暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

2012年03月の記事

Twitterとブログで振り返る3月11日 〈東日本大震災から一年〉

 くりかえし、くりかえし、3月11日のことを思ってきた。この一年間は、ほとんど3月11日のことを考えてすごしていたと言っても過言ではない。

 あなたにとって311とは何か、と問われたら、私にとってそれは「痛恨」である。
 このことは以前にもブログに書いたけれども、私は、今の日本で、災害で1万人を超える死者行方不明者が出るなんて思っていなかった。災害は毎年のようにある。大災害も世界のどこかでは毎年のように起こっている。でも、どこかで、それは発展途上国の話だと思っていた。日本のような科学技術が発達した先進国で犠牲者1万人などありうるはずがない、と。
 私にとって痛恨であるというのは、先進国としての体面が保てなかった、まるで発展途上国みたいで恥ずかしい、とかそういうことではない。現代に生きている日本人として、日本という社会を構成している一員として、こんなに多くの人の命を救えなかったということが「痛恨」であった。
 
 後になってから、あの時ああしとけばよかった、とか、もっとこういう風にしておけばよかった、などとはいくらでも言える。しかし今さら何を言っても後の祭りである。反省として次回に活かすことはできるかもしれないが、亡くなった人たちに次回はない。原発事故だけではない、津波被害にしても「大失敗」である。自分が生きている時代に、つまり自分がなんとか被害を回避はできないまでも軽減の手段を打てる立場にあった時に、このような大失敗をおかしてしまったことは痛恨というよりほかない。

 スマトラ沖地震や四川大地震など何倍もの犠牲者が出ている災害が他にもいくらでもあるにもかかわらず、とりわけ東日本大震災が衝撃が大きかったのは、それだけ身近に感じたからだろう。
 東京にいた私も、大きな揺れとその後のトイレットペーパーの不足やコンビニ・スーパーから食料品が消える、などの事態に直面した。東京人も広い意味では「被災者」と言えるだろう。

 後世の人のために自分なりの東日本大震災体験記を残しておきたい。それは昨年の3月11日にも思って、主にTwitterとブログにリアルタイムで書いておいたけれども、書き漏らしていることもある。なので、震災から一年経った今、あらためて当時のことを振り返りつつ、3月11日に起こったこと、そして私がどのように行動したかを書いておこうと思う。


・自分のツイートから振り返る3月11日

 2011年3月11日の自分のツイートをツイログから引っ張り出して来て、時系列的に見ていこう。

駅の券売機が「準備中」だったので隣にずれたら「準備中」「準備中」「検査中」「調整中」で結局5台分も移動させられる。
posted at 12:20:22

 これが2011年3月11日最初のツイート。12時20分。この時は外にいた。こんな長閑なネタのようなツイートをしていて随分と呑気だったことがわかる。

機械が嫌いである。
posted at 12:20:58

 これが2つ目。当然ながらやはり緊張感がない。この後、自宅に帰る。金曜日だが私は休みだった。
 そして運命の2時46分を自宅で一人で迎えることになる。


・激震の最中に放った「なゐ」の二文字

なゐ
posted at 14:49:33

 激震に見舞われて最初にツイートした2文字。まだ激震の最中である。2時46分に東北地方で地震が起こってから何分何秒で東京に揺れが到達したかわからないが、私はすぐに大地震だと気付き、脱出口確保のため玄関のドアを開けそれを右手で押さえながら、左手に持ったスマートフォンでTwitterアプリを起動させていた。大きな揺れは何分も続き、私の住んでるボロアパートは激しく揺れてこのまま倒潰するんじゃないかと思った。死ぬ前にメッセージを残さなければ。2時49分と地震発生から少し時間があいているのは、この時、インターネットもしくは3G回線、Twitterのいずれかが繋がりにくかったためである。今にも建物ごと潰れてしまいそうだ。時間がない。Twitterしか思いつかなかった。なるべく短い言葉で外の世界の多くの人にメッセージを飛ばさなければ。自分が生きていた最後の証を残さなければ。その思いで激震の最中に放ったのが、この「なゐ」の二文字だった。「なゐ」は「地震」という意味の古い言葉である。

東京大地震
posted at 14:50:05

 2時50分。震源地がどこなのかはまだ知らなかった。ともかく東京が大地震に見舞われている、ということを伝えたかった。今にして思えば、私のTwitterのフォロワーさんは東京近郊の人が多いから「知ってるよ」ということだったろうが。このツイートまでが激震の最中に書いたものである。

