暫定龍吟録

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2013年07月の記事

追悼、“マウスの父”ダグラス・エンゲルバートが見た夢

 今の若い人たちは物心ついた頃からマウスを触ってゐただらうから、初めてマウスを触った時のことを覚えてゐないかもしれない。

 私は子供の時に秋葉原の家電量販店の店頭で初めてマウスを触ってみた時のことをうっすらと覚えてゐる。マウスを動かした通りにパソコンの画面上の矢印が動く。これはちょっとした驚きだった。

 そのマウスの生みの親であるダグラス・エンゲルバートが先週亡くなった。

 このことは少なくとも日本ではあまり大きなニュースにならなかった。NHKはニュースとして報じたやうだが取り扱ひは小さかった。ネットでは、ただ「亡くなった」といふ記事はいくつも出てくるが詳しく追悼記事を書いてゐる人は少ない。


すぐれたビジョナリー

 今、IT系の有名なビジョナリーと言へば、ニ年前に亡くなったアップルのスティーブ・ジョブズが有名であり、カリスマ的人気を誇ってゐる。ジョブズの名を冠した本はよく売れる。
 マウスでさへ、ジョブズのアップルが発明したと思ってゐる人もゐる。

 だが、ジョブズの前には、エンゲルバートがゐた。

 エンゲルバートの肩書きは何だらう?発明家?技術者?どれも正解だがどれも足りない。彼は確かにコンピューターや機械を作りはしたが、作ることよりも「アイデアマン」「ビジョナリー」として才覚があった。


インターフェイスの巨人

 「マウスを発明した人」といふのは、エンゲルバートの多大な業績の一部しか表現してゐない。ウィンドウ、電子メール、ハイパーテキスト、かうしたものもエンゲルバートが発明に関はってゐる。

 現代では、「良きインターフェイスとは何か」と言はれたら、ほとんどの人は「老人でも小学生でも、何も説明しなくても直感的に使へるやうなインターフェイスが良いインターフェイスだ」と言ふだらう。
 ところが意外にも、インターフェイスの巨人であるエンゲルバートは必ずしもそのやうには考へてゐなかった。エンゲルバートはマウスを生み出した当時、それを不自然なものと考へてゐたのだ。多くの現代人はマウスを自然で使ひやすいものだと思ってゐるのに。
 だが彼は、多少不自然であっても、それが人間の拡張に繋がるならば作ったらいいだらう、と考へてゐた。
 今から何十年も前、まだコンピューターが大きくて重くて高価で限られた人しか触れなかった時代に、現代のパソコンの基本をなしてゐる多くのインターフェイスを考へ出してゐた。すぐれて先駆的なビジョナリーだった。


認められなかった“変はり者”

 若い頃から「変はり者」と見られてゐた。
 国も時代も違ふので一概に比較して理解できないが、今の日本の文系・理系といふ区分で例へて言ふならば、エンゲルバートばその狭間でどちらにも理解されなかった。
 工学部生だったエンゲルバートが理系仲間のところに行くと、彼らはコンピューター作りには熱心だったが哲学とかそれが社会に齎す影響とかさういった話にまったく無頓着だった。一方、文系学生のところに行くとさういふ話ができたが、彼らにコンピューターの話をしようとすると、「コンピューター?えっ、何それ?」と言はれる始末。どちらの側からも「変はり者」扱ひされてなかなか自分の話を理解してもらへなかった。


すべてのデモの母

 エンゲルバートは時代を先取りしすぎてゐて、同時代の人たちにその価値を分かってもらへなかった。特に1970年代にパソコンの時代が到来してからは不遇で、70年代、80年代とほゞ忘れ去られてゐた。
 エンゲルバートに再び脚光が当たり再評価の動きが出て来たのは90年代。ウェブの時代が到来した時だった。人々はウェブを使ひ出した時、その技術や仕組みの多くが1960年代にエンゲルバートがデモで示してみせた中にほとんど含まれてゐることに気づいた。

 それは、伝説のデモ。

 あまりにも有名なこのデモンストレーションは「すべてのデモの母」と呼ばれてゐる。





ハイパーテキストの父

 エンゲルバートは、単にマウスの父であるのみならず、パソコンの父でもあり、ハイパーテキストの父でもあった。
 50年近くも前に現代のコンピューター社会をかなり的確に思ひ描いてゐた。
 パソコンの父はアラン・ケイかもしれないがそのアラン・ケイに影響を与へたのもまたエンゲルバートである。

