暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2016

2011年01月の記事

えーえんとくちから - 笹井宏之の永遠

 笹井宏之。 

 私はつい最近までその人の名前を知らなかった。

 出会ひは偶然だった。昨年2010年の年の瀬も押し迫った頃、池袋のジュンク堂での予期せぬ邂逅だった。
 何千冊もの本が並ぶ本棚の中から、なぜ彼の本が目に止まったのか。それはわからない。装釘が魅力的だったからかもしれない。近づいて見たら、本のタイトルが不思議だった。

 『えーえんとくちから』

 私は、また新しい詩人が出てきたのだらう、といふ軽い気持ちで本を手に取ってパラパラとめくってみた。そして衝撃を受けた。
 私は本屋に行ったとき、買ふ予定がなかった本をその場の一目惚れで買ふことはほとんどないが、この本は買って間違ひないと直感した。

 買って家に帰ってあらためて読み、この作品集の著者、笹井宏之の才能に慄いた。

 笹井宏之は歌人である。しかし本人が「短歌というみじかい詩を書いています」と言ってゐる通り、私には詩人のやうにも感じられた。

 本を読み終へて、私は私の好きな詩人、立原道造を聯想した。笹井宏之が立原道造に似てゐると思ふところは、その詩が限り無くやさしいところ、繊細な感受性、とても現代的な感覚を持ってゐるところ、背景に知的なものを感じさせるところ、遠い彼方を見てゐるところ、などだ。もちろん、本人は立原道造と比べられるのは不本意かもしれないし、それはわからない。「俺はあいつは好きぢゃないんだ」と言ふかもしれない。読む人によっては、立原道造ではなく、宮澤賢治、八木重吉、金子みすゞを聯想する人もゐるかもしれない。

 笹井宏之の作品で、限り無くやさしいと思ふのは、例へばこんなうた。

にぎりしめる手の、ほそい手の、ああひとがすべて子どもであった日の手の


 かういふ繊細な感受性を感じさせるうたがいっぱいある。
 だが、たゞひたすら“やさしい”うたばかりといふわけでもない。よく読んでみると、笹井宏之のうたには諧謔もアイロニーもある。

恋愛がにんげんにひきつかまえて俺は概念かと訊いている

 かういふうたには知性を感じる。

 現代的でおもしろいと思ふのはこんなうた。

昨晩、人を殺めた罪によりゆめのたぐいが連行された

 
 好きなのはこんなうた。

あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる



 笹井宏之が見てゐた「えーえん」は、どんなものだったのだらう。彼の水平に届かないのでわからないが、私は少しでも近づきたいと思ふ。

 『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』2011年1月24日 第1刷

 昨年末に書店の店頭に並んだとき、第1弾はあっといふ間に売り切れたさうだ。第1刷の日付が「1月24日」になってゐるのは、この日が笹井宏之の命日だからだ。
 今日2011年1月24日が、笹井宏之の三回忌である。
 帯に付されてゐた写真を見たが、かっこ良くてやさしいお兄さんにしか見えない。そんなに病弱だったやうには見えない。

 2009年1月と言へば、日本でTwitterが流行するちょっと前だ。笹井宏之がもうちょっと長生きしてTwitterを使ってゐたら、すてきなツイートをたくさん残したに違ひない。

 Twitter上でたくさんの人が笹井宏之に対する想ひを語ってをり、こちらにまとめられてゐる。

 Togetter - 「『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』」

 また、笹井宏之が生前に書いてゐたブログがある。

 【些細】

 現在は、笹井宏之のお父様が更新を続けてをられるやうだ。

 「えーえん」の重さをいとも軽やかにうたってみせた笹井宏之。「天才」といふ賛辞は私からは不要だらう。間もなく世間がそれを認める。
 私はたゞ、笹井宏之が紡ぎ出したうたが好きなのだ。


えーえんとくちから 笹井宏之作品集えーえんとくちから 笹井宏之作品集
(2010/12/24)
笹井 宏之

商品詳細を見る

スポンサーサイト

Facebookが日本で流行らない3つの理由

facebooktop.jpg


 全世界でのユーザー数が間もなく6億に達しようといふFacebookだが、2011年1月現在、日本ではまだ「流行ってる」とは言へない状況だ。正確な数字ではないが、現在、日本でのFacebookユーザーは約180万人ぐらゐと言はれてゐる。日本国内の他のSNS、mixi約2000万人、GREE約2000万人、モバゲータウン約1800万人と比べても、かなり少ない数だ。

