暫定龍吟録

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2010年03月の記事

日本は変な国?

 名古屋のグラフィックデザイナー、Kenichi氏が大学の卒業制作で作つたといふ映像作品「Japan-The Strange Country」がよくできてゐる。
 日本の不思議なあれこれを外国人の視点から統計とともに映像化した作品。皮肉あり、ユーモアあり、考へさせられるところもあり。
 渋谷のスクランブル交差点では一度に3,000人もの人が同時に渡ることがある、とか、東京のマクドナルドでは一人当たり50cm以下のスペースしか与へられてゐない、など興味深い統計がたくさん出てくる。

 興味のある人は、以下よりご覧下さい。

Japan-The Strange Country (English ver.) from Kenichi on Vimeo.



 日本語バージョンはこちら↓。

Japan - The Strange Country (Japanese ver.) from Kenichi on Vimeo.



 この作品を見た海外の人からは「すごい、すばらしい!」といつた意見や「他の国も同じくらゐ変だよ」といつたさまざまな意見が寄せられてゐる。

 日本人が作つた作品にしては、日本への見方があまりにもステレオタイプに過ぎる気がしないではないが、グラフィック作品としては非常にすばらしくできてゐると思ふ。

さくら市からネーミングの問題を考える

 今年も桜の季節が来た。
 
 ところで桜と言へば、栃木県に「さくら市」といふ名前の市がある。平成の大合併で誕生した新しい市である。氏家町と喜連川町といふ二つの町が合併してできた。
 でも、なんで名前が「さくら市」なんだらう。

 調べてみれば、なんでも地域内に桜の名所があるからだと言ふ。しかしそんな安易なことで日本人全員にとつての国花である「さくら」を名付けてよいものだらうか。

 そんなことを言つたら、私の家の近所の公園も桜の名所である。どのくらゐ名所かと言ふと、シーズン中の花見客の数が200万人近くに達し、日本一、いやひよつとしたら世界一かもしれない。だからと言つて、区が「さくら区」などと名乗つたかといふとそんなことはない。

 さくら市のHPによれば、「勝山城址の桜・鬼怒川堤防の桜堤、県道佐久山・喜連川線の桜並木・お丸山公園の桜など」が有名なのだと言ふ。これらの桜の名所はたしかに栃木県内では有名なのかもしれないが、全国レベルで見れば私の近所の公園の方がはるかに知名度が高いはずだ。

 こんな不遜な名前が簡単に付けられてしまふことを憂へる。ネーミングは大事。

 私の住む東京都にもふざけた名前の市区町村は存在する。「西東京市」だ。こゝは「東京都」ではあるが「東京」ではない。東京ではないのに東京を名乗つてゐる。「東京の西隣りだから西東京だ」と言へばたしかにさうだが、このやうな大きくて有名な街に寄生したやうな名前は、まるでアイデンティティが感じられない名前だ。愛知県にある「北名古屋市」も同じ。名古屋市に寄生してゐる。

 「北九州市」といふ名前の市もある。九州は元来、鹿児島・宮崎・熊本などを南九州と呼び、福岡・佐賀・長崎あたりの地域を北九州と呼んでゐたが、福岡県内の一部の地域が「北九州市」を名乗つてしまつたために、福岡・佐賀・長崎あたりを指す呼称が使へなくなつてしまひ、「北部九州」などと変な言ひ方で呼ばなければならなくなつた。
 かういふのは尊大なネーミングである。「四国中央市」も同様。

 合併したときはその地域に古くからある地名を付けるのが望ましい。「さいたま市」は元来、埼玉ではない地域が埼玉を名乗つてしまつた悪例。

 ネーミングと言へば、今、墨田区に建設中の「東京スカイツリー」といふのも、あれはもうあの名前で決まりなのだらうか。ネーミングのセンスがなんだか田舎者的な感じでとても残念だ。2年前にもブログに書いたけれども(新東京タワーの名称を考える)、あれは「押上塔」でよい。フランスの塔でさへ、「エッフェル塔」と「塔」で呼ばれるのに、日本の塔が「ツリー」などと呼ばれる謎。といふより恥。

 名前は大事なのだが、“民意”を反映しようとして公募したり多数決で決めたりしても、だいたいろくな名前に決まらない。少なくともネーミングにおいては「みんなの意見は案外正しい」とは限らない。

 それだけにネーミングの問題は難しい。識者が適切な名前を付けてしまつた場合がよいこともあるだらう。一度付けてしまつた名前をさうさう簡単に変更できないだけに悩ましい問題でもあり、慎重に考へなければいけない問題でもあるのだ。

