暫定龍吟録

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「なんの役に立つんですか?」の必要性

 森山森子氏の「「なんの役に立つんですか?」の暴力性」といふエントリーを読んだ。

 「なんの役に立つんですか?」といふ質問は野暮だと森山森子氏は言ふ。たしかに絵画の鑑賞をしてゐるときに「そんなことしてなんの役に立つんですか?」などと問ひかけられたら野暮だなあ、と思ふ。それは同感。
 でも、科学技術の研究者に対して、今研究中のものについて「それはなんの役に立つんですか?」と問ふことはそんなに野暮でつまらないことなのだらうか。

 先日、大阪大学の教授が人間の女性そっくりのロボットを作ったといふニュースをテレビで見た。

 [動画:1000万円の女性型アンドロイド、ジェミノイドF - engadget日本版]

 実際に本当に人間の女性そっくりで驚いたのだが、そのニュースの最後に、このロボットは「将来的には企業の受付などの用途が考へられる」と言ってゐた。私はそれを聞いたとき、思はず苦笑せざるを得なかった。こんな精巧なロボットを作っておいて、その用途が「企業の受付」とは。
 企業の受付なんていらないし、そもそも女性である必要もないし、もし企業の受付の仕事をするロボットを作るとしても人間の女性の形をしてゐる必要はまったくない。「企業の受付などの用途が考へられる」といふ発言はおそらく苦し紛れの発言だったのだらう。さうとしか思へない。ロボットを作るだけ作ったけど、使ひ途なんて考へてもみなかった。それなのに、誰かがこの教授に「そんなの作ってなんの役に立つんですか?」と問ふたのだらう。だからしかたなく何とか用途をしぼり出して「企業の受付とか・・・」と答へた。

 もし、このニュースを森山森子氏が見てゐたら、「ほら、だから研究者にそんな野暮な質問しちゃいけないんだよ」と言ってただらう。
 だが私はさうは思はなかった。むしろこんなすごいロボットを作ってしまふほどの頭のいい人が、まともな用途一つ思ひ描けてゐないことに愕然とした。


 先月、オウム真理教の地下鉄サリン事件から15年目の日を迎へた。私は丸ノ内線の利用者だったので、当時の事件の衝撃は強く覚えてゐる。
 サリンといふ毒ガスは、当時のオウム真理教の秀才部隊が作った。麻原は、東大出の理系の秀才たちに、「おまへたちにサリンが作れるかな」といふ難問をふっかけた。秀才たちは目の前に難問を出されたら解かざるをえない。どうしても解きたい。高校受験でも大学受験でも難問をクリアしてきた。俺たちに解けない問題があるはずがない。さうして秀才信者たちは闇雲にサリンを作った。目の前の難問を解きたいといふ一心で。完成したサリンがどういふ風に使はれるかなんて考へてなかった。サリンの使ひ途を考へるのは上層部の仕事で、自分たちはたゞサリンを作るといふ使命だけで頑張った。いや、使命などではなく、単に難問を解くのが楽しかったのだらう。それが「理系気質」あるいは「研究者気質」といふものなのだらう。

 森山森子氏が、

「役に立つ」ということを目標にしても、将来の進歩に結びつくわけじゃないし、「これを知りたい!」という単純だけど強い強い好奇心によって自分勝手に動く研究者のほうがずっと粘り強く、結果的に(本人の意思とは関係ないところで)進歩に貢献するものだ。


と言ってるのはもっともなことだと思ふけれども、そのやうに研究者が「強い強い好奇心によって自分勝手に動く」ことに私は危惧をも感じる。オウムの秀才の信者たちも、そんな単純な強い好奇心だけでサリンを作った。

テレビでも別の研究者さんが、役に立つかどうかなんて事は自分にはどうでもよくて、それはまた別の人が考えること、とおっしゃっていて、基礎科学の人間にとって、発見したことを実用化するかどうかなんてのは管轄外でしかない。


 サリンを作った信者もサリンの用途に関しては「それはまた上層部の人が考へること」と思ってゐたに違ひない。


 ロボットを作った大阪大学の教授とサリンを作ったオウムの信者を同列に論じるのはをかしい、と感じる人もゐるかもしれない。たしかに同列に言ってしまふのは失礼だと思ふが、しかし、私は科学者や研究者にはある種の規範が必要だと思ふのだ。

 ある種の、とは何なのか。それがこの「なんの役に立つんですか?」といふ言葉だと思ふ。この言葉自体にはたしかに馬鹿馬鹿しさもある。だが、科学者や研究者にとってはこの言葉が、すなはち「なんの役に立つんですか?」と自問することが、一つの倫理的な指標になるのではないだらうか。

 科学者や研究者だからこそ、かうした問ひが必要なのではないか。
 例へば、私が絵画を鑑賞するとして、そのことはおそらくあまり誰にも迷惑をかけないし、誰にも貢献もしないし、世界に何の影響も与へない。しかし科学者や研究者の発明は、多くの人々に影響を与へるかもしれないし、世界を大きく変へる可能性がある。

 「なんの役に立つんですか?」といふ言葉は乱発されれば暴力的だと私も感じる。けれども、科学者や研究者といった人々は、自分たちの発明や発見が世界に与へる影響力の大きさを考へれば、深慮と慎重のもとに研究活動を行ふべきであらう。「貢献」だけではない、「迷惑」の可能性だってあるのだ。「私の管轄外」などといふ態度で済まされるのか。
 科学者と倫理の問題を考へるときに、少しはかうした言葉が問はれることも意味のあることだと思へる。

 アインシュタインのやうに、悪用されてから嘆いても遅いのだ。