暫定龍吟録

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東北地方太平洋沖地震から三週間

 今日で、東北地方太平洋沖地震から三週間になる。今は、救助活動が終わって、生き残った被災者支援活動に移っている段階だ。行方不明者の捜索は今も続いている。復興はまだまだ先。原発の問題も現在進行形であり、収束の目処は立っていない。
 また、今回の地震は非常に余震が多く長く続いており、昨日3月31日まで、体に感じる揺れが一回もなかった日は一日もない。

 状況はメディアが伝える以上のことはあまりわからない。
 私が観測できる範囲のことを書き留めておこう。


・スーパーやコンビニの状況

 東京の私の家の近くのスーパーやコンビニにおける話。

 スーパーでもコンビニでも、多くの食料品が、地震から11日後の3月22日ごろから揃い始めた。そしてこの頃は、水も普通に売っていた。しかし、3月23日に金町浄水場から放射線が検出されて乳児への水の摂取制限が発表されてから、ペットボトルの水が一気に姿を消した。
 
 今日4月1日現在、食パン菓子パン類、カップ麺類、米も冷凍食品も揃っている。品切れ状態が続いているのは、500mlサイズの牛乳、ペットボトルの水、ぐらいだろうか。私が不便に思っているのがそれぐらいだということで、スーパーでもコンビニでも全体的に空き棚はまだたくさんある。
 しかし、今日スーパーに行ってみたら、今までよりだいぶ客も少なかったので、いわゆる「買い溜め」「買い占め」も落ち着いて来ているのだろう。

 近くの薬局のトイレットペーパーは地震から18日後の3月29日にやっと店頭に並んだ。


・現代の藤田東湖

 昨日、朝日新聞がこのようなニュースを伝えていた。

asahi.com(朝日新聞社):天井崩落、女生徒救う 中1柔道部員「日本一強い男に」 - 社会

東日本大震災が起きた今月11日、栃木県下野市の市立国分寺中学校の体育館で、同中1年の柔道部員、瀬内龍虎君(13)が、崩れ落ちる天井の下から女子生徒を助けた。自身も落下物が肩にあたり、けがをするなか、女子生徒を上から覆うようにして壁際まで移動させた。とっさの判断だったが、「勇気ある行動」として校長賞が贈られた。


 私は、この話を読んで、江戸時代の水戸の儒学者、藤田東湖を思い出した。藤田東湖は、1855年の「安政の大地震」の時、母親を庇って外へ押し出し、自らは上から落ちてきた梁の下敷きになって絶命した。「東湖」と「龍虎」と名前の音の響きも似ているし、茨城と栃木と同じ北関東の人で、自分の身を挺して女性を守ったという共通点がある。
 いつの時代も立派な人はいるものだ。


・「東日本大震災」という名称

 2011年3月11日に起きた地震は、その日の内に「東北地方太平洋沖地震」という名前がついて、その後は、ほとんどのマスコミが「東日本大震災」、NHKだけが「東北関東大震災」という名称を用いていた。
 「東日本大震災」と「東北関東大震災」では、後者の言い方のほうが被害が大きかった地域をより的確に表わしているかもしれない。
 また、同時期に起こった長野県や静岡県の地震を含めるか含めないか、でも違ってくる。含めるなら「東日本大震災」だが、含めないなら「東北関東大震災」だ。
 
 今日、政府が閣議によって、3月11日の地震を「東日本大震災」という名称にすることを決め、NHKのニュースでも今日からは「東日本大震災」と言うようになった。

 私は、どちらかと言えば、「東日本大震災」という名称のほうがいいだろうと思っていた。というのは、「東北関東大震災」という名前にしてしまうと、大正12年の「関東大震災」についてネットで調べたい時、検索結果に「東北関東大震災」に関するものが含まれてしまうと思ったからだ。
 「東日本大震災」というあまりにも大きすぎる名前が、まさに千年に一度と言われるこの未曾有の災害に相応しいかもしれない。