暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2016

2010年01月の記事

iPadを買わない方がいい、たった一つの理由

 一年後には"iPad mini"が、そのまた一年後には"iPad nano"が発売されるだらうから。

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センター試験の罪 -見過ごされたもう一つの不公平問題-

 今年も1月16、17日の2日間にわたつて大学入試センター試験が行はれた。年々、少子化してゐるにもかゝはらず、大学入試センターの発表によれば、今年の志願者数は553368人で、前年度より9387人も増えてゐるといふ。相変はらず厖大な数の高校生が受験する大規模試験だ。
 先日、大学入試センターは、2010年度のセンター試験について得点調整は行はないことを発表した。
 得点調整とは何かといふと、センター試験の問題はすべての科目において大体平均点が6割程度になるやうに作られるのだが、科目によつてずれが生じることがある。そこで選んだ科目によつて不公平が起こらないために、同一グループの科目間で20点以上の平均点差が生じた場合は、特別措置として得点調整が行はれることになつてゐる。

しかし、実際に調整が行われることは極めてまれであり、センター試験の歴史の中でも数回しか行われていない。via Wikipedia


 だが、同一年度内での不公平は、このやうにして得点調整といふ形で救はれるからまだいい。大学入試センターは、もつと重大な不公平を見過ごしてゐることを私は声を大にして指摘したいのだ。それは、異年度間不公平だ。
 異年度間不公平とは何かといふと、同一科目において年度による平均点の開きがあること、つまりは受験した年度によつて難易度の違ひがあるといふことだ。
 建前として、平均点が6割(100点満点なら60点)になるやうに問題が作られてゐるにもかゝはらず、年度によつて平均点が70点以上になる易しい年があつたり、50点以下になる難しい年があつたりする。現に、年度間においては平均点差が20点以上の開きが生じることは起こつてゐるのである。
 受験者数が1万人以下の小規模科目でそのやうなことが起こるのはまだしかたないとしても、受験者数10万人以上の大規模科目においてそのやうなことが起こるのはあまりに影響が大きすぎる。

 「ある年の試験の難易度が難しかつたとしても、それは受験者全員にとつて同じやうに難しいわけだから、平等なんぢやないの?不公平ではないのでは?」と思ふ人がゐたとしたら、それは間違つてゐる。世の中には難しい問題を得意とするタイプの人と易しい問題を得意とするタイプの人がゐるのだ。

 同じクラスの同じメンバーの5人が、難しい試験と易しい試験を受けたとしよう。

難しい試験の成績結果
1位:A君
2位:B君
3位:C君
4位:D君
5位:E君

易しい試験の成績結果
1位:D君
2位:A君
3位:C君
4位:B君
5位:E君

 A君は試験の難易度にかゝはらず出来がよいタイプ。
 E君は試験の難易度にかゝはらず出来が悪いタイプ。
 C君は試験の難易度の影響を受けないタイプ。
 B君は試験が難しい方が力を発揮するタイプ。
 D君は試験が易しい方が力を発揮するタイプ。

 このやうなことは普通のどの学校のクラスにおいてもありうる。世の中には大きく別けてこの5通りのタイプの人間がゐるのだ。
 だからこそ、年度によつて試験の難易度が大きく違ふといふことは、B君タイプやD君タイプの人間にとつては致命的な大打撃(場合によつては大ラッキー)となる。 

 2010年度のセンター試験を例にとつてみると、「数学Ⅰ・数学A」が特に難しかつたやうだ。1月22日に発表された中間集計によると、平均点は48.94点。
 以下の表は、過去20年間の数学Ⅰ・数学Aの平均点の推移だ。



 これを見る限り、過去に平均点が50点を下回つたことは一度も無い。といふことは、2010年度の数学Ⅰ・数学Aの試験問題は、史上最難だつた可能性がある。
 こゝで注目してほしいのは、例へば2000年度の平均点は73.68点であり、2010年度の48.94点と比べると実に25点近い点数の開きがあるといふことだ。念を押しておくが、これは最高点と最低点の差ではなく平均点の差である。