長谷川等伯「松林図屏風」を一人で見た話

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 今日2010年3月19日は、画家、長谷川等伯が亡くなつて、ちやうど400年。

 長谷川等伯はご存知の通り、安土桃山時代に活躍した能登出身の天才絵師だ。中でも彼が描いた国宝の「松林図屏風」は水墨画の最高峰として夙に有名である。

 今年2010年が没後400年の記念の年に当たることもあり、国立博物館でも「没後400年特別展『長谷川等伯』」が開かれてゐる。

 この「等伯展」がすごい人気らしく、先日も入場者数が20万人を突破したといふニュースがあつたり、見てきた人のブログによれば、「朝10前で長蛇の列」「入館に80分待ち」「作品にも近づけない有様」「寿司詰め状態」だつたとのこと。

 ところで私は、この長谷川等伯の傑作「松林図屏風」を一人で見たことがある。「一人で見に行つた」といふのではなく、他の人の頭越しに見ることなく室内に一人きりの状態で見た、といふことだ。
 
 国立博物館は定期的に開催する特別展の他に平常展といふものがあつて、実は平常展でも入れ替へで国宝級の名品の数々が展示されてゐる。国立博物館は国宝級の名品をたくさん蔵してゐるから、平常展でもそのクラスの名品を目にすることができるのだ。しかも平常展ならば格安の通常料金で見ることができる。
 学生時代、国立博物館の近くに住んでゐた私は、よく平常展を見に行つてゐた。ある時、その平常展で等伯の「松林図屏風」が展示されてゐた。ほゞ開館時間と同時に中に入つた私は真つ先に国宝展示室に向かつた。
 そして出あつたのだ、等伯の松林図屏風に。室内には私以外に誰もゐなかつた。部屋の中央にある大きなソファにゆつくりと腰をおろし、私は作品と対峙した。それはまさに息を呑む迫力で、描かれてゐる松の林の中に吸ひ込まれていくやうな感覚を覚えた。あれは本当に贅沢な時間だつた。私は10分ぐらゐそこにゐただらうか。他の誰に邪魔されることもなく、世界的な名宝を一人だけで堪能してゐたあの時間、空間を今でも忘れない。



 しかし私はたゞの自慢話をするためにこんな話を書いたのではない。こんな贅沢は、私が東京の都心に住んでゐるから可能なのだらうか。私はさうは思つてゐない。もちろん国立博物館は東京(か京都か奈良か福岡)に住んでゐなければさう簡単に訪れられる所ではない。
 だが、地方には地方の魅力がいつぱいあるだらうと思ふのだ。私は以前、“それでも東京を選択しない”といふ記事を書いて、その中で地元を大切にする精神について語つた。東京ばかり見てないで地元の良さにもつと気づくべきだと言つたのだ。
 田舎には国宝も重文もない県もあるかもしれないが、その土地その街ならではの国宝級のすばらしい何かがきつとあるはずだ。それは別に文化財に限らなくてもいい。有形のものでも無形のものでもいい。“ならではの”といふところが重要だ。それが自分の郷土に対するアイデンティティになる。
 私だつて、たまたま国立博物館の近くに住んでゐたからそこを堪能しようと思つたのであつて、東京でももつと違ふ街に住んでゐたら別の楽しみ方を考へただらう。そしてきつとそこの近所のものを称揚してゐただらう。

 みんなもつと足下にある宝を見つけよう。よその土地や外国にばかり憧れてゐる人たち。そんな人たちが「私は自分の国のことを聞かれて何も答へられなかつた」と返り討ちに遇つて帰つてくるのはよくある話だ。東京に上京してくれば、まるで自分が県代表であるかのやうにお国のことを詳しく聞かれるし、外国に行けば、まるで日本代表であるかのごとく日本の歴史などを根掘り葉掘り聞かれたりするだらう。自分が県を代表してるつもりはなくても東京人から見れば、青森県出身者は青森県人だし、その後何年東京に住んでゐたとしても真の東京人ではない。エセ東京人づらをするぐらゐなら、地元のことを詳しく誇らしげに語れる人の方がずつとかつこいい。
 まづ足下、地元から。外の世界に目を向けるのは、後でいい。

