暫定龍吟録

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2012年12月の記事

大難問!サンタさんはどこから家に入ってくるのか? ~クリスマスの思い出~

 (このぶんしょうは10さいより上の人だけよむことができます。まだ10さいになっていない人は、お母さんかお父さんに、よんでもいいかどうかきいてからよんでください)


 いつも硬い話ばかりしているので、たまには子供の頃のクリスマスの思い出など軟らかい話でも。

 私は子供の頃は、本当に子供っぽい子供だった。

 クリスマスになると我が家にも毎年サンタクロースが来ていたが、どこから家の中に入ってくるのか疑問だった。

 よく「煙突から入ってくる」などと言われるが、マンションの我が家には屋根も煙突もなかった。
 上の方からやってくるイメージがあるけれども、私の家はマンションの2階で、天井の上には3階の人が住んでることは子供心にもわかっていたので、上から来ることはありえないと思っていた。

 となると、残るは窓か玄関のドアしかない。
 しかし、子供部屋の窓を開けるともう、すぐ隣のマンションが建っていて、隣のマンションとうちのマンションの隙間は手を伸ばせば届きそうなほど狭く、とてもサンタさんが橇を乗り付けられるようなスペースはなかった。

 なので、残るは玄関のドアしかない。サンタさんは玄関のドアから普通に入ってくるのだ!

 というわけで、12月24日の夜は必ず寝る前に玄関のドアの鍵を開けておくのが、毎年の慣わしだった。サンタさんを閉め出してしまわないように。


 しかし、そうして無事に家の中に入れても、その先にもう一つ問題があった。
 それは、我が家の台所が狭すぎて、サンタさんが子供部屋まで辿り着けないのではないか、という問題だった。

 我が家の玄関と子供部屋の間には台所があり、台所の真ん中にはテーブルが置いてあった。玄関から入ってきた場合は必ず台所を通らなければ子供部屋には辿り着けないのだが、そのテーブルと台所の壁の隙間がとても狭かった。

madori.jpg
 私の家族は全員痩せているのでそれでも全然問題なかったのだが、サンタさんは太っているイメージがある。サンタさんはお腹がテーブルにつかえてしまって、ここ通れないよね、という話になった。(お母さんにサンタさんがどういう経路で子供部屋まで辿り着くか相談していた。)

 これはかなりショックなことだった。だって、グリーンランドだかフィンランドだか知らないが、はるばる遠くから我が家までやって来たサンタさんが、子供部屋まであと2メートルぐらいのところまで来て、お腹がテーブルにつっかえて通れないから諦めて引き返してしまったら、こんな残念なことはない。

 なので、テーブルをできるだけ西へずらし、テーブルと壁の間を最大限に空けておく、という作業もクリスマスイヴに必ず行っていた。

 それで、クリスマスの朝には私の枕元にはサンタさんからのプレゼントが毎年、無事に届いていたのである。

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実用主義批判


出ない順 試験に出ない英単語出ない順 試験に出ない英単語
(2012/10/27)
中山

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 日本は“実用”に塗れてゐる。

 現代日本の、あまりにも極端に偏りすぎた「実用思考(指向)」が好きではない。


インターネットとは何かを教へてくれる本がない

 ずいぶん昔のことだが、ある時「インターネットってなんだらう?」と思って本屋に行ったことがある。インターネット関聯の本が並んでるコーナーに行ってみたが、そこに並んでゐたのは「インターネットの使ひ方」の本ばかりだった。「インターネットとは何か」といふことを初心者向けに解説してくれてゐる本は一冊も無かった。
 「さあ、君もインターネットを始めてみよう!」とか、「まづは、画面上の青い“e”のマークをダブルクリック!!」とか、「ヤフーで検索してみよう!」とか。

 それらはブラウザーを使ったウェブブラウジング(またはネットサーフィン)の説明であって、インターネットの一部の説明ではあるが、これでインターネットを説明したことにはならない。
 世の中にこれだけインターネットが普及してゐるのに、インターネットについて説明してゐる本が一冊も無いことに私は驚いた。


本屋に並ぶ「フェイスブックの使ひ方」本

 フェイスブックが登場した時(日本に伝はった時)もさうだった。

 私もかつてこのブログでフェイスブックについての記事を幾つか書き、それなりのアクセスがあったが、それらは「フェイスブックとは何か」についての解説記事であり、「フェイスブックの使ひ方」の解説記事ではなかった。

 だが、本屋に行けば、

「フェイスブックの使ひ方」
「フェイスブック使ひこなし術」
「フェイスブック活用法」
「今日から始めるフェイスブック」
「フェイスブックを使ったセルフブランディング」
「フェイスブックの100のTips」

とか小技集とか、そんなのばかり。
 なぜ、使ひ方についての本ばかりしかないのだらう。日本だけ?

