暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

その如月の望月のころ

 「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」

 この時期になると、この歌を思ひ出す。
 今日は旧暦2月の満月。空にはきれいなまるい月が浮かんでゐる。

 西行は自らのこの歌の予言通り、如月の満月の日に亡くなつた。しかも歌人であると同時に僧侶でもあつた西行はその忌日が釈迦入滅の日(2月15日)と同じであつたといふから驚きだ。(西行が没したのは正確には2月16日)。西行ほどその最期が見事なまでに美しかつた人はゐないだらう。

 だが私は春に亡くなるのはいやだなあ、と思ふ。気温が暖かくなつたり暑くなつたりすると、昔のいろいろな感覚が甦つてくるのを体で感じる。それで懐かしさでいつぱいになつて、たぶんこの世に未練たらたらになると思ふのだ。
 亡くなるなら秋か冬がいい。記憶がなく、未練がなく、葉が落ち、草木が枯れるのと同じやうに亡くなつていくのがいいのだ。

 今日、東京では桜が開花した。しかし、この一瞬の花が美しく咲き誇つてゐるあひだに亡くなりたい、といふ気持ちもわかる。それは刹那の美である。刹那の美を間違ひなく確実に切り取つた人だけが永遠の美を受け取る。西行はさうして永遠の美を手に入れた。

 一年に一度の如月の満月の日、800年以上昔の歌人の気持ちに思ひをいたしてはいかゞだらうか。


桜が好き→ランキング