 Facebookが日本で流行るかどうか、といふことについては、昨年(2010年)の10月にもこのブログで考察した。

 日本でFacebookは始まるのか(2010/10/13の記事)

 その時は、私は日本でFacebookが普及する際の最大の足枷になるのは実名主義だらう、と書いた。日本人はネット上での実名に抵抗がある人が多いからだ。今でもさう思ってゐる。

 ちなみにその時、Facebookが今後、日本で普及すると思ふかどうかのアンケートをとった。

 facebookunq.png
 今日(2011/01/11)現在までに46人の人が回答を寄せてくれてゐるが、ご覧の通り、「普及する」と見る人と「普及しない」と見る人と、結構意見が割れてゐる。

 日本でFacebookが今後もずっと流行らない、とは私は言へないが、少なくとも現時点で「流行ってない」。その理由を前述の「実名主義」以外の理由で3つ考へてみた。


1.日本仕様でない

 Facebookを新たに始めようとすると、先づ、ユーザーは自分のプロフィールページを作成しなければならない。プロフィールページはFacebookにおける一つの“肝”である。必ずしもすべての欄を埋めなければいけないわけではないが、公開するか非公開にするかは別として、ある程度埋めることが望まれてゐる。

 しかし、いきなりこゝで多くの日本人が面食らふことになる。
 
 先づ、基本情報として、居住地、出身地、性別、生年月日、血液型、を訊かれる。こゝまでは問題ない。しかし、その後に「恋愛対象は女性?男性?」といふ項目がある。先に性別は「男性」と答へてゐるのだから、恋愛対象は「女性」に決まってゐる。おそらくこれは同性愛者にも配慮してかうなってゐるのだらうが、多くの日本人にとっては戸惑ふ質問だ。しかもこの項目はチェックボックス(複数選択可)になってゐるので、女性も男性も両方が恋愛対象である、といふバイセクシュアルにも配慮してある。

 その次に、参加目的として、友情、デート、恋愛、情報交換、の4つの中から複数選択可で選ぶやうになってゐるが、これも分かりにくい。デートと恋愛の違ひが分かりにくいし、友達と繋がるSNSだから「友情」は当たり前のやうな気もするし、でもそれを「友情」と言ふとぎこちない気もする。

 そして次に「政治観」といふ項目が来る。自由記述だが、これに至っては殆どの日本人は何を書いていいのかさっぱり分からないだらう。
 その次に来る「宗教・信仰」の項目も同様だ。

 その次の「経歴」欄は自分の生ひ立ちを適当に書けばいいだらう。「好きな言葉」欄も問題ない。

 あと他に訊かれることは、「交際ステータス」(独身か既婚か等)、家族、出身高校名、出身大学名、勤務先名、趣味・関心、好きな音楽、好きな本、好きな映画、好きなテレビ、等々。こゝら辺は問題ない。しかし一つだけ気になるのがあって、「好きな活動」といふ項目がある。好きな活動?それって何?環境保護活動とか、さういふことを訊いてゐるのか、それとも週末にサーフィンとかさういふことか。でもそれは趣味だよね。分かりにくい。

 おそらくアメリカ人が多いであらうFacebookの首脳陣は、本気で日本市場を攻略する気があるのか。
 日本では、プロフィール欄と言へば、「性別」、「血液型」、「星座」等を訊くのが一般的だ。(「干支」は流行ってない、歳がバレるので。)

 FBの首脳陣は、日本人に向かって「政治観」や「宗教」を訊くことが、西洋人に向かって「ブラッドタイプ(血液型)」を訊くのと同じくらゐ珍妙なことである、といふことが解ってゐないのだらう。

 ちなみに、Facebook英語版には、「血液型」の項目はない。自分の血液型なんて知らないといふ人が多いからだらうし、血液型を訊かれる意味が解らないといふ人が多いからだらう。私の調べた範囲では「血液型」の項目が出て来るのは、日本語版と韓国語版と中国語版だけである。

 このプロフィール欄の取っ付きにくさだけでも、かなりの日本人を遠ざけてゐる。


2.リア充仕様である

nofriends.jpg


 Facebookが、アメリカの超エリート校であるハーバード大学生まれであることを考へれば、これが「リア充(リアルが充実してる人)」向けのものであることは、当然のことかもしれない。

