暫定龍吟録

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『いじめの直し方』-いじめ問題は誰に語られるべき問題か

 『いじめの直し方』(内藤朝雄・荻上チキ著、朝日新聞出版)を読む。

 薄い本で、しかも小中学生に語りかけるやうな口調でわかり易く書かれてゐるので、短い時間で読める。


いじめの直し方いじめの直し方
(2010/03/19)
内藤 朝雄荻上 チキ

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 この本では、「元気も勇気もいらないし、きみが変はる必要もない」と言ふ。タイトルが「治し方」ではなく「直し方」となってゐるのも意味があって、いぢめが起きやすい環境や構造を見直さう、といふ意味があるやうだ。
 普通のいぢめ関係の本だったら、「負けるな」とか「いぢめに立ち向かへ」「強くなれ」「きみ自身が変はらなきゃ」などといった言葉が並ぶのが普通だが、この本には一切そのやうな言葉は出てこない。

 例へば、著者は交通事故の例をあげる。道路のある場所で交通事故が異常に頻繁に起こる場合、もちろんドライバーはもっと注意深くなるべきだし運転技術の向上のために努力しなければならないが、しかし、その場の環境や構造を見直すことも大切なのでは?と著者は言ふ。
 たしかに努力は大事だ。私たちは日々努力を怠るべきではない。しかし、ある特定の場所で異常に交通事故が多かったとしたら、やはりその場の環境に何か問題があると考へるのが自然ではないのか。
 
 広い海で仲良く泳いでゐた魚たちを狭い水槽に入れると途端にいぢめが始まる、といふさかなクンの話も本書では紹介されてゐる。

 (参考リンク)いじめられている気味へ - 広い海へ出てみよう 東京海洋大客員助教授・さかなクン

 学校といふ日本の閉鎖的で特殊な環境がいぢめを生み出してゐる構造について私たちは考へるべきなのだ。

 よくプロボクサーなどが「自分は子どものころいぢめられっ子だったので、強くなりたいと思ってボクシングを始めました」などと言ふのを聞く。かうした話はテレビなどでよく紹介されるのだが、これなどはまさに「いぢめられっ子自身が変はらなきゃ」といふ発想のものだ。もちろん本人が変はりたいと思ったなら変はっていいのだけれど、大人がかうしたことを子どもに言ふのはよくない。子どもだけではなく、いぢめに苦しんでゐる大人に対して言ふのも間違ってゐる。それは、いぢめられっ子は「弱いからいぢめられる」のではないからだ。
 「弱いからいぢめられるのではない」といふことについては、例へば渡辺真由子といふメディアジャーナリストが『大人が知らないネットいじめの真実』といふ本の中で明確にはっきりと述べてゐる。

大人が知らない ネットいじめの真実大人が知らない ネットいじめの真実
(2008/07/25)
渡辺 真由子

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 いぢめ問題は、まづ誰に語りかけるべきかといふ問題がある。『いじめの直し方』は良い本だ。この本は、いぢめられっ子に向かって語りかけてゐる。いぢめに遭ったときどうすればいいか、処方箋のやうな本だと言へるだらう。
 私は、だが、いぢめ問題といふのは本来、いぢめっ子、または大人たちに向かって語られるべき問題だと思ふ。順番としてはそちらが先だ。いぢめられっ子本人がなんとかしなければいけない問題ではない。狭い水槽に入れられた魚はどうやって広い海に戻ればいいのか?魚自身の努力でなんとかなるのか?魚たちを狭い水槽に入れた人間が問題なのである。まづその人間に向かっていぢめ問題は語られなければならないはずだ。

 となると、この本も、いぢめられっ子ではなく大人たちに読まれるべきである。「弱いからいぢめられるんだ」「本人が変はらうと努力しなきゃ」「がんばれ」「応援してるから」等々、いぢめの自己責任論を振りかざす無責任な大人たちにこそ、この本を読んでもらひたい。
 いぢめられっ子自身も当然、いぢめられてゐる現状は嫌なわけだから、なんとかして環境を変へようと努力するだらう。しかし環境を変へるのは私たち大人たちの責務である。その責務を放ったらかしておいて、いぢめられっ子に向かって「がんばれ」などと言ふことは、到底許されることではない。