 なぜこのやうなことが起こるのか。センター試験の問題はそんなに杜撰な作られ方をしてゐるのか。

 センター試験の問題は、大学教員など400人で構成される「教科科目第一委員会」によつて作成される。出来上がつた問題は、学識経験者など100人によつて構成される「第二委員会」で入念なチェックを受ける。さらにその後、やはり大学教員や学識経験者などで構成される「第三委員会」に回されて最終点検を受けた上で、やつと印刷に回され、試験会場へ送られることになる。
 数百人規模で問題の作成に当たり、しかも3重のチェック体制が敷かれてゐる。

 こゝまで多数の専門家がよつてたかつてチェックを行つておきながら、なぜ年度間の難易度の格差を生じさせてしまふのか。
 科目によつては、過去に異なる年度間において、平均点差が20点、25点どころか40点以上開いた例もある。

 私がこの問題をこゝまで強く糺弾したいのは、多くの受験生にとつて大学入試とは一発勝負だからだ。しかもその一発勝負がその人の今後の人生を大きく左右する。大学入学をきつかけに上京したり環境が激変したりする人が多いことを考へると、多くの人にとつて大学入試は人生の大きな分岐点であると言つても過言ではない。

 その人生を左右する大事な節目の一発試験で、年度の巡り合はせで不運な目に遇つてゐる受験生がたくさんゐるといふ事態は看過すべからざることだ。あと一年早く受験してゐれば、あと一年遅く受験してゐれば、私は合格できたはずなのに。そのやうな受験生は自分が生まれた年が悪かつたと嘆くしかないのだらうか。

 大学入試センターの人に言ひたい。同一年度における科目間の不公平を是正することももちろん大事だが、異年度間の問題難易度の格差をなくすことにも、もつと注意してほしい。ある年の問題が突然難しくなることは、「みんなにとつて平等に難しい」のではないのだから。

 

本は装訂も大事

 「本屋好き」と「本好き」は違ふ、とは昔からよく言はれてゐる。同様に「本好き」と「読書家」も違ふ。
 私は、本好きではあるが読書家ではない。もう少し正確に言ふと、紙の本が好きで、本を読んだことはほとんどない。紙の本の匂ひや手触りを好んでゐる。あるいはたゞ本を眺めてゐる。たまに本を買ふときは装訂の美しい本を選んで買ふ。見た目は大事だ。

 その本のデザインとしての装訂だが、単行本は一冊一冊デザインが違ふからそのデザイナーの腕次第といふことになるが、文庫本や新書本は、一つのシリーズとしてデザインに統一性を持たせることが多い。こゝ十年来の新書ブームで、いろんな出版社から「◯◯新書」なるものが登場したが、どの新書も大体、デザインに統一性を持たせてゐるが、このデザインセンスの良し悪しは、その新書シリーズ全般の売り上げにも多少影響するのではないだらうか。

 講談社現代新書の装訂のデザインがあまり好みではない。あのカラフルなデザインは確かに新書コーナーではひときは目を引くが、あの味気ない表紙では買ふ気がおこらない。光文社新書や集英社新書のやうな落ち着いた色合ひが好ましい。
 講談社は学術文庫のデザインもなんだかいまいちだ。講談社学術文庫は表紙のデザインは一冊一冊異なつてゐて、全体的にかなりレベルが高いと思ふが、背表紙が真つ青なのが解せない。せつかくの、内容もレベルの高い文庫シリーズの背表紙を、なぜあんなどぎつい色にしたのか。あの青は日焼けして色落ちすると、さらに残念な感じになる。文庫ならやはり岩波文庫の背表紙のやさしい色合ひが好きだ。

