暫定龍吟録

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やぽん・まるちが聴こえる - [保田與重郎生誕100年]

 今日は、戦前から戦後にかけて活躍した文芸評論家、保田與重郎の生誕100年の日。保田が生きてゐれば、今日が100歳の誕生日である。

 「保田與重郎文庫」を出してゐる京都の新学社が、今年の生誕100年を記念して『私の保田與重郎』といふ分厚い本を出版したが、これは新たに書き起こしたのではなく今までの全集や選集に収められてゐる月報などを再編輯したもののやうだ。
 今年は保田の記念すべき年なのだから、新たに語られてもいいはずだ。それなりの論客たちに集まってもらひ保田について思ふ存分語ってもらひ、それが文字化され出版されることで、保田が見直される契機になればいいと思ふ。だがさうしたことも困難なのだらう。もう今生きてゐる現役世代で保田を語れる人が少なくなってゐるのだ。
 戦後2、30年ごろまでならともかく、時代は平成になり、21世紀になり、ますます保田を知る人は少なくなった。保田はもうずっと遠い過去の人になってしまったのだ。

 もし保田がまだ生きてゐて、今日のネット社会を目の当たりにしてゐたら、一体どんなことを言ふだらう。ネットに蔓延するネット右翼と呼ばれる輩の言動をどう思ふか、ぜひ聞いてみたいものだ。
 保田の『絶対平和論』のやうな精神は、インターネットを使ってゐる現代の若者の心には響くことはないのであらうか。『絶対平和論』の精神や思想は、私は古くさいものだとは思はないが、かうした思想が現代に説かれることは意味がないであらうか。

 私は普段から本はあまり読まないので、保田の著作もあまり読んでゐない。だから保田について何事か語らうとしても語れない。しかしそれでも保田の名文には心打たれるものがある。例へば『日本の橋』に出てくる次のやうな一節。

思へば、日本の古社寺の建築が今日のことばで建築と呼ぶさへ、私は何かあはれまれるのである。日本の橋の自然と人工の関係を思ふとき、人工さへもほのかにし、努めて自然の相たらしめようとした、そのへだてにあつた果無い反省と徒労な自虐の淡いゆきずりの代りに、羅馬人の橋は遙かに雄大な人工のみに成立する精神である。


 26歳の若さでこんな文章を書いてゐる保田の早熟ぶりも驚きだが、保田が現代の私たちにはわからない敏感さや豊かな感受性を持ってゐたことにも驚かされる。<建築>に対するかうした感覚一つ取ってみても、明治生まれの保田にはわかるが昭和生まれの者には体感的にわからない、といふことがある。昭和、特に戦後以降の奇妙な建築物の数々を見れば、それももっともなことだと感じる。もう現代の日本の<建築>には思想と呼べるほどの思想はないのだらうと私は思ってゐる。保田は、「日本の橋」が何であるかがわかってゐる最後の人だったのかもしれない。

 名文と言へば、私が好きな保田の名文は、『やぽん・まるち』といふ、初期の頃に書かれた短いエッセイだ。この名エッセイは次のやうな一文で締めくゝられてゐる。

上野のあつけない陥落は昼頃だつた。あひ変らずに喪心して皷をうちつゞけてゐた、「まるち」の作者は、自分の周囲を殺到してゆく無数の人馬の声と足音を夢心地の中で感じた。しかし彼は夢中でなほも「やぽん・まるち」の曲を陰々と惻々と、街も山内も、すべてを覆ふ人馬の響や、鉄砲の音よりも強い音階で奏しつゞけてゐた──彼にとつて、それは薩摩側の勝ち矜つた鬨の声よりも高くたうたうと上野の山を流れてゆく様に思はれてゐた。


 私は昔から上野の山をよく散策してゐる。中でも、寛永寺の境内を通り抜けるときに、あの鬱蒼とした雰囲気の所で、この一文をいつも思ひ出す。寛永寺幼稚園の子どもたちの声の向かふに遠く「やぽん・まるち」が聴こへるのである。それは勇ましくも物悲しい調べである。私にとっては淋しい響きでもある。

 これは「体感」といふよりほかない。頭で理解することではない。保田の思想・精神は読んで体で感じるものであり、感じるものがなかったとしたら何も「わかった」とは言へない。

 新学社は今年、生誕100年の何か記念事業を企画してゐるらしいが、この記念すべき年に、もっと保田に再び光が当てられてほしい。いや、再びではない。保田の死後、このすぐれた思想家が注目を浴びたことなどほとんどなかった。現代思想や文芸に興味を持ってゐる人ですら、保田與重郎と言っても「知らない」と言ふ人が多いだらう。

 21世紀の現代に必要な人。保田與重郎。現代の昏迷を解くヒントをいたゞくもよし、文章を深く解し味はふもよし。今年を契機に脚光が当たらんことを願ふ。

 私の中では、保田與重郎は今もなほ輝いてゐる。