暫定龍吟録

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2010年10月の記事

日本でFacebookは始まるのか

 こゝ数日、一部のネットユーザーの間で、Facebookに対する注目が高まってゐる。

 きっかけは、ゆーすけべー氏が書いたこの記事らしい。

 フェイスブックがはじまりそうな件 - ゆーすけべー日記

 ネット上で有名なゆーすけべー氏が「フェイスブックがはじまりそう」と言ったことで、多くのユーザーが反応した。

 他にもこんな記事が人気になってゐる。

 フェイスブックが面白い - IT戦記

 facebookは変わっていたよ - ぼくはまちちゃん!(Hatena)

 フェイスブックでオフ会を開催して感じていること - id:HolyGrailとid:HoryGrailの区別がつかない日記

 フェイスブックがそろそろ日本で爆発する?その理由・始め方などまとめ | kokumai.jpツイッター総研

 2004年に設立、2006年に一般開放され、2008年には日本語版ができてゐたFacebookだが、今頃になってなぜ人気が出てきたのか。
 その理由は、上記記事を読めば、どうやら最近になってインターフェイスが改善されたからといふことらしい。以前は、Facebookと言へば「重い」「見づらい」「わかりにくい」といった批判が多く、何年も前に登録はしたけど、ずっと放置してゐた、といふユーザーも多いやうだ。

 では、インターフェイスの改善とともに、ゆーすけべー氏が言ふやうに、これから日本でFacebookは「始まる」のだらうか。
 
 私はこゝ二年間ほど、日本でFacebookが「始まらない」理由を考へてゐた。
「インターフェイスが悪い」
「日本語にきちんと対応できてない」
「使ひ方がわかりにくい」
「日本人の好みに合った仕組みを作れてない」
など、いろいろな理由を考へたが、これらの理由ではFacebookが日本で流行らない事実を説明できない。
 おそらくこれが最大の理由ではないだらうかと私が思ってゐるのは「実名制」である。

 Facebookが日本で普及するか否かの最大のネックになってゐるのは、Facebookの実名制である。

 FacebookはmixiやTwitterと違って、実名(本名)での登録を原則としてゐる。ネット上では匿名(ハンドルネーム)で活動してゐる人が多い日本人にとって、これは取っ付きにくい理由になってゐるのではないだらうか。

 ゆーすけべー氏はネット上ではかなり有名な人である。上記記事を見ても、Facebookでは「Yusuke Wada」といふ本名で登録してゐるし、顔写真も自分本人のものを載せてゐる。ゆーすけべー氏だけではない。上の他のリンク先のブログ主もネットでは結構有名な人たちである。
 かうした「有名人」たちがFacebookの面白さを語り、本人たちは気付いてないのか、あるいは解ってて敢へて触れてないのか(おそらく後者だと思ふが)、実名制の問題について触れてゐない。唯一、「IT戦記」のamachang氏だけが上記記事の中で実名制の問題に少し触れてゐる。

 2010年10月現在の段階では、Facebookはまだ一部の先進的なネットユーザーの間で話題になってゐるだけである。かつてのTwitterもさうであったやうに、Facebookもまた、ギークが多いと言はれるはてなユーザーの間で先づ話題になってゐるやうだ。
 しかし今「Facebook面白いよ!」と言ってる人たちは、元々、ネット上でかなり有名な人たちである。元々、本名が広く知られてゐたり、場合によっては顔も知られてもよい人たちで、リアルの世界つまりオフラインでも互ひに交流のある人たちである。
 だが、今「Facebook面白いから始めてみなよ!」と話しかけられてゐるネットユーザーの多くは、さうではない。ネットとリアル、オンラインとオフラインを使ひ分けてゐる人が多いはずだ。
 自分のブログやウェブサイトを持ってゐる場合、そこを本拠地としてFlickrやYouTubeなど他に自分が利用してゐるウェブサービスをリンクで紐付けてゐる人は多い。Twitterをやってる場合は、アカウント名が違ったとしても「Twitterやってます」みたいな感じで紐付けてる人は多いだらう。
 しかし、そこにFacebookを紐付けるとなると話は違ってくる。それは今まで徹底的にオフラインとオンラインとを区別して、一貫してネット上ではハンドルネームで活動してきた人が自分の本名(場合によっては学歴や職業など)を明らかにするといふことである。「有名人ではない」多くの一般ネットユーザーにとってそれは大きな障壁なのではないか。だから多くの先進的なブロガーたちがFacebookを利用してゐるにもかゝはらず、「私はFacebookではこゝにゐます」とブログで紹介することができない。
 これが、日本でFacebookがなかなか「始まらない」大きな理由である気がする。

