暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

好きなものがない私

 日頃から、「非マニア」「非オタク」を自称し、あちこちのプロフィール欄に「無趣味」と書いてゐる私。本当は履歴書の趣味の欄にも無趣味と書きたいぐらゐだ。だってそれが本当なのだから。

 たゞ世の中には、私のやうにまったく趣味がないといふ人は少ないらしい。

 例へば、Twitterで誰をフォローするか悩む。普通はTwitterプロフィール検索などで、趣味のキーワードで検索し、自分と同じ趣味を持った人をフォローしたりするのだらう。
 私みたいに趣味が何もない人間はそれができない。しかたないので試しにTwitterプロフィール検索で「無趣味」と入れて検索してみたところ、「無趣味は多趣味」とか「多趣味すぎて無趣味」といふ人ばかり出てきた。どうやら本当に無趣味な人はやはりあまりゐないらしい。

 かつて何かにハマったことが一度もない。当然ながらマイブームなどといふものも過去になかったし、これからもないであらう。

 よくテレビや雑誌で、「好きな異性のタイプは?」といふ質問がされるのを見かける。もし私がこの質問に真面目に答へるとしたら「ない」と答へるしかない。好きな異性のタイプなんてない。ぢゃあ、誰でもいいの?と言ふとさうではない。嫌ひな異性のタイプならいくらでも言へる。百でも二百でも千でも二千でも言へる。だが“これが好きだ”といふタイプはない。

 昔、私淑してゐた先生が
 「『おいしい店をご存じですか』ってよく聞かれるんだけど、“この店がおいしい”なんて言へないんだよね。“この店が不味い”って店ならいくらでも言へるんだけど」
と言ってたのを聞いて、深く共感したのを覚えてゐる。「おいしいかどうかなんて分からない。でも不味いってことははっきり分かる」とその先生は言ってゐた。

 私は自炊をしてゐるので、原則的には毎日自分の好きなものを食べられるはずだが、では「毎日好きなものを食べてゐるのか」と問はれれば、やはり「そんなことはない」と答へる。嫌ひな食べ物ならたくさんある。その嫌ひな食べ物以外の食べ物を毎日食べてゐるのである。“好きな食べ物”といふのはない。

 “好きな音楽”もない。このジャンルの音楽が好きだとか、このミュージシャンの音楽が好きだとか、ない。私は日ごろ音楽を聴くけれども、このジャンルの音楽は嫌ひ、とか、このミュージシャンは嫌ひ、といふのはあるので、その嫌ひな音楽“ではない”音楽を聴いてゐるだけである。

 好きな絵画も好きな本も好きな映画も、ない。たゞ「かういふのが嫌ひだ」といふのははっきりしてゐるので、さういった嫌ひなものを避けて鑑賞してゐる。

 オタクとまではいかなくても、普通に趣味を持ってる人が羨ましいと思ふことはよくある。共通の趣味を持った人どうし話が合ふのだらう。たとへどんなにマニアックな趣味であったとしても趣味があるかぎり誰かと投合できる可能性がある。しかしまったく好きなものがない私は人と話しが合った試しがない。せっかくTwitterなどをやってゐても誰とも話が合はないといふのは淋しいものだ。

 だが、私の「好きなものがない」といふこの姿勢も、一つのポリシーなのだらう。さう思ってゐる。今までもそれを貫いてきたし、今さら変更することもないだらう。

 堅苦しく考へるのがいけないのかもしれない。そのときちょっとでも“いいな”と思ったのなら「好き」と言ってしまへばいいのかもしれない。
 しかし私は「好き」と言ひきってしまふことを恐れる。「好き」といふ嗜好は、人間の生き方の信念や精神の一端が現れてゐるやうな気がするからだ。好きな異性のタイプを聞くと、なんとなくその人の人柄や人間としての器量までもが分かってしまふ気がする。さういふことってないだらうか。例へば、せっかくの格好いい芸能人が好きな異性のタイプをしゃべり出した途端、その内容がひどく残念だったり趣味が悪いと思はれたりして、イメージダウンすることってないだらうか。

 さうしたことまで含めて真剣に考へると、やはり迂闊に「これが好き」とは言へなくなるのだ。