暫定龍吟録

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“Twitter”は「つぶやき」なのか?

 サイバーエージェント、須田伸氏の

 Twitterを「つぶやき」と翻訳した罪:日経ビジネスオンライン

といふ記事を読んだ。

 リンク先の主題とは少し逸れるが、私も以前から、なぜ“Twitter”の日本語訳が「つぶやき」なのかといふ疑問を持つてゐた。「つぶやき」といふ訳語はいつのまにか定着してゐて、私もいつの頃からか「つぶやき」、「つぶやく」といふ言葉を使ふやうになつてゐた。「粒谷区」といふ言葉さへ生まれてゐる。
 数年前、まだ日本でツイッターがあまり認知されてゐなかつた頃、その頃は「つぶやき」といふ訳語も定着してゐなかつたので、私は「囀り(さへづり)」、「囀る(さへづる)」といふ言葉を“twitter”の訳語として使つてゐた。
 “twitter”の直訳ならば「囀る」が正しいはずである。ツイッターの公式ページに小鳥のキャラクターが描かれてゐるのもそのためだ。
 数ヶ月前、日本語版ツイッターで「つぶやき」が「ツイート」に変更された。しかし、この「ツイート」といふ言葉もまた普及してない、やうに思ふ。

 ところで、ツイッター関連の用語には他にも不思議な言葉がいくつかある。
 その一つが「ポスト」といふ言葉だ。「一つ前のポストは訂正します」とか、プロフィール欄に「一日平均30ポストです」などと書いてあるのをよく見かける。この場合の「ポスト」は、つぶやくこと、あるいはつぶやきの内容の一単位を指してゐるものと思はれるが、それを「ツイート」と言ふのではないのか?「一日平均30ツイートです」と言ふべきではないのだらうか。英語圏では“post”といふ言葉は使はれてゐるのだらうか。よくわからない。だがタイムラインをじつくり見てゐると「ポスト」と「ツイート」といふ言葉を使ひ分けてゐるやうに見受けられる人もゐる。私にはその両者の区別がまだ理解できない。

 もう一つある。
 最近はツイッター周りのサービスが何十と登場してゐるが、その中に時々“twit”といふ言葉を見かける。代表的なものでは「Twitpic」が有名だらう。
 “twitter”と“tweet”は、ほゞ似た意味の英単語である。どちらも「囀る、囀り」といふ意味だ。“twit”はこれらと発音は似てゐるが、意味は手元の英和辞典によれば、「なじる、からかふ」とある。「さへづる」と違つて、ずつと悪い意味の言葉だ。だのになぜツイッター関連サービスで“twit”は多用されてゐるのだらう。そのものずばり「Twit」といふ名のクライアントもある。“twit”といふ英単語の意味は変はつてきてゐるのだらうか。

 リンク先の元記事の話は、“tweet”を「つぶやき」と訳してしまつたことが、自己満足的な印象を与へ、ツイッターを「暇な連中の戯言」といふ冷笑気味なトーンで片付けられてしまふ大きな理由になつてゐると言つてゐる。
 では、“tweet”あるいは“twitter”は、どう訳されればよかつたのだらうか。「囀り」では「つぶやき」よりももつと軽々しいおしやべりといつた印象がある。「発言する」では堅苦しすぎるし、「吟じる」や「詠じる」では歌になつてしまふ。「さゝやく」といふ言葉もあるが「つぶやく」との違ひがあまりない。かと言つて「ツイートする」といふのも違和感がある。
 「暇な連中の戯言」と受け取られたくないのであれば、動詞ならやはり「ポストする」が、一番軽んじられない重みのある表現だらう。日本語圏で「ポスト」といふ言葉が多用されてゐるのは、それなりの理由があるのかもしれない。

 たゞ、今はまだ用語が錯綜してゐる感じがするので、ツイッター関連の用語は少しづゝ統一の方向に向かつていくのが望ましいと思つてゐる。