暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2016

2009年10月の記事

助けてと言えない朝日平吾の鬱屈はいつ爆発するのか

 本屋でまた興味深い新刊本を一冊見つけた。

 朝日平吾の鬱屈/中島岳志著
 
 この本を最初見かけた時は、中島岳志は小説も書くのか、と思つた。いかにも今風なタイトルだが、朝日平吾といふのは、小説の主人公の名前としてはいかにも凡庸な名前の付け方だなあ、と思つた。
 だが、手に取つてみて、すぐにそんな本ではないことがわかつた。

 中島岳志さんは、好きな学者の一人だ。
 処女作ともいふべき『中村屋のボース』は快著だつたし、続けて『パール判事』といふ名著も書いてゐる。
 その中島さんの新作は安田善次郎を殺害した大正時代の右翼青年、朝日平吾の話だつた。朝日平吾は実在の人物だつた。

 私はこの本をまだ読んでゐない。ぱらぱらつと立ち読みしただけだ。なので、こゝにすべてが分かつたやうな感想は書けない。
 だが、「はじめに」と「おわりに」を読んで、著者が赤木智弘の有名な論文「『丸山真男』をひっぱたきたい―31歳、フリーター。希望は戦争」の影響を受けて、この本を執筆したことがわかつた。
 
 この右翼青年が安田財閥の祖を殺害するといふテロを起こしたのが大正10年。この当時と現代の社会状況が似てゐるのではないか、といふやうなことを著者は書いてゐる。たゞ著者は、それ以上社会論を詳しく語らない。この本の大半は、朝日平吾といふ人物の軌跡を丹念に追つてゐるだけだ。

 だが私は著者が提起したこの社会論に興味がある。
 先日、NHKのクローズアップ現代といふ番組で放送された「“助けて”と言えない~いま30代に何が~」が、今年最高の視聴率を記録した、といふ出来事があつた。
 現代の30代を中心とした若者層に「鬱屈」が拡がつてゐる。さう感じるのは私だけではないのだらう。大正時代の朝日平吾の鬱屈と現代の若者の鬱屈がリンクする。

 私はこのテロリストあるいは犯罪者を、美化するつもりも崇拝するつもりもない。むしろ、この朝日といふ青年は殺害する相手を間違へてるんぢやないか、といふのが率直な感想だ。それは、赤木智弘のときも感じたことで、赤木はひつぱたく相手を間違へてるのではないか、と思つたものだ。

 だが「鬱屈」はたしかに、こゝにある。
 無論、それは爆発させてはならないものだ。どんなに鬱積しても我慢するのが大人である。一方で、人間はそんなに耐久力が強く作られてゐない、とも思ふ。我慢には限界がある。といふより、そんなに強大な我慢を強いられなければならない状態に人間が置かれてゐるといふ方が異常ではないのか。
 多くの現代人がとんでもない我慢を強いられてゐる。爆発しない方が不思議なくらゐだ。強大な我慢を強いられた、そのエネルギーの行く先は、最終的には他人に向かふか自分に向かふか、すなはち殺人か自殺かしかない。

 現代の私たちの「希望はテロ」なのか?
 いや、さうではないはずだ。本当の希望は、そんな理不尽なほどの我慢を強いられない状態の世界のはずだ。だが、その希望の世界や社会を作るにはどうすればいいのか、八方塞がりの中で希望の活路を見出さうと必死で見つけ出した唯一の道が、朝日平吾にとつては「テロ」だつた。もうそれしかなかつた、のだらう。

 NHKの番組で紹介された30代の青年は、誰にも「助けて」と言へずにひとり餓死した。究極まで我慢をして、他人を傷つけることもなく、自殺するわけでもなく、でも結局は自分を極限まで傷つけて最終的には死に至ることになつた。 
 家族、友人、地域との繋がりが無かつた。朝日平吾もまた、さうした繋がりが無かつた。孤立してゐた。孤独だつた。

 なぜ一言「助けて」と言はないのか?言へないのか?
 それは、「自分のことは自分でしませう」と言ふ人が現代にあまりに多いからではないか。
 周りはどうして助けないのか?「自分のことで精一杯なのに、人を助けてる余裕なんてない」と言ふのはよく聞くが、ひどい言ひ方だ。そんな言ひ方をしたら、すべての弱者は孤立して衰弱していくしかない、といふことになる。乳幼児に向かつて「自分で飯を食へ」と言ふも同然だ。
 乳幼児は不快だつたら泣き叫ぶだけだが、大人は泣き叫ぶことは我慢してしまふ代はりに行動が爆発する危険性は孕んでゐる。

 現代のひづみ、ゆがみを早く是正しないと、そのゆがみはどんどん大きくなつて不良エネルギーを溜め込んでいくことになる。そのエネルギーは、消化され時間の経過とともに雲散霧消することもあるけれども、蓄積して暴発する危険性もいつだつてある。
 大規模テロが起こつてからでは遅い。私たちは「自分のことで精一杯」などと言つてる場合ではないのだ。他人の、世界中の人々の鬱屈に気付かなければいけない。現代の朝日平吾を作り出してはならないのだ。