 ハイパーテキストに関しては私はテッド・ネルソンの思想に影響を受けたが、エンゲルバートもまたもう一人のハイパーテキストの父だと言へる。

 エンゲルバートはハイパーテキストに関しては皆が共同作業をできるための仕組み、言はばWikiのやうなものを志向してゐたと思はれる。とすれば、エンゲルバートの思想は2000年代のウェブ2.0を先取りしてゐたとも言へる。


人工知能への夢

 エンゲルバートは、「コンピューターと対話する」といふことを考へてゐた。若い当時はそんなことを言っても誰からも笑はれるだけだった。

 エンゲルバートの思想の根幹は「人間の拡張」といふことであり、そのためにエージェントのやうなコンピューターの存在を考へてゐた。

 2011年、アップルはSiriを搭載したiPhoneを発売した。これは、エンゲルバートが夢見てゐた人工知能の一つの結晶、と言へるだらうか。私はエンゲルバートはもっとずっと先を夢想してゐたのではないかと思ふ。現代のテクノロジーのあり様は、エンゲルバートが1950年代に考へてゐたレベルにすら追ひついてゐないのだ。

 今はアップルのiWatchやグーグルのGoogleGlassなどが実用化が注目されてゐるが、エンゲルバートはウェアラブルコンピューティングについてすら言及してゐた。


エンゲルバートが見てゐた地平

 私はエンゲルバートの次の話が好きだ。少し長いが引用しよう。

個人が運転する自動車との類似点を考えてみましょう……「自動車の力という技術が我々の生活、都市、学校を作り変えるだろう」と聞かされても特別心をかき乱されるものはいなかったでしょう。それはもちろん、皆が鉄道や蒸気船が我々の生活への影響を強めつつあるという心の中のイメージを持っていたからです。それから車、トラック、フォークリフト、ブルドーザー、モータースクーター、ジープなどが現れました……そして、心を乱されないで聞いていた人々は、自分たちが耳だけで聞いていたことに気づいたでしょう。
自動情報取り扱い装置(コンピュータ)が最初に使われたときは、まず大規模で型どおりに決められた仕事を行う施設の中で使われ、社会に途方もなく大きな影響を及ぼしました。誰もがまったく心を乱されることなく、我々の生活はこの技術によって作り変えられるだろうという説に同意しています。しかし、我々がそれにうなずくとき、果たして本当に聞いているのでしょうか?私は、私たちの社会構造に対して容易にはのみこめないような変化をもたらす、個人が運転する自動車に似たものが、コンピュータの分野にも出現するだろうと言いたいのです。多くの人々が言っているマン-マシン・インタフェースは、機関車の運転席の制御装置(大きなシステムの使命に人が貢献するためのよりよい手段を与えるもの)に相当するものですが、私はブルドーザーの運転席(その力のすべてを個人の仕事に向けるための最大限の便宜を人に与えるもの)に相当するものについてもっと考えてもらいたいのです。(ティエリー・バーディーニ著、森田哲訳『ブートストラップ』より)



 基本的に新しもの嫌ひで機械が苦手な私は、エンゲルバートみたいな人とは相容れないところがある。「考へること」と「作ること」は別だと思ってゐる。好きか嫌ひかと聞かれれば好きとは言ひ難いかもしれない。コンピューターが人間社会に与へる影響といふことで言ふなら、ノーバート・ウィーナーやイヴァン・イリイチの洞察の方が魅力を感じる。しかし、エンゲルバートの言葉には学ぶべきところがいっぱいあるし、そして何より先を見通す力を持ったビジョナリーとしては敬意を持ってゐる。

 2000年以降、突然世間から思ひ出されたやうに、エンゲルバートはチューリング賞をはじめ数々の名誉ある賞を受賞した。長生きしたから偶々これらの名誉に浴することができたが、60、70歳ぐらいで亡くなってたら、つひに自分は世間から理解されなかったといふ思ひを抱きながら亡くなってゐたかもしれない。

 果てしない地平を見通し、人間に、コンピュータに、何ができて何ができないかを見極めようとしたエンゲルバート。彼の思考を辿り直すことで人間や世界のまた新たな行く先が見えてくるかもしれない。


Bootstrapping: Douglas Engelbart, Coevolution, and the Origins of Personal Computing (Writing Science)Bootstrapping: Douglas Engelbart, Coevolution, and the Origins of Personal Computing (Writing Science)
(2000/12)
Thierry Bardini

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シェリル・サンドバーグ『LEAN IN』と女性のワークライフバランス問題



LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲
(2013/06/26)
シェリル・サンドバーグ

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 Amazonで今ベストセラーになっているフェイスブックCOO、シェリル・サンドバーグの『LEAN IN』を読んだ。普段、ベストセラーはほとんど読まないが、これは少し興味があったので読んでみた。

