暫定龍吟録

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21世紀に甦る二十一回猛士

身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂



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 今年も残り僅かですが、突然ですが、皆さんは「今年150年」と聞いたら何を聯想するでせうか。理系の人なら「リーマン予想!」と答へるかもしれません。
 今年は、幕末の志士、吉田松陰の没後150年です。




といふわけで、小塚原刑場となりの回向院に墓参りに行つてきた。ちなみに松陰が処刑された場所は小塚原刑場ではない。


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 正面突き当たりが松陰の墓。他にも安政の大獄で刑死した者たちが眠つてゐる。松陰の墓はこゝ以外にもある。


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 「松陰二十一回猛士墓」と書いてある。
 「二十一回猛士」といふのは松陰の号で、養子になる前の名字の「杉」の字を分解して「十」+「八」+「三」=21。養子後の名字「吉田」を分解して「十一」と「□」+「十」と「ロ」=「二十一回」となるところから来てゐる。


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 近くには、橋本左内や、


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鼠小僧などの有名人の墓もある。

 霊感の強い人はこゝらへんには立ち寄りたくないらしい。私は幸ひにも霊感がないので平気だが、せめて30歳の若さで亡くなつた松陰の無念の思ひを感じとらうと思つた。


 松陰が残した言葉の中で、私が最も強く印象に残つてゐるのは、遺書『留魂録』に書かれた次の言葉だ。少し長いが、折角なのでわかりやすいやう現代語訳で引用しよう。

今日、私が死を目前にして、平安な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからである。<略>私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである。<略>人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四季が、五十、百歳にもおのずからの四季がある。<略>もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐み、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。<古川薫訳>


 松陰は門下生に恵まれた。彼が撒いた種子は、明治の世になつて、門下生たちによつて次々と実つていつた。松陰が人生の最期に披露したこの死生観には、読む人の胸を強く打つものがある。人生を四季に擬へ、三十歳で死ぬとしても花咲き実りを迎へてゐるのだから、平安な心境でゐられるといふのである。夭逝の人生にもそれぞれの四季がある。
 これは松陰の覚悟と言つてもいい。だが単に泰然と死を受け容れるといふ、たゞの諦念ではなく、遺志が種子として後世に受け継がれていくといふ世界観をも示唆してゐる。

 最近、ノーベル賞学者の野依良治さんが次世代スパコン開発予算の問題で「歴史といふ法定に立つ覚悟ができてゐるのか」と言つた発言が話題となつたが、一流の人は同じやうな大局観を持つてゐると思へるのが松陰の次のやうな言葉だ。

大事なことは、おのれをかえりみて疚しくない人格を養うことだろう。そして相手をよく知り、機を見るということもよく考えておかなければいけない。私の人間としての在り方がよいか悪いかは、棺の蓋をおおった後、歴史の判断にゆだねるしかない。


 かうした遠方を見ることのできる大局観を持つた人間にとつて、志半ばで早世しなければならないことは辛いことだ。遠方を見渡してゐるがゆゑに、歴史の結果が気になるのだ。
 しかしそれでも松陰は自若としてゐる。死の前日にあたつても、激烈な感情を爆発させたりはしない。それは、上記の人生観、死生観があつたからであらう。

 松陰は静かに刑場に向かつた。その人生は三十年で終焉したが、それから150年経つた今日、その遺志、精神は、今なほ生き続けてゐると言へる。


2009-08 037