スポンサーサイト

広島オリンピックの意義



 2016年夏季オリンピックの開催地を決める銓衡会で、東京が落選した。私は東京人だが東京が選ばれなくてよかつたと思つてゐる。

 東京オリンピックには反対であつた。理由はいろいろある。税金の無駄遣ひであるとか、新たに競技施設を作ることによつて環境が破壊される、等々。しかし、私が反対した一番の理由は、「なぜ東京でなければならないか」といふ疑問に対する答へがどこにも用意されてゐない、といふものだつた。
 例へば、1996年の夏季オリンピックの開催地銓衡レースにはアテネが立候補してゐたが、この立候補には「アテネでなければならない」ちやんとした意味があつた。それは、1896年に記念すべき第1回の近代オリンピックがアテネで開催されてからちやうど100周年に当たる年に、オリンピックを原点の都市に回帰しよう、といふ意味があつた。(実際にはその年にアテネは選ばれなかつたが。)
 つまり、東京にしても、2016年が「江戸」から「東京」へと名称が変更されてからちやうど100周年の年にあたるとか、その年が何かの記念すべき年であるといふやうな、何らかの意味づけが必要だつたのだ。
 東京は「環境」をテーマに打ち出して銓衡レースを戦つたが、環境を重視したオリンピックは東京でなければ開催できないといふことはない。他の都市では駄目で「東京でなければならない」理由を何か打ち出さなければいけなかつた。
 その点、今回決まつたリオ・デ・ジャネイロには、「南米初」といふ確固たる名目があつた。

 私が東京開催に不満を持つてゐた理由はもう一つあつて、それは「なぜまた首都なのか」といふ不満だつた。例へば米国では、首都のワシントンや実質的な首都のやうな都市であるニューヨークでは一度も開かれたことはなくて、ロサンゼルスやアトランタのやうな地方都市で開催されてゐる。ヨーロッパでもミュンヘンやバルセロナなど首都以外の地方都市で開催されてゐる。それなのにアジアときたら、決まりきつたやうに、東京、ソウル、北京、と、そしてまた今度東京だつたら、これではまるで、アジアでは首都以外の都市ではオリンピックを開催する能力がありません、と世界に宣言してゐるみたいではないか。
 国内銓衡招致レースでは東京と福岡が争つたが、なぜ福岡では駄目だつたのか?某都知事は、福岡は小さすぎるし国際的知名度も低すぎる、といふやうなことを言つたらしいが、福岡が都市としての規模が小さすぎるといふのは、東京と比べるからであつて、福岡は人口数100万を超える九州一の大都市、世界的に見ても大きな都市だと言へる。少なくとも人口数だけで比べれば、近年開催されたアトランタやアテネよりも福岡はずつと大都市である。

 オリンピック招致賛成派の人々は、オリンピック開催による「経済効果」を期待する人が多い。しかし、もし本当にそれだけの経済効果があるならば、新興国や後進国に譲るべきではないのか。私は日本のやうな先進国が今さらオリンピックを開催する理由がよくわからない。だがもし今後、日本国内でオリンピックを開催するといふならば、上記のやうな理由で、東京以外の都市がいいと思つてゐる。
 では、日本で東京以外でオリンピックを開催するにふさはしい都市はどこか?

 それは「広島」しかない、

と私は昔から考へてゐた。
 「広島オリンピック」。ありさうでなかつた。でも今までなかつたのが不思議なくらゐ。

 広島には名目がある。オリンピックは元来、「平和の祭典」である。平和の象徴の都市である広島ほどオリンピックの精神に適つてゐる都市は他にない。
 1988年名古屋、2008年大阪などが立候補の声をあげたとき、なぜ広島の人たちは立候補の声をあげないのだらうと不思議に思つてゐた。

 世界的な知名度といふ問題も広島なら無問題。「ヒロシマ」なら、大阪や名古屋よりも世界的知名度は圧倒的に高いし、おそらく「トーキョー」、「キョート」と並んで世界的に最も有名な日本の都市だ。

 それで、私は広島で開催するなら2020年しかない、と考へてゐる。
 なぜ、2020年なのか?
 それは2020年が、広島への原爆投下から75周年(4分の3世紀)といふ記念の年にあたるからだ。75年では少し苦しい、どうせなら50周年か100周年の方がいいのでは?と思ふ人もゐるかもしれないが、原爆投下が1945年なので、50周年や100周年はオリンピックイヤーと重ならないのだ。

 と、以前からそんなことを考へてゐたら、昨日、広島市と長崎市が共同で2020年のオリンピック招致構想を計画してゐる、といふニュースが舞ひ込んで来た。

 2020年広島オリンピックが実現する可能性はどのくらゐあるのか?それはなかなか厳しいだらう。米国の猛烈な反対にあふことが予想される。しかしブッシュ時代には絶対に不可能であつただらうが、オバマが大統領を務めてゐる間なら、可能性はある。そのためにも2020年でなければいけないのだ。 

 「経済効果」とか「国威発揚」とか、自国の利益のことばかり考へてする立候補には賛成する気がしないが、自国の利益を超えて「世界平和」といふ大きな目的のために、その代表として広島が名乗り出るなら、それは応援したいと思ふ。

ちょっと難しい言いまつがい

 先日、仕事の関係の人に「封筒が足りません」と言つたら、十数枚の封筒を持つて来て、

「これでしのぎを削ってください

と言はれた。
 たぶん、「急場をしのいでください」つて言ひたかつたんだと思ふ。
 ちよつと難しい言ひまつがい。語感としては違和感なかつたが。

 言ひたいことはわかりましたよ。


 (参考)「鎬を削る」 - Weblio