暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

2009年07月の記事

携帯電話を持たない私

 携帯電話を持たない人-はてな匿名ダイアリー

 まるで、私のことを名指しで批判してゐるやうな記事だと思つた。
 まさに携帯電話を持たない私からの反論。

「みんな持つのが常識だみたいな先入観に毒されてる」のようなことを唱える処置なしは極端な例だからおいとくとしても


 何が処置なしなのか、まつたく理解できない。
 
 私は生まれてこの方、携帯電話を持たずに生きてきたが、別に「自慢」したり「優越感を滲み出したり」してゐるつもりはない。

いや、お前が不便かどうかではなく、お前が持っていないことで他の人が不便なのが迷惑なんだよ。


 そんなことは、ずつと昔からわかつてる。以前、後輩と待ち合はせをして、後輩が30分くらゐ遅れてきたとき、「○○さん、頼むから携帯持つててくださいよ」と泣きさうな感じで言はれたことがある。私が不便なのではなく、遅刻することを私に連絡できない後輩が不便なのである。それは、わかつてる。
 しかし、

「古風な自分ステキ」的なポリシーでもって頑なに持たないことを続けようとする人ははっきりいって迷惑だ。


とまで言はれると、ポリシーとして携帯電話を持つてゐない私は黙つてゐられない。

 大体、衣服の例へと比べるのはをかしい。

例えば、衣服だって似たようなものだ。今の時代、「俺は別に寒くないから街に出るのも裸でいいや」というのが許されるか?


 衣服のやうな伝統と歴史があるものと、携帯電話のやうな一時の流行のものを比べるのはナンセンスだ。それを「パラダイムシフト」とまで言ひ出す始末は、あまりにひどい。携帯電話なんて一時的な流行のものに「パラダイム」を思つたり、時代の常識などと思つてる人がゐるとしたら、それはつまらない考へ方だ。「ポケベル」が所詮、一時的な流行に過ぎなかつたことを思ひ出してほしい。当時、ポケベルを持つてゐなかつたからといつて、それほどまでに非難されただらうか。

 それに上記の増田氏は、携帯電話を持たない生き方だつて選択できたんだよ?なぜあなたは、主体的に携帯電話を持たない生き方を選ばうとしないのか。
 周りの人たちに迷惑をかけるから?
 嘘をつけ!
 「携帯電話が好きだから」。持つてると「便利だから」、「楽しいから」だらう?
 今、携帯電話を持つてるほとんどの人は、最初に購入したきつかけは、さういふ自分の欲望からだ。
 周囲への義務感や責任感から携帯電話を持つやうになりました、と言ふなら、それはまだ感心なはうだ。でも、そんな義務感は、つまらない義務感だ。そんなことで周囲に迷惑がかゝる、などと思つてゐるのなら、いつまでたつても主体的な生き方はできないだらう。

 私が「私のPCにはWordがありません」と言ふと、「Wordファイルが送れないから困る」と言ふ人がゐる。さうやつて今まで私たちはマイクロソフトに毒されて来たのではないのか。その愚を携帯電話でも繰り返さうと言ふのか。Wordがないなら、OpenOfficeを、Google docsを使へばよいではないか。一人一人が「Wordを持つてません」といふ声をあげることによつて、これらの別の新たな手段は生まれてくるのではないか。
 携帯電話だつて同じこと。もつと「私は携帯電話を持つてません」と言ふ人が多くなれば、それに代はる別の連絡手段が生まれるはずだ。

 とまあ、持たざる者が持つ者を批判するならともかく、持たざる者が持つ者から批判されるとは思つてもみなかつたので、つい、感情的に反論してしまつた。

 ちなみに私が携帯電話を持つてゐないのは完全にポリシーだ。このブログの標語にもしてゐる「反便利」の精神から来てゐる。「反便利」とは、自分にとつての便利だけでなく、他人にとつても便利であつてはいけないのだ。
 どんなに批判を受けようとも、このポリシーは変へないだらうし、周りに不便をかけてるのは承知だけれども、「本気で申し訳なく思っ」たりすることはないだらう。 