 フェイスブックとは何か、といふ疑問に答へてくれる本は一冊もなく、大抵はかうした「使ひ方」系の本の冒頭に「フェイスブックはいろんな友達とやり取りができる楽しいツールです」などといった極めて大雑把な紹介の仕方がされてゐるだけである。


“実用”に偏る語学書

 小学校6年生の時に、私は英検の正式名称が「実用英語技能検定試験」であることを知った。それからはなんとなく英検に対する興味が薄れ、受験しなくなった。似たやうな思想のTOEICも受験しなかった。

 語学には興味があるので、よく本屋さんの語学書コーナーに行くのだが、手に取ってぱらぱらと捲ってみて速攻で棚に戻す類の本がある。

「空港で」
「ホテルのフロントで」
「タクシーで」

などと書いてある本だ。私は別に海外旅行に行くわけではない。飛行機にも乗らないしホテルにも泊まらないしタクシーにも乗らない。
 だが英語に限らず中国語であれタイ語であれ何語であれ、かういふ「実用」、「実践的会話集」のやうな本がほとんどである。
 かういふ本“も”あっていいが、かういふ本“しか”ない現状には、とても不満を感じてゐる。


ネットとは何かをわからないまゝネットを使ひこなす人たち

 昔、「ネットの達人」とでも呼ぶべき知人がゐた。わからないことがあるとすぐに検索で調べ、その検索テクニックもすごく、マウスジェスチャーやショートカットキーなど、時短に繫がるさまざまなテクニックに精通してゐた。未だにショートカットキーの一つも知らない私から見たら「達人」に思へた。
 だがその彼は「インターネットとは何か」といふことは知らなかった。DNSとかプロトコルとかいふこともおそらく知らなかった。つまり彼は「ネット使ひの達人」だったのだ。

 パソコンを知らない人にパソコンを教へようとする時に私は「そもそもパソコンとは何か」といった基礎基本から教へたがるのだが、大抵は「基礎基本とかそんなのどうでもいいから、早く使ひ方を教へてよ」、「パソコンでグラフを作るやり方を教へてよ」と言ふ人の方が圧倒的に多い。

 「実用」の方がニーズがあるのだらう。

 もちろん、基礎基本が解ってゐなくても、日々パソコンやネットを使ひこなしてゐる人はたくさんゐる。

「インターネットって何?」
「ウェブって何?」
「スマホって何?アイフォンとどう違ふの?」
「アプリって何?」
「最近、TV-CMでよく聞くLTEって何?Wi-Fiとどう違ふの?」
「テザリングって何?」
「最近流行りの『LINE』って何?」

 かうした質問に私は答へることができる。

 だが「LINEの使ひ方を教へて!」と聞かれると困る。使ひ方は知らない。LINEを使ったことがないから。
 フェイスブックについてもこのブログで過去にいろいろ書いたが、私自身はフェイスブックを使ったことはないので、使ひ方とか使ってみた感想とか聞かれても分からない。
 LTEもWi-Fiもテザリングも私は使ってゐないので、使ひ方とか具体的な設定の仕方については分からない。でも、それが何であるかを説明することはできる。

 だが世の中の大抵の人は逆なのだ。「アプリって何?とあらためて聞かれると説明できないけれど、でも、アプリ毎日使ってるよ!面白いアプリいっぱい知ってるよ!」といふ人がほとんどなのだ。


実用重視に偏りすぎてゐる日本

 アプリとは何か、ソフトとはどう違ふのか、そんなことは知らなくても生きていける。いや、むしろそんなことは知らなくてもアプリの使ひ方を知ってゐることの方が、生きていく上では重要である。

 「実用の役に立たない英語なんてクソだ」と言はんばかりの風潮が、私が子どもの頃の英語教育にはあった。そしておそらくその風潮は今も変はってゐない。

 しかし実用がすべてだらうか?
 今の日本はあまりにも実用主義に偏りすぎてはゐないか。

 かつてはもっと教養などを重視する風潮もあった。
 例へば、「百人一首の上の句を聞いて下の句を言へる」とか。
 私も子どもの頃、下の句を全部覚えたが、それが人生で何かの役に立ったかと言へば役に立ったことは一度もない。今時、国語のテストにすら出ない。かるた名人とかかるたクイーンを目指すのでもないかぎり、生きていく上で何の役にも立たない知識である。

 しかし生きていく上で何の役にも立たないからといって、かういふことを切り捨てていってしまってよいだらうか。


行き過ぎた実用主義からは新しいものもユニークなものも生まれない

 なぜ日本から「グーグル」や「フェイスブック」が生まれないのか、といふ議論を時々聞くことがある。
 日本の本屋に何十冊と並んでゐる「フェイスブックの使ひ方」、「フェイスブック活用法」といったタイトルの本を見てゐると、なんとなくその理由もわかるやうな気がする。

 日本人はみんな、「フェイスブックの作り方」や「思想」よりも「使ひ方」や「活用法」に興味があるのだ。それを活用してどうやって生活を便利にするか、仕事に生かすか、人脈を築くか、金を儲けるか、さういったことにしか興味がないのだ。


 徹底的に切り詰めた実用主義から感じるのは、「基礎基本の等閑」と「余剰の少なさ」である。

 基礎基本が解ってゐなければその上に新たな世界を構築することはできないし、余剰がなければユニークなものは何も生まれないだらう。

 そして日本では実用主義の上に非効率な「形式主義」が共存してゐるので、また厄介である。
 「効率重視」と言ひながら、小技や小手先のテクニックにばかり習熟し、根元や基礎については見直さうとすらしない。

 その問題についてはまた後日書くことにしよう。



※この記事を通して「日本は」「日本人は」と書いてゐるのは、単に私が外国を知らないからである。また、この記事における「実用主義」は英語の「プラグマティズム」の訳ではない。