 今日が長谷川等伯没後400年の命日だつたので、昔、一人で松林図屏風を見たときのことを思ひ出し、それに関連してこのやうな記事を書いた。

本関係のウェブサービスが使えない

 本関係のサービスがウェブ上にいろいろあるのだが、使へないものが多い。

 なぜ使へないかと言へば、本関係の多くのサービスが、Amazonをデータベースとして利用してゐるからだ。

 例へば、「ブクログ」といふサービスがある。これはウェブ上に本棚を作ることができるサービスで、ブログパーツなどを利用すれば、自分のブログにお気に入りの本を本屋さんの本棚のやうに陳列して見せることができる。
 だが私はこのサービスを使ふ気にならない。私が普段読む本は、大抵、Amazonには売つてないからだ。試しにブクログでいくつかのお気に入りの本を検索してみたが、案の定、「No image(画像なし)」のオンパレード。これでは本棚として表紙を並べて見せる意味がない。

 「メディアマーカー」といふサービスも、読書の記録・管理・共有ができるウェブサービスとして大変人気があるが、残念ながらこゝもAmazonをデータベースとして利用してゐる。

 また最近では、「カーリル | 日本最大の図書館蔵書検索サイト」などといふサービスも登場して人気を博してゐるやうだ。私も使つてみたが、こゝもやはりAmazonをデータベースに使つており「図書館にない本でも見つけることができる」と謳つてゐるが、私の好きな本はいくら検索しても一冊も見つけることはできなかつた。
 大体、私が読みたいやうな本は街の図書館には置いてない。「私の街の」といふことではなく、区立図書館レベルの図書館には置いてないのだ。都立図書館にも置いてあるかどうか。国立図書館に行けば間違ひなく置いてあるだらうが、国立図書館は利用しにくい。だから私は図書館は昔から大学図書館を利用してゐる。大学図書館に行けば、私の読みたいやうな本も大概置いてある。

 ウェブ上の本関係のサービスがAmazonをデータベースとして利用するかぎり、私のやうな「読みたい本がAmazonにはない」といふ人間は面白くない。何とかならないものだらうか。
 例へば、国立情報学研究所の「Webcat」などをデータベースとして使用してくれれば、私のやうな者でも読みたい本を見つけ出すことができるだらう。たゞ、Webcatは営利目的の利用が禁止されてゐる。

 となると、これからは「Googleブックス」が本関係のデータベースの標準となつていくのだらうか。

 AmazonやGoogleなどの米国企業に依存しない日本独自の本のデータベースがあつてもいいと思ふのだが。



(追記)
 「読書メーター」なんてサービスも人気があるやうだが、やはりAmazonをデータベースに使つてゐて、今、私が読みたい本を何冊か検索してみたら、「画像がありません」だらけ。私も自分のウェブ本棚作つてみたい。誰かAmazonぢやないデータベースを使つてサービス作つてくれないかなあ。

新しもの好きは老成

 「新しもの好き」は、「老成」なのだといふこと。
 最近、頓に思ふ。

 これは考へ方の問題なのだが、時代の最先端を走つてゐるやうな若者は、往々にして「老人グループ」に分類されることがある、といふことだ。

 2、3ヶ月前に、ある雑誌でTwitter特集をやつてゐて、その中の「人気ついったらー特集」みたいなコーナーに高校生が登場してゐるのが目を引いた。その男子高校生はたくさんのフォロワーがゐる人気ついったらーのやうで、iPhoneを片手にビシッとポーズを決めてゐる写真も載つてゐた。
 私がこの高校生に特に目を引いたのは、「高校生がTwitter?」「高校生がiPhone?」と感じたからだつた。

 Twitterの主な利用者は20代後半から30代~40代の人たちであつて、若者はあまり利用しない、といふ話を聞いたことがある。例へば、次のやうな記事。

Insight for WebAnalytics: 米若者はTwitterしない、制限のない他のSNSで十分

 上記記事では、2009年6月現在、米国のTwitter利用者の内、24歳以下の若者は16%しかゐないことが指摘されてゐる。
 私の中のイメージでは、「Twitter=大人のおもちや、若者は使はない」だ。

 また、TwitterとiPhoneが相性がいいことは知つてゐるが、そのiPhoneにしても、iPhoneユーザーの中心は30代、40代のビジネスマンであり、次のやうな記事にある通り、

大学生のiPhoneユーザが少ない4つのワケ【大学生×iPhone第1弾】 | MAG! 学生を応援するフリーマガジン

若者はiPhoneは使はない、といふイメージがある。上記記事では、その理由を「今の大学生はケータイ世代だから」と分析してゐる。(※iPhoneは「ケータイ」ではない)