冷蔵庫動いた
posted at 14:51:25


棚の上のもの全部落ちる。
posted at 14:52:04


2分以上揺れ
posted at 14:52:34

 揺れが少し収まってからのツイート。驚きと呆然という状態だったと思う。

本棚の本がたくさん落ちる、東京
posted at 14:55:53


人生でいちばんの地震か、東京
posted at 14:56:39

 地震発生の9分後、2時55分から「東京」という情報を付け加え始めた。どこの話かがわからないと混乱を招くと思ったから。でも、しばらくしたら「東京」という情報はいちいち付けなくてもいいと思った。それよりも情報のスピードを優先させるべきだと判断した。

まだ揺れてる、スカイツリーは倒れてない
posted at 14:58:19

 一番最初に確認したことはこれだったかもしれない。建設中のスカイツリーが倒れてないかどうか確認してしまうほどの大地震だったということだ。あと、Twitterができているということでインターネットが通じていることも確認できた。

建物ごと崩れるかと思った
posted at 14:59:29

 2時59分。この時までは家の中にいた。
 この後、隣に住んでた一人暮らしの外国人女性に声をかける。言葉がわからない日本に来て日本人ですら驚くほどの大地震に遭遇してさぞ怖い思いをしているだろう、テレビをつけても日本語ばかりで情報がわからなくて不安だろう、と思ったから。出てきた彼女は引きつった表情をしていたが、私の顔を見ると少しほっとしたような顔を見せた。そしてジェスチャーで自分はずっと怖くて震えていた、という仕種をしてみせた。私が「今はもう大丈夫ですか?」と英語で問いかけると「OK。あなたは?」と私のことも気遣ってくれた。
 それから、近所の防災広場に行った。持って行ったのはスマートフォンだけだった。広場には何人かの人が集まっていたが、特に何をするというでもなかった。度々余震が襲って来てはいたが、広場にいたのでは何の情報も得られない、と思い、また家に戻った。

もう15分以上たつのにまだ余震が、東京
posted at 15:15:11


また大きな余震
posted at 15:16:53

 テレビ(NHK)とTwitterのタイムライン、それにネット上でいろいろな情報を見ていた。

15時15分
posted at 15:17:24


私のところは体感的に震度5から6
posted at 15:18:58


15時25分、東京まだ少し揺れてる。
posted at 15:25:24


15時26分、余震、東京
posted at 15:27:49


大きな余震
posted at 15:28:25

 地震発生から29分後の3時15分からツイートに時間を付け加え始めた。たくさんリツイートされたらそれが何時時点での情報かが判りづらくなると思ったから。実際のツイート時間とのあいだに僅かなタイムラグがあるのは私の3G回線かインターネットの遅さだと思う。

インターネットは通じてる
posted at 15:30:44

 どのライフラインが生きているかの確認を始めている。


・地震発生から約45分後に原発情報をネットでさがす

Reading:NHKニュース 東北地方の原発がすべて停止 http://nhk.jp/N3ue67mQ
posted at 15:33:22

 地震発生から45分後頃、ふと原発は大丈夫だったのかが気になった。しかし東北地方のどこに原発があるのかを全然知っておらず、「東北地方 原発」でググってみたところ、宮城県の女川というところに女川原発というものがあるのを知った。今回の地震の震源から考えてもこの女川原発が一番危なそうだ。そこで私は女川原発に関する情報をネットで必死に探しはじめたところ、このNHK配信のニュースを見つけた。「東北地方の原発がすべて停止」と。私は当時原発の仕組みなどをまったく理解していなかったので、「すべて停止」ということは原発については安心していいのだろう、と判断した。いちはやく原発の心配をしておきながら、私の原発に関するツイートはここで終わっている。3時33分で早くも原発について思考停止してしまっていた。実際には女川原発ではなく福島第一原発が大問題になっていることを知るのはもう少し後のことである。

15時35分、小さな余震
posted at 15:36:42


15時45分、東京余震
posted at 15:46:14

 引き続き余震が頻繁にあったことがわかる。

防災頭巾を被って防災広場に避難する子どもたち、東京。 http://twitpic.com/48drrx
posted at 15:48:05


 この写真は忘れられない一枚になった。3時48分となっているが、実際には3時11分に外に出た時に撮ったものでいったんEvernoteに保存してからtwitpicにアップしている。

15時57分、小さな余震、東京
posted at 15:58:56


【3月11日】宮城県北部の地震(震度7)についての速報情報まとめ - NAVER まとめ http://t.co/MrzgoV3
posted at 16:11:17

