暫定龍吟録

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2011年11月の記事

プロとは何か -反プロ論-

 NHKの「プロフェッショナル」といふ番組が好きではないのでよく見ないのだが、「プロ」とは何だらうか、と最近よく思ふ。

 手元の辞書を引くと、次のやうにある。

【プロ】
1.職業として行うこと。また、その職業人。
2.ある物事について、(長年の)経験に裏打ちされた知識・技能を具えている人。専門家。


 つまり、職業人と専門家といふ二つの意味があるわけだが、私が今回問題にしたいのは、1番目の「職業人」としての「プロ」の方だ。何らかの仕事をして「お金をもらってゐる」といふ意味での「プロ」だ。

 以前働いてゐた仕事場で、上司から「仕事なんだからちゃんとやれ!」と激しく叱責されることが度々あった。私はその言葉にいつも違和感を感じてゐた。
 「仕事なんだからちゃんとやれ」とその上司が言ってゐるのは、つまり「遊びやボランティアぢゃなくて、これはお金をもらってやってゐる仕事なんだからちゃんとやらなきゃ」といふ意味で言ってゐる。これは「プロなんだからちゃんとやれ!」と言ひ換へることができる。

 私は決して仕事をナメてはゐない。「仕事なんて適当にやっとけばいいんだよ」とか「仕事なんて別に全力でやらなくてもそこそこ手を抜いてやってればいいんだよ」などとは思ってない。私はいつも仕事に真面目に真剣に向き合ってゐる。私は私なりに仕事はちゃんとやってゐるつもりだ。しかし上司は「ちゃんとやれ」と怒鳴る。それは私の仕事ぶりが未熟だからであらう。それは解る。だが、その理由が「プロなんだから」といふのはどうも納得いかない。

 プロなんだから?お金をもらってゐるからちゃんとやる?
 私は長年、ボランティア(無報酬)で働いてゐた経験があるが、その時も私は真剣に一生懸命、仕事をしてゐた。それが私の「仕事」(しなくてはならない事)なら、私はお金の有る無しにかゝはらず、いつだって真剣に「ちゃんと」やる。

 図工が苦手な私が一生懸命作ったサンプルを見て、上司は「なんだこれは!お客様が見てもこれぢゃ解らないだろ!遊びぢゃないんだぞ、仕事なんだぞ!ちゃんとやれ!」と一喝した。
 前半部分は納得なのだ。たしかにこの出来では、お客様が見ても何がなんだか解らないだらうな、とは私も思った。しかし、お金をもらってやってゐる仕事なんだから、といふ部分にはやはり納得がいかないのだ。すると、かういふ人たちは無報酬だったら、途端に仕事を適当にいいかげんにやるのだらうか?
 また、別のある日は、私の要領の悪さに対して怒った。そして「物覚えが悪いって自分で自覚してるんなら、少しでもできるやうになるやうに自分で考へて工夫しろ!上達するやうに努力しろ!仕事なんだぞ!」とその上司は怒鳴った。

 ところで、私は字がきれいな方だ。字が上手な私から見たら、世の中の大半の人は(私よりも)字が下手である。
 その上司は、字がとりわけ汚かった。
 私はよっぽど言ってやりたかった。「こんな汚い字で領収書を書いたらお客様に対して失礼だろ!字が下手だって自覚してるんなら、少しでもきれいに書けるやうに、毎日家でノートに書き取りの練習をするなり、ペン字の通信講座を受けるなり、自分で少しは努力しろ!遊びぢゃないんだぞ、仕事なんだぞ!プロならそこまでしないと駄目だろ!」と。
 ついでに言へば、その上司は声も汚かった。そんな汚い声ではお客様に不快感を与へる。上司はもっとプロとしての自覚を持って、日夜発声練習に励んでほしい。

 はたして私がかう言ふのは正しいだらうか?
 その上司はおそらくこの先、字がきれいになることはないだらう。字が下手だ、といふことはさう簡単に直るものではない。それと同じやうに、「仕事覚えが悪い」といふ類のことだって、一種のその人に染み付いてゐる特徴のやうなものであって、さう簡単に直るものではないのだ。

 それに「プロだからちゃんとやる」と言ふときの「ちゃんと」とは、一体どこまでを指すのだらうか。どこまでやったら「ちゃんと」やったことになるのか。

 東日本大震災に伴ふ原発事故で、東京電力は「ちゃんと責任を取れ」と言はれてゐる。しかし、どこまでやったら東電は「ちゃんと」責任を取ったことになるのか。仮に「責任を取る」といふ言葉の意味が「賠償金を支払ふ」といふ意味であったとしても、一次被害、二次被害、三次被害、風評被害の分までと考へていくと、お金がどんだけあっても支払へるものではないだらう。「風が吹けば桶屋が儲かる」式で、そのうち訴訟好きのアメリカ人が「私が肥満になったのはフクシマのせゐだ」と言ひ出したらその賠償金まで東電が支払へるだらうか?
 到底、支払へるものではない。つまり、フクシマ原発事故のやうな、あまりに巨大すぎる事故においては、誰も「ちゃんと」責任を取ることなどできないのだ。

 私が気になってゐるのは、「東電はちゃんと責任を取れ」と責め立ててゐる人たちの心の中に、「東電の役員や社員たちはあんなにたくさん給料をもらってゐるんだから」といふ気持ちがあるのではないか、といふことだ。つまり、「東電はあれだけ高給をもらってゐるんだから、ちゃんと仕事しろ!」と思ってゐる人たちが少なからずゐるのではないか、といふこと。こゝが私のプロ論に引っかゝってくるのだ。
 では、もし東電の役員や社員の月収が20万とか10万くらゐの安給料だったら、「まあ、そこまで責任取らなくてもいいよ」となるのだらうか?さうはならないであらう。
 東電社員の給料がいくらであれ、自分たちの企業が起こした事故に対しては一生懸命、真剣に対応に取り組むのは当然のことだらう。

 その上で、東電は「ちゃんと」責任を取れない。それは東電社員にプロとしての自覚が足りないとか、根性が足りないからといふことではない。フクシマ原発事故のやうな大きすぎる事故に対しては、誰も「ちゃんと」責任を取ったり、責任を果たしたりすることはできないのだ。

 「仕事」とは何か。
 「仕事」とは本来、「すること」、「しなくてはならないこと」の意味である。それが本当に自分にとって「しなくてはならないこと」なら、いつだってちゃんと真剣に取り組むまでだ。その「ちゃんとさ」にお金は関係ない。
 「お金をもらってゐるから」「プロだから」ちゃんとするのではない。それが「しなくてはならないこと」だからちゃんとするのだ。

 もしそれが、ちゃんとしなくていいことだったら、それはあなたにとって「仕事」ではないのだらう。