暫定龍吟録

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えーえんとくちから - 笹井宏之の永遠

 笹井宏之。 

 私はつい最近までその人の名前を知らなかった。

 出会ひは偶然だった。昨年2010年の年の瀬も押し迫った頃、池袋のジュンク堂での予期せぬ邂逅だった。
 何千冊もの本が並ぶ本棚の中から、なぜ彼の本が目に止まったのか。それはわからない。装釘が魅力的だったからかもしれない。近づいて見たら、本のタイトルが不思議だった。

 『えーえんとくちから』

 私は、また新しい詩人が出てきたのだらう、といふ軽い気持ちで本を手に取ってパラパラとめくってみた。そして衝撃を受けた。
 私は本屋に行ったとき、買ふ予定がなかった本をその場の一目惚れで買ふことはほとんどないが、この本は買って間違ひないと直感した。

 買って家に帰ってあらためて読み、この作品集の著者、笹井宏之の才能に慄いた。

 笹井宏之は歌人である。しかし本人が「短歌というみじかい詩を書いています」と言ってゐる通り、私には詩人のやうにも感じられた。

 本を読み終へて、私は私の好きな詩人、立原道造を聯想した。笹井宏之が立原道造に似てゐると思ふところは、その詩が限り無くやさしいところ、繊細な感受性、とても現代的な感覚を持ってゐるところ、背景に知的なものを感じさせるところ、遠い彼方を見てゐるところ、などだ。もちろん、本人は立原道造と比べられるのは不本意かもしれないし、それはわからない。「俺はあいつは好きぢゃないんだ」と言ふかもしれない。読む人によっては、立原道造ではなく、宮澤賢治、八木重吉、金子みすゞを聯想する人もゐるかもしれない。

 笹井宏之の作品で、限り無くやさしいと思ふのは、例へばこんなうた。

にぎりしめる手の、ほそい手の、ああひとがすべて子どもであった日の手の


 かういふ繊細な感受性を感じさせるうたがいっぱいある。
 だが、たゞひたすら“やさしい”うたばかりといふわけでもない。よく読んでみると、笹井宏之のうたには諧謔もアイロニーもある。

恋愛がにんげんにひきつかまえて俺は概念かと訊いている

 かういふうたには知性を感じる。

 現代的でおもしろいと思ふのはこんなうた。

昨晩、人を殺めた罪によりゆめのたぐいが連行された

 
 好きなのはこんなうた。

あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる



 笹井宏之が見てゐた「えーえん」は、どんなものだったのだらう。彼の水平に届かないのでわからないが、私は少しでも近づきたいと思ふ。

 『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』2011年1月24日 第1刷

 昨年末に書店の店頭に並んだとき、第1弾はあっといふ間に売り切れたさうだ。第1刷の日付が「1月24日」になってゐるのは、この日が笹井宏之の命日だからだ。
 今日2011年1月24日が、笹井宏之の三回忌である。
 帯に付されてゐた写真を見たが、かっこ良くてやさしいお兄さんにしか見えない。そんなに病弱だったやうには見えない。

 2009年1月と言へば、日本でTwitterが流行するちょっと前だ。笹井宏之がもうちょっと長生きしてTwitterを使ってゐたら、すてきなツイートをたくさん残したに違ひない。

 Twitter上でたくさんの人が笹井宏之に対する想ひを語ってをり、こちらにまとめられてゐる。

 Togetter - 「『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』」

 また、笹井宏之が生前に書いてゐたブログがある。

 【些細】

 現在は、笹井宏之のお父様が更新を続けてをられるやうだ。

 「えーえん」の重さをいとも軽やかにうたってみせた笹井宏之。「天才」といふ賛辞は私からは不要だらう。間もなく世間がそれを認める。
 私はたゞ、笹井宏之が紡ぎ出したうたが好きなのだ。


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(2010/12/24)
笹井 宏之

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