 地震発生から1時間25分後の4時11分には早くもネット上で速報情報がまとめられだしていたことがわかる。

16時14分から余震、東京
posted at 16:17:19


16時27分、小さな揺れ、東京
posted at 16:28:28

 夕方になっても余震はやまず。


・最初の死亡者情報が入ってきたのは地震発生から103分後

16時28分、NHKで最初の死亡者のニュースを聞く。
posted at 16:31:04

 地震発生から103分(1時間43分)後。東日本大震災における最初の死亡者情報を聞く。これが最速だったと思う。当時もどかしく思っていたことの一つは、TwitterのTLを見ていても流れてくるのは東京の情報(地下鉄の何線が止まっているとか)ばかりで、そういう情報は山のように流れてきたが、肝腎の東北地方の情報は全然流れてこないということだった。103分。これが今の日本の情報力の限界。
 しかし、情報力のすごさに驚いた点もあった。3月11日当日の内に、東京での被害として九段会館の天井が崩落して犠牲者が出た、というニュースを聞いた。私はその時、これだけの大地震だったのだから東京でももっとたくさんの人が亡くなっているはずであり九段会館のニュースはその第一報に過ぎない、と思っていた。しかし結局東京では九段会館以外での死者はほとんどなかった。
 東北地方と東京の情報の落差を実感した。

16時31分小さな揺れがある、東京
posted at 16:33:01


16時32分、NHKで今回の地震に名前がついたと聞くが聞き損ねる
posted at 16:36:55

 この時私が聞きそこねた名前は「東北地方太平洋沖地震」だと思う。名前なんてどうでもよいではないかと思うかもしれないが、地震に名前が付くというのはその地震が歴史に残る地震だと人々が認識したということである。
 当日のブログには、

この地震は、「東北地方太平洋沖地震」と名付けられたが、明日以降、被害情報が明らかになるにつれて、場合によっては「〇〇大震災」と呼ばれるやうになるかもしれない。/歴史に残る地震になるのも間違ひない

と書いている。
 この後、ガスの復旧作業をする。あとアパートの大家さんに声をかけた。大家さんの家は老夫婦二人暮らしで心配だったから。アパートの他の住人は皆、平日ということでいなかった。

17時05分、小さな揺れ、東京
posted at 17:07:28


17時11分、小さな揺れ
posted at 17:12:33


17時17分から小揺
posted at 17:19:38


17時20分、少し大きめの揺れ
posted at 17:21:18


1728小揺れ
posted at 17:30:26


1731少し大きめの揺れ
posted at 17:32:44

 頻繁な揺れ。

東北地方太平洋沖地震M8.8、国内最大の地震、とNHK。
posted at 17:38:35

 マグニチュードはこの後、何度か修正されることになる。5時38分。この時点では「国内最大」というのは記録が残る近代以降の地震で、という意味だった。

Tokyo Disneyland & Sea Have Flooded http://t.co/qjiDCQQ
posted at 17:41:22

 これも今思えば情報の速さに驚いたことの一つ。5時41分、ネットで東京ディズニーランドの液状化のニュースを伝える海外のサイトの記事を見つけた。これも数ある液状化した地域の第一報にすぎないと思っていたが、結局、浦安は液状化の被害が最も有名なところだった。

ヘリが東北方面に飛んで行くのを見る。
posted at 17:54:00

 5時54分。ヘリはこれだけではなく、頻繁に見ていた。

1754、NHKで18人死亡と聞く。
posted at 17:55:59

 これは確定情報だけだ。実感としてはもっと多くの人が亡くなっているのはとくに三陸地方の人だったらわかっているだろうけど、これだけの大災害においては情報を確定させるだけでも一苦労なのだ。

明治29年の「三陸地震津波」を聯想する。
posted at 18:34:01

 津波による被害が大きかったということで私が真っ先に連想したのが明治29年の「明治三陸津波」だった。後日、明治三陸津波や昭和8年の「昭和三陸沖地震」などと比較されて研究されることになるが、この時はまだ人々にそんなことを考える余裕はなかった。

18時45分、NHK、26人死亡と伝えてる。
posted at 18:46:30


19時22分、小さな揺れ。
posted at 19:22:59


19時36分、小さな揺れ。
posted at 19:37:40

 この日は揺れは断続的に続いており、まだ建物がゆらゆらしているあいだに次の余震が来るので、実際には前回の揺れと今回の揺れ、などという具合にはっきり区別できるものではなかった。ほとんど一日中、ずっと揺れているという感じだった。