 だから高校生みたいな若い人がiPhoneを使つてTwitterをしてゐるといふのは、ちよつと意外なイメージなのだ。
 この高校生はiPhoneを駆使してTwitterを使ひこなしてゐるのが自分としては時代の最先端を行つてるつもりなのだらうが、同世代の人たちは誰も使つてゐない。つまりこの高校生は30代、40代のをぢさんたちの仲間に入つて生きてゐるのだ。

 例へば、私の世代なら生まれて初めて買つた音楽はCDである。同世代の人に質問すれば皆さう答へる。だが同世代でも幼いときからませてゐた子なら、幼稚園のときにレコードを買つたことがあるかもしれない。「生まれて初めて買つた音楽がCDではなくてレコード」といふ回答は私よりいくらか上の世代の回答と一緒である。

 よく1月から3月生まれの人が「得してる気分だ」と言ふのを聞く。例へば19歳のときに、同学年の人が次々に20歳の誕生日を迎へるのに自分はいつまでも10代でゐられる、つまり同学年の人と比べて少しだけ遅く歳をとつて若くゐられるのが「得してる気分」といふわけだ。
 だがこれも考へ方の問題で、1月から3月生まれの人がなぜ「遅生まれ」ではなく「早生まれ」と言はれるかを考へなければならない。学年で括るから若くゐるやうに思ふかもしれないが、年で括ればやはり早生まれの人は早く歳をとつてゐるのである。
 例へば平成元年生まれの人の場合を考へてみよう。4月から12月に生まれた人は、学年としても「平成元年組」に属することになるが、平成元年の1月から3月に生まれた人は、同じ平成元年生まれであるにもかゝはらず学年としては一個上の「昭和63年組」に組み込まれることになる。平成生まれなのにずつと「昭和組」と呼ばれるのである。つまり、「早生まれ」は「得してる」のではなく、考へやうによつては一つ上の古い世代に括られてしまふといふ意味で「損してる」とも言へるのである。

 新しもの好きの人や時代の最先端を行つてるつもりの若者は、見方によつては「老成」である。さう考へることができる。
 上の世代の老人たちと仲良くやつていくつもりなら、もちろんそれでいいのだけれど。

「一押し」と「お気に入り」

 FC2の今日のトラックバックテーマが、「一押しの一冊」といふことだつた。

今日のテーマは「あなたの一押しの一冊はなんですか?」です。 読んだ本の中で、印象深い、勇気付けられた、ためになったなどあなたにとっての一押しの一冊ありますか?どんなジャンルの本でもかまいません。あなたにとって忘れられない一冊を教えてください
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 私はそもそも「お気に入りの本」を人に薦めたことがない。まつたくない。
 本をまつたく読んだことがないといふわけではなく、今まで読んできた本の中で印象深かつた本は何冊かあるが、それを「一押し」するかといふと別問題だ。

 私は音楽も好きだが、今まで人に音楽CDなどを薦めたことは一度もない。音楽の趣味といふのはそれこそ人によつて多種多様で、好きな音楽のジャンルやアーティストが合致することなど滅多にない。私がどんなに気に入つた音楽であつても、薦めてみて、相手がそれを気に入る確率は極めて低い。

 本も同じだ。
 特に私は本を読むときは、マイナーな本、売り上げの法則から言へば所謂「ロングテール」に属する本を読むことが多いので、まづ本の趣味が人と重なる可能性が低い。
 もちろんベストセラーを薦めれば、いろんな人に気に入つてもらへる可能性は高いだらう。だが、ベストセラーを薦めてどうするのか。ベストセラーの本は、私などが薦めなくてもすでに多くの人が手に取つてゐる本だ。
 私は、もし薦めるのだつたら、誰も知らないマイナーな本を薦めたいと思ふ。

 だがしかし、「お気に入りの本」はまづ人に薦めない。
 本当のお気に入りの本は誰にも教へたくないからだ。
 私だけでなく、すべての人がさうあるべきだと思つてゐる。厳密に言へば、「一押しの本」と「お気に入りの本」は違ふ。「一押しの本」は多くの人に紹介したい本であるべきだ。だが、「お気に入りの本」は誰にも教へてはならない。お気に入りは自分だけのお気に入りにしておかなければいけない。

