暫定龍吟録

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2010年07月の記事

結果がすべてなのか

 サッカーのW杯を見てゐた。夜遅くまで起きてゐたり早朝に起きたりして、テレビの前で日本代表に声援を送ってゐた。

 思へば、岡田武史といふ人ほど、一人の人間の一生の中で凄まじい毀誉褒貶に晒された人はゐないと思ふ。
 1997年のフランス大会の予選のとき、加茂監督に代はって代表監督に就任し、選手の起用がことごとく見事に的中して予選突破を果たしたときは、国民から「岡ちゃん」と呼ばれ一躍中年の星として褒めそやされた。
 2008年、オシム監督の後継として代表監督に再び就任するが、南アフリカ大会のアジア予選を突破した後、あらゆる対外の親善試合に負け続けたときは、日本中から非難を浴びた。その時ネットに溢れてゐた罵詈雑言の数々などはあまりに汚くてこゝでは紹介できないほどだ。解任の署名も提出され、進退問題まで取り沙汰されることになった。
 だが、本大会が始まり日本代表がカメルーンとデンマークに勝ち前評判を覆して決勝トーナメントに進出すると、岡田監督の評判はまた一気に高まり、ネット上には岡田監督を賞賛する声が溢れ、「岡ちゃんごめんね」といふ人が続出した。

 以前、「移ろいゆく人たち」といふ記事を書いたとき、内閣支持率で支持や不支持がコロコロ変はる人は何なんだらうと書いたが、本当にこのやうな一人の人物に対して、褒めたり貶したり、持ち上げたり落としたり、と態度がコロコロ豹変する人は何なんだらう、と思ふ。
 もし岡田監督に対して批判的な態度を取ってゐるのなら、本大会が良い結果に終はったとしても「岡ちゃんごめんね」などと言ふべきではないし、本当に岡田監督のことを信頼してゐるのなら、負け続けてゐるときにも無闇に叩くべきではない。

 だが、この「勝てば褒めそやし負ければ叩く」といふ単純な国民は何も日本に限ったことではなく、世界中どこの国も似たやうなものらしい。例へばアルゼンチンだって南米予選を予想以上に苦しんで勝ち上がったときは国民の多くは「マラドーナは選手としては優秀だったが監督としては最悪だ」と思ってゐた。が、本大会でグループリーグを圧倒的な強さで勝ち上がると国民の評価は一変し、マラドーナ監督がマスコミに向かって「今まで俺を責めてきたことを謝罪しろ」と言ふまでになった。

 「結果がすべてでしょ」と人は言ふ。
 代表監督にとっては、4年に1度のW杯こそが本番である。それ以外の親善試合などはすべて練習試合であり、いくら負けてもよいが、本番では絶対に結果を出すことが求められる。「結果を出せなければ叩かれるのは当たり前」と言ふ人もゐるだらう。岡田監督は練習試合では負け続けたが本番で見事に結果を出したから皆から賞賛されることになった。

 だが私はかうした考へ方には反対だ。
 勝負に徹するのならば、私の理想は「日本が強くなる」ことだ。「強くなる」とはどういふことか。それはブラジルやドイツのやうに高い確率で毎回上位に進出する国になることだ。私は「1回きりの本番」といふ考へではなく、本番は4年ごとに何回も訪れる、といふ考へ方だ。「1回きりの本番」で好結果が出せなくても、そこに至る過程が良い内容のものだったら、それでよいと考へる。もちろん岡田監督や多くの選手にとっては、自分の人生において2010年こそがたった1回きりの本番であるので2010年に結果を残せなければ意味が無いと考へるだらう。だがそれは監督や選手が思ふことであって、見てゐるサッカーファンからすれば、2010年の一度の結果よりも長い目で見て日本が強くなることのはうが重要なのではないだらうか。

 初戦のカメルーン戦は勝つには勝ったが、内容はよくないものだった。いつ同点に追ひつかれても、あるいは逆転されてもをかしくない試合内容だった。「あのカメルーン戦の勝利でチームに自信がついた」といふ岡田監督の言葉は確かにその通りだと思ふが、その勝利は日本が強かったから齎されたのではなく、運良く齎されたものだ。
 「運も実力の内」といふ言葉もあるが、私はこの言葉は嫌ひだ。日本はいつの日か本当に強くなって勝ち進むべきなのだ。「勝ったチームが強いんだ」といふ、結果からすべてを見るものの見方は、私はどうしても好きになれない。


 今回W杯を見てゐて、もう一つ気になったことがある。それは中村俊輔選手のことだ。
 第2戦のオランダ戦の後、中村俊輔選手に対する「叩き」をネット上で散見した。中村俊輔選手はオランダ戦の途中から出場し、短い時間プレーしたが、そのときのプレー内容が緩慢であるとして、ネット上で多くの人に批判されてゐたのだ。批判といふよりは一種の中傷や嘲笑のやうであった。

 前回4年前のドイツW杯のとき、ゴールを外した柳沢選手が叩かれた。その叩きはネット上で「祭り」とも言へる様相に発展し、「QBK」といふわざわざ柳沢選手を馬鹿にする言葉まで生まれ、それがネット上の一部の人たちが遊んでゐるだけならまだしも、その、人を馬鹿にしてゐる言葉がネットの世界を飛び出し「現代用語の基礎知識」に載せられるまでに至った。

 今回叩きの標的にされたのは駒野選手ではなく中村俊輔選手だった。しかしその叩きは柳沢選手のときほどひどくなってゐない。日本代表が結果としてベスト16といふ好成績に終はったからだと思ふ。これがもし日本が第3戦のデンマーク戦に負けてゐてグループリーグで敗退してゐたら、国民の不満は一気に噴出し、「俊輔叩き」の祭りが行はれてゐたであらうことは容易に想像できる。
 「結果がすべて」といふ人たちは、あの短い時間のプレーだけで中村俊輔といふ一人のサッカー選手を判断するだらうが、もし中村俊輔選手があのオランダ戦の後の試合に出場チャンスがあってそこで得点でもしてゐたなら、また評価は一変してゐたのだらう。

 プロなんだからある程度の結果が求められるのは当然のことだ。しかし結果に対するその厳しい精査の眼は、内容つまり「過程」にも向けられるべきではないのか。何人かのスポーツ評論家やサッカー評論家が、さうした冷静な眼で今大会の日本代表の戦ひぶりを振り返ってゐるブログを読んだ。だが多くの国民は結果だけから、罵詈雑言を吐いたり「感動をありがたう」と言ったりしてゐる。かうした単純な毀誉褒貶は、良いチーム作り、強いチーム作りに、何の益も齎さない。私も含めた“にはか評論家”たちは、もちろんサッカーの専門家でもなんでもないけれども、あまりにも単純な毀誉褒貶は厳に慎むべきである。

 お祭り騒ぎは私も好きだ。得点を決めれば絶叫し、負ければ机を叩いて悔しがる。結果に一喜一憂し、浮かれ騒ぐのは悪いことではない。だが、いくらプロとは言へ一人の人間を結果だけから褒めたり貶したりするのはあまり良くないことだ。結果だけを見るのではなく、私たち国民一人ひとりはもっと賢くならなければならないだらう。