暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

「パワースポット」ブームに思う

 最近、テレビなどで「パワースポット」といふ聞き慣れない言葉をよく聞くやうになった。

 テレビでも雑誌でもネットでも、見ない日はないといふぐらゐ取り上げられてゐる。

 パワースポットとは何ぞ。
 どうやら占ひで「ご利益のある場所」といふほどの意味らしい。
 それにしても、日本語には昔から「霊験あらたかな」といふ美しい言葉があるのに、なぜ「パワースポット」などといふカタカナ言葉を使ふのだらうか。

 ブームになってゐるのは、2009年末ぐらゐかららしい。

 明治神宮の御苑の中に「清正井」といふ井戸がある。この井戸が、その「パワースポット」として最近注目を集めてゐるらしい。なんでもこの井戸にお参りしてケータイで写真を撮って待ち受けにしておくとご利益があるといふ噂が広まっており、今は連日、3時間待ちとも5時間待ちとも言はれる行列ができてゐるらしい。

 清正井は私は思ひ出がある。
 明治神宮の近くの学校に通ってゐた私は、学校帰りによくこの井戸に立ち寄って、その清冽な水で喉を潤したりした。当時は並んでゐる人など誰もゐなかった。御苑の中自体にほとんど人がゐなかった。ケータイを持ってない私はもちろんそれを撮影して待ち受けにしたりなどしなかった。本当に当時は清正井なんて誰も知らなかった。知る人ぞ知るといふ感じの場所だった。

 それが今は3時間待ちの長蛇の列。こんなに多くの人が訪れたら、環境も悪化するかもしれないし水質も劣化するかもしれない。私はもう二度とこの井戸を訪れることはないだらう。あるいは30年後か40年後、ブームのほとぼりが冷めたころに、また訪れる機会があるかもしれない。

 清正井がこゝまで有名になったのは、2009年末にある占ひ芸能人がテレビで紹介したことがきっかけらしい。そしてその後、テレビやネットで何度も紹介されて「ご利益」の噂が広まって行った。

 つくづくテレビやネットが恨めしい。特にテレビは、まだまだネットよりも大きい影響力がある。
 余談だが、家の近くに普段閑古鳥が鳴いてゐる定食屋がある。その平凡な定食屋がある日テレビで紹介されたのだが、翌日に行列ができてゐて驚いた。

 最近のウェブのトレンドである「ソーシャル」といふ言葉には「共有」といふニュアンスもあるらしいが、私はどうもこの「共有」が苦手だ。「とっておきのおいしい店」なら、なほさらのこと、なぜ人に教へるのか理解できない。人が殺到してしまったら、自分がその店に行くことができなくなるではないか。
 これはケチとかさういふ問題ではない。本当に親しい人には教へてもいいのだ。たゞ、マスメディアを使って不特定多数の人に教へるべきではないといふ意見である。

 だが、人気ブログを書いてる人などは、「情報を出し惜しみすべきではない」と言ふ。たくさんアウトプットすれば、それだけたくさん人が集まってきて、インプットしてくる貴重な情報も増えてくると言ふのだ。
 なるほど、その言葉を聞けば、確かにこのブログがアクセス数が少ない理由がわかる。しかし残念ながら、私はアクセス数は増やしたいけれども知りたがりではないので、そんなにたくさんの情報を得たいとも思はないし、「とっておきのおいしい店」を教へてもらひたいとも思はない。

 私はたゞ静かに、今自分の持ってゐるものを大切にしたいと思ふだけだ。その持ってゐるものとは、自分に何か関聯したものでなければならない。私は学生の時分、わざわざ明治神宮まで出かけて行ったわけではない。自分の学校の近くだったから立ち寄ったのだ。
 私は自分のテリトリーを守りたい。あれもこれもと興味の赴くまゝに手を出して他人の領域を荒らしたくない。

 人々の静かな暮らしを蹂躙するのにテレビやネットが貢献してゐるのだとしたら、私たちはこれらの道具の使ひ方を今一度再考するべきではないか。