暫定龍吟録

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2013年02月の記事

気象予報士はなぜ天気予報を外しても謝らないのか

 この冬、東京において、天気予報が1月14日には「雪が積もる可能性は少ない」と予想したら大雪になり、2月6日に「大雪」と予想していたら全然積もらなかった、ということが話題になった。

 これは多くの都民にとって大きな影響が出る雪に関わる予報だったから偶々大きな話題になったが、天気予報が予想を外すことはしょっちゅうある。
 私はNHKの天気予報を見ることが多いが、朝7時頃の天気予報で「今は雨が降っていますが、この雨は朝のうちだけで、9時頃からは日差しが出て来て日中は穏やかに晴れるでしょう」と言っていたのに実際は9時になっても雨は止まず11時過ぎまで雨が降っていて、一日の予定が大きく狂ってしまったこともある。前日のうちの予想ならまだしも、当日の朝7時の段階で僅か2時間後の天気も予想できないなんて。

 で、朝の天気予報を大きく外した日に、夕方か夜の天気予報のコーナーで謝罪があるかと思って期待して見るのだが、ひとことも謝罪の言葉がない。あれだけ大きく外したのだから「ごめんなさい」の一言ぐらいあってもいいだろうと思うのに、気象予報士が謝っているのを聞いたことがない。
 「なぜ大きく予報と違ったかと言いますと、南岸の低気圧が思っていたよりも発達しなかったからなんですね」とか「西側の高気圧が予想していたよりもあまり大きく張り出してこなかったため」などと“弁明”を聞くことはあるが、私が聞きたいのはなぜ外れたのかの説明ではなく、「外しちゃってごめんなさい」という言葉である。

 なぜ、気象予報士は天気の予想を大きく外してしまっても謝らないのか。

 それには、大きく三つの理由があると私は思う。
 以下、テレビの天気予報を例にとりながら、「その一」、「その二」、「その三」と分けて見ていこう。


その一、気象予報士が予想したのではないから

 気象予報士が独自に自分のウェブサイトやテレビの天気予報コーナーで「気象庁は明日は雨って言ってるけど私は降らないと思う」などとまったくオリジナルな予想をしているのを見たことがない。許可を得ていなければ予報業務ができないということもあるが、せっかく気象予報士を呼んでいるのだから独自の見解が加味されてもいいはずだが、大抵の場合は気象庁の予想したデータを日本気象協会が原稿化?したものを天気予報コーナーで読み上げているだけである。そんなことは別に気象予報士でなくてもできる。実際、時間帯によっては気象予報士ではなく、普通のアナウンサーが天気予報を読み上げていることもある。

 もちろん、気象予報士は視聴者に分かりやすく伝える工夫はいろいろしていて、明日がどれだけ暑くなるのかをわかりやすく伝えるために汗をたくさん書いている人のイラストを使うなどさまざまな趣向を凝らしている。しかし、そうした工夫はイラストを描くのが上手な人にやらせればいいのであって、気象予報士の本来の仕事は天気を予想することのはずである。

 現況、テレビに出てるような気象予報士は、気象庁の予想をただ視聴者に伝えているだけである。だから予想が大きく外れても「予想を外したのは私じゃない」「文句があるなら気象庁に言ってください」と思っているだろう。

 気象予報士は「気象解説士」と名前を変えるべきではないかと私は思っている。


その二、勝手に予想しているから

 普通、プロというものは失敗は許されない。
 例えば、コンサルタントや投資アドバイザーなどの場合、依頼者が「先生、これからどの株が上がるのでしょうか。これで一つ教えてください。お願いします」と言って纏まった金を渡す。お金を受け取ったアドバイザーは「わかりました。私もプロですから任せなさい。これから伸びる有望株をお教えしましょう」と言う。
 しかし予想が大きく外れてしまったら、さすがにそのアドバイザーは詫びなければいけなくなるだろう。依頼者はプロとしての先生を信頼して大金を包んだのに、外れたら怒りも沸いてくるというものだろう。

