暫定龍吟録

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ナイチンゲール没後100年に思う

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 今日は、フローレンス・ナイチンゲールの歿後100年の日。
 どれだけ多くの人が話題にしてるだらうかと思って検索してみたけれど、日本語のブログでは話題にしてる人は少ないやうだった。

 ナイチンゲールといふと、私が子どもの頃は、何した人かよく知らないけど、「クリミアの天使」とか「白衣の天使」などと呼ばれてる「天使のやうな素晴らしい女性」といふ漠然としたイメージしかなかった。
 大人になってからは、看護師としてよりも統計学者としての側面から見ることが多かった。

 しかし、ナイチンゲールといふ人は知れば知るほど、「天使」などではなく、とても「冷徹」な人だったのではないかと思へてくる。あらためて顕彰するまでもなく、ナイチンゲールの“冷徹さ”は現代人には広く受け入れられると思ふ。

 「看護」といふ、とても泥臭くて人間的なものと、「統計」といふ、人間を数量的に扱ふ冷静的なものが、彼女の中ではどのやうに結びついてゐたのだらう。一見、相反するこの二つのものがナイチンゲールの中では結びついてゐた。といふよりも、泥臭いものを“冷徹に”処理してゐた、と見ることもできる。

 ナイチンゲールは人々を納得させるために統計を使った。わかりやすいグラフを発明し、自説に説得力を持たせた。 
 現代は、ネットの世界で論争が起きたりすると、すぐに「証拠となるデータは?」と言ふ人が多い。そして統計的な数値を示した表やグラフを載せると簡単に納得する人も多い。少し眉唾なグラフであったとしてもそれを堂々と提示されると、簡単に「なるほど」と感心してる人を多く見かける。
 統計は、万人に「わかりやすい」といふ良い一面がある一方で、工夫次第では簡単に人を欺くことができるといふ悪い一面もある。
 統計を多様して、非常に“論理的に”自説を展開してゐるブログ記事が人気を集めたりしてゐる。かうした現代のネット上における“賢い”やり方がナイチンゲールから始まってゐるのかと思ふといろいろ考へさせられるものがある。

 ところで、最近、病院に行って驚いたことがある。診察室に入っても医者が私の方を見ないでずっとPCの画面ばかり見てゐるのである。
 私が子どもの頃病院に行ったときは、診察室に入ったらすぐに医者は目を下に押し広げたり、「ベーして」と言って口の中を見たり、胸に手を当ててトントンとしたりした。さういふ行為が医学的にどれだけ価値がある行為なのか知らないが、今の医者はさういふことはしない。私が入って行っても私の顔を一瞥もしないで、PCの画面を見ながら「どうしましたー?」と聞く。患者の顔色も見ないで一体何が分かるのだらうか。

 PCの画面にはいろいろなデータが表示されてゐるのだらう。その患者の病歴がわかるやうになってゐるのかもしれないし、ある薬がその病気の患者にどれだけ有効か、といふ統計的な数値が表示されてゐるのかもしれない。また患者の方でも、「この病気はこれぐらゐの確率で治ります」とか「この薬はこれぐらゐの割合で有効です」といったことをPC画面上のグラフを見せられながら説明されたら、納得しやすいのだらう。
 一方で、患者の顔を見るといふことは、まさに「診る」ことだ。看護師ならば「看る」がこれに当たるだらう。

 今、ナイチンゲールが生きてゐたら、PCの画面を見るだらうか、それとも先づ患者を見るだらうか。