 Facebookは実名でリアル世界の友達と交流するのが基本になってゐる。だから、リア充でもネト充でもいいが、とにかく友達がたくさんゐなければ、ほとんど楽しめない。したがって、非コミュな非リア充(私は「リア空」と言ってゐる)がFacebookアカウントを取っても、“使ひ途”はあるかもしれないが、“楽しみ”はないだらう。

 そもそも、Facebookの本来の使ひ手になるべき30代や20代の若い人たちの多くが、なぜ同窓会に行かないのかを考へてみるとよい。
 特に氷河期世代を中心として、多くの日本の若者が、定職に就けてゐなかったり、結婚できてゐなかったりする。私の周りにもさういふ人はゴロゴロゐる。さういふ人たちは、同窓会に行って、「おー、久しぶり!今、何やってんの?」と現況を訊かれるのが辛いのだ。

 「いまどうしてる?」といふTwitterの質問に答へられるのは、Twitterは匿名アカウントだし、繋がってゐるのは顔も名前も知らない人であることが多いからだ。私も現に、顔も名前も知らない人ばかり100人以上フォローしてゐる。フォローされるのもまた知らない人ばかり。

 つまり、Facebookに登録する、あるいはそこで活動するといふことは、同窓会に出かけて行くやうなものなのだ。誇らしい経歴を持ってゐる人は喜んで出かけて行くだらうが、さうではない人にとっては出かけにくい場所である。
 Twitterをやってる人なら、TwitterのBio欄にはっきり大学名を書いてる人が東京大学と慶應義塾大学の人ばかりであることを知ってゐるだらう。
 しかも今の30代ぐらゐの人たちは、少子化による「大学全入時代」が始まる前に大学受験してゐる世代なので、頭の良し悪しに関はらず結構ランクの低い大学を出てる人が多い。
 それにFBの学歴欄には、高校名と大学名を書く欄はあるが、中学名、小学校名を書く欄は無いので、そもそも高学歴な人が想定されてゐる。

 そして、リア充ならば同窓会に出かけて行っても、たくさんの友達から声をかけられるだらうが、リア空ならば同窓会に行ってもまづ、誰からも声をかけられない。何も楽しくない。

 「Facebookなら、パーティーで撮った写真に写ってる人にタグを付け、それを共有することができます。」
 パーティーって何だ。それはどこで開かれてゐるのだ。誰が参加してゐるのだ。

 Facebookが今ひとつ日本で流行らない要諦はこゝにあると私は見てゐる。

 つまり、かういふことだ。
 今(2011年1月現在)、日本でFacebookを積極的に使ひこなして楽しんでゐるのは、アーリーアダプターの人たちだ。こゝからマジョリティの人たちに拡がっていくためにはキャズムを越えなければいけない。
 では、どうしてFBは日本においてキャズムを越えられないのか。それは、さういふアーリーアダプターたちの多くがリア充もしくはネト充であるからだ。友達が多いアーリーアダプターが、いくらFBの楽しさを伝導したところで、リア空の元には届かない。

 mixiは、マイミクがゐなくてもコミュニティを覗いてゐるだけでもある程度楽しめる、といふ楽しみ方がある。Facebookにおけるこれからの伝導師たちは、キャズムを越えるためには、友達がゐなくてもある程度は楽しめる方法を提示していかなければならないだらう。

 逆に一旦、キャズムを越えたならば、「Facebookのアカウントは2008年頃から持ってるわー。でも、ほったらかしだわー。」などといふ友達がゐないアーリーアダプターを、2010年時点で「ふぇいすぶっくって何?」と言ってゐたやうな後発のリア充マジョリティたちが、あっといふ間に追ひ抜いていくだらう。


3.先行するSNSの巨人がゐる

 以下は、2011年1月上旬の国別Facebookユーザー数が多い順に並べたランキングである。

1位:米国
2位:インドネシア
3位:英国
4位:トルコ
5位:フィリピン
6位:フランス
7位:メキシコ
8位:インド
9位:イタリア
10位:カナダ
11位:ドイツ
12位:アルゼンチン
13位:スペイン
14位:コロンビア
15位:台湾
16位:マレーシア
17位:ブラジル
18位:オーストラリア
19位:チリ
20位:ベネズエラ
 ・
 ・
 ・
29位:韓国
 ・
 ・
 ・
53位:日本
 ・
 ・
 ・
95位:中国
(参照:Socialbakers

