暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2016

2012年09月の記事

「石原構想」と日中関係

 ここ一週間ほど、中国全土で激しい反日デモが繰り広げられた。
 日本政府による尖閣諸島の国有化に対する活動である。
 9月18日には紅客集団が日本へのサイバー攻撃をしかけるという話も聞く。

 9月18日は、今から81年前に柳条湖事件があった日だ。

 中国人が聯想するであろう二人の「石原」という名前の日本人。
 すなわち、1931年柳条湖事件のきっかけである石原莞爾と、2012年尖閣反日デモのきっかけである石原慎太郎。
 私はこの二人に共通点を見る。

 石原莞爾には「世界最終戦論」という壮大な構想があった。柳条湖事件は石原にとってそこに至る最初の一歩に過ぎなかったが、結果的にはこれが端緒となって満州事変、日中戦争へと繫がることになる。

 しかし、大杉一雄『日中十五年戦争史』によれば、「満州事変後の軍部に日本の大陸政策はいかにあるべきかという明確なグランド・デザインがなく」、「満州事変という国家的プロジェクトは、国全体の統一された意志として企画・遂行されたものではなく、石原を中心とする関東軍の恣意的な独走によって起こされた」ものだった。

 今2012年の状況はまさにこの時(1931年)に似ている。日本政府は対中国政策はいかにあるべきかという明確なグランド・デザインがなく、石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島を都の所有にすると言ったら、「それじゃあ、国有化する」と言って国有化した。

 関東軍(東京都)という言わば日本の一地方のトップ(級)である「石原」が一人で勝手に壮大な「構想」を描きそれを着々と実行に移し、日本政府がそれを制御しきれていないという点が似ている。

 大杉一雄は1931年のそれを「石原現象」と呼んでいる。(当時「石原現象」と呼ばれていたわけではない。)
 今で言えば「橋下現象」などが似ているかもしれない。

 日本国民は、わかりやすくて、強気で、実行力があるリーダーを支持する。
 「独走」とか「暴走」とか言っても、分かりやすくて強気な「石原」には国民の人気と支持がある。橋下流に言うならばそれが「民意」だ。

 だが、戦いや争いというのは、石原莞爾が思い描いていたような、「東洋の雄日本と西洋の雄米国が最終決戦をする」などという単純なものではない。もっと多くの国・地域・人々の利害関係が複雑に絡み合ったものだ。そしてそうして始まった日中戦争が、結局は日中双方に多大な被害を齎したこともまた歴史に知るところだ。

 舵をしっかり握っていないと、時々船は思わぬ方向に進んでしまう。
 柳条湖事件は「事件」というほどの事件ではなかった。爆破事件と言っても被害者は誰もいなかった。そんな小さなことから日中関係は大きく暗転して行ったのだ。


 ところで、「反日」によく似た言葉に「排日」がある。
 81年前は「排日」だった。今は「反日」。

 今、中国は「反日」が「排日」にならないように気をつけている。
 「排日」になってしまったらもう中国は駄目だ。あくまでそれが「反日」である限りにおいて中国政府は許容している。
 尖閣問題は中国にとっては一つの試金石でもある。



 今回の記事では、石原慎太郎との比較に焦点を絞るため、石原莞爾の戦後の平和に対する思想については、特に深く言及していない。

スポンサーサイト

よみがえる本因坊秀策 -没後150年・本因坊400年-

 江戸時代の碁打ち、本因坊秀策が亡くなって今年で150年。

 碁(Go)は今や国際的なゲームになり、日本、中国、朝鮮だけでなく、アメリカ、ヨーロッパでも人気があり、世界80カ国以上、数百万人の愛好者がいるとも言われる。

 もし秀策が現代の碁界を見たならば、本因坊の名を継ぐ日本の棋士たちが世界で勝てなくなっているのを嘆くだろうか。それとも碁の隆盛をうれしく思うだろうか。

 秀策は日本の歴史上の碁打ちの中でも格別に強かった。御城碁では19戦無敗という空前絶後の大記録を達成した。今では「碁聖」と言えば、四世道策か、この秀策を指す。
 現代の韓国で「最強棋士」の呼び声もある李昌鎬は、秀策の棋譜を並べて勉強したと言われる。

 秀策の碁が具体的にどう強くてどう素晴らしいのかを説明するには残念ながら私の棋力では足りないので、その説明は省く。
 ただ私は秀策の碁の強さもさることながら、その人柄を気に入っているのだ。
 その圧倒的な碁の強さとは裏腹にたいへん謙虚な性格であったと言われている。

 1862年(文久2年)にコレラの大流行が日本を襲った。本因坊家でもたくさんの人が感染し、看護活動が必要だったが、秀策は率先して弟弟子たちの看病を行なった。秀策は本因坊家の大事な跡目であり師匠に次いで「偉い人」だったから、当然周囲の人は「あなたは看病しなくていい」と言って止めたはずだが、秀策は構わずに必死の看病に当たった。
 秀策のその懸命の看病のおかげで結果的に本因坊家からは一人の死者も出なかった。ただ一人、秀策を除いては。
 秀策は最前線で看病に当たったおかげで自らが感染し命を落とした。33歳の若さだった。自らの命を賭して人々の命を救った。

 現代の囲碁棋士を見るとわかるように、将棋棋士に比べて年配で活躍している人が多い。碁は歳をとってからもますます強さを増し楽しめる競技なのだ。
 秀策は長生きしていたら、もっともっと強くなって活躍できただろう。後世の誰もが及ばない不滅の大記録を作ったかもしれない。しかし己の名誉よりも大事にしたものがあった。それは目の前で病に苦しんでいる人たちを助けることだった。

 私は33歳の若さで亡くなった秀策の無念の思いを感じ取るのと、この稀代の碁聖に敬意を表すために墓参りに行ってきた。

honinboshusaku01.jpg
(文久二年八月十日が秀策が亡くなった日)

 同じく若くして亡くなった道的(四世跡目)、道知(五世)と一緒の墓に眠っている。

 ふと下の方を見ると、墓石の上に碁石が散らばっていた。囲碁ファンが置いて行くのだろう。

墓石(はかいし)の上に碁石(ごいし)である。

 漢字が似ているので紛らわしいが、

碁石の上に墓石、ではない。

honinboshusaku49.jpg
(墓石の上の碁石)


 碁(Go)は将棋にくらべて欧米など世界への普及度が高い。これは、将棋の駒にある漢字などの取っ付きにくい要素が少ないことと基本的なルールが簡単であることなどが要因として挙げられるだろう。

 将棋の世界では、江戸時代の名人よりも現代の名人の方が強い、というのが一般的な見方だが、碁の世界は違う。碁の世界では江戸時代から現代にかけて単純に進化してきたという見方ではなく、現代のプロ棋士たちが江戸時代の棋士の棋譜を並べて感心したりしている。

 なので、こうして碁が世界にますます普及して行けば行くほど、秀策の凄さがあらためてクローズアップされてくるだろう。世界中の碁のプレイヤーたちが碁を勉強していく過程で「Shusaku-ryu(秀策流)」という布石(戦法)の名前を聞くだろう。そしてその名前の由来がどこから来ているのか、Shusakuとは何者なのかをいつか知ることになるだろう。

 それは、19世紀の“the greatest professional Go player”(英語版ウィキペディア)である。

 歿後150年の時を超えて本因坊秀策がよみがえる。


【囲碁関連の記事】