 米国でもたくさんの人に読まれ賛否両論が巻き起こっているという。

 内容は、彼女の自叙伝的な内容と、女性のリーダーが増えますように、という内容なのだが、しかしこういう影響力の大きな人物が全女性に訴えかけるようなメッセージを書けば当然批判も含めたさまざまな反応が巻き起こるだろう。

 「女性たちよ、一歩を踏み出そう!」という呼びかける本書の内容には賛同、共感できるところが多かった。日本の女性はアメリカの女性以上におとなしく、リーダーになろうとか、そういうキャリア志向を持った人が少ないように思える。
 女性のリーダーが少ないということは女性の意見が反映されない社会だとサンドバーグは言う。日本で婦人参政権が獲得されてから六十年以上が経つ。有権者の半分は女性なのに、政治家は男性ばかり。日本は世界の先進国の中でも女性政治家率、リーダー率が特に低い。
 本書の中では日本の例が特に取り上げられていて、日本では産休で休んだ女性の職場復帰が難しい、あるいは復帰できたとしても給与が大幅に下げられる、などといったことが紹介されている。

 なぜ一見もっともなことを言っているサンドバーグに対して批判があるのだろうか。

 それは、誰もがすぐに思うことだが、彼女は普通の女性よりも圧倒的に恵まれている。単刀直入に言えば、金と才能に。裕福な家庭で育ち優秀な学校に通い、立派な学歴、輝かしい職歴がある。それはもちろん本人の努力による部分もあるが、才能・能力のない人間はどんなに頑張ってもここまでにはならない。そして親は選べない。

 ジャーナリストの瀧口範子氏が面白いことを言っていて、マリッサ・メイヤーはワークライフバランスの問題など超越している、と。
 マリッサ・メイヤーはサンドバーグのグーグル時代の元同僚で現ヤフーCEO。彼女は仕事か子育てか、などという問題で悩む必要がない。なぜならば大金持ちだから家事や子育てはすべてお手伝いさんやベビーシッターに任せられるから。
 つまり、サンドバーグにしろメイヤーにしろ、庶民が置かれている環境からは遠くかけ離れている。そんな大富豪の言葉がどれだけ人々の心に届くか。これは多くの人がこの本を読んで感じる批判点だろう。

 だが私はもう二つの問題を感じる。


女性の社会進出の「欧州型」と「日米型」

 女性の社会進出というテーマは新しいテーマではない。もう百年以上前からある古いテーマだ。
 しかし私は、この女性の社会進出というテーマが、欧州と米国では違った形で捉えられてきたのだという気がする。

 欧州では常に哲学や理念が先行している。「男女は平等であるべきだ」という理念が先ずあり、その理念に現実を近づけようと行動する。

 だが米国は違う。もっと実用主義的で現実主義的だ。現実の不都合を無視してまで男女の比率を揃えようとは思わない。男女のバランスが悪くても、そちらの方が現実の都合がよければそちらを選択する。

 そして日本もまた米国型である。

 サンドバーグは女性はもっと積極的にどんどん出て行くべきだと言う。女性だからといって遠慮して諦めるべきではない、と。
 これが欧州人の口から出た言葉なら、女性の地位を高めるための崇高な理念、ということになろう。しかし米国人の口から出た場合はどういう意味を持つか。
 「金と才能さえあれば、男性だろうが女性だろうが、出世できるべきだ」という意味になるのではないか。

 世界で日本人と米国人ほどよく働く人たちはいない。
 ワークライフバランスの問題を語る時も「ライフ」の方に重点が置かれているのが欧州型で「ワーク」の方に重点が置かれているのが日米型だ。
 この本でもライフよりワークに比重が置かれ、基本的には仕事をどうするか、ということがずっと語られている。そういう意味では、米国人と思考が似ている日本人には、この本のメッセージは訴えかけるものがあるかもしれない。

 だが皮肉なことに、その「現実」があまりにも乖離しすぎている。サンドバーグが直面している現実と大多数の米国人や日本人が直面している現実とのあいだに。


現代の女性たちにとってのワークライフバランス問題というのは否応無く直面せざるを得ない問題

 サンドバーグは女性はもっと積極的に進んでいくべきだと言う。夢を諦めるべきではないということだ。

 昔はキャリア志向の強い一部の女性が社会に出て行く過程でさまざまな困難にぶつかり、仕事と家庭(出産や子育て)をどう両立するかという問題に突き当たった。
 だが今やワークライフバランスの問題はキャリア志向の強い一部の女性の問題ではない。
 夢を追いかける過程でぶつかり、夢を追い求めるかそれとも諦めるか、という話ではない。
 そんなにキャリア志向がなくて地味な人生を望んでいる人でさえ、現代は誰もが否応無くワークライフバランスの問題に突き当たる時代なのである。