 最近、Amazon DTPの関係で、電子書籍がまた注目を浴びるやうになつてゐる。これからの時代は間違ひなく電子書籍が普及していくだらう。インターネット、ネット書店、電子決済、ライター、コンテンツ、そして端末。電子書籍が普及する条件が整つてきた。
 「読書家」の人たちは、たとへ読書形態がどのやうに変はらうとも読書を続けていくだらう。一方、私のやうな「本好き」たちは、電子書籍は購入しないだらう。装訂が楽しめない、手触りが楽しめない、匂ひが楽しめない、そんな本を購入する気にならない。
 電子書籍は「見た目」といふ付加価値をどのやうにして実現していくのだらうか。それともまつたく無視して切り捨ててしまふのだらうか。ちよつと気になる。

 『人は見た目が9割』といふ新書があつたが、本も見た目が大事だよ、と言ひたい。

“Twitter”は「つぶやき」なのか?

 サイバーエージェント、須田伸氏の

 Twitterを「つぶやき」と翻訳した罪:日経ビジネスオンライン

といふ記事を読んだ。

 リンク先の主題とは少し逸れるが、私も以前から、なぜ“Twitter”の日本語訳が「つぶやき」なのかといふ疑問を持つてゐた。「つぶやき」といふ訳語はいつのまにか定着してゐて、私もいつの頃からか「つぶやき」、「つぶやく」といふ言葉を使ふやうになつてゐた。「粒谷区」といふ言葉さへ生まれてゐる。
 数年前、まだ日本でツイッターがあまり認知されてゐなかつた頃、その頃は「つぶやき」といふ訳語も定着してゐなかつたので、私は「囀り(さへづり)」、「囀る(さへづる)」といふ言葉を“twitter”の訳語として使つてゐた。
 “twitter”の直訳ならば「囀る」が正しいはずである。ツイッターの公式ページに小鳥のキャラクターが描かれてゐるのもそのためだ。
 数ヶ月前、日本語版ツイッターで「つぶやき」が「ツイート」に変更された。しかし、この「ツイート」といふ言葉もまた普及してない、やうに思ふ。

 ところで、ツイッター関連の用語には他にも不思議な言葉がいくつかある。
 その一つが「ポスト」といふ言葉だ。「一つ前のポストは訂正します」とか、プロフィール欄に「一日平均30ポストです」などと書いてあるのをよく見かける。この場合の「ポスト」は、つぶやくこと、あるいはつぶやきの内容の一単位を指してゐるものと思はれるが、それを「ツイート」と言ふのではないのか?「一日平均30ツイートです」と言ふべきではないのだらうか。英語圏では“post”といふ言葉は使はれてゐるのだらうか。よくわからない。だがタイムラインをじつくり見てゐると「ポスト」と「ツイート」といふ言葉を使ひ分けてゐるやうに見受けられる人もゐる。私にはその両者の区別がまだ理解できない。

 もう一つある。
 最近はツイッター周りのサービスが何十と登場してゐるが、その中に時々“twit”といふ言葉を見かける。代表的なものでは「Twitpic」が有名だらう。
 “twitter”と“tweet”は、ほゞ似た意味の英単語である。どちらも「囀る、囀り」といふ意味だ。“twit”はこれらと発音は似てゐるが、意味は手元の英和辞典によれば、「なじる、からかふ」とある。「さへづる」と違つて、ずつと悪い意味の言葉だ。だのになぜツイッター関連サービスで“twit”は多用されてゐるのだらう。そのものずばり「Twit」といふ名のクライアントもある。“twit”といふ英単語の意味は変はつてきてゐるのだらうか。

