暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

2008年05月の記事

コンピューター将棋が人間を超える日

 5月3~5日、千葉県木更津市において、「第18回世界コンピュータ将棋選手権」が開かれた。

 優勝ソフトは「激指」、準優勝は「棚瀬将棋」、3位には一昨年一躍有名になつた「Bonanza」が入つた。
 事実上の決勝戦となつた「激指 対 棚瀬将棋」戦は、棚瀬将棋のまさかの時間切れ負けで、激指の劇的な優勝となつた。棋譜を見てみたが、途中までは棚瀬将棋がかなり優勢に対局を進めてゐたので、2位になつた棚瀬将棋も、激指に劣らぬ強さを持つてゐると言へると思ふ。

 コンピューター将棋ソフトの棋力は、年々格段に強くなつてきてゐる。今年も大会後に人間対コンピューターのエキシビションマッチが行はれた。激指がアマ名人の清水上徹さんと、棚瀬将棋が朝日アマ名人の加藤幸男さんと戦つたが、いづれの対局もコンピューター側が勝つた。

 これはかなり衝撃的なニュースだ。アマ名人と言へば、ほとんどプロ棋士に遜色ない実力を持つた人だ。そんな強い人がコンピューターに負かされたのだ。今回は持ち時間15分、とコンピューター側にやゝ有利なルールだつたこともあるが、それにしてもアマ名人に勝つのは並大抵のことではない。

 一昨年、Bonanzaが勇名を馳せたころから、コンピューターがプロ棋士を倒す日は近いのではないか、といふ話が急速に現実味を帯びてきた。私もさう思ふ。アマ名人を倒せれば、プロ棋士だつて倒せる日はさう遠くないはずである。
 だが、さう簡単に人間側が負けることはない、と考へてゐる人もゐるやうで、例へば、プロ棋士の渡辺明竜王は、次のやうに言つてゐる。

一発勝負ならプロに勝つ可能性が十分にあるレベルにはすでに達している。コンピュータは確かに強くなった、でもトッププロに迫るにはまだかなりの時間がかかると私は予想している。(『ボナンザVS勝負脳』より)


 また、同著の中でかうも言つてゐる。

コンピュータに人間が敗れるというのは、私も含めた上位の棋士たちがみな十番勝負で3勝7敗とか2勝8敗の成績になるということ。ソフトの開発者たちはいずれそうなると思っているようだが、私にはとてもそうは思えないのである。


 渡辺竜王ほどの人がかう言ふのだから、人間がコンピューターに負ける日を心配することはないのだらうか?

 ところで、この中で渡辺竜王が、「トッププロ」とか「上位の棋士」といふ言葉をよく使つてゐるのが気になる。私はプロにトップも下位もないのではないかと思ふ。コンピューターがプロの下位クラスの人を倒したら、名人を倒す日は1年以内に来るだらうと思ふ。だが、渡辺竜王は、いはゆる「たゞのプロ」と「トッププロ」は違ふ、と考へてゐるらしい。その根拠は何なのか。

 私は、将棋ソフトがどのやうなプログラムで動いてゐるのかさつぱりわからない。けれども、もし、それが、人間のプロ棋士の過去の定跡を覚えることで力が上達してきたといふなら、その手本が人間である限り、コンピューターは人間の最高位を超えることはできない、といふことなのだらうか。
 しかし、コンピューターの強さは、定跡のデータベースだけではない。何億通りもの手を読むといふ力技(ちからわざ)が、その強みとしてある。厖大な定跡のデータベースに力技を加味するならば、やはりコンピューターが人間のプロ名人を倒す日も来るのではないだらうか。

 オセロの世界では、すでに人間がやる気が失せるほど、圧倒的にコンピューターが強い。チェスの世界でも世界チャンピオンのガルリ・カスパロフ氏は、コンピューター「ディープ・ブルー」との歴史的な一戦で、途中でやる気が失せたといふ。
 オセロやチェスで起こつたことが、将棋で起こらないとは考へにくい。今に人間のやる気が失せるほど圧倒的に強い将棋ソフトが現れるだらう。最近の将棋ソフトは、従来のやうに「浅く広く」読むばかりではなく、「狭く深く」読むこともできるらしい。昔から「大局観の無さ」が指摘されてゐるコンピューターだが、大局観が無くても、プログラムや思考法のちよつとした改良でそれもカバーできるのではないか。