 現代において「君は外で働かなくていい」と言うほど稼ぎのいい夫と結婚できる確率は限りなく低い。夫の稼ぎが少ないのだから自分も働かなければとても生活していけない。結婚しないという道もあるが、それならそれで当然自分の食い扶持は自分で働いて稼がなければならない。

 夢を追いかけた結果ぶち当たる問題なのではなく、現代においては誰もが否応無く突き当たる問題なのだということ。この視点を缺くならばまったく肯綮に中らないということになる。


フェイスブックの間違った設計

 今は例えば、写真を公開したり共有したりする「場」はいっぱいある。FlickrやらInstagramやらPinterestやら。でも皆に賞賛される出来のいい写真を撮るのは難しい。

 現代は一見、「場」が溢れている。
 「フェイスブックであなたの輝かしい日々の活動と交友録をアピールしちゃって!」
 「リンクトインであなたの華々しい学歴と職歴をアピールして転職のステップアップに活かしてください」
 「メールアドレスさえあれば誰でも簡単に登録・ご利用できます」

 しかし現実はリンクトインのプロフィール欄に書けるような華々しい学歴も職歴もない。いつまでもそこには大きな白い空間がぽっかり空いたまま。
 それどころかフェイスブックに登録してしまったばかりに自分の不活発な活動履歴や友達の少なさが却って人事担当者にばれて、逆に損になることもある。

 こうした「場」は、まさにサンドバーグのような人向けの場なのだ。

 私はこうした社会設計が決して時代に合っているとは思わない。場ばかりが溢れ条件は整って来ているように思えるが一部の人に合わせた設計であり、大勢の人のニーズは別のところにある。

 「一歩を踏み出そう」とサンドバーグは言うが、多くの人にとっては一歩どころか何歩踏み出してもまったく階梯を感じられないことが苦しいのではないか。
 その違いに気付かなければ、サンドバーグがCOOを務めるフェイスブックも、このまま凋落の一途を辿っていくだろう。

 もっともサンドバーグはキャリアというのは梯子のようなものではなくてジャングルジムだと言う。一本道ではなく登頂までの道筋がいくつもあって上ったり下りたり時には休憩をしたり、そういうものだと。


フェイスブックというジャングルジム

 サンドバーグはその素晴らしいキャリアをどうやって築いたのか?と人から聞かれるたびに、自分自身はキャリア設計をしたことはない、只管がむしゃらに頑張ってきたら此処にいた、と言っている。

 巨大なジャングルジムを築けば築くほどハブ(結節点)にはたくさんの人、物、情報、機会が流れてくる。大きなハブにはたくさんの出会いが流れてくる。それは、末端の人間が得ているものとは量においても質においてもすべての点ではるかに凌駕している。
 フェイスブックはそのためにも巨大なソーシャルネットワークを構築する必要があるのだ。ネットワークが巨大になればなるほどハブの人は恩恵を得る。

 私はこれを「第三の恵」と呼ぼう。貧しい人々はサンドバーグが金と才能に恵まれていて羨ましいと思うかもしれないが、サンドバーグが本当に恵まれているのはこの第三の恵なのだ。

 フェイスブックCOOのサンドバーグがそのことに無自覚であるはずはないと思うのだが、自覚してないのか、はたまた気付いてはいるが敢えてそこには触れないのか。


まとめ

 この本を読んで、私は二つの問題を感じた。
 一つは、サンドバーグが今まさに手掛けているフェイスブックの構造は決して良い形をしていない。
 サンドバーグが第三の恵に無自覚であり続けるかぎり、人々が何に躓いているのかに気付くのは難しいだろう。

 そしてもう一点は、日本と米国の両国に共通する仕事第一主義の思想だ。
 サンドバーグの趣旨、女性はもっと積極的に一歩を踏み出そう、とか、女性の働く環境を整えよう、という趣旨には基本的に賛成だ。しかし本書では子育てのエピソードなども出てくるには出てくるが、一貫して流れているのは「ワーク」の思想である。

 最近、日本のネットでも朝の満員電車におけるベビーカーが問題になった。朝の電車に誰がどのような目的で乗ろうが自由である。しかしそれは「通勤電車」と呼ばれ、通勤専用の電車であるかのように思われ、通勤以外の目的で乗る人が排除されようとしたりする。

 日本も米国も、実用思考、悪い意味での効率主義、仕事第一主義、こうした思想から脱却できないかぎり、男女平等など遠く実現しないだろう。

 女性のワークライフバランス問題と言うが、これは常にワークに縛られてそこから離れることを許されないでいる男性に「ライフ」を問う問題でもあるのだ。


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