 リンク先の元記事の話は、“tweet”を「つぶやき」と訳してしまつたことが、自己満足的な印象を与へ、ツイッターを「暇な連中の戯言」といふ冷笑気味なトーンで片付けられてしまふ大きな理由になつてゐると言つてゐる。
 では、“tweet”あるいは“twitter”は、どう訳されればよかつたのだらうか。「囀り」では「つぶやき」よりももつと軽々しいおしやべりといつた印象がある。「発言する」では堅苦しすぎるし、「吟じる」や「詠じる」では歌になつてしまふ。「さゝやく」といふ言葉もあるが「つぶやく」との違ひがあまりない。かと言つて「ツイートする」といふのも違和感がある。
 「暇な連中の戯言」と受け取られたくないのであれば、動詞ならやはり「ポストする」が、一番軽んじられない重みのある表現だらう。日本語圏で「ポスト」といふ言葉が多用されてゐるのは、それなりの理由があるのかもしれない。

 たゞ、今はまだ用語が錯綜してゐる感じがするので、ツイッター関連の用語は少しづゝ統一の方向に向かつていくのが望ましいと思つてゐる。

面接で出あった史上最大の愚問

 「史上最大」といふのはやゝ言ひ過ぎかもしれないが、昔、ある仕事の面接を受けたときに出遭つた本当のお話。

 面接室に入ると、会社の重役らしきをぢさんが3人。私は緊張した面持ちで座る。
 3人の面接官のうち、主に質問をしてきたのはその中の一人だけだつた。いろいろ一通り質問が続いたあと、彼は急にかう訊いてきた。

 「あなたの短所はどこですか?」

 長所を訊いてくるならともかく、短所を訊いてくるとはどういふことだらう。
 その質問に対して私は、かう答へた。

 「強いて言へば、作業に時間がかゝる。行動が遅い、といふところでせうか」

 それまで柔和な表情を浮かべてゐた面接官は、私のこの答へを聞いた途端、一瞬にして表情を曇らせた。そしてかう言つたのだ。

 「それはまづい。うちの会社はめちやくちや忙しいんだ。イベントがある時などは特にてきぱきと動いて捌いてもらはないと困るし、行動が遅いといふのは致命的だなあ」

 信じられないが、面接官は本当にさう言つたのだ。
 私は唖然とした。
 何なんだ、この一連の馬鹿げたやり取りは。まるで、「こゝに落とし穴があるのでこの上を歩いてみてください」と言はれ、私が言はれた通りにその上を歩いて見事に落とし穴に嵌つたら、「あゝ、落ちちやいましたね」と言はれたやうなものだ。

 私は読んだことがないのだが、ひよつとしたら面接のマニュアル本には、かうした愚問に対する上手な答へ方のマニュアルが載つてるのかもしれない。
 しかし例へば、私が何か上手い答へをしたとして、「そんなのは短所ぢやないですよ」とやさしく面接官にフォローしてもらへるやうなことなら、それは本当の短所ではないのだ。また、これは仕事の面接なのだから、仕事に関はる短所を答へるべきで、当然それはどんな答へであれ仕事をする上での重大な支障になるはずである。支障にならないんだつたらそれは短所と言ふほどのものではないのだ。つまり答へを聞いて面接官が困らないやうなことならそれは短所ではなく、短所は何ですかといふ質問に対してきちんと答へたことにはならない。
 それとも私は、仕事とまつたく関係のない短所を答へるべきだつたのだらうか。

 面接官「あなたの短所はどこですか?」
 私「足が短いことですかね」

 私はあの時、一体どう答へるべきだつたのだらう。
 
 数日後にその会社からは不合格通知が届いた。初めから落とすつもりであのやうな質問をしたのかもしれない。にしても、あんな愚問はないと思ふ。

 最近、「nanapi」といふサイトに、

 「あなたの長所と短所は?」という質問への答え方 | nanapi[ナナピ]

といふレシピが載つてゐて人気があつたので読んでみたのだが、結局どう答へればいいのか、私にはわからなかつた。
 
 不況下での就職活動で面接を受けまくつてゐる人も多いと思はれるが、面接を担当される企業の方々には、どうか愚問だけはしないでもらへるやう、切に願ふ。

 

日本の優秀な高校生はなぜ海外の大学に行かないのか

 elm200氏の、

 15歳の君たちに告ぐ、海外へ脱出せよ - Rails で行こう!