地震があってからずっとツイートがなかった人のツイートを確認して安心した。
posted at 20:12:57

 当時、Twitterで自分がフォローしていた名前も顔も知らない人たちの安否も気になっていた。

20時21分、揺れてる。こんなにいつまでも揺れていたら、今夜は眠れそうにない。
posted at 20:22:42

 精神的にも肉体的にもかなり疲労していた。

22時11分、NHK午後10時のまとめで91人の死者と聞く。
posted at 22:12:30

 3月11日当日に判明した死者数は91人。これを多いとみるか少ないとみるか。

22時17分また揺れ。
posted at 22:18:44

 これで3月11日のツイートは終わっている。全49ツイートすべてである。当日書いたものとしてはTwitterの他にもブログがある。ブログは夜8時頃から11時頃にかけて書いた。

 あと3月11日当日のことで印象に残っているのは、いつもは夕方の5時に子どもに帰宅を呼びかけるのが最後の区の防災無線が、夜中の11時30分頃まで防災情報(電車の復旧情報など)を流していたことだ。

 ブログの方にはこんなことを書いている。
今日(3月11日)の夜の時点で、被害の全容はまだまだ判ってゐない。明日以降、痛ましい悲惨なニュースが徐々に入ってくるだらう。今はまださうした甚大な被害を実感する前夜なのだ。最終的な死傷者数は3桁をこえるのは確実だらうといふ予感がする。最悪、1000人を超えることも考へられる。
 1000人。これが当時の私の予想の限界だった。しかし甚大な被害が明らかになる前夜であったことは本当だった。ちなみに震災の翌日、3月12日からはブログは震災関連の記事は現代仮名遣いで書いている。震災関連の検索で私のブログを見に来た人が「思ふ」などと書かれているのを見たら、人によっては「ふざけている」と感じるかもしれないと思ったから。しかし過去ログをご覧になっていただければ分かるが、3月11日の記事だけはそれまでの習慣通り歴史的仮名遣いのままで書いてある。現代仮名遣いで書き直そうかと思ったが、これも当時の私の慌てっぷりをよく表していると思ってそのままにしてある。

 Twitterももちろん3月11日で終わりではなくて、日をまたいで翌日以降もツイートしつづけている。


・3月12日、13日のツイート

 ちなみに、翌日、翌々日のツイートはこんな感じ。

 3月12日。

これがtsunamiか。身近(日本)で起こると実感として深く迫る。
posted at 00:30:15


日本は地震先進国なはずなのにそれでもこれほどの被害。自然の脅威を感じる。
posted at 00:38:37


22時17分。やや大きめの揺れ。
posted at 22:18:05


 3月13日。

日常も大事だが非日常も大事だ。
posted at 17:43:08


八百万の神と恒河沙の仏が総無視
posted at 20:37:02


お地蔵さんが素知らぬふり
posted at 20:37:55


観音さまが見て見ぬふり
posted at 20:38:24


文殊菩薩がわかってない
posted at 20:39:18


千手観音の手が足りてない
posted at 20:39:43


弥勒菩薩が間に合わない
posted at 20:40:03


天網恢恢疎にしてダダ漏れ
posted at 20:40:25

 ここに当時の私の歎息が見てとれる。神様や仏様に八つ当たりしている。震災後2日目。地震の規模と被害の全容が徐々に明らかになり、絶望的な状況を目の当たりにしてきていた時期だ。
 私はエレン・ケイの「偶然がある子どもを不幸から守った場合、子どもの『守護神』について語るのを聞くことがあるが、わたしはこれ以上の神の冒瀆はないと思う。この『守護神』は、数知れない不幸の際には一体どこにいるのであろうか?」という言葉を思い出していた。東北地方にもたくさんいたであろう神や仏は、あの瞬間何をしていたのか。


・震災から一年が経って

 あれから一年。未だに人出は足りていないし、復興への道のりは遠い。原発事故は収束する気配はなく、本当に弥勒菩薩がやって来ると言われている56億7千万年後まで禍根を残しそうである。

 この一年間、津波で家族を失った遺族の話や信じられないような惨状の映像をたくさん聞いたり見たりした。しかしそれらもこの甚大な災害のごく一部であって、語られることすらなく海のわだつみと消えていった物語は無数にある。

 一年というのは一つの節目ではある。区切りをつけて前を向いて歩いて行かなければならないと言うのもわかる。しかし、行方不明の家族が未だに見つかっていない人、住む家を失った人、原発事故の問題を抱えている福島の人たちなどにとっては「被災」は現在進行形であるだろう。