 だが、気象予報士は違う。天気予報を誰かに頼まれたわけではない。「先生、こいつで一つ明日の天気を占ってください」と金を手渡されたわけではない。

 天気を予想してくれと誰も頼んでいない。

 テレビ局は気象予報士に「来てくれ」と頼んでいるが、それは気象予報士がいないと天気予報をしてはいけないことになっているからであって、「見事に明日の天気を当ててくれ」と頼んでいるわけではない。

 つまり国民の誰一人として、明日の天気を予想してくれと頼んだ覚えはない。

 気象予報士は誰に頼まれたわけでもないのに、勝手に明日の天気を予想しているのである。だから謝らなくてもいいのである。
 元々が頼まれてやっていることではなく、自分の好きで勝手にやっていることだから、外れたからといって別に謝らなくてもいいのである。


その三、受け取り手に問題があるから

 上記二つに加えて理由があるとするなら、それはテレビやネットで天気予報を見ている日本国民の間に問題があるだろうと思う。

 日本人は昔から“自然”を“しょうがないもの”として捉えてきた。「人智の及ばざるところ」とか「自然のことだからしょうがない」とか。

 “自然”をコントロール下におこうとしてきた欧米世界とは随分異なる。イタリアでは地震予知に失敗した科学者が罰せられたぐらいだ。

 気象予報士が取り扱っている対象である「気象」「天気」はまさに“自然”のことである。だから日本では、天気予報を見ている大多数の国民が、「まあ、自然のことなんだから外れてもしょうがないよね」という捉え方をしている。
 そして気象予報士自身も「天気はそりゃ自然現象なんだから思い通りに行かないことだってありますよ」と考えている。

 つまり、日本人全体が「明日の天気はお天道様や雷様だけが知っている」みたいな感覚でいることが、気象予報士への追及に繫がらず、よって謝罪もなくてよいということになる。
 これは特に日本人独特の自然の捉え方だと思う。


結び

 私が考える「気象予報士が天気予報を外しても謝らない三つの理由」は上記の通りである。ただし、テレビの天気予報コーナーに出ている気象予報士を主に想定した話であり、民間の気象会社(およびそこに出向している気象予報士)は上記の限りではない。

 受け取り手である私たちも、安易にテレビやネットの天気予報に頼るのではなく、どうしても明日の天気を高い精度で知りたかったら、専門の気象会社にお金を払って頼むべきなのだろう。

 だがその他にも天気予報関聯のことでは、たくさんの疑問がある。例えば、NHKが気象庁が発表したものを予報(報道)するのに、なぜ日本気象協会という1クッションを入れなければいけないのか、とか、気象予報士とは抑々何なのか、とか。私は未だに気象予報士とは何者なのかが解っていない。気象予報士の存在意義とは一体何なのかも。また、これだけ民間の気象会社が発達してきたら抑々、気象庁の存在意義が問われてくるだろう(天気予報部分に関して。火山・地震情報等は除く)。気象庁はもう予想はしても発表はしなくていいのかもしれない。

 そして、「気象予報士」などという国家資格を作ったにもかかわらず、未だに「予想」の大部分は気象庁が担っており、気象予報士はそれを「伝える」部分しか担っていない(特にテレビなどの天気予報において)というのも問題があると思う。

 昨年(2012年)、米国で行われた大統領選挙で、ニューヨーク・タイムズのネイト・シルバーは、独自の予測手法を用いて全50州すべての予想を的中させ話題になった。

New York Timesの選挙予測専門家、ネイト・シルバーは昨夜、大統領選の勝敗を全50州で的中させた。 その一方で、いわゆる政治専門家たちの予想はほとんどが外れた。中には笑うしかないような外れ方をした者もいる。

ネイト・シルバーについてはテレビのゲストに呼ばれる政治専門家が口を揃えて「リベラルに偏った見解」と非難してきた。しかしシルバーは今回も彼の作った数理的予測モデルが古臭い専門家の勘や生半可な統計に基づく推測より圧倒的に優れていたことを証明した。
大統領選でニューヨークタイムズのネイト・シルバーの数理モデル予測が全50州で的中―政治専門家はもはや不要? TechCrunch Japan(2012年11月8日)