 将棋はチェスとは違ふ、とたしかに思ひたい。取つた駒を使へるから、局面変化の数が極端に多いのだ、と。しかし、今回、コンピューターが人間のアマ名人を倒した、といふ事実は、つまりコンピューターが目指すべき到達点をもう見つけてゐる、といふことなんだと思ふ。今はまだ、その到達点には達してゐなくても、目指すべき地点が見つかつてゐるなら、そこに到達するのは時間の問題なのだらう。

 私は“その日”が7~12年後くらいに来ると予想してゐるのだが、どうだらう。


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Windowsメールの謎

 突然ですが、皆さんはメールソフトは何をお使ひでせうか。中には、メールソフトは使つてない、といふ方もゐらつしやるかもしれない。

 私は、「Windowsメール」といふソフトを使つてゐる。WindowsVistaにプリインストールされてゐるメールソフトである。使ひ勝手がよくないので、好んで使つてゐるわけではないが、ともかくも使つてゐる。

 ところで、このWindowsメールといふソフト、ネット上でほとんど耳にすることがない。ずつと前から疑問に感じてゐた。メールソフトの設定の仕方などを説明してゐるサイトを見ても、「OutlookExpressをお使ひの場合」といふのはよく見かけるが、「Windowsメールをお使ひの場合」と載つてゐるのはあまり見たことがない。なぜだらう。

 さらに驚いたのは、以下のやうなアンケートだ。
リサッチ!あなたが使っているメールソフトは?


 これは、「あなたが使つてゐるメールソフトは?」といふアンケートで、リサーチ期間は2008年、回答総数は現在のところ、五十数名である。
 これを見るかぎり、1位は「Webメール」、2位は「OutlookExpress」、3位は「Thunderbird」、「Becky!」などとなつてゐる。以下、「Shuriken」、「Outlook」、「秀丸メール」、「Eudora」などと続いてゐる。
 だが、順位はどうでもいい。私がこゝで問題にしたいのは、なぜ、このアンケートの回答選択肢の中に「Windowsメール」といふ選択肢がないのか、といふことだ。「その他」に含まれるのかもしれないが、なぜ独立した選択肢ではないのか。

 次のアンケートは、「アバウトミー」といふサイトにおける、「愛用のメールソフトは?」といふアンケート。回答総数は、現在、90人超である。

 このアンケート結果を見ると、今のところ、1位は「Webメールがメイン」、2位は「OutlookExpress」、3位は「Thunderbird」、4位に「Becky!」、5位に「Mail」、6位に「Eudora」、7位に「秀丸メール」となつてゐる。

 次のアンケートは、リスログといふサイトにおける、使ひ易いメールソフトをアンケートしたものである。回答総数は現時点で500名を超えてゐる。

 こゝでは、今のところ、1位が「Thunderbird」、2位が「GMail」、3位が「Mail」、4位が「Becky!」、5位が「OutlookExpress」などとなつてゐる。「その他」には、「Eudora」、「AL-Mail」、「EdMax」、「ShurikenPro」、「Opera」、「Outlook」、「秀丸メール」が入つてゐる。

 いづれのアンケートでも多少の順位の変動が見られるが、上位にランクインしてゐる顔ぶれは似たやうなものである。だが、もう一度言ふが、順位はどうでもいい。上記二つのアンケートにおいても、これだけたくさんの選択肢があるのに、やはりなぜか、「Windowsメール」といふ選択肢はない。Windowsメールといふ回答がない、といふ以前に選択肢として存在してゐないのだ。

 一体、なぜなんだ。
 さう言へば、数ヶ月前にヨドバシカメラに行ったとき、店員のお兄さんにあることを相談してゐた。そのとき、「お使ひのメールソフトは?」と訊かれたので、「Windowsメールです」と答へたら、きよとんとした顔をしてゐた。Windowsメールを知らないのだらうか?
 なぜ?
 今、世界で最も普及してゐるOSであるWindows。その最新版であるVista。そのVistaにプリインストールされてゐる標準のメールソフト「Windowsメール」。どう考へても、マイナーであるはずはないと思ふのだが、それがなぜ、かうも人々の口に上らないのか。

 不思議だ。
 それとも私が何か重大な勘違ひをしてゐるのだらうか。パソコンに詳しい方、メールソフト事情に詳しい方がゐたら、教へてほしい。

ネット社会の伝言ゲーム

 小学校の頃、「伝言ゲーム」といふゲームがあつた。
 校庭に各クラス縦一列に並んで、一番後ろの子が先生からお題の文章を聞く。それをどんどん前の子へ前の子へと耳打ちで伝へていく。そのやうにして一番先頭まで行つたら、その一番前の子が先生に文章を伝へる。先生が皆の前でそれを発表し、元の文章がどれだけ正確に伝はつてゐるかをクラスの列ごとに競ふ。
 皆、後ろの子から回つてきた文章を、聞いて前の子へ伝へなければいけないわけだが、これがなかなか難しい。お題は大抵、長文で、一回聞いただけではなかなか覚えられないのだ。
 その長い文章が、先生の元に一字一句違はぬ形で戻つてくることは稀で、大抵の場合、どこかが省略されてしまつてゐたり、余計な文言が付け加はつてゐたりと、「改変」されてゐるのが常であつた。

