暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

人を勝手に低く見積もってはならない

 好きなタイプの人を聞かれることはあるが、嫌ひなタイプの人を聞かれることはあまりない。

 もし「この世でもっとも嫌ひなのはどんなタイプの人ですか」と聞かれたら、私は「態度がでかい人」と答へる。

 態度がでかい、あるいは人を見縊ったり見下したりする人が嫌ひである。

 小学校時代、私はクラスで一番おとなしい子だった。いはゆる学校のカーストで言へば「最も弱い」位置に属してゐた。本当はそんなに弱かったわけではないと自分では思ってゐた。しかし自ら敢へて、「最もおとなしい」「最も弱い」といふ位置に立ってゐたのだ。

 私は人を試してゐた。自分を試験紙として使って人を試してゐたのだ。私は初対面の人に会ったときは、必ず下手(したて)に出る。今でもさうしてゐる。私はなるべく謙虚に謙遜に下手に出る。そのおとなしくて弱さうな私を見て、相手がでかい態度に出てくるかどうかを計ってゐるのだ。相手が調子に乗ってでかい態度で出てきたり、こちらを見縊ったやうな態度を取ってきたら、私はもうその人とは付き合はない。こちらがどんなに下手に出ても、決して態度が大きくならない人が、私が真に尊敬し本当に付き合ひたいと思ふ人だ。

 例へば、初対面の人に「◯◯さんはパソコンは得意ですか?」と聞かれたとしよう。私は決まって「いえ、全然」と答へる。この答へは嘘ではない。もし相手がウェブデザイナーとかプログラマーのやうなITを専門としてゐる仕事の人だったら、わたしみたいのは初級者レベルもいいところなので、「全然苦手なんです」といふ答へで合ってゐる。しかしその相手が、私はパソコン触ったことありません、インターネットって何ですか、といふレベルの人だったら、私みたいな人間でも十分パソコンに詳しい人といふことになるだらう。
 思へば、「パソコンに詳しいか?」といふ質問ほど、ピンからキリまでの幅が広い質問はない。上を見ればキリがないほどめちゃくちゃ詳しい人がゐるし、下を見れば「マウスって鼠ですか」といふレベルの人までさまざまだ。だから、とりあへず相手のパソコンのレベルが分かるまでは、私は「自分はパソコンは全然です」と言ふことにしてゐる。
 さうした私の答へを受けて、「今の時代、パソコンが苦手なんて言ってるやうぢゃ通用しないよ」などといきなり上から目線で説教じみたことを言ってくるやうな人間はもう駄目なのである。
 かういふ人間は勝手に相手を低く見積もってゐるのである。もしかしたら◯◯さん(私)は自分よりパソコンに詳しいかもしれないといふ可能性をまったく考慮に入れてゐない。二人は初対面で、まだ二人のパソコンの実力はお互ひ明らかになってゐないし、比較もされてゐないのに。

 例へば、「君は努力が足りないんだよ」といふ先生がゐる。
 かういふ先生は、いったい生徒の何が分かってゐるといふのだらうか。
 「分かってゐるさ」と先生は言ふ。その理由は「付き合ひが長いんだから」だったり、「僕には分かるのさ」といふ根拠の不明な自信だったりする。
 先生に分かるわけがない。その生徒は必ず先生の見えるところでのみ努力をしてゐるわけではない。陰で、誰にも見えないところで一生懸命してゐる努力がどうして人に分かられよう。
 ニートやフリーターと呼ばれる人たちに向かって「努力が足りない」などと言ふ連中も同じだ。彼らがどれだけ努力してゐるか知りもしないくせに、どうして「君は努力が足りない」などと言へるのか。彼らのことをどれだけ把握してゐるのか。「知ってゐるさ、見てれば分かるさ」と言ふ人は、努力といふものが必ず人目につくところで行はれると思ってゐる人だ。「精一杯努力してゐる姿は必ず誰かに認められる」などと本気で思ってゐるのだ。世の中には誰にも見つからない陰の努力といふものがあることを知らないのだ。
 家族でさへ、親や夫婦でさへ、子どもや配偶者のすべてを知ってゐるわけではない。見知ってゐるのはその人のごく一部だ。夫が会社でどれだけ努力してゐるか、自分が寝たあとに妻がどれだけ努力してゐるか、子どもが学校でどれだけ努力してゐるか、さういふことは全然知らないのである。

 自分が知らないことについては、何でもとりあへず、高く見積もっておくべきである。勝手に低く見積もるべきではない。パソコンの例で言へば、私は初対面の人に会ったとき、その時点ではその相手のパソコンの実力レベルがまったく分からないので、とりあへず、プログラミングとかができるすごく詳しい人なのかもしれない、と仮定しておく。そんなあなたに比べたら私なんて全然パソコン詳しくないです、といふ回答に自然になる。もし私が「パソコンかなり詳しいです」などと答へて、後で相手がIT関聯の仕事をしてゐるプロだと知ったら、そのときは大恥である。

 人を勝手に見縊ったりするやうな人間は、器の小さな人間だ。本当に人間として素晴らしい人といふのは、どんな相手に対しても、決して態度が尊大になったりしない。相手がいかにも偉さうな人だったり、自分よりもレベルが上だと感じられる人の場合は、もちろん態度がでかくなったりはしないだらう。だが、相手が弱い仮面を被ってゐる場合は要注意だ。かういふ時にこそ人としての器が試される。
 ファミレスやファーストフード店などで、店員に対してでかい態度を取ってゐる男を見たことがあるだらう。特に彼女がゐる前だと余計にさういふ態度を取ったりする。ファミレスの店員は「お客様」に対して強く言ふことはできないから、初めから弱い立場にゐる。さうした立場関係に嵩をかけてでかい態度を取る人は、人間として最低クラスの人間なのだ。

 私たちは相手のことを何も知らない。よく知らない部分について、勝手に低く見積もったり、見縊ったり、見下したりしてはならない。