 ネイト・シルバーという個人は、大手のテレビ局が高名な政治専門家を招いて行なった予想をはるかに上回る精度で予想を的中させてみせた。

 ビッグデータ時代の到来に伴い、今、確率や統計の分野では革新的な手法が次々に登場している。そうした新しい手法を用いて「大本営」の気象庁が発表する予想を大きく上回る精度の予想を立てる気象予報士というのがもっと出て来てもいいと思うのだが。



(2013/2/11追記)

 この記事は別のサイトで、かなりたくさんの批判をいただいた。

 批判の多くは、天気予報が外れたぐらいで「謝罪しろ」なんて器が小さい、というような内容だった。

 私は謝罪しろとは言っていない。
 天気予報が外れて一日の計画が大きく狂ってしまった場合などに、個人的な心情として謝りの言葉がほしいと感じることはあるが、本文に書いた3つの理由によって、気象予報士は謝らなくていいのだ、と言っている。

 記事本文中にも、(気象予報士は)謝らなくてもいいのだ、と二回も書いているのに、なぜ誤解されてしまったのだろう。

 おそらくタイトルの付け方が悪かったのだと思う。
 「なぜ~謝らないのか」という書き方だと「謝れよ」と言っているように聞こえる。

 この記事はライブドアニュースで再配信され、そこでは「気象予報士が謝らない3つの理由」というタイトルになっていた。そっちのタイトルの方が誤解を招かずによかったかもしれない。

>まぁ予想屋に憤る前に自分で天気図読めと。テレビ画面越しの気象予報士と視聴者との間には何の契約関係もない。

 まさにその通り。私は気象予報士にお金を払って「明日の天気を当ててください」と頼んだわけではない。だから気象予報士は別に謝らなくてもいいのである。

>筆者は、予報をタダで入手していることについても、考察すべきではないでしょうか。

 これについては本文中に「どうしても明日の天気を高い精度で知りたかったら、専門の気象会社にお金を払って頼むべきなのだろう」と書きました。

>天候の完全予測など不可能である。

 それは私もその通りだと思う。

>謝っていた予報士さんもいたような気がしますが、

 それはキショウ(稀少)な予報士さんですね!自分もNHKだけではなく、もっといろいろな天気予報を見るべきだと思いました。

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東京と江戸の違い

 東京と江戸の違いをあまり意識していない人が多いことに、だいぶ前からモヤモヤした気分を抱いていた。

 「東京と江戸の違いは何ですか?」と聞かれた時に、大半の人は「江戸時代まで江戸と呼ばれていた地域が明治時代以降、東京と呼ばれるようになったんでしょう?」と答える。
 つまり、時代によって名前が変わっただけだと思っている。

 東京と江戸の違いは幾つかある。時代による差だけではない。
 特に地域と性格が違うということについて今日は書こうと思う。


地域の違い

 まず「東京」とはどこか、というところからはっきりさせたい。「東京都」と言った場合には多摩地域や太平洋上の小笠原諸島までをも含むが、「東京」と言った場合には一般的には東京23区のことを指す。

 東京と江戸は地域が異なる。

 江戸と呼ばれていた代表的な地域は、神田、日本橋、京橋、下谷、上野、浅草、本所、深川、両国、向島など。現在の区名で言えば、千代田区の一部、中央区、台東区、墨田区、江東区などである。すべて「下町」と呼ばれるエリアである。
 文京区には「本郷もかねやすまでは江戸の内」という言葉がある。「かねやす」というのは本郷三丁目交差点にある店の名前だが、この交差点自体が文京区のかなり端っこにあり、この言葉の通りに解釈するなら、文京区の大半は江戸の外ということになる。文京区は山手線の内側にある都心の区なのにもかかわらずである。
 このことからも現代の「都心」と呼ばれるエリアと昔の江戸のエリアが、かなりずれていたことがわかる。
 東京の代表的な町である渋谷や池袋は江戸の中にはまったく入っていない。

 余談だが、私は地下鉄の都営大江戸線は、よくぞ名付けたぴったりな名前だと思っている。地図で見ると山手線は縦長の楕円形だが、大江戸線は横長の楕円形である。江戸と呼ばれるエリアは、この大江戸線が描く横長の楕円形にかなり近い。江戸は横(東西)に発展した町だった。

 もちろん江戸と東京は重なるエリアもあるのだが、現代の東京の中心である山手線エリアからは江戸は随分、東へずれている。


江戸っ子の条件

 「江戸っ子」と呼ばれるのには条件があって、「親子三代にわたって住んでいること」というのがある。私はそれに加えて、上記の下町で生まれ育ったこと、という条件がつくと思う。


東京っ子、東京人とは?