 日本のあるいは世界のシステムが救えなかったものがたくさんあった。その痛恨の思いのもとに今までもこのブログでたびたび震災関連のことを書いてきた。震災関連の検索で多くの人がこのブログを訪れてくれた。サイドバーのカテゴリー「東日本大震災関連」というところをクリックしていただくと、それらの記事をまとめて読むことができる。またはアーカイヴの2011年3月のところをクリックすれば、当時の日々の記録をリアルに感じることができる。
 東日本大震災のことはまだ書き足りていない。私はこれからも書くだろう。3月11日を忘れないために。後世に伝えるために。

 東日本大震災から一年の日に。

(参照)
りゅうたいぷ(@ryutype)/2011年03月11日 - Twilog

地震前後ツイート

2011(平成23)年3月11日東北地方太平洋沖地震当日 暫定龍吟録


戊辰戦争と原発事故と福島と東京と 〈東日本大震災から一年〉

 まもなく、東日本大震災から一年になるのを機に、あの3月11日の大震災の日から考えていたいくつかのことを記しておこうと思う。

 今日書こうと思うのは、福島第一原子力発電所事故のこと。そして福島県の人たちの思いと東京人である私の思い。

 福島県は東日本大震災で地震と津波により大きな被害を受けた。地震と津波という点では宮城県と岩手県も同様の大きな被害を受けた。しかし福島県はその後の原発事故によって、さらなる「余計な」苦しみを負っているかもしれない。
 福島県は面積が広大だから、中通り(福島市・郡山市)や会津地方は、福島第一原発からは随分と距離が離れているが、それでもやはり放射能という目に見えない恐怖は他県民よりは強く感じているだろうし、原発事故によるいわゆる「風評被害」によって農作物が売れなくなったり、他地域に転校すると、地元の人間からは「逃げた」と後ろ指をさされ、転校先の地域の人からは「福島人が来た」と言って差別される。浜通り(太平洋側)の地域の人たちは放射能の恐怖ももっと大きいだろうし、そもそも事故後立ち入り禁止になってそこに居住できない人もいる。


・「福島」という僭称が齎したマイナスイメージ

 「フクシマ」という名前は悪い意味で世界的に有名になった。
 熊本県の水俣は緑豊かで水のおいしい風光明媚な街だが、多くの日本人は小学校の時に習った「水俣病」のイメージが強く、「水俣に旅行に行く」という発想はあまりないだろう。
 ウクライナの一地方であるチェルノブイリもそうだ。「チェルノブイリに行く」と聞いたら「何の調査目的ですか?」と思うだろう。観光で行くとは誰も思わない。
 日本国内の他県民にも、ましてや海外の人たちには、浜通りと会津地方の違いなんてわからない。とにかく「フクシマ」と言えばあの原発事故の、というイメージなのだ。海外の人にとって「フクシマに行く」ということはもはや会津磐梯山や猪苗代湖に観光に行くことではなくて「何の調査に行くんですか?」ということになっているだろう。
 こうなってしまった原因の一つは、あの原発が「福島」という僭称を名乗っていたことだと思う。
 一つの小さな地域がより広大な地域の名称を名乗ることを僭称という。小倉が「北九州市」を名乗ったり、愛媛県の小さな街が「四国中央市」を名乗ったりするのも僭称である。
 福井県の高速増殖炉「もんじゅ」のように非実在の名前を付けていれば縦令大きな事故が起こったとしても「福井」の名前がそれほど傷つくことは避けられるだろう。
 日本の原発の中で県名のような大きな名前を僭称しているのは「島根」と「福島」だけだ。なぜ「福島」などという名前を付けていたのだろう。


・福島人の東京人に対する思いを忖度する

 福島第一原発の電力は主に東京などに供給する電力だ。私たち東京人が消費している。そのための原子力発電所を東京から遠く離れた福島県につくっていた。私は今回の事故があるまで恥ずかしながら福島県に原発があることを知らなかった。自分が毎日使っている電気がどこで作られ送られて来ているのか、ちゃんとわかっていなかった。

 地元は原発があることで経済的に潤ってきた側面もあると思うが、それは原発が絶対に事故を起こさないという前提での話であって、一度事故が起こってしまったら損失・損害の方が圧倒的に大きいだろう。
 一方で、その電気を最も大量に消費していた私たち東京人は、事故の損害を直接的にはそこまで大きく被っていない。

 今、福島の人たちは東京人に対してどのような思いを抱いているのだろう。
 私は福島県には知り合いも親戚もいないので直接話を聞いたことはない。
 「被害を全部押し付けて、自分たちだけは助かって」という思いだろうか。

