暫定龍吟録

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2014年07月の記事

光芒一閃の人 -立原道造生誕100年-

 立原道造が生まれて今日でちょうど100年になる。

 私は、この長身痩躯の詩人が好きだ。

 宮澤賢治も好きだが、この二人はなんとなく印象が似ている。
 ところが、当の立原道造本人は、宮澤賢治はあまり好きじゃないみたいなことを言っている。
 なぜ立原が宮澤賢治を批判しているのか。
 よくは分からないが、おそらく自分と似た匂いを感じていたからではないか。
 つまり自分と「風(ふう)」が似ていて、それでいて有能で常に自分の先を歩いている賢治が嫌だったのではないか。理系(賢治は地学、立原は工学)を専門とする詩人であるところや絵や音楽が好きなところなど似ている点は多い。


多才な人

 立原は秀才だった。
 両国中学→一高→東大という、当時の東京下町のエリートコースを歩んでいる。

 高校時分に千葉の房総半島に合宿に行ったときに、蛙の研究や方言の研究をしているのが興味深い。
 千葉の方言についての分析や考察は、高校生レベルとしてはかなりレベルの高いもので感心させられる。また、現代ではほとんど無くなってしまっている千葉の方言の貴重な記録でもある。

 幅広い分野のことに興味を持っていた。単に成績が優秀というだけでなく、多方面にわたっての才能があった。

 立原の魅力の一つはこのような「多才さ」にある。


建築家、立原道造

 東大在学中から、すでに詩人として有名だった立原だが、専攻は建築学であった。

 『方法論』は、立原道造の建築学に関する論文だが、建築学に関しては門外漢の私は読んでも、いまいち何が言いたいのかよく分からなかった。
 ただ、文中に「これからの建築は空間のことだけでなく時間のことを考えなければならない」みたいなことが書いてあって、それは感心した。

 本当は、今、話題になっていて、かつ私も関心がある国立競技場の問題について、プリツカー賞より権威のある辰野賞受賞者の立原ならどう言うだろうか、と憶測してみたいところなのだが、さすがにそのような我田引水は立原が怒るかもしれないから辞めておこう。
 しかし何かしら一家言あったはずであろう。

 立原は「建築」を、その言葉の語源、すなわち「たつ」と「きづく」から考察している。根源から問おうとするその試みはもう少し時間が経てば、日本の建築学を大きく変えていたかもしれない。
 立原の建築がどういうものになるのかは見てみたかった。
 唯一、埼玉県に、「ヒアシンスハウス」という立原の設計になる建物があるらしい。


光芒一閃の人

 以前、東大の裏手、弥生門を出た辺りに立原道造記念館という建物があった。開館直後の頃、一度行ったことがある。繊細な感じの立原道造に相応しい小さな記念館だった。
 立原道造はいつまでも若い。
 百歳と言っても、イメージはいつも、あのひょろひょろな青年のままだ。

 立原は生きていたとしても、あの体つきでは徴兵検査には合格しなかっただろう。いや、だからこそ逆に戦争の禍を免れて長生きできた?

 中学三年の時のノートにこんな詩を書き残している。

もしも私が失望からすくつてあげられたら、
私はむだにすごしたことにはならないだらう、
ひとりの人の命のいたみをやはらげられたら、
ひとりの人の苦悶をやはらげられたら、
一匹の弱くなつて居る駒鳥を再び巣にたすけてかへすこ
 とが出来たら
私はむだに一生を過したことにはならないだらう。


 自身が身体が弱かったからこそ書けた詩ではないだろうか。

 東大建築科で学年一コ下だった丹下健三は立原のことを「鮮烈な光ぼうを放って私の目の前を通り過ぎた一人」と評しているが、「光芒」という表現はぴったりだと思った。

 それは一瞬の煌めき。

 昭和の初めの東京で、鮮烈な光芒一閃を放っていった人。


 立原道造の百歳の誕生日にあたる今朝、墓に静かに手を合わせた。


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 左から二番目の「温恭院紫雲道範清信士」とあるのが道造。


tachiharamichizo20140730-2.jpg



 最後に私の好きな「魚の話」を紹介したい。

魚の話

或る魚はよいことをしたのでその天使がひとつの
願をかなへさせて貰ふやうに神様と約束してゐ
たのである。
かはいさうに! その天使はずゐぶんのんきだつた。
魚が死ぬまでそのことを忘れてゐたのである。魚は
最後の望に光を食べたいと思つた、ずつと海の底に
ばかり生れてから住んでゐたし光といふ言葉だけ沈
んだ帆前船や錨★からきいてそれをひどく欲しがつ
てゐたから。が、それは果たされなかつたのである。
天使は見た、魚が倒れて水の面の方へゆるゆると、
のぼりはじめるのを。彼はあわてた。早速神様に自
分の過ちをお詫びした。すると神様はその魚を星に
変へて下さつたのである。魚は海のなかに一すぢの
光をひいた、そのおかげでしなやかな海藻やいつも
眠つてゐる岩が見えた。他の大勢の魚たちはその光
について後を追はうとしたのである。
やがてその魚の星は空に入り空の遥かへ沈んで行つ
た。

(『散歩詩集』より)
(★の部分には錨の記号が入る)



 立原道造が引いた光のおかげで後世の私たちはいろいろなものが見えている。

 立原道造の光を私もまた追い続けている。



【参考文献】
  • 『立原道造全集』筑摩書房

  • 『立原道造詩集』岩波文庫


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