暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

道具は「使う人の問題」か

kid yelling


 インターネットやケータイの批判をすると、

「それは道具の問題ではなく使ふ人の問題です」、

「使ふ人次第でせう」

と言ふ人が必ずゐる。
 
 このやうに問題を、道具を使用する人間の側に帰してしまふ言ひ方は、道具そのものが持つ功罪を見えなくしてしまふ。
 つい先日も、ネット上での議論の場としての道具が変遷するにつれ議論の質が下がつてきたやうな気がする、と誰かが呟いたのに対し、「それはあなた自身のレベルが下がつて来てゐるのでせう。道具のせゐではありません」と皮肉を返してゐる人がゐた。

 だがやはりそのやうな認識は間違ひなのである。
 「インターネットは善い道具か悪い道具か?」と問ふたときに、「使ふ人次第で善い道具にも悪い道具にもなります」と答へる。しかし、道具をそんなに賢く使へる人なんて、この世に1%もゐない。使ひ方を過つ人が99%だ。道具そのものが持つインターフェイスやアーキテクチャがどのやうな問題を孕むかといふことは、もつと多くの人に注目され考へられなければならない。

 例へば、子ども向けケータイの問題。
 私は、子どもにケータイを持たせるべきではないといふ考へだが、ケータイ各社は、ある時期一斉に力を入れて子ども向けケータイの販売展開を行つた。そのとき各社が一斉に謳つたのが「防犯」といふことだつた。つまり子どもが犯罪に巻き込まれるかもしれないといふ親の不安心理につけこめば、ケータイの防犯機能を売りにすればいくらでも売れると考へたのだ。その読みは見事的中し、世間の多くの親が子どもにケータイを買ひ与へることになつたのはご存知の通りだ。親の方でも、自分の子どもにケータイを持たせる理由として「防犯」をあげる人が多い。

 だが待つてほしい。「防犯」なら、ケータイではなく「防犯機」でよいではないか。
 私がわざわざ「携帯」ではなく「ケータイ」とカタカナで書いてゐるのは、時に「ガラパゴスケータイ」とも言はれる日本独特の多様な機能がついたケータイのことを言つてゐるからだ。

 現在、ケータイ各社が売り出してゐる子ども向けケータイは次の通り。

ドコモ:キッズケータイ
au:ジュニアケータイ
ソフトバンク:コドモバイル

 名前こそいろいろ各社変へてあるが機能は似たり寄つたりだらう、と思つて調べてみたら、さうでもなかつた。
 以下、上記3社について、子ども向けケータイの機能を比較検証してみる。

 まづドコモのキッズケータイだが、機能としてはメールやインターネットなど大人のケータイと変はりない機能を備へてゐるが、購入時のデフォルトの状態では、通話以外のさうした機能は使へないやうになつてゐる。
 
 次にauのジュニアケータイだが、やはり機能としてはドコモとほゞ同じだが、購入時のデフォルトの状態ですべての機能が使へるやうになつてゐるところが異なる。つまり、親が機能利用制限をかけなければ、メールもインターネットも使へてしまふ。

 次にソフトバンクのコドモバイルだが、これは初めから通話とSMSだけの機能しか搭載されてゐない。普通のメールやインターネットは利用できない。

 以上3つを、子どもに持たせるといふ観点から、もし私が評価するならば、

1位:ソフトバンク
2位:ドコモ
3位:au

といふことにならうか。「防犯機」といふ観点から言ふなら、メールやインターネットの機能は初めから搭載するべきではない。ドコモはデフォルトで機能利用制限をしてゐるとは言へ、いざといふとき、例へば子どもがゴネたりすれば親が制限を解除してインターネットも使へてしまふ。auはデフォルトでさうした機能が使へてしまふ状態になつてゐるところがドコモよりひどい。

 ところで、市や町が条例などで「小・中学校へのケータイの持ち込み禁止」などと決めると、「そんなのは各家庭でルールを作つて守らせればいいだけのこと」と言ふ人がゐる。私はそれは反対だ。
 『クラスでケータイ持ってないの僕だけなんだけど』といふ状況は今や全国の学校で見られると思はれる。周りのみんなが持つてゐるのに自分一人だけ持つてない。それがどんなに心が苦しいことか、誰でもわかるだらう。大人だつて、周囲の友だちがみんなPSPやDSの話題で盛り上がつてゐれば、自分だけ持つてゐないことを苦しく思ふ。子どもならなほさらだ。ケータイといふあんなに楽しさうなオモチャをクラスの中で自分だけが持つてゐないなどとは、非常な苦しみである。「子どもには我慢を教へることも必要」、「我慢することも社会勉強」、などと言つてる大人には「まづ自分の物欲をすべて我慢してみてから言へ」と言ひたい。

 つまり、いはゆる「ケータイ」ではなく「防犯機」といふものを作ればいいのだ。「子どもの安全が心配」と言ふのなら、ケータイに防犯機能を付加するのではなく、ケータイとは別に防犯機能に特化した防犯機といふ道具(機械)を新たに作ればいいだけのことだ。それは技術的に難しいことであるはずがなく、さうしたものを作らないのはケータイ会社やメーカーの罪である。

 道具の問題である。私たちは何人(なんぴと)も道具に引きずられる。大人でさへ気づかぬうちにそのアーキテクチャに飲み込まれる。繰り返し言ふが、誰も“賢く”使ふことなどできないし、できてゐない。「各家庭で話しあつて」と言つて、その家庭の親がたまたま賢ければいいが、もし賢くなければ、そのまた賢くないであらう子ども(蛙の子は蛙)に、危険な道具を与へることになる。クラスの中で、頭の悪い子ばかりがケータイを持つてゐて、おそらくそのケータイをきちんと賢く使へるであらう賢い子だけがケータイを持つてない、といふ皮肉な光景もあることだらう。

 使ふ人の問題ではない。大人は子どもより少し賢いと思ふかもしれないが、皆、動線の上を歩かされてゐることに気づいてゐない。
 人間が用ゐる器具あるいは手段としての道具そのものが持つ問題がもつと注目され熟考されなければならない。


クラスでケータイ持ってないの僕だけなんだけどクラスでケータイ持ってないの僕だけなんだけど
(2010/01/20)
高橋 章子

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