 あの時もそうだった。
 幕末、戊辰戦争の時。会津(福島)は江戸(東京)の幕府を守るために命がけで最後まで戦ったのに、その江戸幕府のトップである将軍様はさっさと遁走。江戸の街は「無血開城」とやらで被害も少なかったが会津は大損害。なぜ白虎隊は死ななければならなかったのか。「あれは自分たちで勝手に勘違いして死んだんだから自業自得だろう」と言われれば確かにそうかもしれないが、江戸(東京)の将軍様がひたすら自己保身を第一に考え佐幕の人間を守ってくれなかったことに対しては、やりきれない気持ちも残っているだろう。
 その後も江戸は東京と名前を変え新たな繁栄を享受したが、会津(福島)は旧幕府側ということで冷遇を受け続けた。

 福島の人たちが東京を支えるために愚直に旧体制を維持していて、それが転覆したら全国民から指をさして非難される、という構図が、幕末の時と今回の原発事故の時と似ていると感じる。
 江戸(東京)は守られたが、福島は犠牲になった。今回の原発事故での直接の死者はいないが、「原発さえなければ」と書き残して自殺した相馬市の酪農家など、間接的に命を落とした人はいる。

 おそらく東京人はこれから「脱原発」を掲げ、原発に頼らない新しい電力エネルギーを模索していくだろう。東京には原発がないから次の新たなステージへ生まれ変わることが可能である。要は福島をちょん切って別のところから新たな電力を持ってくればいいだけのことである。そう、ちょうど徳川慶喜が会津を見捨てた時のように。
 そして福島には負の遺産だけが残る。

 福島の人たちは今、胸中に複雑な思いが去来していると思う。特に原発の電力の供給先であった私たち東京人に対する思いは複雑なのではないかと推測する。しかし原発を受け入れてしまったのは自分たちの判断であるという思いもあるから、白虎隊の時のように「自業自得だろう」と言われてしまったらなかなか反論できない。そこが福島の人たちが胸の内に抱えている難しさでもあるのだろう。




 最近、「シートン俗物記」というブログの中で、シートン先生が放射性物質(やおそらく震災瓦礫受け入れの問題)に関して、

科学的に見て健康に影響があるかどうか、を基準とするのは大元から間違っている。頼みもしないものをぶち播かれて、それを受け入れろ、と言い募る。そして、それを正当化する。
そうした事を批判し、拒否しているのだ。「放射能に対する怖れ」ではなく、「そのような事態を起こした者達やそのシステムに対する怒り」なのである。

「正しく怖れよ」な人には水を引っかけちゃいな - シートン俗物記

と書いているのを読んだ。
 たしかに福島第一原発は私が生まれる前に建った建物なので、私がそういうものを作って、と頼んだ覚えはない。
 しかし、「そのような事態を起こした者」は誰なのか。「そのシステム」を作った者は誰なのか。私はその「怒り」は良いとしても、その怒りの矛先をどこに向けるかは十分に吟味する必要があると思う。
 今は福島人への差別が社会問題になっている。「システムに対する怒り」が福島人への差別に繋がらないように気をつけることが大切だ。



(3/7追記)
 私の今回の記事と似たことが書かれているブログ記事を見つけた。

 福島 フクシマ FUKUSHIMA 原発収束作業の現場から     ある運動家の報告

 原発事故の収束作業の実態がかなり詳細に書かれている。原発労働者のほとんどが原発立地周辺市町村の出身であることなども指摘されている。原発問題に関心がある人は一読をお薦めします。


【原発関連の記事】

東電バッシングへの違和感

 2011年3月の原発事故以来、東京電力に対するバッシングが止まらない。

 テレビや新聞、そして特にネットはどこを見ても東電に対する批判、非難の嵐である。

 しかし私はそうした東電に対する非難、バッシングに少しく違和感を感じている。

 原発問題は今もなお、多くの人々の関心が高いテーマだ。もうすぐ東日本大震災から一年になるが、「原発」という言葉はTwitterでは今も毎日のようにバズワードに上がっている。そして原発に対しては常に思想や感情を伴うことが多いので、激しい言葉とともに語られることが多い。

 原発に対する非難と東電に対する非難は必ずしも一致していない。そこのずれも含めて、東電バッシングの問題について震災一年になるのを機にあらためて考えてみたい。


・震災直後に盛り上がった「#toden_ganba」ハッシュタグ

 東日本大震災の直後の3月14日頃に、Twitterのタイムラインに「今の国民の気持ち」として、こんなツイートが流れてきた。

国民感情一覧w - 東電職員頑張れ #toden_ganba 枝野は寝ろ #edano_nero 管は起きろ #kan_okiro 自衛隊は食べろ #jieitai_tabero フジテレビは自重しろ #fujitv_jichou 石原黙ってろ #ishihara_damare


todenganba.png

 このツイートは、900人以上にふぁぼられ、800人以上の人にリツイートされた。この改変ツイートやFacebookやTumblrなど他サービスへの転載も含めれば、非常に多くのネットユーザーがこのツイートかこれと類似のツイートを見かけたと思う。
 特に当時テレビに出ずっぱりだった枝野官房長官を気遣った「#edano_nero」というハッシュタグは、普段ネットをあまり使わない層の人々の間にまで有名になった。