 Facebook日本法人の児玉太郎氏は、日本でも実名制でやっていくことをすでに宣言してゐる(Facebook日本攻略へ 実名主義で「地に足付けてやっていく」 - ITmedia News)。世界の中で日本だけが「実名でなくとも構はない」などといふ例外は作らない、といふことだ。これは正しい判断だと思ふ。Twitterなどは、すでに一人の人間がいくつもの「サブ垢」などを作って、知り合ひでもない限り、誰が誰なんだか人物を特定することが難しくなってゐる。
 MashableのBenParr氏は2010年10月11日の記事の中で、TwitterとFacebookの最大の違ひは、前者が情報やコンテンツに価値があるのに対して後者は人物そのものに目的がある、といふ趣旨のことを言ってゐる(Facebook, Twitter and The Two Branches of Social Media)。これが正しいならば、やはりFacebookは実名制を守ってこそ価値があると言へる。

 2009年末から2010年初頭にかけてTwitterが日本で広く人口に膾炙したときに、「新しいコミュニケーションツール」といふ紹介のされ方をよく聞いた。
 私はTwitterのことをコミュニケーションツールだと思ったことはない。私がフォローしてゐるのは全員、顔も名前も年齢も性別も知らない人ばかりである。情報を得るためのツールだと思ってゐる。時々、弱音を吐くこともあるけれど、それは独白であってコミュニケーションではない。
 だが人によってはTwitterをまさに「コミュニケーション」のための道具として使ってゐる人もゐる。リアルの知り合ひをたくさんフォローし、仲間内でリプライやリツイートを飛ばし合ってゐる人を見かけることも多い。これはまるでメーリングリストのやうな使ひ方だ。Twitterやmixiが現れる以前は、かうしたコミュニケーションの取り方はメーリングリストで行はれてゐたのだ。このやうな使ひ方をしてゐる人の多くは、そのコミュニケーションの場を、今後、TwitterからFacebookに移していくだらう。人と人との確かな繋がりといふ点では、FacebookはTwitterより優れてゐるからだ。

 Facebookは日本で普及するのか。
 普及するとしても、爆発的に普及するのは今年2010年ではなく、来年2011年になると思ふ。おそらく映画「ソーシャル・ネットワーク」が日本で公開されて話題を呼び、かつてのTwitterにおける広瀬香美のやうに、誰か複数の芸能人が「Facebook始めました」みたいなことをテレビで語るやうになってから、やうやく日本国民の間に普及していくことになるだらう。
 その普及していく過程で、今まで頑なにネットでの匿名性を信奉してきた日本人が忠実に実名のルールを守るのかどうか。私はすでに「Facebookのプロフィールはバカ正直に書かなくてもいい」みたいなことを書いてるブログを見つけてちょっと不安になってゐる。
 米国などではFacebookは現実社会と密接に結びついてゐる。企業の採用担当者が応募者のFacebookページをチェックすることも多いらしい。日本ではさうなったら「就職に受かるためのFacebookプロフィールの書き方」などといふ本が出て来さうで、それはそれで嫌だが、かと言って仮名での登録を許してしまってはFacebookの魅力は半減し、mixiと何が違ふのかといふことになってしまふだらう。

 私の予想はかうだ。
 日本人はFacebookではそのルールに則り、実名で他の情報も正しく登録する。たゞし、プライバシー設定をやたら厳しく設定する。結果、友達でないかぎり、つまり企業の採用担当者などが見ても何ら有用な情報は得られない。
 Twitterの鍵付きよりもさらにクローズドに使ふ人が大半、といふことになるのではないか。


