルリンオリンピックから行はれてゐる70年以上の歴史がある伝統的なイベントだが、かつてこれほどまでに聖火リレーが注目されたオリンピックがあつただらうか。今までのオリンピックでもずつと聖火リレーは行はれてゐたけれども、どんなコースを走り、今、世界のどこを走つてゐるところか、なんて誰も興味を持つてゐなかつた。
 それが今回は、聖火リレーがどんなコースを走るかが全世界的に注目され、今、世界のどこを走つてゐるかといふ情報がまるでインターネット中継を見るかのやうに世界中の人々に共有されてゐる。世界中の人々が息を合はせて、自国に聖火がやつて来たタイミングで抗議活動を行つてゐる。
 つまり、皮肉にも、これほどまでに世界の人々が息を揃へたことは、かつて無かつたのだ。何と言つても、世界中が聖火リレーが自国にやつて来るのを今か今かと待ち構へてゐる雰囲気がある。

 中国にとつては皮肉のやうだが、これはオリンピックのプロモーションとしては、一面としては大成功と見ることもできる。もちろん、オリンピックの精神が平和であることから考へれば、このやうな妨碍活動が起こることは決して好ましいものではない。だが、この「目立ちすぎる大国」を対象にして、世界が一体感を強めてゐる。この雰囲気は北京オリンピックが終はるまでは続くだらう。

 中国が日本と違ふところは、世界中から叩かれてもさう簡単に折れるやうな小国ではない、といふところだ。


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情報と検索

 最近、ちよつといいこと言ふなあ、と思つたのは、芥川賞作家の藤原智美。2008年3月27日のNHKテレビ「視点・論点」に出て、「検索から思索へ」といふタイトルで論じた。

 ところで、同じNHKテレビの4月1日放送「爆笑問題のニッポンの教養」といふ番組に、松岡正剛先生が登場。セイゴオ先生については、改めて説明するまでもないだらう。インターネットで本の書評などを調べたことがある人は、一度はセイゴオ先生の千夜千冊のページに辿り着いたことがあるはずだ。

 「編集工学」で有名なセイゴオ先生だが、テレビでは「現代の知の巨人」と紹介されてゐた。

 私は、セイゴオ先生のことをよく知らない。著作も読んだことがない。だから、あまり批判はできないし、したくもないのだが、上の二つのテレビ番組を見て、私がより感銘を受けたのは、セイゴオ先生の方ではなく、藤原智美の方だつたのだ。

 セイゴオ先生が「知の巨人」であるのはわかる。たしかにさう思ふ。セイゴオ先生ほどたくさんの本を読んでる人はさうゐないだらうし、なによりも見てゐて圧倒的な「知力」を感じる。
 だが、先生の言ふ「編集」とは何であらうか。まさにその「編集」が幅を利かせてゐる現代社会に真っ向から異を唱へたのが、藤原智美の「視点」であつた。

 現代の多くの人間は、インターネットで情報を検索し、収集し、編集し、そして送り出す。切り貼り(コピペ)で作る卒論、「ひな型」や「テンプレ」が出回つてゐるビジネスドキュメント、さういつたものに藤原は疑義を呈する。
 昨今のブログについて藤原は次のやうに言ふ。

ブログの中にもよくよく見ると、ずいぶん引用とか編集されたものがあります。中にはその自分の意見が全然なくて、ただ紹介しているだけのブログもあるんですね。不思議ですよね。自分で何かをやりたい、表現したいと思っているのが、すべて編集と引用であるということは、不思議な状況です。


 このやうなブログを皆さんもたくさん目にしたことがあるのではないだらうか。世界の最新情報を坦々と紹介してゐるだけのブログ。そしてさういふブログが得てしてたくさんのアクセスを集める人気ブログだつたりするのも、また私たちのよく知るところだ。

 最近、「○○が△△できるやうになる技術」とか「○○を3日で△△する方法」などといふフレーズをよく目にするだらう。新書のタイトルやブログエントリーのタイトルに多い。そしてこのやうなタイトルのエントリーが多くの人々に絶大に支持されてゐる。試しに「はてなブックマーク」や「del.icio.us」などのソーシャルブックマークを見よ。そこではそのやうな類のフレーズをたくさん目にすることができる。「超!整理術」などといふ類の本がよく売れる。
 情報を検索して収集して整理して編集する「技術」や「方法」がもてはやされてゐるのだ。さういふ状況に対し藤原は、