 それでは、「東京人」とは何だろうか。「東京っ子」の条件というのはあるのか。

 よく地方の人が「東京って、所詮は田舎者の集まりでしょう?」と言うのを聞くことがある。これには異議を申し立てたい。山手線エリアで生まれ育った私のような人間は間違いなく「東京っ子」「東京人」であろう。下町育ちではないので断じて「江戸っ子」ではないが。

 「でも数代前まで遡れば地方出身者でしょう?」

 たしかにそうだ。だが、私は東京人の条件に江戸っ子のように「先祖代々住んでいる」ということが含まれるとは思わない。東京自体ができてからまだ百数十年しか経っていない。
 京都人が「ウチは六百年前からここに住んどります」と誇らしく言うのは、六百年前もそこが「京(みやこ)」だったからであって、東京の六百年前は雑木林である。もし「ウチは六百年前からこの地に住んでます」などと言う東京人がいたら、それは東京人と言うよりも「武蔵人」とか「武蔵野人」とでも言うべきであろう。

 本人が東京で生まれ、育っていれば、「東京人」と言っていいと思う。


下町と山の手の違い

 東京における下町とは何処で山の手とは何処か。
 元来の下町は、現在の中央区、台東区、墨田区、江東区と千代田区の一部あたり。
 元来の山の手は、千代田区、文京区、新宿区、港区あたりを指す。

 下町という言葉はずいぶんたくさんの人に誤解されていて、いわゆる「下町情緒がある町」が下町なのだと思ってる人も多い。だが少なくとも東京においては下町というのは、実際に下の方にある町、低地にある町である。
 次に示す図は標高を元にした東京の地図である。西側の台地を示す黄色と東側の低地を示す青色がはっきり分かれているのが見てとれる。

hyoukou.jpg
(出典:国土地理院

 この黄色と青の境界線のラインは、ほぼ山手線の東側ライン(田端-品川間)に重なっている。つまり山手線東側ラインの駅を降りて東側に出れば下町、西側に出れば山の手である。
 区で言えば文京区と台東区の区境線が、ほぼ23区全体を山の手と下町に分ける線になる。
 元来の山の手、元来の下町は上に記した通りだが、戦後の人口増とともに山の手、下町と呼ばれるエリアも拡がった。杉並区、大田区、世田谷区などが山の手と呼ばれるようになったり、柴又帝釈天で有名な葛飾区までが下町と呼ばれるようになった。

 今、23区を強引に山の手グループと下町グループに分けるとすると、次のようになる。

 山の手グループ
 千代田区、文京区、新宿区、港区、豊島区、中野区、渋谷区、目黒区、品川区、北区、板橋区、練馬区、杉並区、世田谷区、大田区

 下町グループ
 中央区、台東区、墨田区、江東区、荒川区、足立区、葛飾区、江戸川区

 ただし千代田区は麹町は山の手で神田は下町であり、一つの区に山の手と下町が両方ある場合もある。
 中央区の銀座は下町と山の手が鬩ぎ合う場所だ。銀座は本来は下町だが、町の雰囲気は限りなく山の手である。

 私は、

東京=山の手、江戸=下町

という図式があると思う。
 全国の、あるいは世界の人が「東京」と聞いた時にイメージするものはほとんど山の手エリアにある。
 東京のイメージと江戸のイメージの違いは、両者の性格の違いでもある。
 次に東京と江戸の性格の違いを考えたい。