が話題になつてたので読んでみた。

 要は、15歳の君たちが大学への進学を考へてゐるなら日本の大学ぢやなくて海外の大学の方がいいよ、といふことが書いてあり、基本的な主旨には賛同できるのだが、これを書いてるelm200氏自身が、東京大学といふ日本のつまらない大学の出身らしいので、どうも説得力がない。それともあるいは、大学進学に当たつて自分と同じ失敗は繰り返してほしくない、といふ願ひをこめて15歳の人たちに訴へてゐるのだらうか。

 ところで、近所に開成高校といふ高校がある。地方の人は知らないかもしれないが、東京では少しばかり名の知れた高校である。また、日本の他の高校より少しばかり頭のいい高校である。いや、かなり頭がいいと言つたはうがいいかもしれない。
 この開成高校が毎年誇つてゐるのが「東大合格者数No.1」といふこと。

 私が昔から不思議に思つてゐるのは、なぜ開成高校の生徒たちは皆、東大に進学するのか、といふことだ。開成高校生の学力を持つてすれば世界中で合格できない大学はないと思はれるのに、なぜ決まりきつたやうに皆東大へ行くのだらうか。

 近いから?さうなのか?近いからなのか?
 たしかに開成高校のある西日暮里からだと山手線で駒込駅まで2駅。南北線に乗り換へて2駅で東大前だけど…。

 それとも、東大には何かとてつもない魅力があるのだらうか?

 以下は、英国の教育専門誌「タイムズ・ハイアー・エデュケーション」が発表した「THE-QS世界大学ランキング2009」の上位25校である。

1位ハーバード大学(米)
2位ケンブリッジ大学(英)
3位イェール大学(米)
4位ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(英)
5位ロンドン大学インペリアル・カレッジ(英)
5位オックスフォード大学(英)
7位シカゴ大学(米)
8位プリンストン大学(米)
9位マサチューセッツ工科大学(米)
10位カリフォルニア工科大学(米)
11位コロンビア大学(米)
12位ペンシルベニア大学(米)
13位ジョン・ホプキンス大学(米)
14位デューク大学(米)
15位コーネル大学(米)
16位スタンフォード大学(米)
17位オーストラリア国立大学(豪)
18位マギル大学(加)
19位ミシガン大学(米)
20位エディンバラ大学(英)
20位スイス連邦工科大学チューリッヒ校(瑞)
22位東京大学(日)
23位ロンドン大学キングス・カレッジ(英)
24位香港大学(中)
25位京都大学(日)

 この表を見てもわかるやうに、東京大学は世界のトップ20にも入つてゐない。
 このランキングは「研究力」や「国際性」などを主な指標として算出したものだから、必ずしも大学が持つ魅力を正確に表してるとは言ひ難い。またご覧の通り、英米の大学に偏つてる等、問題はある。しかし、当の東大自身が、このランキングで上位を目指してゐる。すなはち、研究力や国際性に価値基準を置いてゐる。

 とするならば、やはり、東大よりももつと価値の高い大学へ進学しようと考へる者があつてもいいのではないか。

 ちなみに私自身のことについて言へば、私がなぜこれらの海外の大学に進学しなかつたか、それは、

「飛行機が苦手だから」

といふ理由による。
 だが、開成高校の生徒が皆、飛行機が苦手だといふことはないはずだし、やはりハーバードやケンブリッジなどの海外の優秀な大学に進学しない理由がわからない。
 やはり東大は「近いから」、「電車で4駅だから」、といふ理由で今のところは納得しておくしかないか。
 一度、そこらへんを歩いてる開成高校生をつかまへて聞いてみたい。

