暫定龍吟録

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2014年02月の記事

不当なスマホ批判

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(via:getnews.jp)



「歩きスマホは危ないからやめましょう」
「スマホ依存症に注意しましょう」
「スマートフォンの普及に伴い、駅のホームで電車に接触するなどの事故が多発しています」

 最近、こういったニュースをよく聞く。

 しかし、よくよく聞いていると「スマートフォンの普及に伴い・・・、」で始まるニュースのほとんどは「スマホ関係ない」ものばかりである。つまり「ガラケー」も含めた携帯電話全般に当てはまる問題であり、スマホ特有の問題でもなければ、ここ数年で急に出て来た問題でもない。

 私は、こうした不当なスマホ批判に対して若干の憤りを感じる。

 ここで初めにこの記事における用語の意味を明確にしておきたい。

「スマホ」・・・スマートフォンの略。iPhone含む。

「ガラケー」・・・ガラパゴスケータイの略。従来型携帯電話。フィーチャーフォン。カタカナで「ケータイ」と書くとガラケーを指す場合が多い。

「携帯電話」・・・ガラケーとスマホを両方含めた言い方。


歩きスマホは危ない?

 「歩きスマホは危ないからやめましょう」という言葉を聞くたびに、「じゃあ、歩きガラケーだったら危なくないのか」とツッコミたくなる。

 「歩きスマホによる電車や他人との接触事故」などと言うが、その危険は歩きガラケーだって同じことである。

 もう何ヶ月も前のことだが、NHKの朝の番組で、歩きスマホの危険性を検証するという番組をやっていたのだが、その番組の中で「実際に歩きスマホは歩きガラケーよりも危険なんです」とやっていた。「なぜならば、スマホはガラケーよりも画面への集中度が高くなって視野が狭くなるから」、「動画などをよく見るから」だと。

 画面への集中度が高くなるって、それは単にスマホの操作に慣れていないだけでは!?

 動画などを見るって、それは人それぞれだろう!!

 ガラケーであれ、スマホであれ、どんなコンテンツを見るかは使う人次第である。

 さらにこれも前に見た新聞でソースは見失ってしまったのだが、ある大学教授が歩きスマホの危険性を語っている中で、「従来のケータイはメールや電話ぐらいしか機能がありませんでしたが、スマートフォンは多機能なので、」という趣旨のことを語っていて呆れた。

 「メールや電話ぐらいしかなかった」って、それはいつの時代の携帯電話の話をしているのか。

 「動画を見るようになって画面への集中度が高まった」と言う人は、そもそも動画機能についてはワンセグなどでガラケーの方がスマホよりも先行していたことを忘れたのだろうか。

 「多機能になって」と言う人は、2008年にiPhone3Gが発売された時、ワンセグはおろか、赤外線通信もQRコードの読み取りも、絵文字も着うたも、何もできなかったことを知らないのだろうか。ガラケーの方がずっと多機能だった。


スマホ依存症?

 さらに、「スマホ依存症」という言葉も聞く。なぜ「携帯電話依存症」とか「モバイル依存症」と言わないのか。

「スマホになってからTwitterなどのSNSが出て来て、それに嵌まっている人が多いんですよね」

 Twitterはガラケーでもできます。

「それに最近はLINEとかも流行ってるでしょ?」

 LINEもガラケーでもできます。

「うちの子どもはスマホに依存していて、家にいるときは片時もスマホを手放さず、食事のときまでTwitterやLINEをやっているんです」

 それは、ガラケー全盛の時代に、10代の若者たちがメールに嵌まっていたのと、何が違うのか。当時も、食事中もずっとケータイ片手にメールのやり取りをする10代の子どもたちが紹介されていた。

「違うんですよ。LINEには既読機能というのがあって相手が読んだかどうか分かるから、すぐに返事を返さなきゃって思うのかな」

 メールだってすぐに返事を返さなきゃと思うのは同じである。それに、ずっとずっと遙か昔、世の中の大半の人がOutlook Expressというメールソフトを使っていた時代から、相手が開封したかどうか分かる機能はあります。

「グループ機能というのがあって、」

 グループ機能ももちろんメールにもあります。


スマホという言葉の濫用をやめよう

 私はニュースから「スマートフォンの普及に伴い・・・」という言葉で始まるスマホ批判が流れてくると「ああ、またか」と思う。

 それらは全然、“スマホ特有の”、“スマホ固有の”問題ではないからだ。ガラケーを含めた携帯電話全体の問題である。
 そしてそれらのニュースを聞いていると、だいたい、「それって単にスマホに慣れていないだけでは、、、」と感じることが多い。

 ガラケーには存在しないスマホ特有の問題なら「スマホ」という言葉を使って語るべきだが、携帯電話全般にわたる問題を、濫りにスマホという言葉を使って批判するべきではない。
 それは問題の本質を見えにくくしてしまうから。



(2014/03/01追記)

 以前、夜のNHKニュースのキャスターが「ガラパゴスケータイと揶揄された日本の携帯電話のように、日本の政治や経済も世界から孤立していかないようにしたいものです」というようなことを言っていたことがある。
 これは今も日本でたくさんの人が「ガラパゴスケータイ」という言葉に対して抱いている勘違いを代表しているような例だ。

 「ガラパゴスケータイ」という呼称の元々の意味は「日本で独自に進化した」という意味であって「世界の流れから遅れた」という意味ではない。
 そうしたガラケーという言葉の誕生の経緯や背景を知らない人たちが、少し遅れてから「ガラケー」という言葉を知って「遅れてる」という意味だと誤解して、「ガラケーw」と馬鹿にするような感じで使うようになった。

 NHKのキャスターでさえ、意味を誤認しているぐらいなのだから、メディアの多くが、「ガラケー」「スマホ」「携帯電話」という言葉を正しく使い分けられないのも無理のないことなのかもしれない。


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