性格の違い

 地域の違いも然ることながら、東京と江戸の一番の違いは、その性格だと私は思っている。

 「江戸」とは、一言で言えば、
ローカルとしての東京
である。
 対して、「東京」は、
キャピタルとしての東京
である。

 江戸時代までは日本の首都はあくまでも京都であった。江戸の町は抑々からして、東の方にあるローカルな町だったのである。

 例えば浅草の江戸っ子たちは、浅草寺を東京最古の寺として誇りに思い、三社祭こそは日本一の勇壮な祭りだと思っている。
 だが、全国各地に「最古の寺」はある。勇壮な祭りも全国にある。大阪の岸和田の人はだんじり祭こそ日本一勇壮な祭りだと思っているだろうし、博多っ子たちは博多祇園山笠こそ日本一の祭りだと信じて疑わないだろう。
 つまり、江戸の文化というのは日本各地にあるものの東京版なのである。
 両国の相撲も神田祭も築地でとれた魚の江戸前の鮨が美味しいというのも、すべて東京ローカルな文化である。
月島の江戸っ子が「もんじゃ焼きが一番」と言うのと大阪人や広島人が「うちのお好み焼きこそ一番」と言うのは同列である。

 それに対して、東京の文化にはそのようなローカル性がない。
 山の手エリアにある建物、一番象徴的で分かりやすいのは永田町にある国会議事堂だろうが、これは「全国各地にあるものの東京版」ではない。
 あるいは、港区にある世界各国の大使館、これも他の県にはない。
 文京区にある東京大学にしても全国にある県名+大学の国立大学の東京版ではなく、日本の最高学府という性格があると思う。
 新宿の都会っぽさしかり、渋谷のカルチャーもしかり。いずれも全国の他の都市にはない唯一無二のものである。
 東京の文化には唯一性がある。それは「東京」がキャピタルとしての東京であるからであり、日本の首都は東京以外に二つとないからである。
 江戸の浅草には雷おこしという有名な土産物があるのに、なぜ東京を代表する土産物はないのか。それは東京にはローカルという性格がないからである。


福岡、博多との比較

 福岡県民の人に東京と江戸の違いを説明する時は、福岡と博多の違いのようなもの、と言えば分かりやすいかもしれない。
 全国の大半の人は福岡と博多の違いは?と聞かれたら、「福岡は県名と市名で、博多が駅名でしょう?」という程度の認識しかないだろう。
 だが、福岡県民や福岡市民にとっては、福岡と博多は明確に異なる。エリアも性格も異なるものとして認識されている。
 福岡エリアと博多エリアは重なる部分もあり完全に分けることができるわけではないが、だいたい那珂川のあたりを境にしてエリアが分かれている。
 そして性格も、武家の町福岡、商人の町博多と分かれている。博多は人情味があり、味わい深いローカルな文化や名物がたくさんある。対して福岡はお洒落でありスマートであり、九州の首都としての顔を持っている。

 つまり、

福岡=東京

博多=江戸

である。

 江戸っ子は、気が短くて喧嘩っ早いが、人情味があり、下町にはあたたかみがある。
 東京っ子はクールでよそよそしいが、お洒落で、洗練されていて、山の手の町は先進的である。

 どちらが良い悪いということではなく、それぞれ性格が異なり、それぞれに長所がある。

 つまり、現在の東京は、キャピタルとしての「東京」とローカルとしての東京(「江戸」)の二重構造なのである。

 こういう、山側の武家の町と下の方の商人の町、が隣接している例というのは東京や福岡以外にもありそうだと思うのだが、全国の他の都市のことはまだ調べていない。
 大阪にもこういう違いがあるかもしれないと思って少し調べたが、大阪ではあまり「下町」という言葉は使われないらしい。それはなぜなのかというと、大阪は都市全体が商都という性格を持っているので武家の町、商人の町と分けることが東京ほどはっきりしないからだそうだ。ただ大阪は全然知らないので、詳しい人に御教示いただきたい。


まとめ

 性格というのは、そこに住んでる人々の性格というよりは、町の性格である。
 当然、山の手にも人情味豊かな人はいるし、下町に住んでるクールな人もいる。

 今は「江戸」という町はない。しかし今でも江戸という名称はたびたび使われている。そうして江戸を語る時に、

「江戸」=昔の東京
「東京」=今の東京

という認識しかなかったら、それは不十分だということが言いたかった。
 東京と江戸は完全に綺麗に分けることはできないが、かと言ってあまりにも区別されずに語られているのを聞くと、東京人として気になる。
 江戸という言葉で言い表されるものにはローカル性があり、東京という時にはキャピタル性がある。
 そういうことをはっきり言ってるのをどこにも見たことがなかったので今回書いてみた。