「とめはねっ!」と書道ブーム

 普段、漫画は読まないのだが、書道を題材にしてゐる漫画があると聞いて、『とめはねっ! 鈴里高校書道部』(河合克敏作)といふ漫画を昨年読んでみた。

 感想から先に言ふと、非常によくできた作品だと思つた。この漫画の感想を書いてるブログをいくつか見てみたが、どこでもほゞ絶賛されてゐる。書道に関する知識がまつたく無い人でも楽しく読めるやうになつてゐる。
 「文科系青春コメディー」と紹介されてゐるが、この漫画の作者がどれだけ書道に詳しかつたのか知らないが、武田双雲が監修してゐることもあつてか、書道に関してもかなり踏み込んだレベルの内容になつてゐる。

 私がこの記事を書いてる時点でまだ全巻が刊行されてゐないので途中までしか読んでゐないのだが、作中登場する書の古典は、「九成宮醴泉銘」、「雁塔聖教序」、「牛橛造像記」など。書家としては、王羲之、ほかに米芾や良寛なども登場。また、現代日本の書家として手島右卿、金子鴎亭、飯島春敬など錚々たる名も出てくる。技術的な面に関しては、石川九楊の石川メソッドなども参考にしてゐる。
 恋愛とコメディーを描くだけでも大変だらうに、書に関してこれだけのボリュームをストーリーの中に盛り込んでゐるのは見事といふほかない。
 主人公の少年は展覧会に出す作品に何を書くか考へた末に「雁塔聖教序」を書くことに決めるのだが、こゝらへんのセンスは、やはり監修者の武田双雲のアドバイスが入つてゐるのだらうか。

 この漫画がTVドラマ化される。NHKで2010年1月7日(木)の夜8時から連続6回で放送される。こちらは石飛博光が技術指導にあたつてゐるといふから興味深い。番組のホームページはこちら↓。

 とめはねっ!鈴里高校書道部 | NHKドラマ8

 この漫画を見て考へたのは、今の若い人と書道の関係だ。『とめはねっ!』には書のパフォーマンスをする場面が登場する。最近、民放のTVでも女子高校生が書のパフォーマンスをしてゐるのを見たことがある。パフォーマンスは見た目にも華やかで楽しさうだが、その裏には地味で基礎的な練習が欠かせない。
 かうした漫画やドラマを通じて、若い人のあひだに書道ブームが起こるのは悪くないことかもしれないが、華やかな面ばかり注目されて地味な基礎練習が看過されるやうなブームなら意味がない。そのやうなブームは本当に一時的な盛り上がりに終はつてしまふからだ。しかしこの漫画やドラマをきつかけにして、書道に興味を持ち、堅実に書の道を歩む若い人が増えるなら、それはうれしいことだ。

 今日のこの記事は、中学、高校生など10代の若い人に読んでもらひたいと思つて書いてゐる。そして若い人たちに呼びかけたい。

 ケータイを筆に持ち替へよう!

 今年の年賀の挨拶を「あけおめメール」で済ませてしまつた人も、来年は毛筆の年賀状を書いてみよう。ケータイなどといふつまらない道具の使ひ手は、今の20代の大人たちに任せておけばいい。

 『とめはねっ!』がどれだけ若い人たちに読まれてゐるかわからないが、ケータイを筆に持ち替へるきつかけになるのなら、私はこの漫画を薦めてみようと思ふ。


とめはねっ! 鈴里高校書道部 1 (1) (ヤングサンデーコミックス)とめはねっ! 鈴里高校書道部 1 (1) (ヤングサンデーコミックス)
(2007/05/02)
河合 克敏