 私がこのツイートを最初に見たときの感想は「えっ、東電頑張れなの!?」というものだった。私は約1年前のこの違和感をはっきりと覚えている。「枝野寝ろ」とか他のハッシュタグはよいとして、「東電頑張れ」が「今の国民の声」としてRTされまくっていることに著しい違和感を覚えた。そして誰も「東電頑張れ」に対して異を唱えないのも不思議だった。
 「自分の感覚がずれているのだろうか?」
 元々、原発も東電も好きじゃなかった私は、原発事故があった後には当然、東電批判の言葉が流れて来ると予想していただけに、このハッシュタグは意外だった。


・原発擁護派も反原発派も東電バッシングへ

 しかし、この「東電頑張れ」という声は1カ月も長続きしなかった。その後、いろいろと杜撰な管理、対応が明るみに出るにつれ、世間の声は東電に対する非難、バッシングで一色になった。

 元から反原発派・脱原発派の人たちは東電への非難を強めた。原発の存在そのものに反対なのだからそれを維持・支持している東電に対して悪感情を持つのも当然だろう。

 だが一方で、原発擁護派もしくは容認派の人たちも東電バッシングを強めた。なぜだろう。

 同じ東電バッシングでも、反原発派のそれと原発擁護派のそれは性格を異にしていると思う。反原発派は原発そのものを推進している東電の思想や姿勢を非難している。原発擁護派は原発そのものには反対ではなく、それをきちんと管理できていない東電の「仕事ぶり」を非難している。

 原発擁護派の人たちは東電のどんなところを非難しているのか。
 ネットでいろいろな意見を見てきたが、主に、東電の原発の杜撰な管理体制、指揮系統、責任の所在、事故後の対応、などに非難が集中しているように思う。
 これは要するに「ちゃんと仕事しろ!」ということだ。あと原発擁護派に多い特徴的な声として、東電は国民に節電や電気料金の値上げを言う前に自らの「ボーナスを減らせ」とか「社員の給料をカットしろ」という声がある。日頃あんなに高い給料をもらっていながら、この仕事の杜撰さ、体たらくぶりは信じられない、というのだ。

 しかし、東電の社員の給料が高すぎるというところに非難の矛先が行くのはどうもおかしい。これは以前、「プロとは何か -反プロ論-」という記事の中でも書いたが、では、東電の役員社員の給料が安月給だったら、「まあ、そんなにきちんと仕事できてなくてもいいよ」となるのだろうか。ならないであろう。

 そして最近思うのは、反原発派の人たちの間にも少なからず「東電はちゃんと仕事しろ!」と思っている人がいるだろうということだ。


・東電“だけ”の問題なのか

 東電の社長は体調が悪くなったとか言って病院に「逃げた」。もし私が東電の社長だったら、と考えると、やはり病院に逃げるだろう。起こった事のあまりの重大さに、とても責任が取れるとは思えないからだ。責任ある立場の人間として最後まで精一杯の最善を尽くす努力はすべきだと思うが、東電の社長は今さらどこまで努力しても国民から「ちゃんと責任を果たした」とは思ってもらえないだろう。

 私が東電バッシングに違和感を感じるのは、今回の原発事故のような大問題を東電という一企業の問題にしてしまうことでさまざまな問題が逆に見えなくなってしまうのではないか、と思っているからだ。

 それは2005年の福知山線脱線事故の時も感じた。当時、JR西日本の企業体質が大きく問われた。しかしJR西日本と瓜二つの双子のような関係にあるJR東日本が、JR西日本と大きく異なる企業体質であるとはとても思えなかったし、JR東日本管轄内で似たような事故が起こっていてもおかしくなかったと思っていた。安全よりも過密なダイヤの運行を優先する状況は大都市圏を抱えている点で西も東も同じであり、たまたま西で事故が起きたけれども、東も同じ問題点を内包しているはずなのだ。