情報の整理学とか、情報の技術なんていう言葉が躍っています。そこではできる人間、仕事ができる人間というのは、情報収集がうまくて、効率的にそれをやって、そして、それを人に自分の成果として届けることができる。そういう人が仕事ができる人間だと思われているわけですね。しかし、これはどうも嘘ですよね。


と言ふ。情報をゼロから作る人こそ一番優秀なのだと言ふ。
 
 藤原のこの言葉に私は大いに共感した。
 「編集や技術や方法やメソッドではないのだよ、セイゴオ君!」と藤原は言ひたかつただらうか。
 セイゴオ先生の言ふ「編集」といふものがどういふものであるか私は知らないが、少なくともネット上で藤原智美より松岡正剛の方が人気がある、といふ事実にも一片の危惧の念を感じる。

 「情報の整理学」を言ふ人たちは、さうやつて今まで過去ログを調べるのにかゝつてゐた時間を短縮することによつて、新たな創造の時間が生まれるのだ、と言ふ。検索といふ技術が生まれる前は過去の文献などを調べるのに膨大な時間がかゝつてゐた。そこを一瞬で済ませることによつて、新たな有用な時間を創出できるではないか、といふわけだ。
 一見、もつともな意見だが、はたして私たちはその新しく生まれた時間を有用な創造の時間に充てることができるのだらうか。たしかにそのやうな創造(=アウトプット)が上手な人もゐるが、多くの人はその余剰の時間さへ、更なる果てしない検索に追はれてゐるのではないか。

 こゝに「思索」といふ言葉を持つてきたのは、いかにも作家らしい。言葉の選び方のセンスを感じる。「検索」と「索」の字を掛けてゐてわかりやすく、メッセージとして訴求力がある。

 「検索から思索へ」。


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日本でエイプリルフールが振わない理由

 昨日4月1日の記事は、エイプリルフールのジョークだつた。私のオリジナルのジョークではなくて、アイレムといふゲームソフト会社が考へたジョーク。なかなか手の込んだ秀逸なジョークだつたので紹介させてもらつた。騙された人はゐないと思ふが、もし、本当に横縞のシマウマがゐるのか!と思つてしまつた人がゐたら、ごめんなさい。

 英BBC放送も、空を飛ぶペンギンを発見した、といふジョークニュースを流したさうだ。CGを使つて、ペンギンが空を飛ぶ様子がきれいに再現されてゐて、それは見事だつた。

 思ふに、エイプリルフールの伝統がある欧米の方が、やはりジョークのセンスがあるやうだ。上手に嘘をつくと言ふか、そのセンスがいいのだ。
 日本には、まだまだそれほどセンスよく嘘をつける会社はない、と感じる。昨日紹介したアイレムは日本の会社にしては珍しくセンスのある方で、昨日、エイプリルフールに参加した会社のジョーク(例へば、Google日本の「ダジャレサーチ」など)は、大して面白くもないものだつた。そもそも日本にはエイプリルフールといふイベント自体に参加する会社が少ない。何故なのか。

 それは、4月1日といふ日が、日本では年度変わりの大事な日だからではなからうか。忙しくて冗談なんか考へてゐる暇はないし、年度始めの日に立てた年度会計や年度計画が「嘘でした」なんてことになつたら、冗談では済まされない大変なことになる。

 日本人が欧米人ほどジョークセンスがないといふのもあるかもしれないが、やはり「日柄が悪い」といふのが大きいのではないか。エイプリルフールは日本では大きいイベントが少ない6月1日頃にしたらどうだらう。


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世界一珍しい動物園

 世にも珍しい動物ばかりを集めた動物園がある。

 「あいれむどうぶつえん」がそれだ。

 この動物園には、先進オフィス環境に迅速に適応した「ハブハブ」といふ名前のハブや、30mもの極めて長い手を持つ「チョウテナガザル」、かわいらしいまんまるねずみの「プレーリーポム」、さらには世界でも珍しい横縞模様のシマウマ「ヨコシマウマ」など、貴重な動物がたくさんゐる。

 この動物園は、西暦284年に開園した歴史ある動物園なのだが、残念ながら、本日をもつて閉園とのこと。これらの希少動物は、今後どうなるのだらう。惜しまれる閉園だ。
 たゞいま、閉園セレモニーを開催中のやうなので詳しくは同園のホームページを見てほしい。

プレーリーポム

↑本当にまんまるな形をしたネズミ。手足が退化してるため、移動するときは転がつて移動するといふ。

ヨコシマウマ

↑世界的にも大変珍しい横縞のシマウマ(写真はいづれも、あいれむどうぶつえんホームページより)


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