 かうして見ると、経済先進国ばかりでなく、インドネシアなど人口が多い国が上位に入ってゐることがわかる。(インドネシアの人口は日本よりも多い)。
 しかしそれなら、人口が多いインドはなぜインドネシアやフィリピンより順位が下で、ブラジルはアルゼンチンより順位が下なのか。
 そしてネット先進国のはずなのにベスト20にも入ってゐない韓国。それよりずっと下位の日本。

 国策でFacebookをブロックしてゐる中国は別として、人口の多い世界の主要国の中で、FBが攻略できてゐないのは、インドとブラジルと韓国と日本だけに思へる。

 私が考へたのは、これらの国には共通してゐることがある、といふことだ。その共通してゐることとは、「先行してゐる巨大なSNSがある」といふこと。
 Orkut王国のインドとブラジル。韓国のCyworld。そして日本のmixi。
 もちろん、ブラジル、韓国、日本には言葉の壁もある。しかしさらに、それぞれの国内で全国民的レベルで普及してゐる巨大なSNSがある。これが後発のFBが入って行けない一つの要因ではないか。

 一旦、一つのソーシャルネットワークで深い人間関係を築いてしまふと、また別のSNSに移って一から人間関係を築き直すといふのはかなり面倒なことだ。

 「でも、アメリカにだって先行するMySpaceといふ巨人がゐたではないか」。私が思ふに、MySpaceは、ミュージシャンなどが自分を表現するための場(Space)だった。発信者がゐて、ファンがゐた。個人個人が内輪的で濃密な人間関係を作るSNSではなかった。
 しかしさうしたFacebookの内輪的で濃密なネットワークといふ性格は、mixiにもCyworldにもある。

 写真共有のInstagramのやうに、Twitterの人間関係をそのまゝ移植できるのならよいが、多くの日本人はTwitterの関係をそのまゝFacebookに、といふわけにはいかないだらう。Twitterは匿名アカウントで使ってゐるし、Twitterのゆるい繋がりとFBの濃密な繋がりとでは、顔ぶれは別になる、と考へてゐる人が多いだらう。そしてこゝでも、FBの実名主義が壁として立ちはだかる。

 mixiの友達関係とまったく同じものをFacebookでも作ったとしたら、いつものおしゃべりはどっちの場で行はうか、といふ問題も出てくる。

 一つの濃密なソーシャルネットワークがあまりにも浸透しすぎてゐる国では、なかなか新規開拓は難しいのだ。


まとめ

 そもそもFacebookは見た目が可愛くない、と言ふ人もゐる。青を基調としたシンプルなデザインは確かに日本のmixiやAmebaのやうな可愛さは無い。
 だが1番目の理由のやうな外形やUIの問題は、さしたる問題ではない。

 3番目の「先行する巨大SNS」といふ理由も、ちょっと苦しいかもしれない。と言ふのは、2010年頃から、ブラジルや韓国で、Facebookユーザーが急増してゐるからだ。この事を考慮に入れれば、日本でも2011年あたり、FBユーザーがある程度まで急増することは十分に考へられる。

 この3つの理由の中では、私は2番目にあげた「リア充仕様である」といふ問題が一番根深い問題だと思ってゐる。

 「プラットフォーム」と言ふよりももはや世界の「インフラ」と言ふに相応しいまでに発達したFacebookの波に日本も遅かれ早かれ飲み込まれるのは避けられないだらう。「Facebookなんて使ひたい人だけが使へばいいんだ」。日本の、陸の孤島、ガラパゴス的楽園を守りたい人々はさう言ふだらう。2chやニコ動など「日本語でおk」な環境の中で内輪でワイワイ楽しくやってゐる方がいいと思ふだらう。
 しかしさうしてゐる内に、先進的なあるいは遅れてやって来たリア充たちは、Facebookといふこの強力な武器を新たに手に入れ、ますます自己の世界を拡げて充実させていくだらう。
 こゝに、「デジタルデバイド」ならぬ「ソーシャルデバイド(social divide)」が現出する。
 Facebookを無批判に受容することも私はちょっと怖いのだ。

 その問題については、また改めて書かう。


【Facebook関連の記事】