 東電に限らず原発を抱えているすべての電力会社は、安全管理体制やリスクマネジメント、事故対応の指針などはどこも似たり寄ったりなのではないか。むしろ東京電力は北海道電力から九州電力まで日本にある電力会社の中で最大手の会社であり最もきちんとした企業であったはずだ。その東電がこれだけズダボロだったのに、他の電力企業だったらもっときちんと対応できていた、とはとても思えない。


・原発事故は誰の責任か

 福島第一原発の管理者である東電が責任を取らなければいけないのは当然のことだが、東電がどこまですれば、バッシングをしている人たちは溜飲が下がるのであろうか。辞職?土下座?逮捕?
 今回の事故で、東電の安全管理体制が杜撰だったこと、ひどかったことは誰の目にも明らかだが、その杜撰さを事故の「後」にしか指摘できないのは情けない。「専門家は以前から津波による危険性を指摘していました。東電はその指摘を無視していたのです」と言う人がいる。では、あなたは3月11日の前にそれを指摘していたのか、あるいは少なくともその専門家の指摘を知っていたのか。
 「原発は安全」なんて「ずっと嘘だったんだぜ」と言ってる人たち、「東電が原発は安全だって言うから信じてたのに」と言ってる人たちもかっこ悪い。私はその嘘を見抜く目がありませんでした、東電の言うことを鵜呑みにしてました、と自らの不明を告白しているようなものだ。

 森達也は『僕のお父さんは東電の社員です』という本の中で、事故の「前」にそれを指摘できなかった自らの非を認めて謝っている。

 この本のアマゾンレビューで星一つ(最低評価)を付けていた人の、例えばこんな感想、

それからこのお父さんが世間的に割に合わない俸給で頑張っていたのだったらまだこの反論に威力はありますが常識からいって東電の年収はかなりの額ですね。世間には激務の割に全く報われない待遇のお仕事がいっぱいあります。


 これなどは、まさに東電社員の俸給の多寡を問題点にしている例だ。「では、月給が10万とかの安月給だったら、そんなにきちんと責任を取らなくてもいいのか」と聞きたくなる。なんか、自分はもっと安月給で激務の仕事で頑張ってるのに東電の社員ばかりずるい、と言ってるように聞こえる。激務なのに報われない給料しか貰えない仕事があるのはそれはそれで考えなければならない重要な社会問題だが、原発問題とは関係ない。
 
 また別の星一つのレビュー、

東電社員をお父さんにもつ子どもさんは,本人には責任がないだけにかわいそうですが,エリートサラリーマンの父親の自慢を友だちにして,ずっといい思いをしてきたのだから,ここらで,世間の風の冷たさを人並みに体験してもらうのが,その子の将来のためでもあると思います。


 これなんかは、勘違いも甚だしい。いつ誰が「自慢」したのか?勝手に「ずっといい思いをしてきた」と決めつけ、「ここらで,世間の風の冷たさを人並みに体験してもらう」などと小学生の子どもに向かって言っている。強大な偏見と先入観に支配されていると感じる。私も貧しいので金持ちを妬む気持ちは分からないではないが、やはり原発問題とは関係ない。

 こういう東電社員の「高給」を問題視してバッシングしている人は結構多い。こうした人たちは、東電社員が年収10分の1などになったら、本当に溜飲が下がるのかもしれない。

 私の溜飲は下がらない。


・どうしたら原発事故の責任が取れるのか

 起こってしまった事故に対しては、もうこれ以上被害が拡大しないようにと努めるよりほかない。そして事故の再発防止対策だ。

 詰まるところ、「東電はちゃんと責任を取れ!」ということだと思うが、東電はどうしたら「ちゃんと責任を取れ」るだろう。
 「ちゃんと」というのはどこまでのことか。私は「もう東電はじゅうぶんに頑張ったよ。立派に責任を果たしたよ」と国民から認めてもらえる日は何十年と来ないと思う。福島第一原発事故はそれほどの大事故だからだ。

 どうしたらちゃんと責任が取れるか、と問うときは、先ず「責任」とは何か、ということを考えなければならないが、長くなるのでそれはまた別稿に譲ろう。


・まとめ

 大震災の直後にタイムラインに流れてきた「東電頑張れ」に違和感を感じた。原発事故の報を聞いたあと、東電バッシング一色になるのは当然、と思っていただけに、「世間」のみんなが予想外に東電に好意的であったのがショックでもあった。

 しかし月日を重ねるごとに東電バッシングの声が日増しに強くなるにつれ、今度は東電バッシングに対して違和感を感じるようになった。世間の流れとは逆だったかもしれない。

 この記事は現時点(震災から約一年)での、東電バッシングについて私の考えを書いたものだ。原発問題についてはまた稿を改めたい。