 最近はウェブもソーシャル化が進んでゐて、例へばSocialtunesのやうに、お気に入りのモノを多くの人と共有することが流行つてゐたりする。
 私はかうした世の流れを、どちらかと言へば苦々しく思つてゐる。それは多くの人が「お気に入り」を放出してしまつてゐるからだ。繰り返すが、「一押し」のモノは「推薦したい」といふモノでなければならない。それは例へば、光り輝く玉が誰にも気づかれずこんなところに埋もれてるのはもつたいない、と感じる類のモノだ。でもそれは決して自分の「お気に入り」のモノではないのだ。

 自分の本当に大切なモノは自分の心の中だけにしまつておかなければいけない。

 「取つておきのお店を紹介します」と言ふ人がゐる。それを自分の大事な人に言ふのはありだが、ネット上で不特定多数の人に言ふのはどうなのか。
 取つておきなら取つておけ。

Chopin!ショパン生誕200年記念!誰もが聴いたことのあるショパンの名曲10選

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 今日2010年3月1日は、“ピアノの詩人”フレデリック・ショパンの生誕200年の誕生日。
 といふわけで、ショパンの名曲10曲を集めてみた。
 私自身、クラシック通でもなくピアノ弾きでもなく、また、当ブログが“非マニア”をモットーとしてゐることからも、こゝは所謂「通好み」の曲ではなくて、あくまでクラシック音楽やピアノに詳しくない一般素人の人でもわかるやうな「あゝ、これなら聴いたことある」といふ曲ばかりを集めてみた。特に世界的な一般知名度ではなく、日本における知名度を重視した。また、短い曲を中心に、なるべくいろいろなピアノの名手による演奏を紹介することを意図した。




エチュード第3番ホ長調Op.10-3「別れの曲」


 おそらく日本で一番有名なショパンの曲。
 全盲のピアニスト、辻井伸行による演奏。






エチュード第12番ハ短調Op.10-12「革命」


 激情あふれる怒りの曲。
 若き英国のピアニスト、フレディ・ケンプ。母親は日本人。






ノクターン第2番変ホ長調Op.9-2


 映画「愛情物語」の主題音楽として有名。
 演奏は中国のピアニスト、ユンディ・リ。2000年ショパンコンクール優勝者。






前奏曲Op.28第7番イ長調


 「太田胃散」のCMでおなじみの曲。
 ポーランド人ピアニスト、ラファウ・ブレハッチ。2005年ショパンコンクール優勝者。






即興曲第4番嬰ハ短調Op.66「幻想即興曲」


 ピアノ曲のお手本の曲として有名。
 フィリピンの10歳の男の子による驚くべき演奏。






ワルツ第6番変ニ長調Op.64-1「小犬のワルツ」


 最も有名なショパンのワルツ。
 高名なユダヤ人ピアニスト・指揮者、ダニエル・バレンボイム。






ワルツ第1番変ホ長調Op.18「華麗なる大円舞曲」


 小犬のワルツと並んで有名なワルツ。
 ロシアの女性ピアニスト、ヴァレンティーナ・イゴシーナ。1997年第2回ラフマニノフピアノコンクール第1位。






前奏曲Op.28第15番変ニ長調「雨だれの前奏曲」


 ショパンがマジョルカ島に滞在してゐた時に作曲された曲。
 イタリアの女性ピアニストによる演奏。






ピアノソナタ第2番変ロ短調Op.35第3楽章「葬送行進曲」


 重苦しい死者への弔いの曲。
 クロアチア出身のピアニスト、マクシム・ムルヴィツァ。日本にも多くの女性ファンがゐる。






ポロネーズ第6番変イ長調Op.53「英雄」


 ショパンのポロネーズの最高傑作と言はれる曲。
 日本で人気の高いロシアのピアニスト、スタニスラフ・ブーニン。1985年ショパンコンクール優勝者。






 以上、10曲。こゝには取り上げなかつた名曲も他にたくさんある。
 ショパンは生涯を通じて肺結核と闘ひながら、39年の短い人生で240曲余りの作品を残した。
 個人的にはショパンの音楽よりも、生涯やその人となりに興味がある。フランスで暮らしながら、ずつと祖国への思ひを持ち続けたショパン。彼は短い人生の中で何を感じ、何を思つたのか。

 今年2010年は母国ポーランドをはじめ、日本でもさまざまなショパン関連イベントが開かれる。10月には、ポーランドで5年に1度のショパン国際ピアノコンクールも開かれる。皆さんも、この孤高の音楽家に想ひを馳せ、ショパン・イヤーを楽しまれてはいかゞだらうか。


(参考サイト)
ショパニストへの道~ショパンを極めよう~
ショパンウェブ