日食にまつわるあり得ない話

 女性社員たちが日食について話してゐて、「ぢやあ月食は何なの?」といふ話になつた。

 「うーん。日食の逆だから、太陽の陰に隠れて月が見えなくなるんぢやない?」

 ・・・・・・・・・・・・そんなバカな。

我慢しないということ

「このままじっと我慢してれば、そのうち良くなる」。そんな神話を信じる老害社員はなぜ増えたのか? -カレーなる辛口Javaな転職日記

我慢することの害 -はてな匿名ダイアリー

 最近、上記二つの文章を読んで、いろいろ思ふところがあつた。

 今時の若者はなぜ3年で辞めるのか。「根性がない」、「忍耐が足りない」などとよく言はれる。3年も持てばいいはうで、数ヶ月で辞めたり転職したりする人も少なくない。

 若者が辞める理由の一つに、「仕事内容が性に合はないから」といふのがある。これなどは年配者から見れば、まさに我慢や忍耐が足りない証拠で、「昔は多少、自分の性に合はなくても我慢したもんだ。性に合ふか合はないかは、10年やつてみないと分からないもんだ」などと言ふことになるのだらう。

 なぜ年配者は「我慢しろ」と言ふのか。それは上記に紹介してゐる二つの文章を読んでもらへばわかる。そして、それが現代の時代状況を認識してゐない、時代錯誤な発言であるといふことも。

 昔の人は、自分にまつたく合はない仕事でも「我慢」したのだらうか。我慢したのだらう。おそらく我慢したのだらう。だが、さうではない事例も見つけた。

 私が学生時代に尊敬してゐた先生の話。
 その先生は紫綬褒章までもらつてゐるすごい文学者なのだが、経歴を見てみると、大学院修了後、いきなり大学に勤め出したわけではなかつた。院修了後、一旦、一般の企業に就職し、普通のサラリーマン生活を送る。しかしそこで「役立たず」的な扱ひを受ける。
 なんだか分かる気がする。文学や哲学をやるやうな人は得てして現実離れしてゐて、社会の現実的なことを捌くのは苦手なものだ。
 そして結局その会社を辞めることになるのだが、それが経歴にはたつた一言でかう書かれてゐる。

 「一般企業に勤めるも、なじめず退職」

 たつたこれだけ。
 退職の理由は「なじめず」といふだけ。

 この先生の経歴を読んだとき、あゝこれでいいんだ、と思つた。「なじめず」でいいんだ。昔の人もさうだつたんだ。
 現代の若者の皆さん、決して無理することはない。「なじめず」が立派な退職理由だ。

 現代の私たち若者は、かなり歪な形で我慢を強いられてゐる。長い年月我慢した後に、何かご褒美が待つてゐるわけでも利益があるわけでもない。我慢しても何の得もない時代なのだ。

 もちろんこの先生は、会社はなじめなかつたが、文学といふ才能を持つてゐたから、すぐに大学教授の職に就くことができた。皆が皆、さういふ恵まれた才能を持つてゐるわけではない。大抵の人は才能がないから仕方なく自分に合はない仕事でも我慢してやつてゐるのだらう。
 だがそれでも、現代の状況において、我慢してゐることの弊害は大きすぎる。我慢するくらゐだつたら、逃げるか、さもなくば世の中を作り直すか、のどちらかだ。

 我慢しないといふこと。徒労は、無駄ないたつきは、少しでもなくさなければならない。

 


 

外国人の鮮やかすぎる迷惑訪問者撃退法

 隣に外人(西洋人)が住んでゐる。
 その外人が玄関を出たところで、訪問販売のおばさんにばつたり出くはした。外人はかういふ時どうやつてかはすのかなあ、と思つてゐたら、

 おばさん「あのー、お忙しいところすみませんが・・・、」
 外人「Can you speak English?」
 おばさん「?(苦笑ひ)」
 外人「Sorry!」

 たつたこれだけ!なんて鮮やかな、かはし方なんだ。
 その外人はもう何年も日本に住んでゐるから、ある程度簡単な日本語はわかつてゐるはずなんだけど、外人はかういふ時、得だなあ。