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阿伽羅vs人間 -コンピューター将棋の未来-

 2010年10月11日、いよいよ将棋の清水市代女流王将とコンピューターの将棋ソフトが対戦する。

 コンピューター将棋の歴史と今対局の意義については、下記の記事が詳しい。

 人間VSコンピューター この世紀の決戦を楽しむために - 俺の邪悪なメモ

 今回、対局するのは人間側は、女性としてはほゞ最強の棋士である清水市代女流王将。片やコンピューター側は、「ボナンザ」「YSS」「激指」「GPS将棋」といふ4つのソフトが多数決で指し手を決めるシステム「あから2010」である。

 人間とコンピューター、この世紀の対決を前にして、いったいどちらが勝つのか興味を持ってる人もたくさんゐるだらう。白熱した戦ひを期待してゐる人もゐるかもしれないし、清水さんに勝ってもらって、人間側の面目を保ってもらひたいと願ってゐる人もたくさんゐるだらう。

 だが、この対局はコンピューターが勝つだらう。それも圧倒的な強さで。

 日本将棋連盟の米長会長は次のやうに言ってゐる。

普段通り指せば清水さんが勝つでしょう。コンピューターが得意とするのは正解が一つの場面。幅広い選択肢のある局面、ファジーな場面では人間の直感と大局観が勝る


 気持ちはわかるが、コンピューターを甘く見過ぎてゐる。
 また、当の清水市代はかう述べてゐる。

人間には心があり、それが勝負に魂を入れ、力以上のものが出せる。いい内容の将棋を指したい

 
 これも気持ちはわかるが、しかし心や魂は関係ない。むしろ、清水市代は今回の対局でコンピューターソフトに不思議な「心」を感じるだらう。

 チェスの世界では、1997年に人間の世界チャンピオンがコンピューターソフトに敗北してゐる。チェスは局面の変化の数が10の120乗程度だが、将棋は取った駒を再び使へるため、局面の変化の数が10の226乗程度と桁違ひに多い。だからコンピューターもしらみ潰しには計算できないので、将棋ではチェスのやうにはいかない。と人間側の肩を持つ人もゐる。
 しかし私はチェスと将棋の間に根本的な差はないと考へる。両方とも二人ゼロ和有限確定完全情報ゲームである。
 「俺の邪悪なメモ」の罪山罰太郎氏が上記記事の中で、
組み合わせ有限のゲームおいては、いずれ人間はコンピューターに勝てなくなる
と言ってるのは私も同感である。
 この1997年の戦ひのときに、人間側の代表として戦った当時の世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフ氏が、対局の途中に「戦意を喪失した」といふ主旨のことを言ってゐたのが印象的だった。
 
 オセロの世界はすでにコンピューターの方が圧倒的に強いことは知られてゐる。私はオセロは周囲の人間と打って負けたことがないほどの強さである(と言っても大会に出るほどの強さではない)。しかしコンピューターと戦ったときは手も足も出なかった。出させてもらへなかった。もうあまりにも圧倒的に強く、対局の途中に戦ふ意欲を失ってしまふといふ感覚を味はった。最強レベルのコンピューターと戦ったことのある人なら、似たやうな感覚を味はったことのある人はゐると思ふ。

 そして今回、清水市代は、手も足も出させてもらへず、途中で戦ふ意欲を喪失するだらう。
 清水は、入玉に成功すればあるいは勝ち目も見えるかもしれないが、阿伽羅は入玉を許さないだらう。コンピューターが負けるとすれば、途中で突然電源が落ちるとか、何かの間違ひで「大ポカ」の手を指すことを期待するしかないが、残念ながらバックアップ用のコンピューターが多数用意されてゐるし、4つのソフトの合議制(多数決)で手を決めてゐるので「大ポカ」もないだらう。