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箱根駅伝「山上り偏重」は見直すべきかも

 1月2日、3日に今年も箱根駅伝が行われ、東洋大学の2連覇で幕を閉じた。
 箱根駅伝の5区は2006年に2.5キロ距離が伸びて、山上りでたゞでさへきつい区間なのに最長区間となつたことでさらにレース全体における重要度が格段に増した。5区を制する大学が大会を制すると言つても過言ではないほどになつた。
 これを受けて、ヤフーで「箱根駅伝「山上り偏重」を感じる?」といふアンケートが行はれ、私が見た時点で、実に5万人以上もの人が投票してゐる大アンケートになつてゐる。



 私が見た時点では、「偏重を感じない」が約7割、「偏重を感じる」が約3割で、「偏重を感じない」といふ人のはうが多くなつてゐる。
 「偏重を感じない」といふ人のコメント欄を読むと、「東洋は柏原君ひとりの力で勝つたわけではない。みんなの力で優勝を勝ち取つたのだ。条件はどの大学もみな同じ。東洋が優勝した後で、区間距離変更のルール改正議論が持上がつてくるのはをかしい。早稲田など有力校の関係者の陰謀を感じる」といつた類のコメントが多い。
 たしかに今回早稲田が優勝してゐれば、山上り偏重見直し論などは起こらなかつただらう。東洋のやうなマイナーで地味な学校が2年連続で優勝してしまつたから慌てて山上り偏重論が出てきたのだ。これでは世間の人々の口から「有力校関係者陰謀論」が出てくるのもしかたない、といつたところだらう。

 だが、ちよつと待つてほしい。よく考へてもらひたい。東洋は柏原君が卒業した後はどうなるのだらうか。
 東洋はずつと昔から箱根路を走つてゐる常連校だが、その長い歴史上、今までほとんどスーパールーキーとか大エースと呼ばれるやうなスター選手は一人も出てこなかつた。柏原君は東洋大学史上初めて入つて来たスーパールーキーだつたのだ。その逆が早稲田で、早稲田は長い箱根の歴史上、実に何人ものスター選手を輩出してきた。毎年スター選手に事欠かないと言つてもいいほどだ。
 今の学生スポーツ界では、当然のことながら高校時代の優秀な選手はいろいろな大学からスカウトの声がかゝる。もし、今回出場の20大学から「ぜひうちに来ないか」と声をかけられたら、優秀なその高校生はどこの大学を選ぶであらうか。知名度の低いマイナーな大学よりも早稲田のやうなネームバリューとブランド力のある大学に行きたがるのではないか。特に早稲田や東海などはスポーツで優秀な高校生を優先的に入学させるシステムを整へてゐる。かうして早稲田のやうな大学には実力のあるスター選手が毎年のやうに集まる。地味でブランド力のない大学には集まらない。

 つまり、今の「5区偏重」の区間割りは、実は早稲田のやうなスター選手を抱へやすい大学にとつてこそ有利なシステムなのだ。
 さういふ意味で、私は「山上り偏重を感じる」と答へる。高校駅伝などと違つて、全区間の距離が均一であるところが箱根駅伝の魅力だと思つてゐる。それにはスター選手がゐない大学にも総合力で勝つてほしいといふ願ひがこもつてゐる。

 東洋と似た校風の大学がある。専修大学だ。箱根に66回も出場してゐる伝統校であり常連校だ。だが、はつきり言つて過去に目立つたことはほとんどない。優勝もずつと昔に一回だけしかしたことがない。校風が地味でブランド力がないからスター選手が入学してこない。おかげでテレビでも取り上げられない。テレビで映らないからますます存在感が薄くなる。それでも、66回も出場できてゐるのは地力がある証拠だらう。
 かういふ、派手さもなくて目立たないけれども、地力と総合力がある、そんな大学にもつと活躍してもらひたい。スター選手を擁する派手な大学だけが活躍する駅伝はつまらない。

 そんな思ひからも、やはり現行の山上り偏重の区間割りは見直したはうがよいのではないかと思ふ、のだが。
 (ちなみに個人的には柏原君の活躍には喝采を送つてゐる。また、早稲田を特に目の敵のやうに思つてゐるわけでもない)