 ジャーナリスト江川紹子氏の「ネット社会を生きる人へ~自戒を込めて」といふ文章を読んだ。
 光市母子殺害事件のご遺族の本村洋さんについて、事実からかけ離れた情報がネットに流れてゐる、といふ内容のものだ。
 ある一つの小さな事実が、その元をきちんと確認されないまゝに、ネット上でどんどん「ウワサ」といふ形で形を変へて広まつていつたのだと江川氏は言ふ。

この事実が伝えられていくうちに、それぞれが自分の価値観や思惑を加味し、新たな意味づけがされて、ネットの世界で広がっていったのでした。(中略)話に尾ひれがついた、というより、背びれ胸びれまでくっついて、ネットという大海を泳ぎだしてしまった感じです。


 私は、子どもの頃から伝言ゲームといふゲームに関心があつた。そして大人になつた今でも関心がある。
 伝言ゲームでは参加者は全員、中継者である。真ん中の子だけではなく、一番後ろの子も先生からお題を聞いてくる中継者だし、一番前の子も最後に先生にお題を伝へなければいけないので中継者である。中継者でないのは、お題を出した先生、つまり情報発信元の先生だけである。
 このゲームに勝たうと思ふなら、中継者は絶対に、元の文章に自分の価値観や思惑を加味してはいけないし、長い文章を自分なりに“要約”してもいけない。正確無比なコピー機でなければならないのだ。
 江川氏は言ふ。

それより私が問題だと感じたのは、(中略)事実を確認しないまま、それに様々な意味づけや憶測を付け加えて流していく人たちです。どこかのサイトや掲示板で見たウワサをコピー&ペーストすれば、今度は自分が発信源になれます。


 これは面白い視点だらう。伝言ゲームの途中で、ほんのちよつとでも自分なりの意味づけや憶測を付け加へてしまつた人は、もうその人が新たな伝言ゲームのスタート地点なのだ。自分は「真ん中の人」であつたつもりが、いつのまにか「一番最初の人」になつてゐるのだ。
 また、私たちすべての中継者は、正確なコピー機でなければいけないにもかゝはらず、ネット上においては、その便利なコピー機能が却つて仇になる、といふ点も注意しなければならない点だ。もしネットにコピー&ペーストといふ機能がなければ、全然違つてゐただらう。ウワサの伝はる伝播力やスピードが断然違ふからだ。

 そして、今回の江川氏の文章の中で最も大事な部分。

すごく安易に、とても気軽に、かなり無責任に、情報の流通の担い手になっている人たちがいます。彼らにとっては、単なる面白い情報の一つにすぎなくても、そうやって流された情報によって傷ついたり、困ったりする人がいる、ということを、もう少し考えてもらいたいと思います。


 これは非常に重要なことだ。

 「そんなにムキになることないんぢやないの」と思ふ人もゐるかもしれない。たしかに小学校の伝言ゲームにおいてはさうだ。小学校の伝言ゲームは一応は正確に伝へて勝つことが目的だけれども、一方では、元文が原形をとゞめないほどに「変形」してしまつてゐるところに面白み、をかしみがある。
 だが、現実社会あるいはネット社会では、さうではない。現実社会の伝言ゲームは遊びではない。現実社会・ネット社会の伝言ゲームと小学校の伝言ゲームはどこが違ふのか。それは、「それによつて傷つく人がゐるかゐないか」の違ひだ。
 かういふ「傷つく人」の存在に気づくかどうか。自分は誰も傷つけてるつもりはなくても、ネット上においては、安易に、面白がつて、かうしたゲームに参加することによつて、いつのまにか誰かを傷つけてゐる可能性が高いといふこと。それは「影響力が大きい」、「伝播しやすい」といつたネットの特質から来る危険性である。そして、時には自分でも気づかぬうちに自分がその「傷つけ」のスタート地点になつてゐる可能性すらある、といふことである。

 最近は、不確かなウワサを「都市伝説」などと言つて面白がる風潮もあるが、ネットを利用する人、ネット社会を生きるすべての人は、くれぐれもこの種の伝言ゲームへの軽率な参加を慎まなければなるまい。


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