暫定龍吟録

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苦しんでる人がいたら社会が助ける

 先日、大阪のマンションで、置き去りにされた幼児2人が遺体で発見されるといふ事件があった。

 この事件について、ちきりんさんが書いてる文章を読んだ。

 誰が何をネグレクト? - Chikirinの日記

 この文章にはたくさんのコメントが付いてゐて、中でも目に付いたのが、「なぜ母親ばかり責められるの?父親の責任は?」といふものだった。この事件を母子家庭の問題として捉へてゐて、「離婚した父親にも責任がある」とか「母親は悩みを一人で抱へ込まないで社会に相談すればよかったのに」といふ声が多かった。

 これが男女逆だったらどうだったらう。父子家庭で父親が子どもを虐待して殺してしまったときに、「なぜ父親ばかり責められるの?離婚した母親の責任は?」、「この父親は一人で悩みを抱へ込まないで誰かに相談すればよかったのに」といふ声が出てゐただらうか。
 父親なら経済力がある、と言ふ人もゐるかもしれないが、それは昔の話だ。今の若い世代の男性はワーキングプアも多く、男だから経済力があるなどとは言へない。

 これは「母子家庭の問題」ではない。「女手一つで子育てするのは大変」などといふのは戦後か高度経済成長期ならともかく、現代においては「男手一つで子育てするのは大変」といふことと大きな差はない。
 大切なのは、苦しんでる人がゐたら社会が助ける、といふことであって、この事件の場合、女だから男だからといふのはあまり関係ない。
 
 それに、この事件は単に経済力の問題だけではなささうだ。精神的な問題や、誰にも相談できなかったといふ人間関係の希薄さの問題など、さまざまな要因が絡んでゐると思はれる。

 ちきりんさんが言ふやうに、行政や社会の仕組みを整へて、かうした悲しい事件を起こらないやうにすることが大切なのだと私も思ふ。
 でも今回のやうに「ちゃんと聯絡したのに行政が何もしてくれなかった」といふ場合はどうしたらいいのだらう。

 マンションの住民の多くが子どもの泣き声を聞いてゐたさうだ。そして、あの家は子どもだけで住んでるのでは?といふところまで感づいてゐる人も何人もゐた。それなのに、誰も助けてやれなかった。都会特有の、あるいはマンション特有の人間関係の希薄さがあったのだらう。
 それに加へて最近は、「プライベート」や「プライバシー」といったことが喧しく言はれるため、他人の家に行きづらい。行政が二の足を踏むのもプライベートにずかずかと入り込んでいくわけにはいかないと思ってゐるからだ。
 それともう一つ、「防犯」や「セキュリティ」の進歩のため、物理的な障碍も出てきてゐる。オートロックのマンションだったら部屋に近づくことさへできない。

 本来なら、小さい子どもが置き去りにされてゐるかもしれないといふ心配があるのだったら、ドアを蹴破ってでも安否を確認しに行くべきなのだ。プライベートがどうかう言ってゐる場合ではない。
 だが、さういふことができにくくなってゐる社会になってゐることを私は憂慮する。

 「社会が助ける」といふ場合の社会とは、もちろん国や行政のことでもあるけれども、「近所の人」も「都会」も「マンション」も「プライベート」も「セキュリティ」も社会である。
 さうした観点から見れば、今の社会は今回の事件のやうにギリギリのところで苦しんでゐる人を救へない社会のやうな気がする。

 「自己責任」といふ言葉は当たらない。命を落としたのは母親自身ではなくて子どもだからだ。この母親には責任がある。そして問題がある。「どうしてこの母親は誰かに頼らなかったのか」といふ疑問は当然出てくるだらうが、問題のある母親にそれを言っても詮ないことだ。それより「どうして周囲の人間は助けてやることができなかったのか」が問はれなければならない。

 社会が、私たちが助けなければいけないのだ。「自己責任」といふ言葉の下にこれ以上苦しんでる人が犠牲にならなければならないのだとしたら、私はそんな世の中は御免だ。



(2010/08/03追記)
 「狐の王国」のKoshianさんが似たことを書いてました。

それでも子育ては社会で取り組むべき - 狐の王国