 ところで、将来的には、コンピューター対人間の対局を行ふ場合は、人間側の代表であるプロ棋士が抱くであらう「自分はいったい誰と戦ってゐるのか」といふ感覚を分り易くさせるルール作りが必要だと思ふ。今回の対局ではソフトは4つだが、マシンは東大のクラスターマシンが169台稼働する。コンピューター側が4つのソフトの合議制が許されるのならば、人間側はプロ棋士が100人集まって合議して指し手を決めることが許されるのか、といふ問題が出てくる。

 今まで多くの人々が米長と同じやうに、人間には「直感」「第六感」「大局観」がある。だから理詰めのコンピューターが人間に勝てるはずがない、と言ってきた。コンピューターソフト制作者はそれを否定してきた。しかし、さうした「人間味」を否定してきたはずのソフト制作者が、数年前に、評価関数をコンピューター自身が考へるやうになってからは、「もう自分が作ったソフトではないやうな気がする」といふ不思議な悲哀を味はふことになった。

 コンピューターは、この後、男性のプロ棋士と対戦し、最終的には羽生善治もしくは時の名人、竜王と対戦することになるだらう。コンピューターが名人、竜王を倒す日はいつなのか。上記記事の中で罪山罰太郎氏は「おそらくはあと10年以内に」と予測してゐる。私もこれに同感である。「5年以内」でも「15年以内」でもなく「10年以内」。つまり2020年までに名人か竜王がコンピューターに敗れる日が来るだらう。

 清水市代は今回、大きな屈辱を味はふだらう。しかしそれは、これから先多くの男性プロ棋士が味はふことになる屈辱感なのだ。

 棋士たちはコンピューターに不思議な「人格」を見るだらう。コンピューターには過去の厖大な棋譜データがインプットされてゐる。そして棋譜データだけではなく、過去の多くの棋士の「頭脳」まで再現できるレベルになってゐる。棋士たちはコンピューターと戦ってゐるときに、今は亡き升田・大山や村山のやうな天才棋士たちの面影を見るかもしれない。

 そして名人がコンピューターに敗れたら、その後は「やっぱり将棋は人間と指すから面白いんだ」といふ昔ながらの謂ひに落ち着くだらう。将棋において「コンピューター対人間」といふ戦ひが楽しめるのは、せいぜいこれから10年間だけの楽しみなのだ。


日本人のノーベル化学賞受賞を予見してたかのようなQ&A

 2010年10月6日、北海道大の鈴木章さんと米パデュー大の根岸英一さんの日本人2人がノーベル化学賞を受賞したといふニュースがあった。夜7時のNHKニュースで知った。
 受賞理由は、2つの化学物質を結合させるカップリング反応の発見に対するものであるとのこと。

 で、この「クロスカップリング」について調べてみたのだが、日本人による発見がやたら多い。で、それは何故なんだらうと思ったら、Q&AサイトのOKWaveでずばりそのことについて質問してる人がゐた。

クロスカップリングの発見者に日本人が多いのはなぜ? | OKWave

クロスカップリングの発見者に日本人が多いのはなぜ?

有機合成化学で重要とされる炭素-炭素クロスカップリングの発見には、
日本人がやたらと貢献しているように思います。

鈴木-宮浦反応に始まり、熊田-玉尾カップリング、根岸反応などなど…

この結果は偶然でしょうか。
日本の研究環境や、日本人の思想がクロスカップリングを生み出しやすかったということはないでしょうか。

投稿日時 - 2010-10-04 18:38:37



 質問者のこの質問に対し、一人目の回答者が、平賀源内にまで遡って日本の町人文化の視点から興味深い回答を寄せてゐる。

 驚くべきは、この質問が投稿された日時だ。
 2010年10月4日。鈴木、根岸両氏のノーベル賞受賞が発表されるわづか2日前。iPS細胞の山中氏や炭素の飯島氏と違って、今回の化学賞二人はどちらかと言へば、事前に受賞が予想されてなかった人たちだ。

 ちなみに一人目の回答者の回答日時は「2010-10-06 18:29:59」となってゐる。これは直前も直前、夜7時のNHKニュースが日本でのほゞ第一報となるニュースを流す約30分前である。

 まるで今回の日本人2人によるノーベル化学賞受賞を予見してゐたかのやうなQ&Aだ。